図書館のレファレンスを読んでいて、興味深いことが載っていた。(気になる言葉を入れると、それに関する回答が出てきますよ!)
https://crd.ndl.go.jp/reference/
熊野神社は草津市平井町にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「(前略)この熊野神社には本地堂(ほんちどう)が本殿にむかって左側にあって、熊野十二所権現のうち九所の熊野権現の本地仏がまつられている。熊野十二所権現とは本宮・速玉・那智の三所を中心に、五所と四所の明神がくわわった神々で、平井町の熊野神社には中心の三所は完存するが、五所の児宮と子守宮、四所の一万宮・十万宮をうしなって九所の本地仏となっている。三所の速玉宮本地薬師如来は坐像であるが、他の諸神はすべてが立像となっている。薬師如来は像高が82.9cm、他の立像の諸尊は約100cm前後で、平安末期の流れをくんだ鎌倉初期の造像で、熊野十二所本地仏の彫像としてはこれに先行する他例をみない。十二所が完備していないのは明治初年の神仏分離令で、一部を焼いたのが原因とされる。市指定文化財。(宇野茂樹)」とあります。
他にも興味深いことが…「赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!」 さんのページにも関係しそうである。
そのページに系図が載っていて、その国光の弟子?息?にあたる人物ではないだろうか?
http://blog.goo.ne.jp/magohati35/s/%E9%8D%9B%E5%86%B6
『近江輿地志略 全』によりますと、「鍛冶屋(かじや)村 郷野村の南にあり。相傳源頼朝大和國宇多郡草野村より鍛冶一人此地に召し置かる、今に其子孫多し。草野槍といへるは此地にて打たる槍也。百本の内十本は今に此村にありといふ。」とあります。『長浜市史 第5巻』によりますと、「なお草津鍛冶は、大和(やまと)国宇多(うだ)郡の鍛冶国次(くにつぐ)が室町時代にこの地に移住したのが始まりと伝える。」とあります。さらに、『特別展国友鉄砲鍛冶 その世界』によりますと、「草野鍛冶は、源頼朝が大和国宇多郡草野村から鍛冶を一人、この地に召し置いたのが初まりと伝える。以後、宗延、国次、国広などが出て、鍛冶職の集落として繁栄、秀吉の時代には多くの槍を作ったらしい。」とあります。なお、大和国とは現在の奈良県です。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&lsmp=1&kwup=%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C%E3%80%80%E8%8D%89%E9%87%8E%E6%A7%8D&kwbt=%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C%E3%80%80%E8%8D%89%E9%87%8E%E6%A7%8D&mcmd=25&mcup=25&mcbt=25&st=score&asc=desc&oldmc=25&oldst=score&oldasc=desc&id=1000113805
この付近にある【大吉寺】のことに詳しいページをご紹介したい。ここにも「源頼朝」が関係している。
http://butsuzowonderland.com/area/siga/kohoku/daikitiji/
http://butsuzoworld.com/siga/siga_area/pg317.html
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/hoso_daikitiji.htm