万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日本国は台湾有事で第二のウクライナに?

2024年12月10日 11時58分46秒 | 国際政治
 非核保有国であるウクライナの運命は、同国と同じく核を保有していない日本国ともオーバラップします。「ブタベスト覚書」が存在しながら、‘核の傘’を提供する国が現れなかったように、日米同盟が存在していても、必ずしも‘核の傘’が開くとは限らないからです。核保有国と非核保有国との間の絶対に越えることができない軍事力の差は、NPTを遵守してきた非核保有国にとりましては死活問題となります。

 この点に注目しますと、東アジアにおける台湾有事は、アメリカを介して日本国をも第二のウクライナの立場に追い込むリスクがあります。アメリカと台湾との準同盟関係が日米同盟に連鎖する可能性が極めて高いからです。否、アメリカ側は既に自衛隊の参加を織り込み済みなのでしょうし、日本国側も効果的な日米合同軍事行動の実現を目指して着々と法整備を進めています。もっとも、米シンクタンクのシミュレーションに依れば、多少の犠牲を払ったとしても、何れもアメリカ側が台湾から人民解放軍を追い出し、最終的に勝利を収めるとしていますので、‘勝ち戦’の予測から日本国の参戦については楽観視する空気があります。

 しかしながら、中国は、‘負け戦’を認めるでしょうか。ウクライナ戦争では、ロシアは、通常兵器による戦いで敗北するぐらいなら、自国の「核抑止力の国家政策指針」に基づいて核兵器を使用すると公言して憚りません。中国の習近平国家主席もまた、自らの面子を保つためにも核兵器の最終的な使用を選択肢に含めていることでしょう。否、周辺諸国の反発から公表は控えているものの、政権内部にあって中国版「核抑止力の国家政策指針」が既に策定されていると考える方が妥当です。中国もまた、威嚇を含めて核の効果的な使用を自らの国家戦略に組み込んでいることでしょう。

 中国による核使用が一般的な予測の範囲内にあるとしますと、台湾有事における日本国の事実上の参戦は、台湾のみならず、日本国をも窮地に追いやります。両国共に非核保有国なのですから。最悪の場合、中国は、アメリカとの核戦争だけは回避したいがために、‘核の傘’が開かないことを見越して、米軍基地への攻撃を口実として日本国に対してのみ核攻撃を加えるかも知れません(日本国に対する核攻撃を機にアメリカの世論が硬化し、台湾防衛を断念して撤退に動くかも知れない・・・)。あるいは、米中両国が核の使用を自制しているとするパフォーマンスの下で、ウクライナのように通常兵器による戦争が‘だらだら’と続いてゆくとも考えられます。通常兵器戦であっても、兵器がハイテク化した今日では、その破壊力は飛躍的に高まっています。‘超限戦’ともなれば、生物化学兵器の使用やサイバー攻撃等もあり得ることとなります。何れにしましても、日本国並びに日本国民の被害は、第二次世界大戦時を凌ぐかも知れないのです。

 中国の習近平国家主席が台湾侵攻を決断する時とは、自国の勝利を確信するか、あるいは、勝敗に関係なく、第三次世界大戦シナリオにあって世界権力によって命令を受けた時となりましょう。今日の国際情勢を見ておりますと、あたかも連携するかのように各国が陣営形成に急ぐ節が見られ、後者の可能性の方が極めて高いように思われます。この場合、日本国の危機はさらに深まります。日本国の破壊や人類支配が、第三次世界大戦を引き起こす目的の一つであるのかも知れないのですから。

 非核保有国の安全をどうのようにして護るのか、と言う問題は、今や日本国のみならず人類共通の緊急課題でもあります。この問題に関連して、昨今、トランプ次期大統領は、NATOからの脱退を仄めかして周囲を慌てさせています。その真意はアメリカの負担軽減にあるともされますが、やがては日米同盟の終了をも言い出すかも知れません。それが、交渉上の‘ブラフ’であれ、第二次世界大戦後のアメリカを中心とした同盟網による‘西側’の安全保障体制は、今日、重大なる転換期を迎えつつあるとも言えましょう。そしてそれは、今後、国際社会はどうあるべきなのか、という、NPT体制の見直しを含めた全人類の未来にも関わる重大問題であると思うのです(つづく)。

