Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

シカゴブルースフェスティバルへ行こう!~初日~ブルースギタリスト、菊田俊介が熱い!

2008-06-08 | スポーツ一般・娯楽
ついにシカゴの夏の風物詩、ブルースフェスティバルを目撃!今まで何年もシカゴにいて、子供たちの雑事でいつも逃していたシカゴ一大イベント。なんたって、ブルースの町シカゴなわけで、これを見なくて何を見ようぞ!

初日の木曜日、アメリカの音楽事情に詳しく、何回もブルースフェスティバルに来ているシンガー兼ライター仲間のしょうこさんをまず誘い、音楽好きの友達3人を引き連れて、メトラでダウンタウンへ向かう。アーリントン・ハイツから乗ったメトラは、ブルースフェスティバルに向かう人々で込んでいる。

アート・インスティチュートのライオン像の前で、しょうこさん(下の写真右から2番目)と落ち合い、一同グランドパークをめざす。入り口のゲートの前で記念撮影。



私たちのお目当ては、勿論、シカゴのブルースシーンで活躍する日本人ギタリスト菊田俊介氏の演奏。しょうこさんも菊田氏の演奏を聴くのは初めてだというから、(他の友達も私も)私たちは、どんな姿で彼が現れ、どんな存在感を見せるかワクワク、ドキドキ!

ゲートを入ってすぐのフロント・ポーチというステージで、子供たちが、一斉に歌っている。手作りの単純なベースを鳴らしながら、素人なりに頑張っている。



今年のブルースフェスティバルは、25回目。今回、ブルースの女王と呼ばれるココ・テイラー、大御所BBキングなど世界的に有名な超一流のブルースミュージシャンたちが、トリをつとめる。毎年100万人もの観客を動員するほどの世界最大規模のブルースフェスティバル。しかも、すべてのコンサートがタダ。タダですぞ!しかし、こんな普通の子供たちでも、この栄えあるブルースフェスティバルに出演できるのだから、誠にアメリカという国は太っ腹。

気温もぐんぐん上がり、サンダーストーム予報もでての蒸し暑い6月5日のフェスティバル初日。冴え渡る美しい緑と太陽の下、6月初旬の初夏という季節がぴったり。シカゴのダウンタウンの美しい摩天楼をバックに、この公園にブルース好きの人々が世界各地から集まってくる。まだ、お昼前なので、人はまばら。しょうこさんの話では、日本からの観光客もこの時間はショッピング中で、夕方から続々人が繰り出してくるという。菊田氏が案内する日本からのツアーもあるという。

菊田氏のバンドの演奏開始が、12時なので、その前に腹ごしらえ。公園内の歩道脇には、音楽関係のブースがあったり、ファーストフードやドリンクのお店が並ぶ。チケットブースで、12枚つづりのチケットを買い、そのチケットでピザとアイスコーヒーを急いで買う。




菊田氏の演奏場所、「ギブソンギター・クロスロード・ステージ」の横のテーブルで食べる。このステージのバックは、湖。なんて贅沢な場所。摩天楼と湖が対面している場所にステージがあり、ステージの規模が小さいので、じっくりと近くで演奏を堪能できる。

あっと、そうこうしていると、なんと白い衣装を着た菊田氏が誰かと話しているのが見える。はなしたーい!けど、本番前なので、ぐっと我慢。やはり、話すのは、演奏してからよね。


これが、ギブソンのステージ。意外と小ぶりで、親しみやすいね。

パトリシア・スコットのバンドのリードギタリストとして、菊田氏の演奏が始まった。バンドのもう一人の黒人のギタリスト、チコ・バンクスがギターを弾きながら、歌う。きっと日本のコンサート会場なら、かなりの料金をとられるだろう。



いきなり、のっけから菊田氏、ソロギター演奏で、観客を引きつける。久し振りのブルージィーなサウンドにしびれる。体の奥底に響くんだなあ、これが!



