万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

グローバリズムの格差拡大メカニズムとは

2025年02月12日 13時38分03秒 | 国際経済
 1980年代後半以降、米ソ冷戦時代の終焉をもってグローバリズムが全世界に広がることとなります。とりわけ、2002年に中国がWTOに加盟すると世界経済の状況は一変し、同国が、経済大国として躍り出ることにもなりました。この流れに平行するように、経済格差の広がりも顕著となり、かつての先進国でも中間層の崩壊に伴う貧困の増加が深刻な問題として持ち上がることにもなったのです。結局、グローバリズムが国家間の貿易において相互に利益をもたらし、全ての人々の生活を豊かにするとする宣伝文句とは逆の方向へと向かったことになります。それでは、何故、グローバリズムは‘嘘つき’となってしまったのでしょうか。

 その理由は、昨日の記事でも指摘したように、国境を越えた生産要素の自由移動が、経済学において自由貿易主義者が主張してきた比較優位による互恵的な国際分業の根拠を崩壊させると共に、現実においても、堰きを外すと水が高きから低きに流れるが如く、あらゆる領域にあって最適な箇所への集中が起きてしまったからなのでしょう。ヘクシャー・オーリンモデルでは、資本が潤沢な国での知識集約型、労働力が豊富な国での労働集約型の産業への特化による国際分業が説明されていますが、国境の壁が消失しますと、資本の自由移動により労働力の豊富な国における知識集約型の製品の製造が可能となります。つまり、資本も労働力も特定の国に集中してしまうのです。言い換えますと、自由貿易論は、その前提が崩れることにより、皮肉なことに、グローバリズムにおける格差拡大の必然性を説明しているとも言えましょう。

 技術レベルが国際競争力の源泉となる現在では、資本のみならず、製造拠点の移転と共に先端的なテクノロジーや情報も特定の国に集まります。中国が短期間で世界第二位の経済大国まで成長したのも、豊富、かつ、安価な労働力という国際競争上の有利な条件に加え、外部から国境を越えて資本やテクノロジーが集中的に流入したからに他なりません。その一方で、日本国は、勤勉な国民性に支えられた製造拠点としての優位性を失うと共に、テクノロジーの多くも中国に移転されたのですから、産業が衰退するのも当然の成り行きであったとも言えましょう。しかも、アメリカの場合、安価な移民労働力も流入してくるのですから、一般国民の所得水準が低下し、中間層の崩壊が他の先進工業国よりも早くに訪れたことになります。そして日本国も、今や移民労働力の大量流入により、アメリカと同じ轍を踏もうとしているように見えるのです。

 もっとも、貧富の差が開き続けているアメリカがそれでもなお、日本国にはない経済的なアドバンテージあるとしますと、国際決済通貨としての米ドルの強みやIT大手をはじめとしたデジタル分野での優位性などを挙げることが出来ましょう。そして、さらにグローバル時代の強者と言えるのが、グローバリストの母体とも言える金融勢力なのではないでしょうか。上部あるいは外部の視点から全体を見渡し、最も利益率の高い最適な投資、否、国際分業のパターンを見出す位置にあるからです。近年、しばしば経営のスローガンとされる‘選択と集中’とは、実のところは、対象となる産業分野であれ、事業であれ、国であれ、金融グローバリストの戦略なのです。しかも、資本ほど‘逃げ足の速い’要素もありません。焼き畑農業の如くに、賃金水準の上昇等により利益率が下がれば、他の国や地域に逸早く投資先を変えてしまうのです。

 経済学者の多くは、資本の自由移動についてその調整力に期待する向きがありますが(資本の相互融通により不足と過剰を平準化する・・・)、高い利益率が期待できる国や地域のみが‘選択’され、投資がこれらの国や地域にのみ‘集中’してしまうのが現実なのではないでしょうか。しかも、集中的な投資先となった諸国も巨額の負債を負う一方で、債権者となった金融勢力は、これらの諸国に対して自らの利益増進に貢献するように、さらなる市場開放や規制緩和等を求めつつ(政治家もマネー・パワーで籠絡・・・)、利権の獲得、利払いや配当金等によってさらにマネー・パワーを強大化してゆくのです(格差拡大のメカニズム・・・)。

 結局、グローバリズムとは、何れの国にとりましても、金融グローバリストに選ばれなければ経済発展を望むことができない、過酷な環境に身を置くことを意味します。そして、‘選ばれる’ために払われる犠牲も多大であり、屈服をも強いられかねないのです。以上に述べたように、グローバリズムを特定の勢力の利権集団のための世界大の仕組みとして捉えますと、人類は、この枠組みからの離脱こそ目指すべきと言えましょう。この意味において、日本国を含む各国共に、中間層の貧困化を防ぐためにも、自国経済の発展を基礎とした自立的な経済成長をめざし、速やかに方向転換を図るべきではないかと思うのです。

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