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NPT時代の残酷な戦争

2024年12月09日 11時55分02秒 | 国際政治
 ウクライナ紛争は、それが非核兵器保有国と核兵器保有国との間の戦争に発展したため、NPT体制を根底から問い直す機会ともなりました。何故ならば、50年代に始まるNPTの成立過程にあって、核保有国対非核保有国との間の非対称な戦争は想定されていなかったからです。戦後、アメリカの核独占状態が崩れ、ソ連邦をはじめ各国が核兵器を開発・保有に成功する中、核兵器の拡散を防ぎ、核戦争の恐怖から人類を解放することが、NPTの主たる目的であったのですから。言い換えますと、核戦争の未然防止策として始まったのが、同条約に基づく核放棄の義務化であったのです。因みに、1958年にNPT構想を発案したのは、当時、アルランド外相であったフランク・アイケン(Frank Aiken)であったとされます。

 未然防止策とは、時にして、その防止したはずの事柄が起きてしまう可能性を忘れがちです。未然に防止したのだから、懸念すべき出来事は起こらないと信じてしまうのです(‘結果の先取り’思考・・・)。とりわけ、安全面において深刻なリスクとなるのは、手段の保有を禁じつつも、全てのメンバーがこれを放棄しない場合です。何故ならば、一方的に放棄した者は、平時の抑止力のみならず、有事の正当防衛の手段さえも失うからです。この問題は、日本国の憲法第9条にも通じており、軍事力の放棄=平和という命題がたとえ‘真’であったとしても、それが一国のみでは意味がないどころか、むしろ戦争を誘発する要因になり得る現実に目を瞑りがちなのです。NPTの場合もこの傾向が顕著であり、誰もが核兵器の放棄=平和という等式を信じて疑おうとはしませんでした。否、NPTを疑いますと、‘異端’と見なされかねなかったのです。

 かくして、NPT加盟国は増加の一途を辿る一方で、トラテロルコ条約(中南米33カ国:1968年発効)、ラロトンガ条約(南太平洋諸国:1986年発効)、バンコク条約(東南アジア諸国:1997年発効)、ペリンダハ条約(アフリカ諸国:2009年発効)、セメイ条約(中央アジア諸国:2009年)など、今日に至るまでに地域的な非核化条約が凡そ10年おきに成立していきました。1992年には、韓国と北朝鮮の間で「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」まで打ち出されていますので、非核化は抗いがたい時代の大きな流れともなったのです。

 しかしながら、今日、人類が直面しているのは、NPT体制に起因する戦争であり、核戦争の恐怖です。その根底は、上述したように、未然防止策にありがちな‘結果の先取り’問題があります。性善説に基づく未然防止策が描いて見せた平和な未来は、一国でも性悪な国が出現した途端に幻として消えてしまいます。そこに残されるのは、‘持てる国’と‘持たざる国’との間の残酷なまでの不平等な格差です。後者は、前者から戦争を仕掛けられた場合、決して勝つことが出来ないからです。それが、人道に反し、国際法に違反する侵略やジェノサイドを伴うものであったとしても・・・。

 未然防止策に潜む破綻リスクを考慮しますと、NPTとは、全ての諸国に対して正当防衛権を認めた国連の第51条をも空文化したとも言えます。圧倒的に軍事力に差がある場合、正当防衛権とは、事実上、‘持っていても使えない権利’となるからです。ピストルを手にしている相手を前にしては、素手で自らの身を守ことができる人がいないのと同じことです。結局、NPT体制とは、抑止力を放棄した大多数の中小諸国に対する、核という暴力手段を独占的に保有している軍事大国並びに‘無法国家’の勝利を保障しているに等しいと言えましょう(世界権力がNPT体制を堅持したい理由の一つでは・・・)。

 しかも、仮に非核保有国が核保有国に対して通常兵器で自国の勝利寸前まで追い込んだとしても、相手国の核兵器の使用によって一瞬のうちに形勢を逆転され、多くの自国民が被爆すると共に国土が焦土と化してしまいます。軍事同盟によって‘核の傘’を核保有国から提供されている国も、自らも核攻撃を受けることを覚悟してまで同盟国が核兵器での報復を行なってくれると信じてはいないことでしょう。否、軍事同盟の信義から‘核の傘’を開いた時こそ、人類が遂に双方が核ミサイルを撃ち合う核戦争に見舞われるという‘終末の時’となるのです。

