万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

新興宗教団体への入信は魂を失うこと?-宗教の逆機能

2024年05月10日 10時49分52秒 | 社会
 宗教の主たる役割とは、この世にあって悩み苦しむ人々の魂を救うところにありました。如何に汚れた世の中であり、自らが悲惨な境遇に置かれていたとしても、神や仏の御心に従って誠実に清く正しく生きていれば、死してその魂は必ずや天国や極楽に迎え入れられるとする信念が、人々の心に安らぎと救いを与えてきたとも言えましょう。また、逆に、この世で栄華を極めたり、支配者として君臨した人でも、神や仏の教えに背き、悪事に手を染めたり、他者の命を粗末にしたり、それが何であれ、他者に属するものを奪い取るような人は、地獄に落ちるとされたのです。古今東西を問わず、人類が共通して天国と地獄という存在を想定するようになったのか、これもまことに不思議なことなのですが、ここで注目すべきことは、宗教では、天国や極楽浄土のみならず、地獄という存在が、善悪の区別と一致する形で観念されていることです。

 一般的には、天界とは、善人の魂が美しい光景の中で穏やかに心地よく過ごすところとされ、地獄は、天界とは逆に悪人がその罪や邪悪な心の故に責め苦に遭う場として説かれています。こうした地獄の一般的なイメージは人々を震え上がらせるのに十分なのですが、その一方で、古代エジプトのように、死後の裁きにおける、自己の魂の消滅や喪失宣告として捉えられている場合もあります。古代エジプトにおいて墓場に埋納された『死者の書』では、死後、人々はオシリスの前で審判に付され、死者の心臓を天秤にかけて一枚の白い羽と釣り合えばアアル(天国)に上ることができ、反対に重い場合、即ち、道徳規範に反した罪がある場合には、アメミットという名の怪獣に心臓を食べられてしまい、同時に魂も消滅してしまうと記されています。

 魂が永遠の存在であるならば、その消滅ほど恐ろしいものはなく、地獄絵に描かれている地獄そのものよりも、恐怖すべき罰であったのかも知れません。自分自身が消滅するのですから。もっとも、生前の罪に対する死後に受ける罰としての魂消滅論に近い考え方は、キリスト教にあっても見受けられます。それは、‘悪魔に魂を売る’という行為です。このテーマは、ゲーテの『ファウスト』でお馴染みともなったのですが、自己の利益のために道徳規範に反する行為を行なった者は、この世で自らの欲望や願望を実現することはできても、その魂は悪魔の所有となり、地獄に連れて行かれるというものです。つまり、‘魂を売る’という行為は、自らの魂を失うことを意味するのです。

 死後の世界については誰もが証明できない不可知な領域ではあるものの、宗教というものが、人々のそれ自身の魂に安寧をもたらす役割を担っているとしますと、ここで、一つの疑問が生じてきます。それは、カルト的な新興宗教への入信とは、悪魔に魂を売る行為なのではないか、というものです。元統一教会であれ、創価学会であれ、報じられるところに依りますと、その信者の人々は、人間の一人に過ぎないはずの教祖に心酔し、教団の指令に従って行動しているようです。その組織的行動は、選挙における投票行動、特定の候補者への支援活動、誘導的な消費行動、イベント等への動員、同調圧力の醸成など、様々な分野に及んでいます。理性や良心に照らして自らの意思で行動するのではなく、組織の命じるままに動いているのです。この‘組織的行動力’が、組織票を欲する政党や政治家に利用される要因なのですが、新興宗教団体は、信者という、魂、否、自己を失った人々を、現代にあって大量に出現させているとも言えましょう。全体の中に埋没し、‘自分’というものを持たない人々は、それ故に組織されやすく、政治的にも利用されやすいのです。

 個々人を天国への導きとなるはずの宗教が、組織のための組織となって自己喪失という地獄への道となりかねない現状を、新興宗教に入信した人々は、どのように考えているのでしょうか。宗教ビジネスが蔓延るように、利権に目がくらんで現世利益のために入信している人々は、まさしく、自らの魂を売っているようにも見えます。しかも、新興宗教団体には、人類支配のために世界権力によって設立された‘実行部隊’であり、日本国を含め、国家体制を全体主義や権威主義体制に追い込む装置であるとする疑いがあります(世界権力は、目指す目的と到達する結果が逆となるメビウスの輪作戦が得意であり、教団とは、これらの体制のミニ版でもある・・・)。宗教が人々の魂を救い、天界に導くのではなく、その消滅を意味するならば、新興宗教団体の存在は(設立の新旧に拘わらず、政治あるいは経済的な目的のために組織的行動する教団も同類・・・)、現世にも死後にも地獄をもたらすという意味において、宗教の逆機能ではないかと思うのです。


