成功した人の話には必ずと言っていいほどその人の不幸がある
その不幸を強調して話を作り上げることを指導している人もいる
今ある仕事に出会ったのは、自分がこんな不孝に出会ったからだと、カミングアウトして人の気を引く
幸せを勝ち取るためには、不幸がないと人は気が付かないというのが、多くの人の前提になっている
「銀のスプーンを咥えて生まれた」
と生まれつき幸せな人に対して言う言葉が在るが、それはその人が自分の人生で銀を金にするのか、銅にするのか、はたまた石にしてしまうのか、そういう未来おも含んでいる言葉だと思う
公の場で、不孝をカミングアウトして人の同意を受けるということは、其れだけ不孝から立ち上がりたいという人も多いということ?
「ああ私も同じ、じゃあ頑張ろう」
「この方私よりもっと不幸な時があったんだ、でも大丈夫私も克服できる」
不孝話を聞いてみんなそう思うのだろうか?
公の場で、成功成功の連続の話を聞いても感動をしない人が多い
成功の秘訣という講演や本には、必ず著者の不幸時代のカミングアウトがある
事程左様に人は人の不幸は理解しやすい
人の幸せにはやっかみがあり、人の不幸には同情寄せたり、ちょっと嬉しくなったり、親切にしたくなったり、優しくなったりするが、他人の成功をわがことのように喜べる人は少ない
人の不幸はその人の不幸、その人が克服するしかない、一緒になって不幸を嘆いても何の解決にもならない
だから不幸のカミングアウトは人を同調させる、一番いい手法かもしれない
友人同士でカミングアウトごっこをして気分を晴らすというのは健康的だ
しかしその友人も選ばないと陥れられる
だから不幸も幸福も自分自身でじっくり味合えばいい
幸せな人は自然に人にも優しくなれる
不幸を自分で克服した人もおのずと広い心を持ち、人に愛を注げるようになる
人の幸福はみんなの幸せ
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