 残酷なるNPT体制の現実を直視しますと、ウクライナ戦争をこれ以上継続することは、犠牲ばかりが増えるのみであり、無意味で無駄なように思えてきます(利益を得るのは戦争ビジネスや戦争利権に与る勢力のみ・・・)。このように考えますと、ウクライナを核武装中立国としつつ、ロシアが自国に一方的に併合した地域については、住民投票を実施するなど、改めて国際法に則った手続きをもって法的地位を確定すべきではないかと思うのです。

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NPT体制維持のための茶番劇か-ウクライナの単独核武装を拒む勢力

2024年12月06日 10時48分49秒 | 国際政治
 ゼレンスキー大統領による停戦提案につきましては、NATO側はウクライナの早期加盟に否定的な態度を示す一方で、ウクライナに対する継続的支援については積極的な姿勢を見せています。その背景には、戦争ビジネスの温存があるのでしょうが、軍事同盟の連鎖経路を断つことによる第三次世界大戦の回避、並びに、同戦争に伴う関係諸国の国民の負担や犠牲等を考慮しますと、ウクライナの単独核武装こそ、現下にあっては最も望ましい方向性のように思えます。しかしながら、ウクライナの単独核武装が現状における最適解でありながらも、何故か、国際社会ではこの選択肢を潰そうとする人々が湧き出てきます。敵味方に関係なく、あたかも全員が結託しているかのように・・・。

 ウクライナの核武装につきましては、先ずもってロシアのプーチン大統領が脅しをかけています。ロシアが近年に策定した「核抑止力の国家政策指針」では、核使用条件の一つとして「通常兵器によるロシアへの侵略により存立危機に瀕したとき」と明記されています。同指針は、‘ロシアの安全のために非核保有国の核武装を阻止するために核攻撃’の可能性を強く示唆し、ウクライナの核武装にも適用されるものとして議論を呼んでいました。その後、同指針は先月の11月19日に改定され、「核保有国の支援を受けたロシアへの通常兵器攻撃」に拡大されることとなります。つまり、アメリカもまた核攻撃の対象に含まれることとなったのですが、この文脈において、ロシアは、ウクライナに対するアメリカの核ミサイル配備を牽制したとされます。

 実際に、11月28日付けの本ブログの記事で述べたように、ゼレンスキー大統領は、プーチン大統領の‘相応の反応’という表現による核の恫喝に屈するかのように核武装の断念を表明しています。また、バイデン大統領が「ブダペスト覚書」に基づいてアメリカに引き渡されたウクライナの核兵器の返還の可能性を示唆したことに対して、プーチン大統領は、「われわれと戦争をしている国が核強国になれば、すべての破壊手段を使ってこれを許さない」と脅しています。そして、プーチン大統領の同脅迫に呼応するかのように、アメリカのジェイク・サリバン大統領補佐官は、ウクライナへの核兵器返還は考慮していないと述べているのです。ここでも、アメリカがロシアの恐喝に屈しているのです。なお、同問題については日本国も無関係ではなく、アメリカによる日本国内へのミサイル配備について、同様の核の恫喝をロシアから受けています。

 以上に述べてきましたように、ロシアの昨今の核ドクトリンには、単独武装であれ、同盟国であれ、ウクライナその他の諸国の核武装は、核兵器の先制攻撃をもってしても阻止するとする強い意志が覗われます。しかしながら、ロシアの脅しに易々と屈するウクライナやアメリカの反応は、いかにも不自然です。ロシアこそ、ウクライナとの開戦後にベラルーシに核を配備していますし、今年の6月に「包括的戦略パートナーシップ条約」を締結し、軍事同盟国となった北朝鮮にももちろん核は‘配備’されています。ロシアの態度は、‘自分には許して他者には許さないという’呆れかえるほどの自己中心的な傲慢さなのです。そして、この恫喝を認める側も、呆れかえるほどの‘素直さ’と言えましょう。