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アメリカのユダヤ人支配はグローバリズムの縮図

2024年05月09日 12時53分11秒 | アメリカ
 アメリカの真の支配者はユダヤ人である、とする見方は、今日のイスラエル・ハマス戦争をめぐるアメリカ政府の対応を見ておりますと、強ち間違ってはいないように思えます。マネー・パワーの絶大なる力を見せつけているのですが、その支配力は、大学などの教育・研究機関を含め、社会の隅々にまで行き渡っているようです。しかも、退学、停学、不採用、解雇などの脅し、即ち、恐怖心も手段として使われているのですから、フランス革命後の恐怖政治さえ彷彿とさせます(脅迫はテロの一種・・・)。全世界から多くの移民を惹き寄せてきた‘自由の国アメリカ’は、ユダヤ人のみが好き放題が出来る‘自由の国’であったのかもしれません。あたかも、‘ユダヤ人にあらずんば人にあらず’のごときです。

 ユダヤ人と申しますと、ナチスによる‘ホロコースト’の被害者としてのイメージが強く、とりわけ第二次世界大戦後は、迫害を受けた同情すべき哀れな人々とする見方が支配的でした。否、この同情的な接し方は、全世界を‘監視’するシオニストやサイモン・ウィーゼンタール・センター等の活動による半ば強制であったとも言えるかもしれません。キリスト教世界にあって異教徒故に差別を受け、辛酸を嘗めてきた民族というイメージは、ホロコーストのイメージをもって人々の心に刻み込まれてきたのです。


 しかしながら、マイノリティーは必ずしも弱者というわけではありません。古今東西を問わず、征服者が少数者であった事例は枚挙に暇がなく、かの大清帝国も、満州を故地とする女真族が打ち立てた征服王朝です。弁髪の強制を含め、少数の遊牧系の部族が多数の漢民族を支配したのであり、少数者支配は決して珍しい出来事ではないのです。否、近代のナショナリズム、並びに、その後における民族自決の原則の成立とは、少数者支配となる異民族支配から脱却し、自らの国を取り戻す運動であったと言えましょう。歴史的に見れば、少数者は弱者にもなり得ますし、また、強者ともなり得るのです。

 ユダヤ人の歴史を見ますと、同民族は、全くもって極端なぐらいに強者と弱者の両面性をもっていたと言っても過言ではありません。そして、ここで強調すべきは、キリスト教徒やイスラム教徒が忌み嫌った高利貸しを生業とすることができたため、ユダヤ人は、マネー・パワーを握ってきたことです。マネー・パワーとは、使い方によっては‘権力’の隠れた掌握手段ともなり得ます。この側面は既に中世から見られ、イギリスでは、歴代国王とユダヤ人との間には‘持ちつ持たれつの関係’が成立するケースもありました(もっとも、しばしばユダヤ人は、財産没収を目的としたと推測される弾圧も受けている・・・)。前者が富裕な後者の自らの‘お財布’にした故に、一般国民から保護すると共に、後者は財政難にある前者の資金源となることで、自己の財産と身の安全を計ったのです。


 一般国民に対する国王とユダヤ人との‘共闘’関係は、今日の各国政府と世界権力との関係にもリフレインされるのですが、ユダヤ人のマネー・パワーが政府そのものを動かすに至るのも、今日に始まったことではありません。かのカール・マルクスは、1844年に「独仏年誌」に発表した論文にて、ユダヤ人は政治的権利が著しく制限されているにも拘わらず、政治力を発揮している当時の状況に触れ、「理念的には政治は金力に優越しているが、事実上では政治は金力の奴隷となっている」と記しています(『ユダヤ人問題によせて』)。その解決方法としての共産主義は誤っているとしても、19世紀にあって既にユダヤ人がマネー・パワーをもって政治力を十二分に発揮していた様子が窺えるのです(イギリスでは、大英帝国の全盛期に当たる1868年にベンジャミン・ディズレーリ内閣が誕生・・・)。


 近代にあってユダヤ人がマネー・パワーを効果的に駆使できたのも、ディアスポラ以来、全世界に張り巡らされたビジネス網としてのユダヤ・ネットワークがあってのことなのでしょう。そして、特定の国家に属する‘国民’には持ち得ななかったこれらの優位性は、現代のグローバリズムにあっても失われてはいません。グローバリズムが全世界を覆うとすれば、同環境に慣れ親しんできたユダヤ人が、水を得た魚のように全世界にその政治力を及ぼすことは、容易に予測される未来なのです。このとき、ユダヤ人のもう一つの反面、つまり、迫害されてきた弱者としてのユダヤ人のイメージは、もはや何処にも見出せなくなることでしょう。


 このように考えますと、グローバリズムを歓迎している人々は、囲いの柵を取り払えばオオカミが自由に牧場に入ってくるにも拘わらず、自分たちもオオカミの生息地に出入りして、対等に渡り合える、とばかりに喜ぶ羊たちのように見えてきます。無制限な絶対的な自由は暴虐を許しますので、マネー・パワーと一体化したユダヤ人の政治力の問題は深刻です。この危険性を直視しない限り、アメリカの現状、並びに、グローバリズムがもたらす諸問題の解決に取り組むことは難しいと言えましょう。世界権力の暴走を制御する、あるいは、その支配の魔の手から自国を防御するための手段や仕組みを考案することこそ、人類にとりましては真のグローバルな課題なのではないかと思うのです。


