万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

中韓は自らが歩む”現代史”を怖れないのか?-過去と未来のパラドクス

2016年01月28日 15時22分10秒 | アジア
 中国も韓国も、”歴史認識”問題には並々ならぬ執着を見せており、国際社会において”30万人南京大虐殺説”や”20万人慰安婦強制連行説”などの流布に努めてきました。両国とも、何としても自らの”歴史認識”で過去を塗り替えたいのです。

 しかしながら、両国とも、過去の歴史の政治的な改竄行為が、未来においては自国の不名誉な歴史として刻まれることには気が付いていないようです。おそらく、両国ともに、第二次世界大戦時の日本軍の”非道な残虐行為”が”史実”として国際的に認識されれば、目的達成とばかりに溜飲を下げたいのでしょう。しかしながら、両国が、期待通りとなると信じておりましたならば、両国は、人類の知性を甘く見過ぎているのではないでしょうか。人とは、本性からして真実を探求するものですので、中国や韓国による”官製の歴史”は、他国からの客観的に検証に晒され、何れかの時点で史実は明るみとなることでしょう。この時、歴史の教科書に実際に記述されるのは、第二次世界大戦後、特に、米ソ冷戦が終焉した80年代末以降、中国や韓国といった諸国が、日本国に対して”歴史認識戦”を仕掛け、大々的な国際プロパガンダを展開したという歴史です。この”現代史”は、中国や韓国にとって誉められた歴史であるはずもなく、国家としての国際的評価を下げることにもなりましょう。言い換えますと、過去の歴史において日本国の評価を下げようとした結果、未来の歴史においては、逆に、自国に対する評価を下げてしまうのです。

 評価の視点を未来に移しますと、中国や韓国が現在遂行している”歴史認識戦”には、過去と未来との間には反比例関係が成立します。”歴史認識戦”のパラドクスに嵌った中国や韓国は、自国が”現代史”においてどのように評価されるのか、過去の評価よりも、未来におけるその評価を怖れるべきではないでしょうか。

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コメント (2)
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