 この点、ソ連邦時代の1979年12月12日には、「NATOの二重決定」が採択されています。1972年に核搭載ミサイルであるSS-20弾道ミサイルを配備したソ連邦に対して、軍縮を推進する一方で、NATO側も中距離核兵器を配備するとする決定です。このときには、NATO側は、ソ連邦の核戦力強化に対して核の抑止力、即ち、核の均衡の観点から同レベルの核兵器の配備をもって応じています。ところが、今般のアメリカの対応は、核の先制攻撃を含むロシアの一方的な核戦略を認めており、対抗処置を採ろうとしないどころか、自発的に核武装や核配備路線を放棄し、ロシアの前に膝を折っているのです。因みに、両陣形の中距離核兵器は1987年に米ソ間で締結された中距離核戦力全廃条約(INF)により撤廃されるのですが、SS20弾道ミサイルは、今日、ウクライナの航空博物館並びにキエフの大祖国戦争博物館に展示されているそうです。

 戦争当事国が核兵器を保有できないとする状態は、第二次世界大戦末における核兵器開発競争を思い起こせばあり得ないことなのですが、今日では、NATO諸国でもニュークリア・シェアリングも行なわれており、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコの五カ国にはアメリカの核が既に配備されています。同盟国に対する核配備や‘核の傘’の提供は、核の拡散を禁じるNPTにあっても一先ずは許されていますので、自らも同盟国に核を配備しているロシアには、なおさらにこれを否定する立場にはないはずなのです。

 この理解に苦しむアメリカの露骨な屈服は、‘茶番’をもってしか説明できないようにも思えます。核の独占を許すNPT体制こそが、世界権力による支配体制を支える重要な基盤の一つであるからです。そして、それが核保有国による核の恫喝と先制使用を認めるという意味において、NPTの存在意義をもその根底から否定していることに(NPTの維持のために核戦争が起きかねない矛盾・・・)、どれだけの人々が気ついているのでしょうか(つづく)。

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NATOによるウクライナ加盟拒否の思惑

2024年12月05日 12時16分45秒 | 国際政治
 ウクライナのゼレンスキーが提案したNATO加盟とロシア占領地域の現状維持をセットとした停戦案は、早くもNATO側の加盟拒否という壁にぶつかってしまったようです。冷静に未来を予測すれば、何れか一方によって停戦が破られた時点で第三次世界大戦に発展しかねないのですから、NATO側もおいそれとは加盟を認めるはずもありません。

 盧溝橋事件をはじめ、戦争の発端が何者か、あるいは、第三者による工作であった疑いのある場合も多く、当事者双方が遵守しようとしても、外部者の思惑によって停戦の合意が破られるリスクもあります。つい数年前の2022年9月に起きた「ノルドストリーム」爆破事件でさえ、真相が全て明らかになっているわけではありません。この事件では、デンマーク沖のバルト海に敷設されていた天然ガスの海底パイプラインが、何者かの手によって爆破されています。ロシア犯行説をはじめとして様々な説が飛び交ったのですが、仮に、アメリカのウォールストリート・ジャーナル紙が報じたように、訓練を受けたウクライナ兵が同事件の実行犯であり、ゼレンスキー大統領の反対を押し切ってこの工作を命じたのがヴァレリー・サルジニー総司令官であったとすれば、停戦後も同様の事態が起きることは予測の範囲内です。因みに、サルジニー氏は、2024年3月にゼレンスキー大統領によって駐英ウクライナ大使に任命されており、この人事が同氏を‘危険人物’とみた左遷であったのか、爆破の功績を認めての栄転であったのか、あるいは、イギリス絡みの何らかのネットワークに関連してのことなのか、同情報だけでは判然とはしません。

 何れにしましても、ゼレンスキー大統領並びにその背後に控える世界権力にとりましては、同停戦案に基づくウクライナのNATO加盟が最も望ましい未来であったのでしょう。自らの望むときに、何時でも第三次世界大戦を引き起こせるのですから。しかしながら、この案は、既に多くの人々によってリスクが認識されていますので、同案の実現は望み薄です。そこで、同勢力にとりましての次善の策となるのが、ウクライナがNATO非加盟の状態で通常兵器による戦争を続けつつ、チャンスを狙って第三次世界大戦に持ち込むという作戦なのかもしれません。