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移民リスクを自ら示すユダヤ人-イスラエルとユダヤ系アメリカ人

2024年05月08日 10時36分25秒 | 国際政治
 アメリカの大学にて全国的な広がりを見せている対イスラエル抗議デモを前にして、バイデン大統領は、ホロコースト追悼式典にて自らの政策方針を示すこととなりました。同式典の演説にて、バイデン大統領は、如何なる批判があろうとも、イスラエル支持の信念には揺るぎがないことを宣言したからです。かくして、ユダヤ人国家であるイスラエルが国際法にも人道にも反する残虐行為を行なったとしても、アメリカは、国家として同国を支える姿勢を鮮明にしたのですが、この現象、図らずも移民リスクを内外に知らしめる結果をもたらしたのではないかと思うのです。

 移民反対を掲げる共和党のトランプ前大統領とは対照的に、民主党のバイデン大統領は、常々移民に対して好意的であり、移民受け入れ政策を推進してきました。先日も、日本国に対して‘外国人嫌い’と発言して物議を醸しています。移民歓迎は民主党の党是でもあり、移民こそ経済成長の原動力として捉える故なのですが、安価な労働力の利用という‘経営者’的な視点からしますと、移民によるコスト削減は利潤の源泉ではあります。

その一方で、経済に特化した一面的なメリットは必ずしも政治・社会的にもプラスに作用するとは限らず、多面的かつトータルで見ますと、移民の増加をデメリットが上回るリスクと見なす国民も少なくありません。言語も生活習慣も、そして、時にして道徳・倫理観も異なる移民の社会統合にはコストも労力も時間もかかりますし、‘国家内国家’の誕生や治安の悪化も懸念されます。しかしながら、世界経済フォーラムをフロントとするグローバリスト勢力は、その持てるマネー・パワーをもって宣伝工作をグローバルに展開していますので、一般国民の移民反対の声はサイレント・マジョリティーとなり、かき消されているのが現状なのです。

 今日、移民の経済的なメリット面ばかりが強調される風潮にあるのですが、今般のイスラエル・ハマス戦争、並びに、同戦争に関連して発生した一連の出来事は、移民推進の旗振り役であったユダヤ人自身が、自ら移民の危険性を証明したしまった観があります。何故ならば、マネー・パワーを発揮し得る特定の民族集団によって、国家権力が掌握される、あるいは、乗っ取られてしまう事例を示すこととなったからです。

 アメリカは、その建国の歴史からして移民によって造られた国です。WASPが主流であったものの、世界各地から新天地を求めて世界各地から移民が流れ込んできました。もちろん、移民の中にはユダヤ人も含まれており、ニューヨーク等を中心にユダヤ人コミュニティーを形成してきたのです(因みに、イギリスのヨーク市は、中世以来ユダヤ人墓地があったことで知られている・・・)。否、古来、自らの国家を持たない故にユダヤ人は貿易や金融事業に長けていましたので、アメリカへの移住は、自らの能力を存分に発揮し得る絶好の環境を得ることを意味したのです。この結果、あらゆる分野にユダヤ資本、人材、思想様式等が浸透し、マイノリティーの一つではありながら、アメリカの陰の支配者とも称されるまでその影響力を拡大させてきたのです。

 政治も例外ではなく、現バイデン政権の顔ぶれを見ても、ユダヤ人として親イスラエルを公言しているブリンケン国務長官に象徴されるように、ユダヤ系人脈がアメリカ政界に深く根を張っていることが分かります。政界におけるユダヤ・パワーは、当然に対外政策にも強い影響を与えており、今般のバイデン大統領の断固たるイスラエル支持の姿勢も、ユダヤ勢力の意向に沿ったものであることは明白です。言い換えますと、アメリカの現状が示しているのは、最もマネー・パワーを発揮し得る特定民族が内外の政策を決定し、他の国民を統制し得る‘支配民族’となってしまうという由々しき現実なのです。

 もちろん、資本等の市場開放により、マネー・パワーが国境を越えて押し寄せ、世界権力のコントロール下に入ってしまう状況は、日本国の今日の政治現象としても見られるのですが、今日、日本国を含め、多くの諸国は移民が齎す政治的リスクについて真剣に取り上げようとはしていません。アメリカの今日は明日の日本国かも知れず、マネー・パワーのみならず、中国等の政治・軍事的パワーを有する国を出身国とする移民の増加が、安全保障上の重大なリスクとなる未来も予測されるのです。しかも、イスラエルのようにジェノサイドをも厭わない国であれば、日本国民は、その蛮行を批判したり、糾弾することも出来なくなりましょう(良心の自由が失われる・・・)。アメリカに見られるイスラエルとユダヤ人との関係、並びに、移民国家におけるユダヤ人のマネー・パワーの問題は、理想と現実との乖離、即ち、移民政策の欺瞞をも暴いているように思うのです。

