久しぶりですわ
朝5時まで原稿を書いていた
この二日間で一冊の本を書き上げた、というより打ち上げたというのが正しいか
パソコンでの原稿作りに慣れようと思い、パソコンでこのブログを書き始めたのが20年前になる。しかしパソコンがパンクしてすべてのデーターが消えたので、今はこのブログは2009年からのしか残っていない
ある雑誌の編集者がチャ子ちゃん先生の手書き原稿を、新たにパソコンで打ち直しているのを見て、これからは原稿は手書きではなくなるのだとおもったし、これもある雑誌の編集者が
「原稿はフロッピーでください」
「うん?」
そしてまた「きものという農業」の原稿を書いている時、担当の編集者が、チャ子ちゃん先生の書いた原稿をパソコンで打ち直していた。
時代の推移ってこういうことなのか、この世界で仕事をしたいと思うならば、パソコンで原稿を作ることが肝心だ。と思っていたが
原稿用紙に向かって万年筆を持つと書きたいことが浮かんでくる
「手先に脳があるらしいのよ私、だからパソコンなんて使わない」
と頑張っていた
「あらチャコパソコンに向かうと自然に手が動くようになるわよ、今そういう時代なのよ、バカね」とゲイの小説家に諭され、其れではとおそるおそるパソコンに向かってブログを書き始めた
編集者はパソコンの手元なんて見ていない、手書きの私の原稿用紙を見ながらぴぴぴーと打ち込んでいく、驚いたのなんの、すごいとみとれていたら
「次回からパソコン原稿にしてください」と念を押されてしまった
ほぼ毎日ブログを書いていたかいあって、今回は二日で書き上げた
「えらい!よ私」
と自慢したら
「普通です」
と言われてしまった
しかしピアノを弾くように鍵盤見ないで文章を書いていくという技は身に付いていない。手元を見ているので、その分遅いし肩に力も入る
「そのうちAIが書いてくれますよ」
これについてはいろいろ考えることもある
「冠婚葬祭」2月11日秦野の出雲大社分祠での講演に出来上がるそうな
表紙はもうできていて美しい、内容は手に取ってお読みくださいまし
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