東坊城和長は明応九年「凶事記」なるものを書いている。
同人の書いた「菅別記」には宗恩(九里浄椿)のことが簡単に書かれているそうである。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532994
ご興味のある方は、割と読みやすい文字の方ではないかと思うので、挑戦すると面白いことがわかってくるかもしれない。
私は、パス。(笑)
中原氏も似たような職種であったろうと思うので、興味はあるのだが、古文書は読めないし、何だか怖ろしい~~。
さて、この東坊城氏は「天皇の侍読を務める家」「紀伝道」とある。女性も「勾当内侍」として出仕している。
広橋氏・唐橋氏・小倉氏との婚姻関係がある様だが、あまり九里にダイレクトには関係がないかもしれない。