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アメリカ大学の抗議デモを考える-真のアメリカのヒーロー達

2024年05月07日 10時10分09秒 | アメリカ
 アメリカでは、コロンビア大学に始まる対イスラエル抗議デモが全国的な広がりを見せております。同抗議デモを前にして大学当局は厳しい取締を開始し、警察に出動を要請したことから2000人を超える学生が逮捕される事態に発展しました。デモに参加した学生達に対する退学処分をも辞さない構えも崩しておらず、コロンビア大学では、今月15日に予定されていた卒業式も中止されると報じられております。

 デモが混乱をもたらした原因は、学生側による大学建物の占拠ともされ、この行動が大学側に警察介入の口実を与えることとなりました。このため、学生活動組織の中には、デモの過激化を企む外部者が混じっているとの指摘があり(大学側も同見解・・・)、仮に外部からの扇動工作であれば、‘同工作員’の正体については、凡そ二つの見方ができます。

 第一の推測は、イスラエル対パレスチナ、あるいは、ユダヤ教徒対イスラム教徒の対立構図にあって、後者側が学生デモを組織もしくは支援したとする見方です。昨今、アメリカでもイスラム教徒の人口が増えると共に、多様性の尊重方針から全学生数に占めるイスラム系学生数も割合も高まっています。このため、イスラム系の学生が率先してデモをリードした可能性もないわけではありません。もっとも、報じられている学生デモの動画や画像を見る限り非イスラム系の学生も多く、かつ、‘外部者’とする大学側の説明とも一致しません。あるいは、さらにその背後にロシアや中国といった反米とされる勢力が潜んでいる可能性もありましょう。ベトナム戦争時において米国内で激化した反戦運動も、ソ連邦による支援があったとされています。

 第二の推測は、イスラエル側に与する大学側、アメリカ政府(CIA)、もしくは、ユダヤ系団体が工作員を送り込んだとするものです。実のところ、この手法は古典的なものであり、弾圧したい側が相手側に‘悪手’を打たせるという方法です。例えば、天安門事件や香港の雨傘運動等などでは、学生民主化運動を脅威と見なした当局が、弾圧の口実を得るために、組織内部に扇動役の工作者を潜入さえたとする疑いがあります。今般のイスラエルによるガザ地区に対する蛮行も、イスラエル側が育てたともされるハマスによるテロ行為が引き金となっており、いわば、‘偽旗作戦’の一種であるのかもしれません。結果として、過激化=非合法行為を理由として抗議活動が潰されてしまうのです。

 外部者による支援や誘導があったとすれば、以上のような推測が成り立ち、慎重に事実を見極めるべき必要がありましょう。しばしば若者達の純粋な正義感は、政治的に利用されてきたからです。戦争にあって愛国心から死地に向かうのは若者でしたし、民主化運動のみならず、戦前の日本国において起きた二・二六事件も、農村部の貧困を憂う青年将校達の義憤があったとされています。利用されるリスクを考慮し、抗議活動とは距離を置きつつも、別の方法でイスラエルを批判したり、直接には同活動に参加しないまでも、陰ながら支持する学生も少なくないのかも知れません。

 ただし、今般の学生運動にあっても、一つだけ確かなことは、それが扇動されたものであれ、自然発生的なものであれ、多くの学生達がイスラエルのガザ地区住民に対する行為に憤慨し、それを直接並びに間接的に支援している全ての人々に対して反対を表明していることです。批判の矛先は、戦争当事国としてのイスラエルのみならず、アメリカ政府やイスラエル企業と連携する大学にも及んでいるのです。そしてそれは、イスラエル批判を権力や権威をもって‘上’から封じ込めとするユダヤ系勢力がコントロールするアメリカの現状であるのかも知れません。言い換えますと、重要なのは、ジェノサイドともされる非人道的な行為、そして、それを黙認するアメリカの現状に対して、若者達が自らの良心に照らして声を上げているという事実なのです。学生の多くは、パレスチナの支持者でもイスラム教徒でもなく、ましてや‘偽旗’組織の可能性が濃厚なハマスの味方でもないはずです。イスラエルの行為が、人類に対する普遍的な罪であるからこそ、抗議活動に参加したのでしょう。

 人種差別やユダヤ人迫害、そしてSGDsやLGBTQといった運動に対しては声高に他者を批判し、執拗に断罪しながら、イスラエルの非人道行為に対する批判に対しては言論を封じようとするリベラルの態度は間違っていると言わざるを得ません。イスラエルに対する抗議運動はアメリカの良心の現れであり、純粋な正義感や人類愛から活動に参加した学生達を、世代の違いに拘わらず、心ある人々はサポートすべきように思えます。退学処分という大学側からの脅しもあり、自らが不利な立場に置かれることを覚悟しながらも、見て見ぬ振りをする自分を許さず、抗議活動に参加した学生達こそ、真のアメリカのヒーロー達なのですから。

