中原俊兼と中原久経、同時代に生き、共に源頼朝の近くに出仕していた。
そしてともに秀郷流の中にいる京からやってきた者たちなのだ。
俊兼も、久経もきらびやかな衣装をまとっていたらしく、服飾の本にも記載があった。
時折、お相撲の行司さんの派手な色遣いに驚いている私だが、
日本の平安・鎌倉前期にはこのようなきらびやかな色を男性も纏っていたという事であろうと思う。
そこが東国の武士たちから見ると、浮いた存在と見えたのかもしれない。
吾妻鑑にもある様に、頼朝は中原俊兼の小袖を刀でちょんと切り、贅沢を慎むようにと諭している。
京から来た文官たちは皆ドキリとしていたようである。
笠俊兼 (1178年、1181年)
中原俊兼 建久五年~七年 六位史 (1194-1196年)