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三浦佐原氏と紀伊守護

2016-08-19 | 佐原氏バラバラ情報
【紀伊国守護】

鎌倉幕府
代 氏名             在職期間        出身家

1 豊島有経 としま ありつね 治承8年 - 不詳1184年 - 不詳 豊島家

2 佐原義連 さはら よしつら 不詳 - 建仁3年 不詳 - 1203年 三浦家

3 後鳥羽上皇御          建永2年 - 承久3年 1207年 - 1221年

4 三浦義村 みうら よしむら 承久3年 - 不詳  1221年 - 不詳 三浦家

5 佐原家連 さはら いえつら 貞応2年 - 嘉禎3年1223年 - 1237年 佐原家

6 北条久時 ほうじょう ひさとき 弘安3年 - 不詳 1280年 - 不詳 赤橋流北条家

7 北条時兼 ほうじょう ときかね 正応4年 - 不詳 1291年 - 不詳 普恩寺流北条家

8 北条氏  不詳 - 元弘3年    不詳 - 1333年        北条家

紀伊国と関係が深かった三浦佐原氏であった。

しかも、義連! 盛連は、会津だが、盛連の六男時連(矢部禅尼の三男目)が新宮を名乗る理由は、ココだったのではないだろうか。
つまり、六男が紀伊国守護であった時代もあったのではないだろうか。家連の後にくるのでは?

家連に関して(コトバンク)さはら-いえつら
?-? 鎌倉時代の武将。
三浦義連の子。承久(じょうきゅう)の乱で朝廷方の紀伊(きい)南部(みなべ)荘(和歌山県)の熊野法印快実が打ち首にされたあと,同荘の地頭職(しき)をあたえられる。貞応(じょうおう)2年(1223)紀伊守護。通称は三郎左衛門尉

いつの間にか、また新宮氏関係に戻ってきている。きっとここに何かがあるのだと思う。

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