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‘法の支配確立’のための戦争の問題

2024年05月06日 12時41分49秒 | 統治制度論
 日本国政府は、事あるごとに国際社会における法の支配の確立を訴えてきました。中国、ロシア、北朝鮮さらには韓国など、お世辞にも高い遵法精神を誇る国とは言えない諸国に四方を囲まれているのですから、法の支配の確立が日本国の悲願であるのも当然のことです。日本国政府のみならず、アメリカやヨーロッパ諸国なども法の支配の重要性をアピールしており、先日、訪問先のアメリカで発表された日米首脳よる共同声明でも、日米同盟強化の文脈にあって法の支配の確立が共通の目的として謳われていました。

 平和的解決という人類普遍の価値を実現するためには、不安定で時にして気まぐれな任意の政府間合意に頼るよりも、法の支配の確立が最も望ましい形態です。全世界において法の支配が行き渡りますと、各国による国際法の誠実な遵守が戦争リスクを著しく低下させるからです。また、仮に国家間で何らかの紛争やトラブルが起きたとしても、国際司法制度が整備されていれば、武力に訴えることなく、中立公平な立場にある裁判を通して平和裏に解決することができます。法の支配を具現化する制度の構築こそ、国際社会に恒久的な平和をもたらすのです。

 法の支配の重要性は誰もが認めるところなのですが、その一方で、法の支配が主張される時、その目的についても、警戒心をもって注意深く観察すべきようにも思えます。人類の歴史を振り返りますと、平和の実現を口実として戦争が行なわれた事例が多々あるからです。日本国を見ましても、戦国時代にあって最終勝者となった徳川家康については、戦乱の世に終止符を打ち、天下泰平をもたらしたとする評価があります。‘戦争を終わらせるには戦争で勝たねばならない’、あるいは、‘戦争相手がいなくなれば戦争は起きない’という論理であり、戦争の勝者が平和の実現者として賞賛されるのです。

 力を解決手段としていた時代には、平和のための戦争にも一理があったと言えましょう。しかしながら、この理屈は、法の支配を確立するに際しても通用するのでしょうか。法という解決手段の有効性を人々が深く認識している今日にあって、‘法の支配の確立’が、戦争の正当なる根拠となるのか、これは、怪しい限りなのです。

 国際法の存在という面だけを見れば、確かに、侵略やテロ等の行為は国際法において禁じられ、多くの分野で法が制定されております。しかしながら、法の存在は、必ずしも法の支配とはイコールではありません。例えば、ウクライナ紛争やイスラエル・ハマス戦争では、違法性は開戦の口実として用いられています。国際法違反の行為に対しては、正当防衛権を発動することはできますので、国際法が戦争を正当化してしまうのです。つまり、このケースでは、国際法の存在は、司法解決に貢献するのではなく、むしろ、防衛戦争を合法化してしまう方向に作用してしまうのです。この側面は、枢軸国側の侵略行為を連合国側が戦争事由とした第二次世界大戦に既に見られ、国際法が戦争を‘合法的’に誘発しかねないリスクを示唆しています。いわば逆効果とも言えるのですが、この状態が続く限り、戦争をこの世からなくすことは難しくなります(戦争を望む側による相手側に違法行為をさせるがための挑発や工作もあり得る・・・)。

 そして、日米同盟の結束強化の目的が法の支配の確立に置かれている現状にも、同様のリスクを読み取ることができます。南シナ海問題において常設仲裁裁判所の判決を破り捨て、台湾の武力併合を公言しても憚らない無法国家である中国の脅威を考慮すれば、法の支配の確立は、両国民から理解を得やすい説明ではあります。しかしながら、このことは、‘平和のための戦争’と同様に、法の支配の確立を掲げた戦争もあり得ることを意味します。そして、戦争目的としての法の支配の確立は、第三次世界大戦並びに核戦争への導火線ともなりかねないのです。仮に対中戦争の勝利によって国際社会に法の支配を確立するならば、戦場は台湾に留まらず、中国全域を占領し、共産党一党独裁体制を崩壊させた上で、改めて国際司法制度に組み入れる必要があるからです(もっとも、現状では、組み入れるべき国際司法制度も十分に整備されていない・・・)。

 法の支配の価値とは、法の存在そのものにとどまらず、力に頼らずして平和的な解決を可能とするところにあります。武力による解決から脱するところに、真の人類史的な価値があると言えましょう。全ての諸国が信頼を寄せ、安心して利用できる中立・公平な司法システムを構築しないことには、国際社会において法の支配が確立したとは言えないように思えるのです。

 この意味において法の支配の確立を目指しているならば、日米両政府とも第一に取り組むべきは、軍事同盟の強化ではなく、武力を用いずに平和的な解決を可能とする国際司法制度の考案であり、具体的な制度構築なのではないでしょうか。台湾問題についても、台湾の法的な地位確認を国際司法機関に付すなど、中国を司法解決の方向に誘導する、すなわち、台湾侵攻を諦めさせる方法はないわけではありません。こうした努力なくして法の支配の確立を訴えても説得力に乏しく、むしろ、世界権力の戦争ビジネスのために同価値が悪用されているのではないかと疑うのです。

