万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

中国の副都心計画「雄安新区」は“監視型都市モデル”-共産主義の欺瞞

2018年05月20日 15時48分45秒 | 国際政治
 昨年2017年4月1日、まさにエイプリルフールのその日に、中国の習近平国家主席は、北京の首都機能を補完する新たな都市の建設プロジェクトとして、「河北雄安新区設立に関する通知」を発表しました。完成を2035年に見込み、投入される投資総額は凡そ35兆円ともされておりますが、「雄安新区」とは、如何にも共産主義者好みの“監視型都市モデル”となるのではないかと思うのです。

 中世ヨーロッパでは、“都市の空気は人を自由にする”とされ、自らが生まれた農村や荘園において人々がその一生を過ごした時代にあって、都市こそが人々が自由な空気を吸うことができる限られた空間でした。かつて都市には人々を引き寄せる自由という魅力があったのですが、共産主義国家中国が目下計画中であり、輸出モデル化をも狙う「雄安新区」は、都市=自由のイメージを180度転換させることとなるかもしれません。

 巨大国家プロジェクトとされる「雄安新区」の特徴とは、その技術面における先端性にあります。‘未来都市’とも称されるように、AIをはじめ、あらゆる最先端のテクノロジーが都市設計の段階で組み込まれており、自動運転技術の分野を見ても、個人の乗用車を全て自動化する世界最初の都市ともなりそうです。そして、「雄安新区」の交通システム全般を見ますと、地上にあっては整然と立ち並ぶ高層ビル群と計画的に配置された緑地帯の中を自動運転の巡回バス、自転車、歩行者のための3種の交通路が整備され、地下には地下鉄と自動運転乗用車用の地下道路が敷設されるようです。その完成予想図は、既存の諸都市のように自動車が渋滞に巻き込まれることも、農村からの農民工の流入によりスラム化することも、大気汚染に健康を害されることもなく、緑豊かな広々とした都市空間にあって人々がのんびりと健康的に都市生活を楽しむイメージとして描かれるのです。しかしながら、この「雄安新区モデル」は、13億の人口を抱える中国の現状に照らしますと、中国の一般国民の現実からはかけ離れた‘別世界’となることは想像に難くありません。そして、この‘別世界’は、共産党による徹底した監視と管理なくして維持し得ないのです。

 第一に、「雄安新区」は、首都機能を補完するために新設されます。つまり、同都市の住民の大半は、おそらく共産党幹部、及び、その家族に限られており、想定される人口数が200万人以上という、中国にしては少数である理由も、おそらく、当初から特権階級向けの都市を想定しているからなのでしょう。

 第二に、高度な先端技術の導入は、人々に自由を与えることを意味しません。個人用の自動運転車も、その保有は共産党員といった一部の人々に限定されるでしょうし(一般市民は公共交通機関を使用…)、たとえ保有を許されたとしても、行く先、目的、使用時間等、あらゆる個人情報が当局によって完全に掌握されることでしょう。また、自動運転車は、当局が‘好ましくない’と判断した場所には‘自動的に’向かわないはずです。一事が万事であり、「雄安新区」に居住している限り、家庭内に配置されたIoT家電、顔認証システム、並びに、スマホ等による情報収集により、その住民達の一挙手一動は、当局によって監視されることでしょう。この地に足を踏み入れた人は、あたかもジョージ・オーウェルの『1984年』の世界に紛れ込んだかのような恐怖感に襲われるかもしれません。

 第三に、AIやロボットといった最先端技術の導入は、必然的に都市人口の減少をもたらしますが、既に13億を越え、一人っ子政策を廃止した中国にあって、都市人口減は、農村部における人口問題をさらに深刻化します。乃ち、当局は、快適な都市空間を護るために、これまで以上に農村部から都市部への人口移入を阻止すべく、一般の国民の自由移動に対して監視の目を光らせなければならないこととなります。

 以上に、国家による国民に対する管理・管理強化の面から「雄安新区」の問題点を指摘してみましたが、中国発の“監視型都市モデル”は、人々から歓迎されるのでしょうか。自由主義国からは当然に拒絶されるでしょうし、中国国内においても、一般の国民から反発の声が上がるのではないでしょうか。共産主義の欺瞞として(一般の中国国民は、共産主義に騙された‘フール’となるのでしょうか…)。

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コメント (2)
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