菊田氏が前面にでているので、ステージのまん前に行って、彼の雄姿を写真におさめようととりまくる。座って見ている人の邪魔にならないのか心配したが、みんなステージ前の柵で、カメラマンのようにバチバチ撮る。近くで道端に座って見ている人も文句を言わない。



本物のカメラマンは、取材のため、柵の前で撮っているが、こちらと距離はそんなに変わらない。なんて、自由な雰囲気なのだろう。横に、よくある浮世絵調のゲイシャの絵がついている趣味の悪いティーシャツを着ている女の人が、かぶりつきで、踊っている。目線の先は、やはりシュン・キクタか。でも、その趣味では、シュンは振り向かないのでは?!


シュンのギターさえわたる!!


みんなこんな感じで摩天楼をバックに見てます。

じっくり演奏を聴こうと、しょうこさんたちがいる場所にもどる。しょうこさんともう一人の友達は、楽しそうにリズムにのっている。私ものってきた。こういうときは、立って踊るに限る。座席が少しなので、誰にかまうことなく、思い切り踊っても大丈夫。普段の生活のことや子供たちのことを一切忘れて、ブルースに酔いしれる。友達ももうすぐ日本に帰国するので、1分1秒を惜しむように、輝く笑顔でシカゴの本場の音楽を楽しんでいる。


USセルラーからもらったブルーのネックレスを光らせながら、踊る!


しょうこさんものってます!飛び入りして、歌ってほしいよ!

昔、ハードロックのコンサートに通いつめていたころも、武道館、ドーム、渋谷公会堂などで、踊りまくった。上の息子を妊娠していたときに、妊娠7ヶ月まで仕事を続けて、身重の体でエアロスミスのコンサートに主人と行った。そのときもついつい踊りまくり、さすがの主人も「大丈夫かよ!」とあきれていた。胎教のために、(将来、ロックギタリストにならないかとほのかな期待)スティービー・レイボーン、エアロスミス、クラプトン、ガンズなどをずっと聞きまくっていたが、残念ながら、上の息子は、そういう音楽にはまったく興味を示さない。下の息子を帝王切開で生んだ直後の壮絶な痛みと闘ったときもクラプトンをじっくり聞き、1分1秒痛みをしのいだ。というか音楽と痛みにのった。なぜあのときクラプトンだったのか、今もってわからないけど・・・

そうです。実は、もともと私も主人もヘビメタ、ハードロック大好き人間です。主人は、学生のころは、ロックバンドで、ベースやドラムを弾いていた。長髪で茶髪の主人は、やせ細った、ハングリーなロック青年。彫りが深く目立っていたので、(ストーンズのキース・リチャードのような髪型だった)バイト先で、レコード会社の人からスカウトされり、少女雑誌に載ったり、華やかな時代もありました。(今じゃ、野球オヤジと化してしまったが)

私は、航空会社で国際線のグランドホステスをやりながら、休みの日は、ハードロックの老舗ディスコ、赤坂の「ビブロス」(あのツェッペリンのロバート・プラントが、来日した時、飛行機から着いてビブロスに直行したという逸話があるほど、ギンギンのハードロックかかってたねえ。菊田さんも行ったことあるのかしら?)やソウルがかかる「ムゲン」(このムゲンもかなりファンキーで、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」にでてきたキラキラした銀色のミラーボールが回っていた)で、踊りのうまい妹とよく踊りに行った。当時は、あの映画の影響で、ディスコ全盛期。バブル期のジュリアナ東京ブームの前の時代。アース・ウインド・アンド・ファイヤーのナンバーやリック・ジェームスの私の大好きな「スーパー・フリーク」よくかかってた。世はサーファー時代。「Fine」とかいう雑誌もあったねえ。4分の1外人の血が入った、ちょい影のあるカッコいいビブロスの名物DJ、パンキーさん(なぜかしゃべるとすごい東北弁のなまりがあった)もサーファーの女の子が好きだった。

私たちにとって、何も心配ごとのない、楽しい時代だった。ただ、留学するって夢だけは追って、航空会社の特典を使って海外旅行をしながら、お金をこつこつ貯めた。音楽評論家の講座を真剣に受けに行って、湯川れい子氏や伊藤正則氏の話を聞いたり、主人と2人で、当時のロック少年少女のバイブル雑誌、「ミュージック・ライフ」に入るために、試験を受けに行き、2次試験の面接で、あのやり手編集長、東郷かおるこ氏と対面した。ちょとこわくてとても貫禄があり、主人は気に入られ受かり、私は落ちた。なーんて大昔の話はさておき。

