祖母が93歳で旅立ちました。
上の写真は祖母手作りの座布団です。洋裁も和裁も編み物も得意な人でした。
昨年からいつ何があってもおかしくないと聞いていたので覚悟はしていましたが、やはり寂しいものです。
最後に会ったのは2019年10月。コロナ禍で会えないままのお別れとなりました。地元の事情を考慮して、葬儀に参列することも断念。分かってはいたけれど、なんとも言えない気持ちです。葬儀は残された人たちが故人に思いを馳せ、自分の気持ちに区切りをつけるためにも大切な機会なのだと痛感しています。
祖母とは一緒に暮らしたことはありませんが、子供の頃は両親の都合で祖父母の元に預けられることが多かったので、たくさんの思い出があります。
祖母は正直で正義感の強い、明るい人でした。また、人を楽しませることが大好きで、ユーモアに溢れている人でした。大きく口を開けて屈託なく笑うので、祖母なのに子供みたいだと感じたことがあります。ただ自分にも他人にも厳しいところがあり、容赦なく怒られて泣いたことが何度もあります。
中学生までの夏休みと冬休みはほぼ祖父母の元で過ごしていたので、山間部の自然いっぱいの環境で様々な体験をしました。
畑で熟れすぎて割れた西瓜を祖母と半玉ずつ食べた時の、あったかくて甘い西瓜のおいしさは今でも忘れられません。
テレビで怖い番組を見て寝られなくなった時に、隣に布団を敷いて眠るまで話をしてくれるというのでワクワクしていたら、祖母自身の恐怖体験を事細かく話すので余計に怖くなって眠れなくなったこともありました。その頃は外にトイレがあったので、眠っている祖母を起こしていました。ニヤニヤしながらトイレまで付いてきてくれたことは思い出すたびに笑ってしまいます。
五右衛門風呂に子供だけで入るのは危ないので一緒にお風呂に入ってくれることも多かったのですが、入浴中もずっと面白いことを言うので大笑いしていました。
私は内弁慶だったので、知らない人が来ると人見知りして隠れたりしていたのですが、なんとなく楽しそうな雰囲気を作ってくれて仲間に入りやすくしてくれたこともありました。
一番印象に残っていたのは、祖母が自分ですえていたお灸です。
地元愛媛はお灸が民間療法として根付いていたようで、祖母以外にも自分でお灸をすえたり人にすえてあげたりする人がいました。
現在一般的に使われている台座のあるものではなく、艾(もぐさ)をそのまま皮膚の上に乗せてお灸をしていました。
当時小学生だった私が、祖母の足の裏に西瓜の種が付いているのを取ろうとしたら取れなくて、これはお灸の痕だと教えられた時は衝撃的でした。
何事も徹底してやる人だったので、足裏の「湧泉」というツボに毎日100壮(個)すえていたのだとか。
実際に祖母がお灸をしている姿もよく覚えていて、もくもくと煙が立ち上る光景と艾の香りは身近なものとして私の中に定着しました。この頃は自分が鍼灸師になるとは思いもしませんでしたが、祖母の影響で潜在的にお灸に興味を持っていたのかもしれません。
70代で認知症になってからは得意だった料理や裁縫もできなくなり、もちろんお灸を自分ですえることもできなくなりました。
鍼灸学校に入ってお灸のすえ方を学んでからは、年に2、3回は帰省して会いに行き、お灸をすえるのが習慣となっていました。昔は痕が残るほどのお灸の熱さに耐えられていた祖母も、農作業をしなくなってからは皮膚が柔らかく感覚も繊細になったようで、小さな艾でちょうど良いようでした。入居していたグループホームでは、私が帰った後しばらくは、孫にお灸をすえてもらえて良かったと繰り返し話していたようです。
ここ数年は記憶力がより低下していたので、私の顔を見ても思い出すのに少し時間がかかったり、会ったこと自体を覚えられなくなっていましたが、お灸をすえている間の祖母の表情はとても穏やかで、それを見られるだけでも幸せな気持ちでした。
最後にもう一度お灸をしてあげたかったけれど、こればかりは仕方ありません。
まだしばらくは祖母のことを思い出すと切なくなりそうですが、「いつまでもめそめそせられん(してはいけない)」と祖母の声が飛んできそうなので、たくさんの思い出を力にして過ごしていきたいと思います。
葬儀には参加できなかったので、せめてもと弔花を贈りました。
いつもお世話になっている花屋「森のなか」さんでお願いしました。
ちょうど蓮の花があったのでそれも入れて頂きました。
花より団子の人でしたが、きっと喜んでくれたはず。
いつになるか分かりませんが、落ち着いたらお墓参りに行きたいです。
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