松波氏が気になったので、少々調べてみた。
九里氏と近いところにいる。
以下の記事の続きとなる。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/224cc16cfd806d9967a6345b5ef1e317
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松波庄五郎につながっていく系かどうかはわからないのだが、
松波氏は北面武士、日野東洞院被官(日野資教)
また、南北朝時代には藤原氏で日野別当頼宣の息が松波となった記載もある。
また、能登の畠山氏の被官にも松波氏が存在している。
京都の「松波量世」の横領に関して詳しいのが、以下の論文であった。面白い!室町時代の土地のやりとりが見てとれる。
論文中に斎藤氏(祐定)が登場していて土地のやり取りをしている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijsaxx/284/0/284_KJ00003901223/_pdf
松波氏は地下家人でもあった。
松波氏から長井氏、そして斎藤氏。
さらに道三の息が「後藤庄三郎」へ。
松波・長井・斎藤・後藤も含めて、どれも斎藤氏関係の、しかも、その中にもと地下家人も混じりこんでいるつながりである。
https://www.wikiwand.com/ja/%E6%96%8E%E8%97%A4%E6%B0%8F
油売りから‥と思っていたのだが、もとは地下家人・武士であり、何かがあり免職となって、何代か前から油を売っていたのかもしれない。
油を買った土岐家の矢野という武士から「あなたの油売りの技は素晴らしいが、所詮商人の技だろう。この力を武芸に注げば立派な武士になれるだろうが、惜しいことだ」と言われ、一念発起して商売をやめ、槍と鉄砲の稽古をして武芸の達人になった。というエピソードがwikipediaに書かれていたが、この矢野氏ももとは三善氏から出た矢野氏ではないだろうか?
斎藤氏の中には三善氏出身と思われる「町野氏」「飯尾氏」が見える。
さらに付け加えると斎藤氏の中に「稲葉氏」がいるが、中原で越前にかかわりのある者が稲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%BA%AD%E6%99%82%E5%AE%9A
今の世は見抜く人が少なくなりそしてそれが育てられず大事な役割果たせず終わってしまう事が多いです。
好みと相性はどうしようもない事で、贔屓とか平等じゃないとか言うけど適性を考えて見抜かれた人をきちんと育てるつもりで見抜いてくれるリーダーが現れるといいんですよね。少なくても贔屓目だとしても、きちんと説明して納得出来るならありだと思いますし、お金で揺らがないなら逆に信用度も上がりますよね。
歴史の中でも結構探せそうですよね、細かい
エピソードも付けられて残されている以上きっと文章を追加した意図があるはずですので。神代とか古代は逆に悪い修飾語が多いですけど、鎌倉以降は好かれ度によりいい修飾語がついてくるんだろうなあと想像しちゃいます。時代的な制約もありそうですね。