菊田氏は、そのキャリア通り、カッコいいブルースギタリスト。テクニックがどのぐらいすごいのか、私は、ブルースの専門家ではないので、具体的に説明できないが、やはり、ギターを弾くときのテンションの高い表情がいい。ブルースを心から愛し、世界のトッププレイヤーたちとセッションするのが、楽しくてたまらないような感じだ。ココ・テイラーに誘われて、彼女のバンドに入り、彼女と一緒にツアーをしながら、世界中でプレーする菊田氏。金曜日のメインステージでの8時半からのトリが、ココ・テイラーと彼女のバンド、ブルース・マシーンの演奏だ。うーん、どうしよう、また明日も見に行きたくなった。




ドラマーは、黒人の若い女の人で、途中の彼女のボーカルもうまく、みんなをわかせた。ベーシストも低音でしぶく歌い、盛りあがっているが、時計を見ると1時近い。1時半のメトラに乗らないと、子供たちのお迎えに間に合わない。しかたがない、コンサートたけなわの中、泣く泣くおさらば!ダッシュで、記念のティーシャツを買い、途中でタクシーに飛び乗って、ぎりぎりセーフ。私たちが帰った後に、バンドの女性ボーカリスト、パトリシア・スコットが出演した。


こんなロゴマークがはいっているクールなティーシャツ。
いろんなデザインがあり、やっちゃんは、女の人用を買った。

帰りの電車では、しょうこさんが持ってきてくれた自伝「たのもうアメリカ」(近代文芸社)をみんなで見ながら、「来れてよかったねえ!」と談笑。しょうこさんが、長年勤めていた会社をやめて、単身アメリカにのりこんだときの3年間の記録だ。また、この本を読んで、内容を皆さんに紹介します。私も似たような体験をアメリカで留学及び駐在経験をしたので、その時のしょうこさんの気持ちがわかる。

私とダウンタウン大好きなやっちゃんは、密かに「どうする?明日のココ・テイラー。見に来ようか?菊田さんにも会いたいし・・・」とぶつぶつ言いながら、家路に着いた。~続く 

このときの様子は、菊田氏の日記ブログにも書かれている。http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10103880078.html


ブルースフェスティバルウェッブサイト:www.chicagobluesfestival.us

日曜日の8時15分から9時30分のBBキングのコンサートが最終。
Grand Park 337 ERandolph, Chicago

菊田俊介氏の公式ウェッブサイト:http://shunkikuta.com

しょうこさんのブログ「SHOKO's Life in America」:
http://blog.goo.ne.jp/shokobrown


写真アップするの疲れたあ。息子がパソコンを待っているため、明日またアップします。次は、金曜日のココ・テイラーと彼女のバンドのコンサートの模様をリポートします。


ブルースとは・・・

昔、アフリカ系アメリカ人が社会から差別を受け、綿花畑での重労働に従事していたころ、その辛い仕事に耐えるために、まだ彼らの心を癒すために生まれたといわれている。(Qマガジン APRIL 2008 Vol.56 p16より)

ハードロック界の大御所、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、スティーヴィー・レイ・ボーンなどの音楽のルーツはみなこのブルースから。ストーンズのミックがシカゴのブルースバーで飛び入りで、セッションしたなどと昔よく書かれていた。






運動会で感動したこと、成長したこと~中学部学級通信「RAINBOW」より

2008-06-05 | シカゴ日本人学校全日校
まだ運動会の興奮が冷めやらない中、中学部の生徒たちは、6月21日に披露するソーランのことに気持ちを切り替えるように先生から言われたようだ。その前には、英検も控えている。息子は、トラベルチームのシーズンに突入し、ハウスリーグのチームの試合と重なり、遠いフィールドで、1日に2試合もこなさなければならない日がある。一難去ってまた一難。がんばれ、息子!しかし、本人は、淡々としているので、大丈夫であろう。

今日配られた中2の学級通信、「RAINBOW」にクラスのみんなの感想がそれぞれ短く書かれていた。みんながお互い精一杯闘う姿に感動し、心を一つにして、一つの目標に向けて、努力できて、大きく成長したと書いている。きっと、他の中1や中3の生徒たちも同じ気持ちであろう。