 同作戦では、NATOはウクライナ加盟による第三次世界大戦リスクを回避し得る一方で、自らを戦場となすこともなく、また、軍人を含めて自国民を犠牲にすることなくして戦争を継続することができます。戦争が継続している間は、兵器は消耗品ですので軍需産業には常に利益が転がり込んできます。兵器の製造や販売等によって利益を得る戦争ビジネスにとりましては、戦争の早期終結こそが‘悪夢’なのです。戦争に対する認識が一般の人々とは真逆と言えましょう。

 アメリカを筆頭に、フランスやイギリス等の諸国も自国内に軍事産業を抱えており、それらが金融・産業財閥である世界権力の傘下にある現状からしますと、ウクライナ加盟案が第一候補ではなく、むしろ、第二候補となる同案へと引き込むための‘囮’のようにも思えてきます。

 この路線については、フィナンシャル・タイムズとのインタヴューにおいてNATOのルッテ事務総長は、ウクライナのNATO加盟には難色を示しながらも、同国への支援継続については前向きな姿勢を示しています。また、欧州諸国が資金のみを提供し、兵器等の製造はウクライナ国内で行なうとするデンマーク方式も、欧米系の兵器製造メーカーによる製造拠点の移転として理解することもできましょう。あるいは、巨額の債務を抱え、かつ、腐敗大国のウクライナのことですから、支援金は債務返済に充てられるか、あるいは、闇に消えてしまうかも知れません。アメリカにあってトランプ次期大統領の当選が決まった直後に岩屋外務大臣がウクライナに飛び、支援継続を約束するぐらいですから、日本国政府も同路線に同調しているのでしょう。

 かくして、第二案は、戦争利権に与る勢力にとりましては望ましいのですが、何れの国でも、その負担は国民に重くのしかかります。戦争当事国のみならず、支援国の国民もまた間接的ながらも‘犠牲者’であるとも言えましょう。日本国民を含む関係諸国の国民負担に鑑みますと、戦争の早期終結は急がれるのですが、NATO加盟と停戦とをセットとしたゼレンスキー大統領の非現実的な提案はむしろ障害となり、停戦を遠のけてしまいかねません。そして、他の諸国の国民の立場も考慮すれば、現時点における同問題に対する最善ではないにしても最も犠牲の少ない方策とは、ウクライナの単独核武装ではないかと思うのです(つづく)。

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ゼレンスキー提案はミュンヘンの宥和の再来?

2024年12月04日 11時48分24秒 | 国際政治
 アメリカにおける第二次トランプ政権の発足を前にしてウクライナのゼレンスキー大統領が提示した和平案は、既に暗礁に乗り上げているようです。昨日の12月3日からベルギーのブリュッセルにてNATOの外相会議が始まりましたが、この席でも、アメリカやドイツ等の主要国もウクライナのNATO加盟には難色を示していると報じられています。もっとも、アメリカの消極的な姿勢はバイデン現民主党政権によるものですので、来年1月にトランプ政権が発足した以降は、トランプ大統領が自らの選挙公約を果たすためにゼレンスキー提案に乗ってくる展開もあり得ないわけではありません。

 しかしながら、世界大戦というものが、世界権力による誘導であった可能性を考慮しますと、ゼレンスキー提案は大いに警戒すべきです。そして、ここで思い出されますのが、イギリスの痛恨の失策とされる1938年9月29日の‘ミュンヘンの宥和’の前例です。当時、イギリスの首相であったネヴィル・チェンバレンはヒトラーの野望を見誤り、チェコスロバキア領であったズデーデン地方のドイツ併合を認めることで、ナチスとの和平を実現しようとしたとされます。ズデーデン地方はドイツ系住民が多数居住していましたので、ロシア系住民が多く住むウクライナ東部の状況とも類似しています。また、ヒトラーが、同地におけるチェコスロバキア政府によるドイツ系住民の迫害を主張していた点もそっくりです。‘ミュンヘンの宥和’につきましては、平和をもたらしたとして当時は国を挙げてチェンバレン首相の決断を称賛したのですが、その後の歴史を知る今日では、ヒトラーに対して侵略の心理的ハードルを下げるとともに、世界大戦準備のための時間的な猶予を与えたとして、評価が逆転してしまっています。

