断捨離などない時代があったこと私達は忘れている
江戸時代はまさにそう
使い切るということが当たり前だった
その底には
「命を頂いているのだから、使い切ることでその命を全うさせよう」
という解釈っだったのだと思う
断捨離という言葉がなんとも悲しい
つまり持ちすぎたから必要がなくなった物は捨てる
大量生産が当たり前の時代が来た時、目につくものをアレコレ買った。競争するように買いまくった
そういう時代の真っ最中に友人の家に遊びに行った。買ったばかりの家の中に、きらめくドレッサーがありその中を見せてくれた。洋服が50枚くらい入ると自慢していた、引き出しにはメガネが10個以上、時計も10個以上、ハンドバックや靴の数もそれぞれ50個くらいあり、宝飾も美しくキラキラ輝いていた
物に囲まれた一人暮らし
一緒に伺った友人たちと求めた新築祝いを出しそびれて、どうしようかと思案
「今更ねえ」
「あみだくじしよう、当たった人が持って帰る、そして当たった人がみんなのお茶代支払う。というのはどう?」
「いいねえ」
時代の流れで、多かれ少なかれみんな物は持ちすぎていた。だからうらやましいという気持ちはなく、逆に自分たちの物を買う姿におぞましさを感じ
「よく吟味して買って大切に使いましょう。って母が言っていたなあ」
「本当にいる物だけ買いなさい。ともね」
「使い切ったら新しいのを買うのよ」
「鉛筆なんかもそうだった、こんなちっちゃくなるまで使っていたね」
「消費しないと経済回らないし」
買うことを控える
ということはぼんぼん物を買っていた人たちにとって、むつかしいことだった
物の価値に気づいた人たちが断捨離ブームに乗らないでいる
何が大事かということを考えさせられる毎日
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