息子も「みんなの先頭に立つ応援団になったことで、ただ優勝したときの数倍も感動した。応援団でも、中2という上から2番目の高学年ということもあり、団長、副団長を助け、全体への配慮や統率力が大きく向上するという成長が出来た。」と記している。

また、同じ応援団をした赤組の仲良しの友達、コウキ君も「特に感動したのは、中学部の競技中は、小学部の人たちがリーダーシップをとって応援してくれたこと。また、みんなが一つにまとまったため、勝ったときにはみんなで喜び、負けたときはみんなで悔しがったりして、全員が団結できたこと。成長したことは、大分積極的になってきたし、応援団を通してリーダーシップが今回磨かれてきた。」などと、非常に前向きなコメントを残している。

また同じ赤組の応援団をしたリサちゃんは、「最後の輪くぐりで白組が先にゴールしてしまいましたが、団長や副団長に大きな拍手で終わらせることができたのが感動でした。積極的に「頑張れー!」と言えたことです。私は去年まで消極的でした。毎日の生活に生かせる行動をもてました。」と自分の成長を客観的に自覚している。

このコメントを読んで、シカゴという異国での生活の中で生じる思春期のさまざまな葛藤の中での、少しづつの成長がいかに大事かがわかる。本当に素直にありのままの自分を表現していると思う。中2の女子は少なく、男子の人数の方が多い。だが、少人数だからこそ生まれる、密度の濃い先輩後輩との関係の中での、何倍もの前向きのエネルギーがあるのではないだろうか。

日本に帰国してからのさまざまな心配事をいつもかかえながら、子供たちも親たちもみんなシカゴでの生活をせいいっぱい楽しんでいる。思春期の子供たちの精神力をどのようにまっすぐのばしていけるか。先生たちが、体当たりで生徒に接し、本当の意味での自主性をはぐくみ、生徒たちがまっすぐそれに答えていく。そんな日々の積み重ねが、この運動会にでていたような気がする。


運動会を終えて、疲れたけど、みんな充実感でさわやかな笑顔。それぞれが、手作りの金銀のメダルを持って。右上は、熱血漢あふれる担任の先生。生徒ではありません、悪しからず!

シカゴ日本人学校全日校運動会~劇的な白組逆転優勝!~その4

2008-06-05 | シカゴ日本人学校全日校
後半の小学部1年から4年のダッシュつなひき、中学部と小学5、6年のリレーで、赤白壮絶な闘いが繰り広げられたが、数点差で赤組がリード。白組絶体絶命の中で、フィナーレの「全校輪くぐり」を迎える。

この競技は、全生徒が参加する。この競技に勝つと、得点数が高いため、白組逆転も大いにある。去年は、今年と逆で、白組がリードしていて、この競技で、赤が勝ち、赤の逆転優勝となった。

大きな輪を持った団長副団長が、生徒たちの列を回る。各自ぴょんぴょんと蛙とびをしながら、その輪をくぐっていき、速さを競う。そういえば、下の息子がやたら蛙とびの練習を学校でしたと言っていた。なんで、蛙とびの練習をしていたのか、その時わからなかったのだが、このためだった。



白組は、スムーズに流れ、かなり速い。この競技は、まさに団結力の強さの勝負か。結果は、白組の勝ち。よって、去年のように、ドラマチックに白組が優勝した。



運動会の閉会式で、教頭先生が、今日1日を振り返って、「1人1人が全力を尽くしてかけっこやリレーをこなし、運動会がスムーズにいけたのも、各係の人たち1人1人がささえた力があって、責任を持って任務を果たせたからだと思う。」というような激励の言葉をみんなに下さった。



まさに、「天まで届け!精一杯の僕らのエール」という今年の運動会のスローガンにふさわしく、みんなの大声援と力いっぱいの競技での活躍が、シカゴの大地にとどろいた。最後、各組の反省会では、団員のコメントにこちらも涙がでそうになるほどだ。生徒たちも神妙に聞き入っている。各自せいいっぱい闘って、勝っても負けてもまさに悔いなし。白組も赤組もみんなが団長ご苦労様の気持ちをこめて、「ありがとう!」

白組は、団長がみんなから胴上げをされて、その大きな体が宙に2回舞った。帰り際、赤組の団長を見かけたが、キラキラととてもさわやかな笑顔を見せて、なんともいえない充足感が全身にだたよっていた。子供たちと先生、本当に素晴らしい運動会を見せてくださって、ありがとう!