 この点についてはNATOのルッテ事務総長も同様の懸念を示しており、フィナンシャル・タイムズのインタヴューの中でロシアによる北朝鮮やイランに対する支援強化といったNATOに対する敵対的な行為が助長されるリスクを語っています。加えて、中国による台湾の軍事侵攻を誘発しかねないとして、ゼレンスキー提案に潜む危険性を指摘しています。この発言は、迂闊に和平案に飛びつくべきではない、とするNATOの事務総長としてのトランプ次期大統領に対する警告なのかもしれません。

 かくしてNATO側もゼレンスキー提案に潜む宥和リスクを強く意識していることがわかるのですが、同事務総長は、‘ミュンヘンの宥和’になぞらえてはいません。もちろん、今日のウクライナのケースでは戦争の未然回避ではなく既に交戦状態にありますので、状況の違いを認識してのことかもしれませんが、もう一つ上げるとすれば、ゼレンスキー大統領の‘怪しげな姿’が浮かび上がってしまうからとも考えられます。何故ならば、宥和策を言い出したのは、他でもない、ゼレンスキー大統領自身であるからです。これまで、‘ミュンヘンの宥和’の事例をもって国際社会に対して対ロ徹底抗戦を訴え、NATOの参戦まで主張してきたにも拘わらず…。

 和平案の発案者としては、戦争当事国のトップであるゼレンスキー大統領こそ、ミュンヘン会談におけるチェンバレン首相の立場となるのですが、ゼレンスキー大統領の宥和策、即ち停戦提案は、NATOの加盟という条件まで付いています。第二次世界大戦以上に明確なる第三次世界大戦への導火線までセットになっているのです(戦争と平和のセット…)。この点に注目しますと、同提案は、いかにも‘トリッキー’です。ゼレンスキー大統領は、これまでもNATOを参戦させるべく八方手を尽くしてきましたので、今般の停戦案も、トランプ大統領の早期停戦の公約を逆手にとった、巧妙な第三次世界大戦誘導策にも見えてくるのです(この点、韓国大統領による戒厳令の宣言もシナリオ通りに行動しただけである可能性も…)。

 そして、その指南役が存在するとすれば、それはおそらく過去の二度の世界大戦をも背後から操った世界権力なのでしょう。ミュンヘンの宥和につきましても、近年では、第二次世界大戦への準備期間が必要としたのはむしろイギリスではなかったのか、という説も唱えられています。戦争回避は表向きの時間稼ぎのための口実であり、1938年当時、敵味方を演じながら、主要各国は、それとは気が付かれぬように第二次世界大戦に向けて足並みを揃えていたこととなりましょう(つづく)。

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ゼレンスキー大統領の無理筋停戦案の思惑とは?

2024年12月03日 10時53分02秒 | 国際政治
 11月5日に実施された大統領選挙の結果を受けて、アメリカでは第二次トランプ政権の発足が確実となりました。トランプ次期大統領の対ウクライナ戦争の方針は、選挙戦にあって‘ウクライナでの戦争を24時間以内に終わらせる’と公言してきましたように、戦争の早期終結です。次期政権の方向転換を予期してか、報道に依りますと、ウクライナのゼレンスキー大統領もバイデン政権を後ろ盾として強気で遂行してきた戦争政策の見直しを迫られているようです。これまでロシアとの停戦にはいたって後ろ向きであったのですが、ようやく全占領地の奪還を条件としない停戦案を自ら提案したというのですから。その一方で、三次元的な視点からしますと、ゼレンスキー大統領の目的は別のところにあるようにも思えます。

 今般のゼレンスキー大統領による停戦案とは、ロシアが一方的に自国領に編入したロシア軍の占領地域を除くウクライナ領のみを集団的安全保障の対象とする形で、ウクライナがNATOに加盟するというものです。この案では、ウクライナのNATO加盟時の占領地の境界線が停戦ラインとなるため、ウクライナのNATO加盟が、即、NATOとロシアとの全面戦争を帰結するわけではありません。おそらく、ゼレンスキー大統領は、第三次世界大戦をもたらしかねない戦火拡大のリスクは低いのであるから、NATO諸国、否、アメリカのトランプ政権も同案に不満はないはずと言いたいのかも知れません。しかしながら、ゼレンスキー案は、あまりにも無理筋です。

