九里 【九里】を探して三千里

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椿井神社 と 乾氏 そして藤原頼経の三男 宮騒動(寛元の乱)

2021-02-28 | 雑記

乾氏のことで、ずっと気にかかっていたこちら。↓

http://www.komainu.org/nara/ikomagunn_heguri/kasuga_tsubai/kasuga_tsubai.html


この説明板の中ほどから後半。
「椿井中納言氏房は征夷大将軍藤原頼経ノ三男ナリ母ノ遺命ニヨリ血脈を継ぐ為養子トナリ弘安五年六月二日菊桐ノ御紋を賜リシ・・・」

椿井寺と乾氏が関係している。






中公新書
「椿井文書―日本最大級の偽文書」馬部隆弘【著】と関係があるのだろうか?


藤原頼経の息は 頼嗣、道増、源恵、乙若丸? とあるが、跡を継いだ頼嗣は、18歳で歿している。

源恵が三男なのだが、僧であり、天台座主にまでなっている人物であり、この人ではないように思う。

源恵 (僧)(天台座主第97世。鎌倉幕府第4代将軍九条頼経子)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%BA%A7%E4%B8%BB


母がこの解説板ではわからないため深堀はしないが、頼経の息3人は中原親能の娘「大宮殿」の子息である。
という事は、その周辺の中原氏かもしれないので、このあたりから乾氏との関係があったのかもしれないと想像してしまうのである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%A0%BC%E7%B5%8C

さらに、頼経の側近のメンバーのことも藤原頼経のwikipediaに記載があった。
「特に北条氏との関係に配慮してきた公経が死去し、北条氏に反感を抱く道家が関東申次となると道家が幕政に介入を試みるようになってきた。
そのため、頼経と執権・北条経時との関係が悪化し、寛元2年(1244年)経時により将軍職を嫡男の頼嗣に譲らされた。
日本史研究者の青山幹也によれば、この頃の側近は、藤原定員・中原師員・藤原親実・後藤基綱の4人だったという。」

頼経の側近に藤原定員、という人物が入っている。この人は後の宮騒動でお咎めがあり出家して「安達義景」の預かりとなっている。

この藤原親実とは厳島神社の中原親実で、中原親能の養子となっている。

http://5050houjixyou.blog130.fc2.com/blog-category-11.html

宮騒動は、時頼の政治に反発した北条一門の、名越光時が前将軍・九条頼嗣と共謀し、時頼を討とうと計画したが発覚してしまった、というもので、名越光時は伊豆・江間に配流の上、所領没収。
さらに九条頼経の側近・藤原定員は出家して安達義景に預けられた
又、後藤基綱、狩野為佐、上総秀胤、三善康持等は評定衆から外れた。(1246年)
ここに、千葉秀胤(上総)が登場する、そして藤原定員も登場する。

そしてその後、宝治合戦となり、三浦氏滅亡という悲劇につながっていく。

その周辺事情の書いてある論文があった。読みやすいが、とても状況が学べる!
相模三浦一族の滅亡 奥富敬之 著 
https://core.ac.uk/download/pdf/72746882.pdf


===*===

1244年に藤原頼経が辞職し、頼嗣が6歳で征夷大将軍となり1256年に歿してしまう。
其の後の源氏を継いだ者が、この説明板の母の遺命によって養子となった人物なのである。

それが、乾氏とどのような関係にあったのだろうか。
源氏の血が入っていた女性という事だろうか?

===*===

インターネットのすごい威力で、この系が『内藤氏』であることがわかった。













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2 コメント

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Unknown (木方)
2021-03-01 17:31:34
内藤氏こちらでの探求にも妙に出てきて気になっているお名前です。東京だからなのか?もしれないんですけどね。椿の文字と栄螺も神さん仏さんでも気になっているのでそこと内藤さんは嬉しいです。
イメージでは白の水神さん、神だけじゃない部分もひつような気がしますので移動にも関わる水神さんと思っています。風も感じちゃいます。奈良なのも嬉しいです。
椿井と聞くと古墳と奈良市内の地名にもあるようですがどちらも場所では関係しそうに思います。平群は竜田川ですので強い水神と風神のイメージぴったりなんですよね。なんの根拠もない自分の印象だけですけど。
違う探求の仕方ですけど個人的に追っている一族なのでワクワクします。
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意外な組み合わせ (kunorikunori)
2021-03-01 21:13:31
木方様

椿井氏・乾氏・内藤氏 というのは、自分の思っていた範疇を飛び越えていて、とても意外でした。

偽書と言われている椿井文書ですが、その中にも少しは核となる真実もあるのではないかと思っています。

これから少しずつ何かわかって売ると良いのですが。

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