シカゴ日本人学校運動会~圧巻の応援合戦!~その3

2008-06-04 | シカゴ日本人学校全日校
お昼ごはんの後、全日校運動会の最大の見せ場、赤白に分かれての大応援合戦。毎年、この応援合戦を保護者は見て、その団結力の結集に感動する。毎年、文化祭の中学部のソーランとともに保護者泣かせの大応援合戦が繰り広げられる。

うちが初めてこの運動会を見た2003年、6月、中学生の応援団長の声の大きさ、みんなをぐいぐい引っ張っていく統率力に驚き、その応援の台詞が頭から離れなかったほどのインパクトがあった。その年だったか、次の年だったか、そのリーダーシップでみんなから信頼された女子の応援団長がいた。当時上の息子は小学2年か3年で、息子の同じクラスの小学部の子供たちも、その女団長に憧れ、手紙をみんな白組赤組各団長に書き、全員が団長から丁寧な返事をもらうというドラマもあった。そう、応援団長とはみんなのアイドル、憧れの的。息子は、最初に団長を見て、強い衝撃を感じ、彼らに憧れ、ソーランを踊るとともに、いつの日か団長になるのが夢だとよく語っていたものだ。(ソーランを踊る夢は去年果たしたが)そんな風にいつも全日校の運動会や文化祭は、先生と生徒たちの間で、さまざまなドラマが生まれる。

今年は、うちの息子が白組の応援団に立候補し、私たちもその晴れの姿を見るのを楽しみにしていた。団長を補佐して、白組みんなをまとめていくという重要な任務。毎日休み時間に練習で声をからして、3週間相当忙しかったようだ。野球の試合もあったので、よく体力が持ったと思う。まあ、体力がこの運動会の練習でついたので、野球の自分のプレーにもいい影響があったのかもしれない。事実、運動会の次の日の試合は、最終回クローザーとして最高の速球のピッチングで3者三振に打ち取ったらしい。

息子の話では、団長が全部振りを考えて、踊りを覚えていったという。いったいどんな踊りなのだろう・・・

赤組は、赤一色で、みんなきらびやかな衣装で、華やかな踊りをみんなに披露。みんなまとまっている。団長は、赤組団長の印、赤い派手なハットをかぶり、応援団みんなを従え、体をのけぞって、大声で、みんなを扇動している。本当にカッコいい団長!



白組は、最初は、おなじみの「チューチュートレイン」の音楽に乗せて、なんとうちの息子がヒップホップ系のいまどきの踊りをうまくこなしている。女子の副団長がその振りを考えたというが、踊りのセンスの良さが光る。ジャンプしてのけぞるのも体が柔らかいので、決まっているではないか!去年、ソーランも人一倍早く覚えた息子。もしかして、踊るのがうまいのでは・・・と思わせるほど。(親ばかですね)



そして、いよいよ団長を先頭に息子の学ラン姿の日本のテレビで見るような日本固有の応援の舞が始まる。腰を落として、武道に挑むような体勢で、中3団長を前に中2の息子と中1の男子3人が縦に並び、最後の列の横に小5と小6の男子が1人づつ横につき、5人が一斉に舞う。見事に5人の手足の動きが決まっている。このような本格的な硬派の応援を披露するのを見たのは、2002年から見ていて、今回が初めて。シカゴの地で、日本独自のものを見せるというゾクゾクする瞬間。日本人学校内でとどめておくのがもったいないほどだ。