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コロナ禍再来を前提とする「新型インフルエンザ等対策政府行動計画案」

2024年05月03日 11時57分26秒 | 日本政治
 今般、政府は、新型コロナウイルスに対する政府の対応が不十分であったとして、感染症対策強化のための体制構築に乗り出しております。この流れの中で、「新型インフルエンザ等対策政府行動案」が作成され、現在、内閣感染症危機管理統括庁のパブリックコメントに付されております。しかしながら、この‘政府行動計画’、国民にとりましては、感染症をも越える重大なリスクとなるようにも思えます。

 内閣感染症危機管理統括庁とは、司令塔機能の強化を目的として昨年9月に新設された機関です。このため、内閣総理大臣⇒内閣官房長官・担当大臣⇒内閣感染症危機管理総括庁というトップ・ダウンの指揮命令系統が整えられています。憲法改正の論点となっている緊急事態条項と同様に、有事に際して権力を首相(リーダー)に集中させる方向での制度改革であったと言えましょう。この側面からして、既に世界権力の陰が見え隠れするのですが(決定者は世界権力・・・)、先ずもって疑問となるのは、政府が、新型コロナウイルス型の感染症拡大が、今後とも繰り返されると想定している点です。

 実のところ、新型コロナウイルスの発生源については、未だに特定されていない状況にあります。昨今、発生源に関する情報数が減少してはいますが、中国武漢市の海鮮市場における野生コウモリの取引により生じたとする説がある一方で、同市にはレベル4のウイルス研究所が設けられているため、人為的あるいは過失による人工ウイルスの流出説もあります。最先端の遺伝子工学の研究機関でもある同研究所では、ウイルスの機能獲得に関する実験等も行なわれていたからです。後者の説の方が遥かに信憑性が高く、アメリカ政府も、基本的には武漢ウイルス研究所流出説の立場にあります。その後、同武漢ウイルス研究所流出説に対抗するかのように、中国側は、アメリカの米陸軍基地フォート・デトリックからの流出説を唱えるようになり、米中間で責任のなすりつけ合いが演じられたのです。さらには、武漢ウイルス研究所に対しては、アンソニー・ファウチ氏が所長であった国立アレルギー感染症研究所(NIAID)が業務委託した非営利団体「エコヘルス・アライアンス」を介して資金が提供されていたとの報道もあります。新型コロナウイルスの起源の解明には徹底した調査を必要としながら、未だに不明なのです。

 もっとも、米中何れであれ、‘米中合作’であれ、人為的な流出説、もしくは、散布説の方が有力です。多くの人々が、WHOも絡むパンデミック化を含め、コロナ禍については事件性や謀略を疑っていることでしょう。ところが、少なくとも日本国政府は、中国が最初に主張する自然発生説を‘公式見解’としているのです。上述した「新型インフルエンザ等対策政府行動計画案」でも自然発生説を前提としており、対策強化の根拠として、途上国等における野生動物を介した未知のウイルスによる感染症の発生を挙げています。

 しかしながら、たとえ自然発生説を採ったとしても、コロナ禍が繰り返されるとは限りません。中国では、生鮮市場で食料品として売られているぐらいですから、中国人にとりましては、コウモリは、日常の食卓には上らなくとも伝統的な食材ではあったのでしょう。それにも拘わらず、21世紀に至るまで、中国食文化圏では、コロナウイルスを媒介とした感染率、重症化率、致死率の極めて高い感染症の爆発的な拡大は起きていなかったようです。また、既に人類未踏の地もなく、未知の動物も殆ど存在しない現代という時代にあって(ましてや、ワシントン条約で保護こそされ、人々が触れたり食材として市場で販売されるはずもない・・・)、自然に新たな感染症が発生する確率はそれ程には高いとも思えないのです。

 そして、何よりも、経路の如何に拘わらず、上述したようにウイルスの人為流出が事実であるならば、早急に整えるべきは感染症対策の体制ではなく、有害ウイルスの管理体制のはずです。故意であれ、不注意であれ、または、自然のウイルスであれ、人工ウイルスであれ、研究機関等からのウイルスの流出さえ起きなければ、コロナ禍の再来も起きないのですから。もしくは、国際法禁じられている生物化学兵器の秘密開発が疑われるならば、これもやはり国内レベルでの対応ではなく、国際司法の場で追求されるべき案件となりましょう。

 次なるコロナ禍の発生確率が低いにも拘わらず、あたかも次なるコロナ禍が既定路線であるかのように対策を急ぐ日本国政府の姿勢は、新型コロナウイルス陰謀説の信憑性を高めこそすれ、国民の理解を得るのは難しいように思えます。原因不明の状態にありながら、首相をトップとする上意下達の指揮命令系統をもって有事体制を構築しようとする背景には、一体、何があるのでしょうか(トップの指令一つで行動計画が発動し、即、実行に移される・・・)。それとも、次なる人為的なコロナ禍が計画されているからなのでしょうか。ウイルスは生物兵器ともなり得ますし、工場で生産されるmRNAワクチンも化学兵器の一種となり得ます政府の行動計画では、対策としてワクチン接種に重点が置かれていますが、政府の根拠曖昧な行動計画は不気味でもあり、自国民を危険に晒すのではないかと深く危惧するのです。