 そもそも、ウクライナが停戦条件としてNATO加盟を迫ったとしましても、NATO加盟諸国の一国でも反対しますと、同案は実現しません。集団的自衛権の発動対象からロシア軍の占領地を除くとしましても、停戦協定が当事国双方によって厳格に守られる保障はありません。言い換えますと、戦争拡大のリスクが残されているわけですから、特に歴史的にロシアの脅威に晒されてきた北欧や中東欧諸国にあっては、ウクライナ加盟に反対する国が現れてもおかしくはないのです。

 また、NATOのリーダー格であるアメリカも、戦争の早期、否、即時終結というトランプ次期大統領の公約は果たせたとしても、将来における戦争拡大リスクを考慮すれば、同停戦案には慎重な姿勢を見せるかもしれません。トランプ次期大統領は、戦争そのものに否定的な立場にありますので、目先の拙速な停戦が未来の戦争を招くのでは、元も子もないからです。

 一方のロシア側も、ウクライナのNATO加盟については一貫して反対を表明してきました。同国への軍事介入も、その真の目的はウクライナのNATO加盟阻止にあったと指摘されるぐらいです。たとえ、今般の提案によって、当面の間は併合地を維持することができたとしても、プーチン大統領が、易々と停戦ラインの外側のウクライナ領にあってNATO軍が活動することを許すとも思えません。しかも、仮に、4年後の大統領選挙で民主党政権が返り咲けば、トランプ政権の反戦争政策は反故となるかもしれないのですから。ウクライナを緩衝地帯のままにして置きたいプーチン大統領は、少なくとも表向きは難色を示すことでしょう。ロシア領であるクルスク州からのウクライナ兵の撤退が停戦条件に含まれないとすれば、なおさらのことです。

 ゼレンスキー大統領の自己中心的な言動にはしばしば驚かされてきたのですが、関係諸国の立場を考えれば、同提案が必ずしも歓迎一色とはならないことは、容易に予測がつくはずです。しかも、目下、ロシア領であるクルスク州ではウクライナ軍が越境し、ロシア軍並びに北朝鮮兵士と交戦状態にありますので、停戦ラインを何処に引くのか、あるいは、NATO軍の関与のレベルという問題をめぐっても交渉は難航することでしょう。

 今般の提案には、幾つもの相当に高いハードルが聳えているように見えるのですが、ウクライナ戦争そのものが上部からコントロールされていると仮定しますと、同提案の意味するところも自ずと理解されてきます。つまり、ゼレンスキー大統領の口を借りた停戦案の第一義的な目的はNPT体制の維持であり、何としてもウクライナの独自核武装路線だけは避けたいとする世界権力の思惑が見え隠れしているのです。交渉が纏まっても、決裂しも、NPT体制を維持できる見通しがあるからです。しかも、停戦交渉が難航すれば、その間、戦争を続行することもできますので、戦争ビジネスにも好都合です。実際に、EUでは、ウクライナに資金を提供して現地で兵器を生産させるデンマーク方式が注目されていますし、アメリカでも、ジェイク・サリバン大統領補佐官がウクライナへの核兵器返還に関して否定的な姿勢を示しているのも、同方針に添っているとも推測されるのです(つづく)。

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猪口邦子参院議員宅火災の動画について

2024年12月02日 11時56分38秒 | 国際政治
 去る11月27日に猪口邦子参議院議員宅で発生した火災につきましては、様々な情報が飛び交っており、今なお不明な点が多く残されております。報道各社や警視庁等の発表内容にも一貫性がなく、事故であるのか、事件であるのかも分からない状況にあります。前者にしては不自然な現場の状況から後者である高いとする憶測もありますが、情報が不足し、かつ、フェイクニュースが混じっている可能性があるため、本日の記事では、同火災の真相に関する推測は控えるとしまして、テレビ局が放映した動画に見られる不審点だけを指摘しておきたいと思います。

 同火災の報道に際しまして、一つの動画が紹介されています。日本テレビ系の「情報ライブ ミヤネ屋」等で放映されたもので、その直後から‘放送事故’との批判が起きることともなりました。何故ならば、ベランダにあって轟々と燃えさかる炎を前にした人の姿が映されていたからです。同批判は、火災で犠牲となられた方の最期の姿を公開するのは報道倫理に反するというものであり、また、ご遺族の悲しみを慮って報道側の無神経さに眉をひそめる声もあったのです。激しいメディア批判の嵐が起きたために、同動画は視聴できない状態にあるものと思い込んでいたのですが、web上にあって削除されることがなかったのです(再生回数が1000万近く・・・)。