ここの中学部では、制服がないので、初めて見る息子のりりしい学ラン姿とそのきびきびした動きに母は感動!団長がめちゃくちゃカッコいいのは、当然だが、息子もぴたっと団長の鋭い動きに呼応している。なんと、この舞は、白組団長が日本の高校の応援団の動きをユーチューブで研究して、時間をかけて独自に創りあげた大作だそうだ。後日談だが、赤組の担当の先生は、その動きに度肝を抜かれ、「やられた!」と思ったという。かつて帰国した友達が、団長を経験した子供たちは、「団長!団長!」とみんなから慕われ、みんなの団結力をまとめあげたそのときの貴重な経験をもとに、強い自信を胸にその後の学校生活に生かしていくという。きっと受験勉強を乗り越えて、日本での高校生活でもそのリーダーシップを発揮して、活躍していくことだろう。

息子は、応援合戦までの道のりを作文にこう記している。

<略>
7度目の運動会で、初の応援団だったが、ここまでキツイとは、正直思っていなかった。当日のみならず、事前の練習もまたきつかった。3週間前から休み時間はゼロ。踊り、歌、配置等を頭に叩き込み、完璧になるよう仕上げていく。そして白組の他の人の前で手本として見せる。肉体的にも、精神的にも、恐ろしく疲れた。

そして当日は、全ての競技で、前に出て応援し、全体の気配りをし、注意などの声をかける。そして応援合戦。白組全員の配置確認を他の団員として、始まれば前で踊って、終わったら暑い中、学ランに着替え、そのまま歌い踊って、さらに僕は中2ということもあり、忙しい団長の代わりに、副団長を助け、色々指示もださねばならず、ものすごい暑い学ランで駆けずり回った。

だが、そんな中で、とても充足感が湧いてきた。皆の前で、先頭に立って、団長、副団長を補佐し、白組全体をまとめていく。多少の誇張はあるが、そういう気持ちになれた。またそれらの責務を完璧に果たせたこともあり、応援団に入って本当によかったと思う。<略>

この作文を読んで、「そんなに大変だったのか・・・」と驚き、運動会前に一言も文句を言わず、家では淡々と過ごし、野球の試合や練習もこなしていた息子を「あっぱれ!」と心の中でほめた。本当に本当にかっこよかったよ!他の子供たちの親たちもおそらく私と同じ気持ちであろう。燃焼!まさにこの言葉がぴったりの運動会での子供たち。

ここまでの白組赤組の素晴らしい応援を繰り広げられるまでの2週間の練習と3週間前から始まる中学部での綿密な下準備がすごいらしい。勉強もきちんとこなし、ここまでの大きな密なイベントをこなす先生方の驚異の手腕とそれに黙々と一致団結して前向きに従う素直な子供たち。

息子の担任の先生が、「応援団員として白組をグイグイ引っ張ってくれました。また、騎馬戦での活躍を一歩ノート(クラスの宿題として毎日自主学習をこのノートにやる)や本人からの話を聞き思い出に残る運動会になったと改めて感じているところです。この運動会を通して、大きく成長してくれました。」と感激のコメントをくださった。

さて、その後の赤白両方の勝負の行方はどうなっていくのだろうか。  ~続く~

シカゴ日本人学校運動会大成功~幼稚部のかわいらしいバルーン演技デビュー!~その2

2008-06-04 | シカゴ日本人学校全日校
午前中の後半に、お兄さんお姉さんたちの激しい闘いの合間をぬって、「大きくふくらめパラバルーン」というタイトルのとてもキュートなバルーンのパフォーマンスが幼稚部の年中、年長の子供たちによって披露された。

4月からできた全日校幼稚部の初めての運動会参加。みんな晴れの舞台で、小さなハートがさぞや緊張したことでしょうね。でも、バルーンがくるくると形を変え、大きくふくらんだり、しぼんだり、みんなの毎日の幼稚園での楽しくってしかたのない時間が手に取るようにわかりましたよ。



先生たちの指示にしっかり従って、小さな子供たちがみんな団結して、大きな大きな心に残る演技となった。まだ、入って2ヶ月でここまでできたのは、先生方の日々の熱心なご指導の賜物。さぞや大変だったと思う。いつも園児たちが、学校の廊下を移動しているときも、先生たちは、声かけを常に忘れず、みんなおりこうさんにきちんと整列して進む。とてもとても大事にされているのが、見ていてわかる。

運動会の演技の最後、幼稚部英語遊び担当のクリスティ先生がバルーンをまるでピーターパンのような妖精のようにさっと持ち去っていった所作が、子供たちとの心の連携を象徴しているようで、印象に強く残った。粋な演出だなあ。



