【紀伊国守護】
鎌倉幕府
代 氏名 在職期間 出身家
1 豊島有経 としま ありつね 治承8年 - 不詳1184年 - 不詳 豊島家
2 佐原義連 さはら よしつら 不詳 - 建仁3年 不詳 - 1203年 三浦家
3 後鳥羽上皇御 建永2年 - 承久3年 1207年 - 1221年
4 三浦義村 みうら よしむら 承久3年 - 不詳 1221年 - 不詳 三浦家
5 佐原家連 さはら いえつら 貞応2年 - 嘉禎3年1223年 - 1237年 佐原家
6 北条久時 ほうじょう ひさとき 弘安3年 - 不詳 1280年 - 不詳 赤橋流北条家
7 北条時兼 ほうじょう ときかね 正応4年 - 不詳 1291年 - 不詳 普恩寺流北条家
8 北条氏 不詳 - 元弘3年 不詳 - 1333年 北条家
紀伊国と関係が深かった三浦佐原氏であった。
しかも、義連! 盛連は、会津だが、盛連の六男時連(矢部禅尼の三男目)が新宮を名乗る理由は、ココだったのではないだろうか。
つまり、六男が紀伊国守護であった時代もあったのではないだろうか。家連の後にくるのでは?
家連に関して(コトバンク)さはら-いえつら
?-? 鎌倉時代の武将。
三浦義連の子。承久(じょうきゅう)の乱で朝廷方の紀伊(きい)南部(みなべ)荘(和歌山県)の熊野法印快実が打ち首にされたあと,同荘の地頭職(しき)をあたえられる。貞応(じょうおう)2年(1223)紀伊守護。通称は三郎左衛門尉
いつの間にか、また新宮氏関係に戻ってきている。きっとここに何かがあるのだと思う。
鎌倉幕府
代 氏名 在職期間 出身家
1 豊島有経 としま ありつね 治承8年 - 不詳1184年 - 不詳 豊島家
2 佐原義連 さはら よしつら 不詳 - 建仁3年 不詳 - 1203年 三浦家
3 後鳥羽上皇御 建永2年 - 承久3年 1207年 - 1221年
4 三浦義村 みうら よしむら 承久3年 - 不詳 1221年 - 不詳 三浦家
5 佐原家連 さはら いえつら 貞応2年 - 嘉禎3年1223年 - 1237年 佐原家
6 北条久時 ほうじょう ひさとき 弘安3年 - 不詳 1280年 - 不詳 赤橋流北条家
7 北条時兼 ほうじょう ときかね 正応4年 - 不詳 1291年 - 不詳 普恩寺流北条家
8 北条氏 不詳 - 元弘3年 不詳 - 1333年 北条家
紀伊国と関係が深かった三浦佐原氏であった。
しかも、義連! 盛連は、会津だが、盛連の六男時連(矢部禅尼の三男目)が新宮を名乗る理由は、ココだったのではないだろうか。
つまり、六男が紀伊国守護であった時代もあったのではないだろうか。家連の後にくるのでは?
家連に関して(コトバンク)さはら-いえつら
?-? 鎌倉時代の武将。
三浦義連の子。承久(じょうきゅう)の乱で朝廷方の紀伊(きい)南部(みなべ)荘(和歌山県)の熊野法印快実が打ち首にされたあと,同荘の地頭職(しき)をあたえられる。貞応(じょうおう)2年(1223)紀伊守護。通称は三郎左衛門尉
いつの間にか、また新宮氏関係に戻ってきている。きっとここに何かがあるのだと思う。