面白い話を見つけたので、シェアしたい。
https://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/407_3.html
《蒙古襲来のとき、安達泰盛は幕府側の御家人統率の最高幹部》とある。
蒙古襲来は1274・1281年である。
泰盛は「鎌倉殿の13人」に登場している藤九郎の盛長の曾孫になる。
盛長ー景盛ー義景ー泰盛の泰盛である!
調べてみると、今まで知らなかったことに出会えた。
安達景盛は丹後内侍の息で、妻は武藤頼佐の娘、景盛には娘と息があり
松下禅尼、義景 |
である。
義景には妻が3名ほど(wikipedia)
安達義景の娘には【長井宗秀】に嫁いだ者がいた。
長井氏は大江一族で、宗秀の父【長井時秀】は大江広元の裔である。
詳しく書くと
大江広元ー長井時広ー長井泰秀ー長井時秀ー長井宗秀 である。
其の時秀の母親は佐々木信綱の娘である。
佐々木信綱は北条義時の娘を妻としている。
安達義景の継室に飛鳥井雅経の娘が入っていることも意外であったのだが、飛鳥井雅経の正室は大江広元の娘であり、其の力が及んでいたのかもしれないと思う。
長井宗秀の息に【長井貞秀】がおり、母親が北条実時の娘である。
つまり、安達氏の周囲には大江氏・北条氏・藤原氏がいるのである。
松下禅尼も北条時氏の正室となり、時頼他の母となっている。
安達泰盛の娘が北条時宗に嫁し,貞時を産んだ、ともある。
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ともかく、この辺りと浅小井氏(深尾氏)と重なってくる時代・人物がいて、気になる箇所であることがわかった。
安達氏、結構面白い!と思う。