きちんと雨の降るユカタン南部に引っ越して、屋内のジメジメ対策にぜひ使いたいと思っていたものには、チュクム(天然素材の漆喰)の他にエネケン(サイザル麻)がある。両方とも、湿度が高いときには空気中の水分を吸い込んで乾燥していると吐き出すといった機能を持つ。
プログレソ港ができる前、その西の方にシサルという漁港の村があって、スペインはじめ欧米諸国はユカタンの緑のダイヤ(スペイン語で緑の黄金)であるサイザル麻をそこからガンガン旧大陸に輸出して稼いだ(奴隷扱いされていたマヤ人)。ってか、シサルという名前からサイザル麻と呼ばれるようになった。
化繊のない時代に大活躍したエネケン。
新居で壁一面に張るなんてことも考えたが、斜陽産業とまでは言わないが最盛期とは比べ物にならないほど生産が少なくて高価なので諦めた。そういう商品を作って販売している企業がオープンハウスをするというので、メリダから東へ20キロほど行ったモトゥルという村まで行ってきた。ちなみにユカタン南部のうちの村のあたりではほとんど生産してなくて、同じ農産物といっても食べ物だけ。
工場。
結構な規模(ユカタンでは…ですよ)の企業。メリダに販売店があるらしい。きっと金持ち向け。
自動織機。
オープンハウスと言いながら建物のほんの一角で割引品を並べたエリアだけがアクセス可能だったところ、製造について社員を捕まえて質問してたら機械エリアも少しだけ見せてくれた。が、繊維を取り出す機械は、危ないというので見学できなかった、残念。
昔ながらの重り。
機械自体は新しいタイプ。
織り機に詳しくないのでよくわからないが、古くからの細いU字みたいな重りを使っているのが自慢らしい。
絨毯ゲット。
奥に見えるのは、クッションカバーを作るための織地1m分が巻かれたもの。そもそもロール状の織地を何メートルか買えたらいいなと思って行ったんだが、インテリア製品を見ていた相棒が気に入って、結構な値段の絨毯を買うことにした。絨毯というか、2x3mくらいなので我が家の広い居間では小さいラグって感じだが、オープンハウス割引価格で3万5千円くらい。えーと、言うほど高くないですねw。でも刺繍とか手織りとかじゃないし、普通の人はタイルの床で満足してる国だし、ここの物価的には贅沢品である。
ユカタンでは、他にもランプシェードなど金持ち相手のインテリアグッズがある。が、概して高い。トルティーヤ入れなどの民芸品とか、あと靴やハンドバッグなんかも売ってて、そちらは土産物価格とはいえ小物なんで安い。
わたしは、小物なんかじゃなくて床材に集中したほうがいいのではないかと前から思っている。暑くて湿度の高い土地ではめちゃくちゃ気持ちいいです。海辺の我が家では6枚セットのランチョンマットを買って、シャワー出たところの足拭きに使っていた。銭湯の床がもう少し足に柔らかくなったような感じで、一切ベタつかない。濡れた足拭きそのものはスーッと自然に乾いていく。知り合いは日本の実家で階段に使われているが確かに快適だと話していた。織り方にも多少左右されるんだろうが、ジュートやマニラ麻なんかよりも柔らかい。ユカタン土産には「エネケンのランチョンマットを買って風呂場の足拭きにする」を何よりお勧めします。
さらに、民芸品などを作って売ってるマヤ人女性を支援する団体などがよくあるが、ハッキリいってちょっとした現金収入になるだけで、大した支援にはならないと思う。というか、買い取って支援団体で販売するというのは、販路を提供するのでなく単に買い上げてるだけだ。ちょっと支援したい個人などではどうにもならないが、マヤ社会全体の底上げ目的なら、この規模の工場で建材をガンガン作って輸出すればいいのにと思う。法人税高いし。
