万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

英王室は多様性の尊重で存続するのか

2023年05月08日 13時13分57秒 | 統治制度論
 2023年5月6日、イギリス首都ロンドンのウエストミンスー寺院では、世界各国から招待された賓客が参列する中、厳かにチャールズ3世の戴冠式が執り行われました。その一方で、‘君臨すれども統治せず’とはいえ、若い世代を中心として君主制に疑問を抱く人も多く、イギリス王室も曲がり角を迎えているようです。

こうした民主主義の時代における君主制の揺らぎに対して、大手メディアは、多様性の尊重への転換が万能薬と見なしているようです。昨日のNHKの番組でも、共和制支持者の増加傾向に歯止めをかけるには、多様性の尊重一択しかない、といった論調で現地の様子を伝えていました。しかしながら、メディアが主張するように、多様性を尊重しさえすれば、君主制は維持されるのでしょうか。

判で押したように大手メディアが‘多様性の尊重’を強調するのは、おそらくそれが全世界のメディアをコントロールする世界権力の世界戦略上の基本方針であるからなのでしょう。ところが、この説、現実にあってもロジックにあっても、無理があるように思えます。

 現実が示した反証の事例としては、ヘンリー王子夫妻のケースがあります。メーガン夫人は、英国史上初めてのアフリカ系の血脈を有する英王室のメンバーとなりました。王室における多様性の尊重からしますと、未来の王室に最もふさわしい婚姻であったはずです。同夫人ほど、祖先から伝わるDNAの配列においても、国籍においても、所謂‘階級’においても、個人的経歴や家庭環境等においても、王室の多様化を体現した人物はいなかったからです。ところが、同婚姻は、英王室に対する支持率を上昇させるどころか、逆に下落に拍車をかけてしまいました。英国の古き良き伝統の維持を願う保守層のみならず、大多数の国民から反発を受けてしまったのです。

ヘンリー王子夫妻の事例は、破天荒でインモラルなヘンリー王子の行動や上昇志向の強いメーガン夫人の野心的な性格、並びに、暴露本の出版などに起因するとする向きもありますが、多様性を尊重するならば、王族らしくない人物であっても、これを認めざるを得なくなります。如何なる性格であっても、多様な個性の一つとして受容することが、多様性の尊重であるからです。

また、多様性の尊重は、ロジカルに考えても王室の未来に微笑むとは思えません。そもそも、現代では、統治機能は政府等の公的機関が提供しており、封建時代のように、君主が国家や国民を外敵や盗賊等から保護した時代は既に過ぎ去っております(もっとも、しばしば、君主は、守護者の役割から逸脱した暴君ともなった・・・)。統治者としての役割を終えているのですから、国家の統治機構にあって積極的な役割を見出すことは殆ど不可能に近くなります。他の立憲君主国よりも権限の幅が広いとされるイギリス国王の大権といえども(ただし、イギリスは憲法典のない不文憲法の国・・・)、民主主義の文脈から制約が課せられてきたのが、今日に至るまでの一般的な時代の流れであったのです。ロジカルに考えれば、その先に共和制への移行が見えるのが自然の成り行きと言うことになりましょう。

そこで、現代における新たな王室の役割としては、(1)日本国のように統合の象徴とする(英国の場合、統合の対象は、国家と国民のみならず、英連邦も加わる・・・)、(2)福祉や環境問題など非軍事的な分野に主たる活動の場を移す、 (3)特別な血統を誇る権威者あるいはセレビティになる、(4)英国王室の伝統文化の継承者となる、・・・といった方向性が模索されています。

しかしなら、(1)にしても、多様性を尊重すれば、君主の統合力が逆に弱体化することは目に見えています。多様性を尊重する余りに、国王が外国人や外国文化を優遇したり、過度にこれらの保護者としての役割を買って出たりしますと、一般の国民からの反発を買う自体も予測されましょう。(2)につきましても、非軍事的な分野であるとはいえ、迂闊に政治的な領域に足を踏み入れますと、政争に巻き込まれたり、世論からの批判を受けかねません。例えば、チャールズ国王は、皇太子時代の2020年6月にあって、「グレートリセット」の名称の下で開催された世界経済フォーラムの総会の招集者の一人でもありました(世界権力が推進している「グレートリセット」は、今日、多くの諸国にあって批判を浴びている・・・)。また、(3)についても、世代が下がる程に王家の血統が薄らぎ、かつ、公人の情報公開が是とされる中で、王族の権威の維持は難しく、意味不明な存在となりかねません。しかも、王族は世襲ですので、必ずしも国民の人気を集める素質やカリスマ性に恵まれているとは限らないのです。そして、(4)固有な伝統の継承者に存在意義を見出そうとすれば、多様性の尊重についてはこれを放棄する必要がありましょう。英国の文化的伝統の保持と多様性の尊重は両立しないのです。

そして、全世界規模で大英帝国を築いたイギリスならではの問題としては、多様性とは、植民地支配の‘負の遺産’である点にも注意を要しましょう。メディアの大半は、若者層は多様性の尊重を支持していると決めつけていますが、それが過去の植民地支配がもたらしたものです。現在のグローバリズムもその系譜に属するものである以上、倫理的な問題に直面せざるを得なくなるのです。

以上に述べてきましたように、多様性の尊重という方向性において君主制の存続を期するのには、いささか無理があるように思えます。イギリスと言えば、かの‘二重思考’が生まれた国なのですが、‘多様化は統合なり’、‘保守はリベラルなり’といった洗脳的なレトリックは、現実を前にして崩壊寸前の状態にあるように思えるのです。

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