 問題視された動画が視聴可能な状況にある一方で、文字情報についてはその後、事件性を打ち消す方向の報道が増えているように思えます。政治家宅での火災ですので、安部元首相暗殺事件のように、明らかに矛盾点や不審点があったとしても、‘なかったこと’にされてしまう可能性もあるのですが、実際に問題の動画を視聴しますと、謎は深まるばかりです。

 日本テレビ側は、同動画は、一般の視聴者によって提供されたものと説明しています。この説明からしますと、火災現場の近隣の住民が撮影したものと推測されます。しかしながら、SNSでは既に同動画は、合成されたフェイク動画ではないかとする指摘があり、動画自体に対する疑問も呈されていました。今日では、生成AIを使用すれば、その道のプロではなくとも動画の加工や合成は難しいことではありません。フェイクの可能性を頭に入れた上で動画を改めて視聴しますと、確かに、合成されているようにも見えます。何故ならば、一続きの動画ではなく途中に断絶があり、およそ三つの場面がつなぎ合わされているからです。上述したフェイク疑惑の根拠は、最初のシーンではフェンスの外に立っていた人物が、その後のシーンではフェンスの内側にいることにあります。確かに、動画に映っていた人物の位置関係が不自然であり、最初から最後までを一つのカメラによって撮影されたとも思えないのです。

 この点、注目すべきは、二番目のシーンです。手にしたペットボトルを頭上に掲げ、液体を撒いているように見えるために、放火説が唱えられる根拠ともなったシーンです。このため、見る人の視線は同人物の動作に向かいがちなのですが、画面の右下側に注目しますと、そこには観葉植物のような植物の一部が映り込んでいることが分かります。地上6階の最上階ですので、周囲にこれを越える高さの樹木が植えられているわけでもありません。となりますと、二番目のシーンについては、ベランダの内側から撮影された可能性が高くなりましょう。

 ベランダ側にも監視カメラが設置されていたとも考えられますが、この説に従えば、動画の流出元として監視カメラを管理しているセキュリティー会社が最も疑われます。その一方で、第一番目のシーンは、明らかに外部から撮影されていますので、第一と第二のシーンは、別のカメラで撮影されたものを繋ぎ合わせたとしか考えられないのです。もっとも、二つの動画の合成であったとしても、ベランダの外側と内側という人物の位置の違いについてはこの仮説では説明が付きません。この点については、実際にはベランダに複数の人物が存在していたか(初期の報道と後の報道では、犠牲者数に違いもある・・・)、あるいは、同動画の各シーンはそもそも別の機会や場所で撮影され、火災の映像が加えられた可能性も生じてきます。

 最期に第三番目のシーンについて指摘すべき点があるとすれば、それは、むしろ過剰とも言えるSNSの反応です。何故ならば、同シーンでは、映像の人物はベランダ沿いに小走りに逃げているように見えるからです。同動画に対する主たる批判は、放送局が火災による犠牲者の最期の瞬間を公開するのは倫理に悖るというものですが、同シーンを見た多くの人々は、無事に避難したものと見なしたことでしょう。高層マンションのベランダには、避難用の階段が設置されているのが一般的であるからです。命が失われる瞬間でもなく、また、避難できた可能性を考慮しますと、テレビ局に対する頭ごなしのバッシングは、いささか酷なようにも思えます(世論誘導のためのSNS工作である可能性も・・・)。

 批判に晒された日本テレビ側は、「全国的にも関心の高いニュースの重要な情報を含んだ映像と判断した」と説明しています。以上に述べてきましたように、同動画に見られる不審点は、同火災が事件であった可能性を強く示唆しており、しかも、日本国の国会議員の自宅ですので、公開の判断は適切であったようにも思えます。そして、このことは、真相の解明には、先ずもって同動画の提供者について調べてみる必要がありましょう。なお、アメリカでも、同日、かの悪名高きロスチャイルド一族の一員であったウィル・ロスチャイルド氏が同様に不可解な火災で死亡しているともされ、何らかの国際的、あるいは、グローバルな動きとの関連性も否定はできないようにも思えるのです。

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