来賓の挨拶で、我らが後藤双葉会会長が、まず、「みんな空を見てくれる・・・」と呼びかけ、「今日の雲一つないシカゴ晴れの天気は、「天まで届け!精一杯の僕らのエール」というスローガンのようにみんなのエールが空に届いたと思う。」と語りかけた。そして、「一つお願い」と前置きして、「今年4月からできたすみれ幼稚園の園児が今日の運動会に参加するので、みんなぜひ面倒をみてほしい。中学部の生徒たちは、全力で長男長女として、しっかりこの運動会を運営してほしい。将来、社会にでてリーダーシップをとれるように、この運動会をそういう場にしてほしい。」とみんなを激励した。いつも力強い励ましの言葉が、みんなの心に響く、カッコいい会長です。

「全日校に小さな仲間ができたんだ。」と実感した時間であった。  ~続く

シカゴ日本人学校全日校の運動会大成功!~団結力の結集~その1

2008-06-02 | シカゴ日本人学校全日校
初夏の晴天の美しい太陽の下の日曜日、シカゴ日本人学校全日校恒例の運動会が行われ、赤組白組共、小学部と中学部の団結力の結集された見事な闘いを保護者に見せてくれた。子供たちも日頃の練習の成果を思い切りだし、先生の指示にきちんと従い、プログラムがテンポ良く流れ、大成功の運動会だった。

うちの上の息子は、小学校2年生のときからシカゴ日本人学校の運動会を経験し、私たちも運動会を見るのがこれで、7回目。各学年それほど内容を大幅に変えているわけではないが、ますます保護者たちを楽しませるような工夫が随所に見られる。たとえば、小学1年生から4年生の綱引きは、まず1、2年生が綱につき、3、4年生がダッシュで綱引きに向かってから引くという迫力満点の綱引きとなった。小学1、2年生は、「フリフリ玉入れ」という腰を振って踊りながら、玉入れをするというかわいらしい競技。

最初の小学5、6年生の借り物競争で、いきなり、「イケメンの先生を連れてくる」という課題のときは、校長先生が借り出され、みんなが納得するという楽しい盛り上がりよう。

下の息子の小学3、4年生は、「Make a Billboard~知力・体力・時の運~」という新しいユニークなブロック競技。ペアがかご、一輪車、キャタピラーなどの道具を抽選で選び、文字パーツを運んで、その文字を並べていくという頭を使う競技。息子もはりきって文字を掲げ、団結する楽しさを味わっていた。

中学部のムカデレースは、3人、6人、なんと最後は12人に挑戦。上の息子は、責任重大な一番前。息子のチームは、練習をかなりつんだようで、とてもチームワークが良く、足がそろって速い。12人になってもスムーズ。きれいにそろっている。主人と2人で感心していた。結果は、息子のチームが4チームのうちの一番。中学生がやると、ムカデ競争もこなれていて、なかなか面白いものだ。

午後の圧巻の中学部のリレーでは、今年は、先生たちも一つのチームとして参加。ぶっちぎりで、子供たちを大きく引き離した。今までの運動会では、先生たちが、子供たちのチームにときどきまざっていたので、初めて見る先生たちの圧倒的な力強い走りに驚いた。息子たちの担任の先生たちの速い事、速い事。ここぞとばかり、カッコいい所をみんなに見せる。上の息子の担任の先生は、いつもマラソンの大会にでて、日々きたえていらっしゃるので、走り方が違う。幼稚部の3人の女の先生たちも各自50メートルを3つに分けた短い距離を走り、貢献。アンカーは、イケメンと呼ばれた校長先生が、優秀の美を飾る。

さて、午前中の最後のプログラムは、みんなの注目の小学5、6年生と中学部による騎馬戦。タイトルが「激闘!川中島2008」で、赤組が武田信玄、白組が上杉謙信にたとえた激突戦。お互いの応援団長を大将、つまり武田信玄と上杉謙信にみたて、あのNHKの大河ドラマ「風林火山」のテーマ音楽が流れる中、堂々と大将をかついだ騎馬が現れる。うちの上の息子は、大将の騎馬で、白組の「毘沙門天」を掲げた立派な旗を持つ重要な役目。大将は、威厳のある上杉謙信らしい白いふさをなびかせた兜をかぶっている。かたや赤組は、きりりとした名武将武田信玄。こちらも「風林火山」の文字をたなびかせた旗が美しい。ウーン、今年の騎馬戦は凝りに凝っている。