エネケンもチュクムも、高い金を出す余所者都会人を尻目にマヤ人が「元は俺等のもの!」と生産地で享受してないのが残念だ。今の金持ち相手の商品を買って使えるくらいに経済的余裕があればと考えているわけではない。そうじゃなくて、先スペイン期やその後の植民地時代には支配層しか享受していなかった機能的な部分を、手軽に利用できたらいいと思う。例えばうちみたいな湿度対策。エネケンの織地なんか、「へえー、メリダではそんなに高いんだ、この辺ではみんな壁の仕上げと壁紙として家中で使ってるよ」みたいに。
でも、常に支配層がいたことや、マヤの家でなければブロック造一択と知識が薄いことや、あるいは教育レベル問題のせいか全体的に想像力が乏しいので、エネケンやチュクムなんか自分たちには関係ないという感じで、虐げられていた歴史を思い起こさせられるのか、そっぽを向く、というか嫌悪を示す。
でも、そういうのは観光客の目の前でトルティーヤ焼いて見せてるうちは解決しないと思われる。トルティーヤ焼いたり骸骨洗ったり、庭で採れた果物を道端で売ったり古い道具を使って調理したりといった写真をユカタン歴史&文化フループなんかで素敵素敵と消費されてるうちは。教育現場でそういう消費のされ方と同じやり方で「我が文化!」と教えているうちは。難しい。
さて、その工場があったモトゥル村には、ウエボス・モトゥレニョス(モトゥル風卵)という料理がある。ちょっと詳しい「ユカタン料理リスト」なんかには顔を出す。
ウエボス・モトゥレニョス。
硬いトルティーヤの上に目玉焼きをのせて、その上にトマトソースという、書くと変哲のない料理なんだが、目玉焼きがここでは珍しい半熟可なのと、酸っぱ甘いトマトソースの味が絶妙で、とても美味しい。メリダ人も大好き。
今回久しぶりに行ったんだが、すでに「田舎の可愛い村」ではなく、ちょっと観光地化していて、市場のフードコートは観光客をさばくスペースに見事に変身していた。が、モトゥルの街はこの料理目当ての観光客増加に自然体で対応を重ねてきたんだと思う。政府観光局や旅行代理店によくある「キレイ写真も嘘ばかりじゃないけど所詮メキシコだなw」系のガッカリ要素が味やサービス等にない。「張り切ったのね、けどちょっと残念ね」みたいなとこが一切なくて、街の発展としては成功。
たぶんメキシコ人やメキシコ政府や州は、日本人のように「何それ食べに行くぞー!」だけの旅行にあまり興味がない。えてして遺跡とかの建物や伝統行事など目で見てどうこうって物を売ろうとする。モトゥルは政府の目に留まらず余計な口出しをされなかったおかげで、日本人には馴染みのある整い方で発展したんだと思う。
ちなみにメキシコ中のあちこちの地名にもなってるユカタンの英雄フェリペ・カリヨ・プエルトの生誕地。
ーーー
メリダまでの自動車道。
木と蔓草に覆われている。
日本から帰ってきたときから1ヶ月もたってないのに、道路脇の植物がガンガン伸びてて、道幅が2mくらい狭いように感じる。本当に、ここの植物の成長はすごい。古代マヤの都市が隠されるのなんて、あっという間のことだっただろうと思う。近場で生活圏を移動するのは、今のマヤ人でも結構多い。中に建物があるか分からない凄い藪なんかいくらでもある。
例えばある王朝が水不足で引越を決めたとして、大きいピラミッドがあろうがジャングルに埋もれるのなんて多分半年かからない。最初のうちは家が水源に近いとか何かの理由で腰を上げない人がいたとしても、人の手が減ればここの植物の成長速度にすぐ負ける。雪かきを怠ったときみたいに、いつか見切りを付けないと脱出不可能になる。季節ものの雪と違って植物の成長は止まらないし、ここは乾季もカラカラにはならない。奴らは年中延び続ける。隠された遺跡の出来上がり。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます