チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

生き返る人々

2023年04月18日 09時55分51秒 | 日記

きものの取材を進めていて、各地で手仕事をしている方々にお目にかかると、思いがけない話が聞けて興味が尽きない

それも

「チャ子ちゃん先生の突っ込みインタビューがそういう話を引き出すのよ」

と言われる

 

ある場所での話

「どうしてまるっきりの素人が養蚕をするようになったのかそのきっかけは?」

といろいろ問い詰めていたら

ある盲目の歌手のコンサートに行き、懇親会に出たらそこに太陽のように明るい女性がいて、単刀直入にどうしてそんなに明るい顔でいられるのか?と聞いた

「生還したから」

その人は余命一か月と医者に宣告されたがん患者

「どうせ死ぬのなら自分がやりたかったことをしよう」

ということで一番したかった「ホノルルマラソン」に出走、走り切って日本に戻り医者に行ったらなんと!「がんは消えていた」

そこから自分が最もやりたいことを楽しく行って生きていこうと決心、どんどん健康になっていき、皆さんのお役に立てる生活が始まった

それを聞いた件の知人は定年後の自分の人生に暗澹とした思いがあったが、この地で行われていた養蚕を手掛けようと決心、それが今実っている

 

さらに

官公庁に努めていた40代の女性

「認められたい」という強い気持ちがあり、上司に気に入られたい、同僚よりいい仕事ぶりを見せたい、上に上に行くことばかりを考えていて無理を重ねていたら、ある日字が見づらくなり、物は落とす、歩けばつまずく、まだ私は若いのにーーという思いで病院に行くと、10万人に一人あるかないかの奇病で治療方法もない、体が朽ちていくのを待っているしかない

一念発起して職場を離れ「何がしたいか、何をしている時が一番楽しいか」ということをよく考えた結果「食の循環」地産地消の促進、若手の料理人たちと組んでの食の改善、そういうことに取り組みたいと思って始めたら楽しくて楽しくて奇病が吹っ飛んでいった。と明るく笑ってはなしてくれた

 

またある人は

人のことばかり気にして、自分のことちっとも顧みないで、付き合っていた男性が電車にはねられそうな位置にいてそのことを告げようとしたら、自分が後ろから来た列車にはねられ、飛ばされて落ちたところが沼地で泥んこまみれになったが命は助かった。男性に近づいていると思った列車は実は止まっていて、相手を気にすることばかりしている自分が一番危険にさらされていたということに気が付き、それからはまず自分自身を見つめることを始めたと明るく話してくれた

 

そしていづれ人も神様が気づかせてくれたのですよ

と感謝の言葉で結ぶ

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魚の目

2023年04月16日 09時05分35秒 | 日記

足袋を履くようになって毎年木の芽時になると魚の目に苦しめられる

痛いのなんの

どういうわけか右足小指にしかででない

何か意味があるのかなあ

 

それは地唄舞を見た時だった、ローソクの明かりの中静かな舞が始まると、もう舞の振りより、足袋を履いた足の動きにしか目がいかない

足袋の美しさに驚嘆した。正確には足袋を履いた足運びの美しさなのだが、とにかく足袋というのはかくも色気があり、そそるものと凛とした感じが混在して魅力的だ。そして終わって懇親会に入った時、自分の足袋の姿に愕然とするほど恥ずかしく、今目の前で足首を切り落としたいほどの感情を持ってしまった

 

それからは足袋の旅が始まった

「誂え足袋」を知ったときはその時だ、足の寸法を細かく測り、一度はいて水を通し、そしてまた履いて具合を見る

その地唄舞の師匠に聞いてまずは新富町にある足袋屋へ、ぴっちりぴっちりと注文し、出来上がった足袋を履いた時のうれしさ、しかしあの地歌舞の師匠のような美しさにはならない

それから足袋や行脚が始まり、気が付いたときは「魚の目」で苦しんでいた

 

皮膚科にも行った、気合でとるという怪しげな場所でも取ってもらった、しかしみんな二年とは持たない

あまりの痛さに右足だけ伸びる足袋を履いたこともあるが、チャ子ちゃん先生の目が許さない

そして今は向島の「めうがや」さんにに

「恥ずかしながら魚の目が痛いので」

この部分だけ余裕を持った仕立てをしてほしい、と注文をして何とか切り抜けているが、それでもこの季節になると魚の目が元気出して伸びてくる

花粉症にに悩む人と同じように季節病だは

薬屋に足を運ぶと「魚の目ころりん」という張り薬があった。結構同病の人が多いのだとすっかり気が緩む

 

キチキチの足袋を履いたことで、つま先の循環が悪くなり、「いやだよこれ以上の締め付けは」と指の叫びだ

それ見しても地唄舞の師匠の足元の美しさはやはり憧れ

着物姿の完成は足袋の美しさだと思う

松本清張の短編にも小唄の師匠の足袋の美に惚れた男の話を読んだことがあるが、チャ子ちゃん先生は男目線なのかなあ。と思ってしまう

 

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続・きものという農業

2023年04月14日 08時57分04秒 | 日記

「続・きものという農業」の出版が決まった!

おめでとう!!!

昨日出版元の万代宝書房の社長「釣部人裕」さんと今後の進行を話し合った

釣部社長とは何年か前に2度ほどお会いしていて、それ以来FBを通じてお互いの近状は知っていた

コロナ騒動に入ったある時釣部さんは出版社を立ち上げ、それをFB上で熱く語っていた

チャ子ちゃん先生は別の出版社で執筆中だったので「ほー」という感じでただ読んだという感覚

 

そしてある日

次の出版が決まっていたのに「きもの風姿花伝」しかも内容をすべて書いて編集者に渡していた、次の段階に行くのになしのつぶて、半年待たされ担当者に思い切って尋ねると

「すみません会社の方針が変わって、なかなか話が進みません」

諸般の事情で「自費出版という形をとっていただかないと本は出版できない状況」になっているという

出版には商業出版と自費出版がある

ずっと商業出版できていたので今この活字離れの時代さもありないという感じでおとなしく引き下がった

 

確かに電子図書という時代であり、またSNS何で見聞きできるサイトが目白押し、さらにAIが作った辞書もある。本なんていらない、知りたいことはすべてスマホ一つで事足れり、そういう時代にって、あえて泥臭く「紙」にこだわる出版社と執筆者

 

釣部社長は「魂に響く本をつくりたい」という思いで出版社を立ち上げた

しかもコロナが始まってから立ち上げたのだ

「どうして?」

それはお父様の遺言であったという

ガダルカナル島の玉砕で20人助かった日本兵のその中の一人が彼の父親

生前は戦地の話は一切しなかったけど、ひそかに当時のことを書き留めていたノート見つかり、人間の尊厳など全く認めていない当時の軍隊であっても、そこにいる人たちの助け合いの心の温かさ、非常な時の人間の在り方などが垣間見られたという。ほとんどの兵隊が「餓死」でなくなったのだが、輸送されてきた食料をめがけて爆弾を落とす米兵の残酷さ、その一部始終を戦後発表できない日本の国の在り方、そのような内容のノートが見つかり、遺言であった「遺骨を戦友たちのところに」ということで、釣部さんはその島へ赴いた

 

現地で感じたことは多々あるけど「人間の尊厳」を大切にする仕事をするということだったという

人は死ぬために生きているのだが、その死を納得するための生き方をする人の本を作りたいーーと

 

 

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1600年周期

2023年04月12日 07時32分24秒 | 日記

公園の緑があっという間に幼児から少年そして青年の緑になってしまった

今年は早い

何もかもがひっくり返って自分自身の力をしっかり出す時代が来たようなきがする

一昨日韓国で「慰安婦問題はでっち上げだ」と勇気ある告発があった模様

世界中が日本人の性に対する横暴に日本を軽蔑していたが、それが全部嘘だったと、元慰安婦でさえ言い出した

今では南京虐殺事件もでっち上げで、日本を貶めようとしたことだということがわかっている

今の若い人はこういう問題を知らないのかと思いきや、日本の教科書にこの嘘が書かれているという(チャ子ちゃん先生は確認していない)

 

戦地で命を落とした人たちをこんなに侮辱していいのかと思っていた

日本人自身が自虐的になっていた

その自虐的なところが自分自身を卑下するという方向にまでいっていた

肩をすくめて「日本は劣った国だ」と思わされていた

 

のびのびと葉を茂らせている今年の樹木を見ると

「自分自身を信頼しなさい、あなた自身を愛しなさい、そして伸び伸びと生きましょうよ」

と教えてくれているように思う

葉の緑も草花の色もつやつやとして美しい

 

1995年から日本が中心の時代にはなっているのだが、その日本人が眠りこけているので、自然が勢いよく私たちを起こしているのだと思う

村山節さんの「文明法則史学」によれば、文明、地球、人類に一定のバイオリズムがあり、1600年で文明が循環するという法則があり、2000年を境に西洋文明が衰え、東洋文明になるが、前の東洋文明隆盛の時は「唐の文明」今回は「日本文明」だという、しかも400年ごとに春夏秋冬を繰り返し、1600年たったらまた西洋に中心が移るという

 

確かに西洋文明は、ルネッサンス、大航海時代、産業革命、石油全盛時代と400年ごとに変化して、いよいよ衰退の時が来ているように思える

深い眠りの中にいるように見える日本人がいよいよ美しい世界を作っていく時がやってきたようだ

そのように自然が先に元気になって教えてくれているようだもの

ほんとうに美しい日本の自然

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竹は根がはびこる

2023年04月11日 09時36分49秒 | 日記

竹の怖さを知る人はいない

吉祥文様としてきものにはまた什器にも絵画にもよく使われる「松竹梅」食べ物屋さんで

「松竹梅なんにしますか?」

だいたい皆さん「竹」と答える

その竹なのだが竹の根と格闘している人は多い

地盤を強くするために山際にはよく竹を植えている、竹林の中にいると自身も家事も怖くないとは幼いころ大人に教えられた

防空壕というのを掘るのだが、竹林のふもとに掘ると安心だと言っていた

竹はタケノコができる、タケノコを人間に食べさせて竹の根がお邪魔しているところを「ごめんなさい」と言っているのかしらん、なんて思う。そういえばパンダという動物は竹の葉が主食だ、昨日上野にいたシャンシャンがタケノコをかじっている姿を動画で見たが、竹の葉だけであんなに大きくなれるのかと感心する

 

桑畑によく行くが竹林のある所は、その根っこに悩まされている

昔の桑畑は竹林が近くにある場所では栽培はしなかった。生産者はよくわかっている

能登の山奥にある桑畑も竹を避けて栽培していた。しかし今はそこは栗畑になっている

 

植物の性格を知っていた先人たちは何がこの土地に適しているかがわかっていた。土と環境の共存共栄ができていたから、日本の自然は調和していたのだろう

日本人ってほんとうに素敵だと思うのは、こういう根を張りすぎる竹の性質を「上にまっすぐ伸びてすばらしい」と吉祥文様にしてしまう。地下で図太く根を張っている姿より、涼やかな竹の姿をめでる。「いいところを取り上げて伸ばす」という人の教育方針にも似ている

松もくねくねしてあちこちに落ち葉を作る、しかも葉っぱにとげがある、それでも常に緑で永遠の命をめでる感性が日本人、最近は松の葉茶としても愛用されている。梅は言うに及ばず花は美しいし香りもよく実もなる

吉祥文様はただめでたいのではなく、めでたい影に人を脅かすものがあり、それを逆手に取ってほめたたえ感謝する

 

タケノコ堀を眺めながら(自分ではやらない)思いを巡らせ、おいしくタケノコをいただいた

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こけし

2023年04月10日 08時40分46秒 | 日記

お茶お花、日舞,仕舞、三味線などの音曲、バレエや音楽鑑賞などなど、厳しく鍛えられた「げい」の走りの「こけしさん」

上場企業社長に連れられて、彼の店に行き数少ない女友達として認めてもらっている

小説家や政治家、もちろん一流企業の経営者しか行けないバーだった。兄弟だったらどちらか一人しか店に入れない、お客の吟味も厳しい店だった

こけしさん一人でひと癖も二癖もある男たちを相手に、まるで一人芝居の役者のようにふるまっていたし、その話題たるや深くて面白い、気の利いた粋な言葉が飛び交う。名前を挙げれば「ああ」という方ばかりが集まっている社交場でもあった

あまりにも面白いのである時女友達を連れて行ったら

「比佐子ちゃんここは女が来る店ではないの、連れて帰って頂戴、あんたはいいから戻ってきて」

(うん?わたちはおんなあつかいでない!)

 

当時彼は家賃100万円はするところに住まわせてもらっていたし、フアーストクラスでパリに行ったり来たりと

「人のお金を湯水のように使っていたわね」

そのこけしと何年振りかにぱったり「バス停」で会う

都内の図書館巡りにシルバーパスを使って動いているのだという

「笑っちゃうわ」

「でしょう?人生はプラスマイナスゼロにしないとあちらの世界に行けないのよ」

「そうなの?清貧を貫いているわけ?」

「あたりまえでしょう?今更だけどまさしくあぶく銭で生活していたということがよくわかる、社会にたいしてきちんとお返ししなければね」

 

それで資格を取って身障者の生活お手伝いをしているのだそうだ

「貯金していたの?」

「お人の金よ貯金なんかするわけないでしょう?」

「極端から極端ね」

あれだけ好きだった本も図書館で読むようになって、家の中に空間できたと言ってあかるく笑う

 

物を持たない生活、お金を頼りにしない生活、何でも自分で生み出す生活

「これこそが本来の人間の生き方なのよね」

「超浪費生活をしていたこけしが言うと説得力あるね」

 

それにしても「眼力」は衰えてはいなくて、あの人この人のこけし節がとどまることなく、バスの中で笑い転げていたら。老年の男から睨みつけられて、少年少女のように二人とも首を縮めてくすくす笑っていた

 

 

 

 

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新しいパソコン

2023年04月09日 14時46分51秒 | 日記

ノートパソコン、卓上パソコン続けておかしくなり本日新顔お目見え

初めてキーをたたくのがこのブログ

なれるまでに少し時間がかかるかもしれないが、出だし快調

今年はキーボードを見なくて画面だけを見ながら文章を書けるようになりたいと思っていたが、少し近づけるかもしれないと、希望を持っている

前のパソコンは5年使っている、プロに言わせると「寿命ですね」

五年前に使っていたパソコンはもっと長く10年生、ある日突然画面が真っ暗になり、何もかにも消えてしまった

まさしく「ぜろ」になってしまったのだ

チャ子ちゃん先生はあきらめるのが早いので「惜しかったなあ」という写真も文章もあったが、すべては霧の中

 

この性格は生き方にもあって、過去の出来事のいいことも悪いことも、引きずらない。これがいいのか悪いのかわからない

 

これからは二極と言われている

あらゆるものに関して二極、デジタルとアナログこれは一番大きな二極だ

世情に無関心と超関心

依存と自立の道

金ともの

どの道を歩むかは本人の志一つ

 

そんなことを考えながらキーボードをたたく練習をしている昼下がり

 

本日は晴天なり

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草木染四代

2023年04月07日 09時44分56秒 | 日記

昨日は柿生にある「山崎草木染工房」に行って取材をした

「ああこの家に足を運んだときから着物に魅せられてしまったのだ」

と迎えられた草木を眺めながら感慨深いものを感じた

 

工房では三代目の山崎和樹さん、その息子の四代目の広樹さんが手を上げて出迎えてくれた。工房には染の途中である広樹さんの作品が真摯に張られて揺れていた

「綺麗な色ね」

「爆発してるでしょう?」と父親の和樹さん

「そうかな、あなたのお父さんだって(青樹さん)結構思いがけない色を出してらしたわよ、いいと思うわ、若々しいし元気もらえる」

側で嬉しそうに笑う広樹さん

 

さて

四代目ともお付き合いが出来るということは、うれしいけどそれだけ長生きしているということにもなるなあ、と改めて自分の年齢に気づくチャ子ちゃん先生

途端に年上目線になってくる自分にダメ出ししながら、お二人の話を逐一引っ張り出していく作業に専念

「草木染」という名称はこの地から生まれた

一代目の山崎斌さんが明治時代からこちら化学染料万能になり、草木から色を出すという古代からの染の歴史が消えていくことに危惧を覚え、平安時代にかかれた「延喜式」染織の項をしっかり読み解いて、身近な草木から色を出す技術を習得していった

そして植物染料で染めた色を「草木染」と命名、商標も獲得した。正真正銘の草木染の誕生ッだった。今から100年前になる

 

そしてその草木染をずっと守ってきたのがやまざきけのひとたちであり、その手法を学んだ多くの草木染作家の人達だ

 

山崎斌さんはもともと小説家で草木染に走る前には小説を6冊近く出版している。また「月明」という月刊誌も出していて、その表紙の絵は二代目の山崎青樹さん、青樹さんは日本画家志望だったというより最後まで画家だった、画家の目で草木染と取り組んでいたのだ。その月明の中に必ず季節の花が和紙で書かれていて、その和紙をすいていたのが青樹さんの弟桃麿さん(のちに草木染作家に)

 

父の志を子供たちが自分の立場で注いでいき、孫へ、そして曾孫へと続いていく、手仕事だから続くのだと思う、それぞれが自分の塩梅というものを知っていてそれを生かしていく。感慨深い取材で在った

 

 

