11月12日大阪桃山台の葬儀場で行われた「吉田簔助」さんの告別式に参列した。この日の予定が前日にキャンされたのは意味がある
文楽に全くなじみのない30代だった
あるきっかけで吉田簔助さんの人形遣いを観た
生身の女より女らしい色香を漂わせている人形を見て引き込まれた
その感想をすぐ楽屋に行ってお話し、其れから東京興行には必ず足を運んだ
文楽の話は古い
しかしその基本になるのは人間の情であり欲であり自我である
そういう本音をさらけ出しての大夫、三味線、人形の三位一体に演じる物語もまた心えぐられたりする
なまいき盛りの30代は「へえー人形劇?」なんて思って見向きもしなかったのだ、それにお琴は小さいとき習わされていたが、それを嫌って黙ってピアノのレッスンに変更した裏切り者でもあるので、日本の和事の教養が欠けていた
文楽は語りも聞きごたえがあり太三味線の音色が腹の底にこたえる、三者の息があってこその舞台づくり、特に人形遣いはその所作に魂が入っていないと見苦しい
簔助さんの人形はいつも生きていた
無理を承知で人形の着付けから所作までを写真に撮った、最初で最後であった
着物雑誌で発表したがなんと25ページの大作だ
撮影はまだ簔助さんが国宝に指定される前、もちろん大病で倒れるうーーんと前だ
人形の胴体は同じだが役によって着物の着付けが違ってくる、芸者、遊女、お姫様、町娘、武家夫人、商家の女将、街のカミさん、正妻、妾などなど、女の職業、女の立場荷よって衣装はもちろん着付けが違う
さらにそれぞれの女たちの所作も微妙に違ってくる
この細かい女の動きをどこで習得するのかと聞いたら、「観る、語る、識る」観察力が半端ではない
「もう一度生まれ変わっても人形遣いをやりたい」
とおっしゃっていた
遺影に深々と頭を下げ心の中でたくさんのお礼捧げてきた
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