日本国政府が科学技術・イノベーション計画として推進しているムーンショット計画は、イノベーションと銘打ちながら、同計画自体は、おそらく世界経済フォーラムが作成した「グレートリセット」計画のコピー、あるいは、その工程表そのものなのでしょう。言い換えますと、何処にも日本国のオリジナリティーは見当たらず、陳腐なSF風ではあってもイノベーティヴな発想でもないのです(真に日本独自のイノベーションや独創性を求めるならば、目標設定の段階で公募すべきでは・・・)。スタート時点から既に矛盾を抱えているのですが、設定した目標について慎重に吟味し、深い考察がなされた形跡もありません。
例えば、目標1の「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」を取り上げてみましょう。同目的を実現するためには、「誰もが多様な社会活動に参画できるサイバネティック・アバター 基盤」を構築する必要があるとされています。サイバネティック・アバター基盤が整備されれば、3D映像として分身のみならずロボットを遠隔で操作することができます。この結果、複数の人が遠隔で複数のアバターやロボットを操作して大規模で複雑なタスクを遂行したり、一人の人が10以上の自身のアバターを同時に操作することもできるようになるのです。
即ち、時空の制約からの解放とは、分身テクノロジーの確立と言うことになるのですが、果たして、忍術のような分身テクノロジーは、時空の制約を取り除くのでしょうか。アバターの遠隔操作については、難病に指定されているALSを患っている方々が自らの分身を操作して社会生活を送ることができる技術としてしばしば紹介されてきました。ALSのみならず、自らの身体を動かすことができなくなった人々が社会生活を維持するための技術としては意義があるかもしれません(もっとも、同目標が目指すように、人の機能を最大限に拡張できるならば、ALSといった難病を治癒する方法を開発する方が早いかもしれない・・・)。しかしながら、サイバネティック・アバター基盤が想定しているのは、健康な一人の人が複数の多様な分野で活動できる未来なのです。
ここに、人の意思の単一性不可分性の問題が提起されることとなりましょう。何故ならば、一人の人が複数の特定の場所、かつ、特定の時間に同時に複数の意思決定を行なうことは不可能であるからです。例えば、自らの分身となるアバターを遠隔で操作している人が、同時に異なる人から話しかけられた場合、その人は、同時に複数の人に返答することはできるのでしょうか。聖徳太子の逸話のように一度に多くの人々の話を同時に聞ける人は極めて稀です(稀であるからこそ伝説化が発生)。ましてや脳内の言語領域の活動と発声器官との基本的な対関係からすれば、同時に返答を返すことは殆ど不可能です。たとえ、アバターが複数存在し得たとしても、同時に異なる空間で同時に一つの行動を自らの意思で実行することはできないのではないでしょうか。
機能拡張のテクノロジーによって一つの意思から複数の発声が可能となる装置が開発されたとしても、人の意思が一つである限り、それぞれの状況に合わせて異なる内容の発言をすることはできないことでしょう。他者との会話のみならず、アバター達が活動する現場のそれぞれの状況適した行動を伴わなければならないとすれば、乗り越えなければならない技術的なハードルはさらに高くなるのです。
日本国政府、あるいは、世界権力は、達成目的の年を2050年に設定しておりますが、この年まで、あと僅か27年しかありません。この年限を以て目標を達成できると考えるのは、あまりにも非現実的です。しかも、人類は、生物の特徴でもある個々の意思の単一性を永遠に越えることができないかもしれないのです。仮に、意思を分裂させることができるとすれば、それは、一人の頭部の中に複数の脳が併存している状態ともなりましょう。誰が考えても非現実的で夢物語とでも言うべき目標を設定していることこそ、日本政府がカルト化している証しとも言えるのではないかと思うのです(つづく)。