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新宿がまた変わる

2023年04月06日 10時26分14秒 | 日記

新宿に住んで63年になる。お数字を上げるとすごいよなあ

国立、杉並、中野、赤坂そして新宿その新宿でも十二社に住んで53年、事務所も市谷、中目黒、十二社と新宿中心。

まだ淀橋浄水場があり、土手の隙間から浄水場を覗いたりしていた。その土手が切り崩されて、道が出来新宿の駅が見えたときは狂喜乱舞。みんな遠回りして都電に乗って新宿駅に行っていたのだから、まっすぐの道が出来たときの喜びはひとしお。

十二社通りからは富士山がくっきり見え、両脇はしもた屋の商店が並んでいた

道を歩けば知った顔ばかり、タバコ屋のかみさんはほ住民の許tん度の人を知っていた。一本交渉街道寄りに道を入ると、病院があり鎌倉街道には八百屋や小料理屋があって、病院の先生方のたまり場になっていた。患者と先生たちが飲み交わしている姿が見られた

その奥の道には置屋があり十二社芸者たちのお稽古場もあって、料亭が軒を並べていた

熊野神社のお祭りには芸者さんたちの「女神輿」が出て大人気。池の周りにも料亭がありにぎわっていた

 

そういうところにいきなり京王プラザホテルが建って色めいたが、普段着では入れないような雰囲気で余所行き着をわざわざ来ていく場所だった

町名は淀橋で小さなDPE屋がありそれが今や「ヨドバシカメラ」として大成長

「街に行く」ということは新宿に行くということで十二社は「村」という感覚だった

 

デパートは京王が出来てその後小田急が建築され、そのあたりから西口はビルが建ち始め、都庁が淀橋浄水場の跡に引っ越してきて一気に副都心という都会になってしまった

闇市の跡に出来た「思い出横丁」は新宿東側にあるゴールデン街と共に昭和を偲ばせている

紀伊国屋や中村屋に行く時は少しおしゃれして緊張して出かけたものだった

西から東に行くのにはちょっと気持ちが違った

そしていま

小田急デパートも取り壊しが始まり、ここ二大ターミナルの姿が現れるらしい

村から町そして都市に変貌する新宿。最近知ったのだが新宿駅には出口が15もあるという。迷うわけだ

元々新宿は甲州街道、青梅街道の宿場町として栄えたところ、江戸城内に入る大木戸に向かう前の一休みという場所だった、江戸図絵を見ると壮大な田舎

 

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着物は自立している

2023年04月05日 07時48分56秒 | 日記

外国デザイナーのフアッションショーをみた

つくづく感じたことが在る

着物は自立しているなあーーと

「きものは高い」という方が多い、何に比べて高いのか?

洋服のオートクチュールと比べてみると着物は安い

 

バブルのころヨーロッパから仮縫いのために来日するデザイナーがいた

一着のイブニングドレスがが高級車一台軽く買えるくらいの値段になる

そしてそのイブニングには宝石が絶対必要、更にそれに合う下着、そして小さなバック、これも紬一枚分くらいの値段だ、さらにさらに支度にお金がかかり、一人で歩けないのでエスコートが必要、そのエスコート男もそのイブニングに合うようないでたちでないと、調和しない

 

イブニングにあたる着物は留袖や色留袖、振り袖、訪問着となる。然も飾り物はいらない、タクシーにも乗れるし、バスにも乗れる、しかも一人で歩いていても一向におかしくない

 

昨日大学の謝恩会の帰りなのだろうか振り袖姿の若き女たちの群れに出会ったが、輝かしいイブニングドレスを見た後だったので、わが日本の衣裳の自立性に改めて感じ入った。殿方のモーニングコートやタキシードも一人歩きは様にならないし、隣の華やかなレデイ―がいてからこそ格好がつく

しかし黒紋付羽織袴の男が電車に乗ってきても「ああそう」という感じで緊張感は抱かない(チャ子ちゃん先生だけではないと思う)

 

凄い衣装だよ着物って!

同じ形であることが唯一の理由

素材と色と柄がそこにでてきてTPOがきまる。よく考えたものだとわが先人たちの知恵に脱帽する

 

着物の形を壊そうという方もいらっしゃるけど、形を変えたらこの「自立性」は失せる

そのような思いでやや興奮して我がエレベーターに乗ったら、着物姿の30代前半と思しき男女と一緒になり、「ほう」と嬉しく眺めていたら、先に降りていく後ろ姿は、帯はたたみ折りで帯締めで安定させ、スニーカーをお二人ともはいていた

こういう格好は男がそばにいないと襲われるね

 

着物は凛としてたよやかに着たい

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