1回戦は、一騎打ちの個人戦。女の子たちもなかなか勝負がつかないほど、粘ってすごい闘いをみせる組もあったほど。息子は、力があるので、体が大きいが、騎馬の上に乗っている。一騎打ちは、ほぼ同時に帽子をとったのだが、残念ながら息子の負けとの判定。

さて、2回戦は、総力戦で、大将の兜を取り合う。息子の騎馬は、手ぐすね引いて、向かっていったが、なんと2つの騎馬に囲まれる。絶対絶命かと思いきや、瞬時にこの2人の帽子を奪い取った。すごい迫力。と感心していたら、なんと白組の大将が倒れている。背後からいきなりしのびよられ、バランスをくずし、騎馬がくずれてしまったようだ。というわけで、騎馬戦は、赤組の勝ち。あっけない終わりに私たちも呆然。

ここまでで、午前中の部終了。午後は、いよいよ全日校運動会一番のハイライト、応援合戦だ。~この項続く


写真は、騎馬戦の「川中島の戦い」に勇ましく登場する白組大将、上杉謙信と赤組大将、武田信玄。白組の旗「毘沙門天」の「毘 龍」。赤組の旗は、「素早きこと風のごとく、静かなること林のごとく、侵略すること火のごとく、動かざること山のごとし」という有名なナレーションで始まる去年のNHKの大河ドラマ「風林火山」の言葉が漢文で入っている。カッコよすぎるう!!ここシカゴですよ、アメリカでこれやるなんて、快感の極致!中学部の先生が徹夜で作ってくださった大作!


シカゴはやっと野球日和の天気に!

2008-06-01 | アメリカ生活雑感
今日は、美しい初夏の雰囲気が漂う、絶好の野球日和のさわやかな土曜日だった。今年のシカゴの5月は、今まで体験もしたことのないような不安定な肌寒い天候。ちょっと暖かくなったかなと思ったら、凍えるほどの冬の寒さの中、子供たちは、体を震わせて、長時間野球の試合をやっていた。観ているほうも風邪を引きそうだった。まさに、忍耐の2008年5月。

明日、シカゴ日本人学校の運動会があるのを控えて、そのことを忘れるぐらい下の息子は、バッファロー・グローブのウィロー・グローブ・フィールドでの試合に没頭した。幸先のいいヒットを含む、いいヒット性の力強いあたりも毎回でて、バッティングの調子がいい。毎日のバッティング練習がいい結果を生むことが、息子自身わかったようだ。息子のチーム、インディアンズのメンバーもみんながそれぞれいろんな面で活躍し、レッズに6対2と快勝。

監督のアルも試合後のミーティングで、メンバー全員がどう活躍したかを詳しくほめ、チームワークのよさも強調。みんなの活躍で、今日のゲームボールは、投げやすい球を投げた、(ピッチャーがフォアボールをだすと、攻撃側の監督が投げるというルール)監督のアルへ。

毎回、毎回、試合をやるたびに、みんな少しづつうまくなっているのが観ていてわかる。息子のバッティングが、体がぶれずに、ミートがうまくなり、力強くなって、ヒットがでだした。今は、本人も試合が面白くてたまらないらしい。試合をやりながら、体で覚えていくアメリカのリトルリーグ。整備された芝生の美しさと共に、周りを囲む大きな緑の木々が、さわさわと揺れるたびに、あたかも子供たちのことを応援しているような感じがした。こんな美しい環境で、やさしいアメリカ人のお父さんコーチたちに導かれて野球ができる息子たちは、幸せである。


写真は、監督であるコーチ・アルを囲んでの試合後のミーディング風景。1人1人の試合での活躍をほめる。1人1人をアルが、とても細かく見ていてくれるのがわかる。みんな息子も含めて自分がゲームボールをもらえるのではないかと期待している。