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為替介入リスクとしての‘ソロスの罠’

2024年05月02日 12時02分24秒 | 日本政治
 ‘ソロスの罠’と申しますと、ギリシャ神話の中に登場する寓話のようにも聞えるのですが、この言葉は現代という時代に起きた出来事を表しています(因みに造語です・・・)。どのような出来事であるのかと申しますと、政府による為替介入には、民間投資家が仕掛けた罠にかかるリスクがあるというものです。

 今を遡ること凡そ30年前の1992年9月、イギリスは、ポンドは為替相場の急激な下落による深刻な通貨危機に見舞われます。その原因となったのが、イングランド銀行による外国為替市場における市場介入でした。もっとも、この市場介入は、当時、ポンドもユーロの準備段階として設けられていた欧州諸国通貨間の為替安定システムであるEMSに加わっていたため、義務的なものでした。この政府の介入義務を逆手にとって通貨危機を仕掛けたのが、かのジョージ・ソロス氏であったのです。

 ソロス氏の作戦とは、最初にポンドを市場で大量に売却し、イングランド銀行に介入義務が生じるレベルまで相場をポンド安に導きます。同下落に対応するために、イングランド銀行は、保有する外貨準備を投入してポンドの価値を買い支えることとなります。しかしながら、外貨準備は無限ではありません。外貨準備が底を突いた途端、ポンドの価値は急落してしまうのです(同通貨危機で、ソロス氏は莫大な利益を得ている・・・)。

 ‘イングランド銀行を潰した男’という異名をとることともなったのですが、かくして、‘ソロスの罠’とは、政府に市場介入を行なわせるために仕掛ける通貨安誘導作戦と言うことになります。言い換えますと、‘ソロスの罠’は、通貨安に際しての中央銀行の市場介入には警戒すべし、という歴史の教訓なのです。

 今日、日本国でも、一向に止まらない円安により、政府に対策を求める声も上がっています。為替政策における対策の主要なる手段は、政府・日銀による為替介入と見なされがちですので、世論も市場介入を求めている観もあります。しかしながら、‘ソロスの罠’の教訓に照らしますと、政府による円安是正を目的とした市場介入も、手放しには歓迎できないこととなりましょう。

 実際に、4月29日には、午前10時半頃に160円台まで下落した円相場が、午後には二度に亘って5円ほど上昇を見せたため、日銀による「覆面介入」が噂されています。規模で言えば5兆円ほどなそうですが、今後とも、保有国債等を売却すれば200兆円ほどの介入資金は準備できるそうです。もっとも、報道記事に依れば、米国債を売却すれば米国の長期金利が上昇するため、さらなる日米金利差による円安を招きかねないとして、介入資金200兆円説には疑問を投げかけています。

 昨今の円安の背景には日米間の金利差があり、円を売ってドルを買い、金利の高い米国内に投資・運用するという動きが民間金融機関や一般国民にも広がっています。この点に注目しますと、円安には原因があるのですが、4月29日の値動きを見ますと、海外投資家(投機家)の動きが相場を主導しているようにも見えます。何故ならば、午前における160円台への下落は、4月26日に開催された金融政策決定会合での現状維持の決定に応じて生じているからです。つまり、金曜日の決定が週明け月曜日29日の午前中に円安反応を引き起こしているのです。

 それでは、29日午前における急激な円安は、一体、何を意味するのでしょうか。金融政策決定会合では、長期国債の買い入れ規模の縮小や利上げが見送られており、これらの決定が円安要因であることは確かなことです。このため、もちろん、今後のさらなる円安を見越して内外の金融機関が円売りに走ったとする見方もありましょう。しかしながら、同会合での決定は基本的には‘現状維持’ですし、二度の乱高下も即時的な反応ですので、政府・日銀の介入を誘発するための海外投資家が戦略的な円売りを行なった可能性も捨てきれないのです(介入により円相場が上昇した時点で円安時に手に入れた円を売れば収益が出る・・・)。

 その一方で、市場介入によって日本国政府は、過去の円高時に安値で購入したドルやドル建て債券の売却により巨額の利ざやを得ており、日本国政府が最大の利得者との指摘もあります。また、外国為替特別会計に計上される同利益は、国民に還元されるべきとする意見も見受けられ、増税圧力を軽減させる効果も期待できるかも知れません。必ずしもマイナス面ばかりではないものの、介入効果は短期的ですし、外貨準備の減少は、長期的には貿易赤字国に転じた日本国をさらに衰退させる要因ともなりましょう(円安による外貨獲得効果も相殺となり、将来的には介入余力も失う・・・)。そして、日本国の政府・日銀による市場介入が海外投資家によって仕組まれたものであるならば、最大の利得者は、これらの人々であるのかも知れません(あるいは、人ではなく相場の流れを読んでAIが判断している?)。‘ソロスの罠’のリスクがある限り、政府・日銀による市場介入には慎重さを要するように思うのです。

