万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

いささか不安な高山右近の列福

2016年01月23日 15時39分40秒 | 国際政治
バチカンがキリシタン大名の高山右近を「福者」に認定 没後400年で「殉教者」に
 バチカンは、戦国時代のキリシタン大名として知られる高山右近を、迫害にも拘わらず信仰を守り通した”福者”として認定するそうです。キリスト教そのものは、博愛精神やアガペーの愛の提唱など、人類の精神性を高めた功績は評価されるべきでありながら、バチカンによるキリシタン大名の列福には全く不安がないわけではありません。

 大航海時代のキリスト教の布教には、”光”ばかりではなく”陰”の部分もあったことは、既に指摘されてきたキリスト教の負の側面です。イエズス会は、奴隷貿易や武器売買に関わりましたし、アジアやアフリカ諸国の植民地化の過程にあってもその背後で暗躍しておりました。豊臣秀吉に始まる禁教は、こうした負の側面を完全に無視すれば、確かに宗教弾圧であり迫害であるのですが、その”陰”を知れば、当時の日本国の為政者の懸念も理解に難くはないのです。ヨーロッパ諸国でさえ、宗派弾圧を伴う激しい宗教戦争が闘われ、信仰の自由が認められるのは、17世紀に至ってのことです。高山右近については、奴隷貿易に関わったか否かは不明ですが、少なくとも、領地であった高槻では、今日、関西にしては珍しく古い寺社仏閣が残されていないのは、高山右近によって悉く焼き払われたからなそうです。つまり、高山右近は、最後には地位も名誉も捨てて、フィリピンへと追放されて行きましたが、宗教を迫害した者と迫害された者の両面を併せ持っているのです。こうした場合、評価は極めて難しくなるはずです。

 さらに、昨今のローマ・カトリックによる日本への評価をめぐるもう一つの不安材料は、中国とオランダが、1937年10月8日に中国正定で起きた宣教師殺害事件の犠牲者を、殉教者として列福するための活動を行っており(『日本時事評論』第1840号、平成28年1月15日)、その犯人を、200名の慰安婦提供を断られた日本軍であるとする虚偽のプロパガンダを行っていることです。この事件の真相は、中国の山賊による犯行なのですが、列福の制度が、ユネスコ記憶遺産と同様に、反日プロパガンダに利用されているのです。高山右近の列福も、日本国=キリスト教を迫害した非道国家のイメージをもたらすかもしれず、高山右近の列福は、手放しには祝福できない問題であるように思えるのです。

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コメント (2)
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