ここ二・三日見かけなかったアオサギ若君。
去年巣のあった近くで、大きな鳥が羽ばたいている…と思ったら、やはりアオサギ!
巣作りを始めたのかもしれない。
そして本日のオシドリ!
若くてハンサム! 写真には撮らなかったが、彼女も美しかった。
一昨日、急に温度が上昇した日、お日様に暈がかかっていた。
ここ二・三日見かけなかったアオサギ若君。
去年巣のあった近くで、大きな鳥が羽ばたいている…と思ったら、やはりアオサギ!
巣作りを始めたのかもしれない。
そして本日のオシドリ!
若くてハンサム! 写真には撮らなかったが、彼女も美しかった。
一昨日、急に温度が上昇した日、お日様に暈がかかっていた。
やっぱり、日蝕を日群れと書きかえさせたということで間違いないですね。元々日群れなら書き変える必要ないですから、日蝕を隠すためでしょう。ですから、和邇氏は面白くないので山の名前を日触と付けたのだと思いますね。
日蝕は日が二つには見えないですよね。
「日輪の形を2つ見るという不思議な現象」
日暈の方が、可能性が高そうな気もします。
https://ameblo.jp/duku510/entry-11903252528.html
日群れというなら日蝕よりも日暈がしっくりきますね。
それでは何故不比等が、日群れ社という名前を比牟禮社に変えさせる必要があったのかが問題ですよ。
わたしは、やはり元の名前は日蝕社(ひはえのもり)で卑弥呼を和邇氏が祀っていたことを不比等が隠す目的で日群れ社に変えさせたということ以外に思い当たりませんから。
どうでしょうか?(*^-^*)
確かに。
【日触使主の和邇氏】から来たように思います。
日触があった事と別に、日暈もあったのではないでしょうか?
https://weathernews.jp/s/topics/201711/140095/
日輪が二重!!
日触神社・日群神社・日牟禮神社
全てに「日」があり、和邇氏と太陽は切っても切れない縁ですね。
比牟禮にすると「日」がなくなっています。
それこそが、不比等の目的であったのではないでしょうか?日を比にしてわからなくする。。。
私、勿論日触にも関係あると思っておりますが、日暈も関係がありそうな気がします。
どちらも太陽の神秘です。崇高な感じがしたのでは…
古事記にすでに「丸爾之比布礼能意富美」と比布礼と「比」の文字が使われておりましたね。
不比等の「比」ではなかったようです。
失礼しました。
また、考え直します!
もしかしたら日触は日撫と同じ意味で使われたのかも。でもそれなら日撫とすればいいのではという疑問も生じますが、日撫は豊岡市の久々比神社の大国主久々遅彦の一族に関係があり、近江八幡市の和邇氏は卑弥呼(イチキシマヒメ)と関わりがあるムナカタ一族ですから、違いにこだわったのかも知れないとは思います。
でも、おっしゃる通り日暈(ひがさ、にちうん)はよく起こる現象のようですから、不比等が押し付けた時に日暈から日群れというイメージが出来たのか
もしれませんね。
ついでにRe:古事記も書いてしまうと、教えていただいたHPを見ると、日を比にすると意味が違ってくるようですね。不比等の歌はひらがなで「ひむれ」と書かれていますが、当時平仮名はあったのでしょうか?平安時代の小野道風辺りでしたか?神社は比牟礼を使っていますね。
古事記は9世紀に多人長によって作られたものですので、その時に日を比に書き変えたのかもと思います。久々遅を久々比と日本書紀が変更したことを意識したのかも知れないと思いました。神社は古事記から比牟礼としたようですね。そうなると不比等の歌はやはり日群れでしょう。
いずれにしても、よくわからないことが沢山ありますが、これらのことを気にしていれば、後で分かるのかも知れませんね。その時が楽しみです(^_-)-☆
いろいろと教えていただき、付き合ってもいただき有難うございました。九里双水については申し訳ないですが、現時点で関連有るものが出てこないのでまだ分かりませんが、今後もよろしくお願いしますね(*^▽^*)
ご返事ありがとうございます。
日の輪が二つとは何かの隠喩なのかもしれません。
天皇と陰の力を持った天皇のような存在とか。
今回、またこの辺りのことを思い出して面白く感じました!
ありがとうございました!