一歴史ファン様、ありがとうございました!!
とても関係のあるコメントをいただきましたので、ここに紹介させていただきます!
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佐々木氏の一井家識が入婿した一井氏は多賀大社に住んで高宮氏となって高宮氏からは最上徳内が出ています。
浅小井盛実→一井家識周辺一族からは真野氏間宮氏が出て間宮林蔵が出ました。
一井姓高宮三河守信盛弟が高島郡今井に住んで今井姓を名乗りますが今井氏が越中中山氏と婚姻し子孫から神保氏張がでます。
(神保氏同族は甲賀21家でもあります)
神保氏張は千葉香取郡に幕府旗本として移住→一族の神保氏から伊能忠敬が出ます。
・・・以下は略させていただきます。
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まだ消化しきれておりませんが、この周辺は井口氏とも繋がりそうな気も‥‥
中山氏との関係が書かれているブログ ↓
https://blog.goo.ne.jp/magohati35/e/f0975e7f316881e110d5a756e0006c71
今井とは、今井宗久の今井のことですね?
高宮氏には2系統があったとあります。
そして神保氏張
wikipediaによると佐々成政の臣下であったという。
「織田氏の家臣・佐々成政の越中入封後はこれに臣従して功があり、嫡子・氏興は成政の婿となり一門に準じた。」
関係がいっぱいありすぎて‥‥未消化。
つまり神保も、元は高宮氏であったことになる。(本姓 惟宗氏!)
高宮氏は元は一井氏である。
となると、櫟・一井・市井、は皆同族!という事なので、ひいては日牟禮神社関係者の一井氏に相伝された目賀田氏、ひいては目賀田と婚姻関係にもある九里とつながってくる。
九里も和邇氏(その中の 櫟氏 いちい・し)であったという勘も当たっていたのかもしれない。
誰かが間違えて「クヌギ氏」(功力)と言っていたのも、「櫟」をまちがえて「くぬぎ」と読んでしまったことにあるのだ。
ちょっと自信をもって櫟氏の一員になっても良いのかもしれない。
神保氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BF%9D%E6%B0%8F
https://blog.goo.ne.jp/magohati35/e/ca8003e84037f9f1cf7cb4eaed6d427d
クウェカイ アマッポ(仕掛弓)・その頭(が)・折れる[古](月の名)2月
kuwekay クウェカイ 2月 だそうです。
kuで、弓
e は、あまりに多いらしく、グルグルと廻って、繋がらないので、またわかった時にコメント入れますね。
コトバンクには、九会 で、
仏語。真言密教で、金剛界について説かれる曼荼羅(まんだら)の総称。とありました。
久延彦 面白いですね。調べてみます!
ありがとうございます。
でも今は古墳です、鈴のが良さそうです。
お返しに関係してきそうなのでお知らせいたします。
河西って地名見つけて川の西じゃなく東なんですよ、昔の川の軌跡も知りたいなあって。兵庫にも加西市ってありますよね、その辺りも調べてたらなんだか近江まで行っちゃって余呉の彌が付く神社が出てきちゃいましたよ。面白いですよね。あくまでも物証からではないので長期的な情報として下書きのラインだけ引いておくくらいにしてくださいね。なんか誘導されている気もするので拒否ってその後どうか反応待ちますね。
あと等彌神社の北が大神神社なんですよ。これは多田氏絡みの方でも関係してきそうに思います。
あともう一個面白かったのが、河西市調べてたら九会って地名が出てきて、クエ?ってなんだっけ?と思ったらお魚でしたね。でクエってアイヌ語で意味ないかな?って調べてみたら面白い情報が出てきたんですよ。もしかしたら消えてしまうかもしれませんが調べてみてください。クリに近い音ですよ、クエって。アイヌって呼ばれていたのは最近なのかなぁ?と未確認ですが出てきたので北海道行ったら専門の方に聞いてみたいと思っています。記事が間宮林蔵さんはたまたまなのか?
で私が好きなマイナーな神様が久延彦さんって知恵の神さんなんですけどその方は大神神社に居ます。ちょうど昔の絵図見てきたばかりで文殊堂あるのは確認しましたよ。久延彦さん所じゃないかとはという所まで。色んな方に助けてもらいましたけど確信ではないんですけどね。
単純に信号だけでなく桜井の図書館の住所も河西で地名がいつ頃出来たのか?また新しいかもしれませんが、関東の葛西氏にも繋がると面白いと思います。民族の信仰は似てそうです。太田道灌への繋がりも奈良と関東とでリンクしちゃいそうにも思います、で家康も。まだ分かりませんがヒントになりそうですよ。
久延彦さんにはコロナへの対策も聞きたいんですよね。
文殊院にも古墳二つあるみたいなので行きたいと思ってます。コロナに人類が勝てないといけないので打ち勝って行きたいですね。
この情報が木方様にとって必要かどうかはわからないのですが、等彌(とみ)・登彌(とみ)神社を見つけ、関係があるのかしら?と思っておりました。
等彌神社の方は安倍文殊院の地図上の右手でした。
彌を「み」という読みにしているのが古そうな気がして。須弥山の彌とか、世阿弥とか。。。
気になりました。
必要な情報は実はその時は関係なさそうに思って自然と時期が来たら凄い事になるんですよね。
この時点で私のなんだかワクワクです。伊能忠敬、間宮林蔵、今井氏と言えばファンでもあり今必要な教訓とかアドバイスを頂けそうにも思いますよね。
いちいも大好きですし、神や古代の方でも文字でもどうも市が付くと気になってしまいます。
縁のある土地で考えても興味深いですよ。
高宮氏は私は調べた事がなかったのですが多賀は色々と気になるので調べてみます。それと和邇氏はもちろん探求のゴールに近い存在ではありますが、少し幅を狭めたい所だったのでどこを軸にしていくかが見えてきそうです。
必要な物は求めている行動をしていたら、グローバルに遠慮なく施してくれる方もいます。日本人は求めている事を言わずに待っている謙虚さも美徳ですが、困ったら助けて貰う事も同時に他の誰かの助けにも自然になっているはずなので必ずお礼はまわり回って戻ると良いんですよね。その過程を見ているだけでも現実性がありきっと自分にも思えるはずですので。
ひたむきさは、無敵ですよ。頑張っている方には応援したくなるし、私までそれでいっぱいヒントもらっていますので感謝感謝ですよね。素敵ですね。