今日ほど、政党という存在に対して厳しい視線が注がれている時代はないかもしれません。アメリカでは、グローバル化の果てにリベラル政党が国民からの信頼を失い、本日、11月8日に実施される次期アメリカ大統領選挙の前哨戦ともなる中間選挙では米民主党の苦戦が予測されています。その一方で、自民党と‘韓国系政治団体’とも言える世界平和統一家庭連合(元統一教会)との関係が明らかになるにつれ、日本国内では、同党が掲げてきた保守政党の看板が崩れ落ちつつあります。しかも、連立を組んでいる公明党の支持母体は、‘中国系政治団体’としての性質を備えた創価学会であり、片や左派政党も親中国・朝鮮半島の政党ばかりですので、政党という存在そのものが、国民にとりましては危険な存在と化しているのです。国民主権とは名ばかりで、‘政党’に国民が支配されかねないのですから。
かくして、何れの政党も、カルトであれイデオロギーであれ、それらが一般の国民とは著しくかけ離れたものであるであるために、国民から遊離してゆくこととなりました。民主主義国家における政党の存在意義とは、国民の中に存在する様々な政治的信条や利益を政治団体、あるいは、政策集団として代表することで、国民の自由な政治的意思表示の受け皿となるところにあるのですが(個々の政治的選択を直接に政治に反映させる制度を設計することは難しい・・・)、このままでは、自由主義国の政党もまた、全体主義国の政党と同様に、富や権力を独占する‘支配層階級と国民との分断の象徴’ともなりかねません。
それでは、民主主義を具現化するはずの政党と国民との分離は、何故、生じてしまったのでしょうか。この点、参考となるのは、全体主義体制下の政党です。これらの政党は、民主化への流れの中で生まれてきた政党の存在を逆手に取り、時計の針を逆戻りさせるかのように、それ以前の時代に逆転させています。退行現象、即ち、政党が権力の独占を目的する闘争集団化するという現象は、民主的政体から選挙を介して登場したナチスやファシストにおいて指摘されてきました。そして、とりわけ共産党には、国家の枠組みや国境線を否定する、あるいは、無視するという意味において超国家政党という特徴が顕著に見られるのです。
歴史においては、ソ連邦や中国をはじめとした共産主義国家は、国家を枠組みとして成立しています。しかしながら、その思想の祖は、ユダヤ系ドイツ人であったカール・マルクスに求められますので(共有の思想は、トマス・モアの『ユートピア』などに見られる・・・)、もとより、国家に対する愛着も評価も薄く、むしろ、国家は不要であり、理想世界の実現には消滅すべき邪魔者とさえ捉えているのです。
その証拠とも言えるのは、世界同時革命の発想であり、共産党は、全世界の諸国において共産革命をほぼ同時に起こして共産党政権を誕生させれば、全世界レベルで共産主義体制が成立すると考えていました。実際に、ソ連邦のみならず北朝鮮なども、世界同時革命の夢を追い求めて海外にあって工作活動を行なっています。たとえ一般の人々から見れば妄想であったとしても、世界同時革命は、彼らにとりましては全力で取り組むべき究極の目標であったのでしょう(この点、世界平和統一家庭連合や創価学会党のカルトも同類では・・・)。
共産主義の超国家性を理解しますと、政党が国家の上位に置かれるという奇妙な国家システムが採用された理由も分かってきます。仮に、共産党が、他の政党のように国民の民主的な選択の受け皿であるならば、全世界レベルでの共産主義体制を樹立させることは極めて難しくなるからです。その一方で、共産党が上部から諸国家をコントロールし得る立場にあれば、国権を掌握した全世界の共産党を介して‘世界政府を創設することができます。実際に、共産主義者達は、全世界の諸国に‘細胞’として政党を設立し、コミンテルンやコミンフォルムといったネットワーク型の組織を構築していますので、一党独裁を体制とする世界政府構想の実現を目指して着々と準備を進めていたのでしょう。
もっとも、共産主義の反国家的な性格は既に知れ渡っており、諸国民から警戒されるところとなりました。このため、とりわけ民主的選挙制度を備えた自由主義国にあっては、共産党が政権与党となることはまずなかったのですが、今日直面している問題は、政党の超国家化が他の政党にも及んでいるところにあります。アメリカの民主党の信頼失墜は、リベラルと共産主義との強い親和性などにも求められますが、日本国やイギリスにおいては、保守政党が国民からの信頼を失っているのです。世界平和統一家庭連合(元統一教会)やスナク氏の首相就任など、誰の目に見える現象や出来事を伴って、左右に拘わらず、政党というものが、民主主義の進化とは反対方向に向かっているとする懸念が広がっているのです。
ナチスやファシスト党は、国家主義的政党と見なされていましたが、これらの極右の政党も、今日、ネオナチとされる政党や勢力が世界各地で見られるところから、超国家性を隠し持っていたのかもしれません。そして、今日、穏健とされてきた保守政党にも、超国家性と反民主主義を特徴とする全体主義政党化の兆しが現れているのです。
世界政府樹立への基本戦略が二頭作戦であるならば、左派のみならず、右派も同様の目的以て世界権力のネットワークに組み込まれ、当然にコントロールされているはずです。政党政治の変質は、民主主義並びに自由の危機でもありますので、その危険性が明らかになった今日、政党とは何か、という問題が根本的に問われると共に、民主的政治システムに関する新たな発想が必要とされる時代に至っているのではないかと思うのです。