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第三次世界大戦計画と日米軍事統合論-‘グローバル’と‘リーダーシップ’が示唆するもの

2024年05月01日 11時58分50秒 | 国際政治
 台湾有事の懸念や尖閣諸島問題もあって、近年、日本国の自衛隊とアメリカの米軍との連携強化が図られてきました。この流れは岸田政権に始まったわけではありませんが、今年4月10日で訪問先のアメリカで開かれた日米首脳会談では、日本国の自衛隊と米軍との間の「指揮統制枠組みの向上」が合意されています。同合意は、「未来のためのグローバル・パートナー」と題された共同声明で発表されましたが、アメリカのバイデン大統領は、「日米のパートナーシップは真に地球規模に変化を遂げた。岸田首相の勇気あるリーダーシップのおかげだ」と述べ、‘グローバル’が強調されると共に、岸田首相の‘リーダーシップの発揮’を手放しに礼賛しています。

 今日の国際情勢を見ますと、ウクライナ紛争におけるゼレンスキー大統領の不自然すぎるNATOの巻き込み願望や、イスラエル・ハマス戦争におけるこれもまた不自然なイランとの対立激化など、第三次世界大戦への導火線と見られる現象が相次いでいます。その背景には、世界権力による第三次世界大戦計画の存在が推測されるのですが、アジアの発火点は台湾とする指摘もあります。こうした第三次世界大戦計画の文脈から今般の日米連携強化を見ますと、同計画の実在性に対する確信がますます高まってまいります。

 今般の日米共同声明にあって同視点から注目すべきは、‘グローバル’並びに‘リーダーシップ’の二つの言葉であるかも知れません。何故ならば、世界権力の視点からしますと、第三次世界大戦を計画通りに引き起こし、大戦争にまで発展させるためには、全世界を二つの対立する陣営に分裂させると共に、各国のトップを‘指揮統制枠組み’に組み込む必要があるからです。

 第三次世界大戦のシナリオにおいて設定されている二つの陣営とは、当然に、アメリカを中心とする陣営と中ロ陣営、すなわち、自由主義陣営対全体主義陣営と言うことになりましょう。もちろん、これらの陣営は人為的な誘導によって形成されたものであり、陣営間のイデオロギー対立も、表面上の見せかけに過ぎません(自由主義国にあっても、必ずしも国民の自由が保障されているわけでもなく、民主主義の形骸化も著しい・・・)。世界権力は、対立する両者を上部から操る二頭作戦を展開してきましたので、表面的で分かりやすい対立を演出するだけで構わないのです。

 その一方で、世界大戦ともなりますと、両陣営の軍隊を自らの‘指揮下’に置く必要があります。中ロ陣営に関しては、中国では習近平独裁体制の下で‘戦争ができる人民解放軍’に向けた改革を進めてきましたし、ロシアについても、世界経済フォーラムがグローバル・リーダーに選ぶくらいですから、プーチン大統領も、世界権力による人事配置なのでしょう。そして、この必要性からしますと、アメリカと軍事同盟を結んでいる諸国の軍隊については、一先ずは、アメリカの指揮命令系統に取り込む方が好都合なのです。

 日本国では、日米同盟における「指揮統制枠組」の見直しに先立って、2024年、つまり今年内に自衛隊の陸海空軍を統括する「統合作戦司令部」が創設される予定です。おそらく、同司令部の設置もアメリカ側、否、グローバルな指揮命令系統の全面的掌握を目指す世界権力からの要請を受けた結果なのでしょう。そして、日米間の「指揮統制枠組み」の見直し案も、その詳細は煮詰まっていないものの、ハワイに置かれているインド太平洋軍の権限強化が主要な改革の柱となっており、同軍が日本国側の「統合作戦指令部」との調整に当たるとされています。

 この方針から近い将来において台湾有事等が発生した場合を予測しますと、日本国の自衛隊は米軍の指揮の下で‘現地部隊’として戦わされる、という未来もあり得ないことではありません。そして、仮に両陣営間のミサイル攻撃の応酬となれば、アメリカは後方の安全地帯に身を置く一方で(司令部はハワイに設置・・・)、攻撃対象となった日本国は、壊滅的な被害を受けることともなりましょう。世界権力からしますと、日本国の犠牲などグローバルなシナリオの一幕でしかないのです。因みに、今年の4月4日に公表された「アーミテージ・ナイレポート2024」でも、統合された同盟が謳われています。

 世界権力による第三次世界大戦計画には、全世界の軍隊に関する指揮命令系統の完全掌握、並びに、各国のリーダーの座に自らの配下の者を置くことが必要であるとしますと、今般の動きは、まさしく同方向性に沿っていると言えましょう。第三次世界大戦という‘グローバル’な戦争を各国首脳の‘リーダーシップの発揮’において実現するために。

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