La Ermita の記録

メキシコ隠遁生活の私的記録と報告
 @ユカタン半島。

伐倒

2024年10月25日 | 設備/外構/庭

えー、身内は当然知ってましたが、日本へ一時帰国しておりました。実に9年ぶりの日本だったが、今はインターネットのおかげで浦島太郎感はほとんどなし。ネットで見聞きしてたことを「ああ、こういうことか」とダイレクトに感じた程度だった。

さて、留守中に相棒に完了しておいてもらいたかったことがいくつかあって、相変わらず自分がやりたいことを優先していたため終わってなかったことのうちの1つ。デカすぎる木を切り倒す、あるいは天辺を切ってこれ以上伸びないようにする。隣のマリアに何人か業者を紹介してもらったんだが、誰も来なかったため。下見に来たときにはいついつ来ると言ってたので何が気に入らないのか分からないが、バックレられていた。今回はマリアが持っている果樹園で働いてもらってる人の仕事が終わるというので、続けてうちに来てもらえることになった。3人組。

 まずは敷地入り口の両脇の木を2本。

 この高さ。

1人がビーサンのままスイスイ登って、まずはマチェーテで枝を払う。

 お決まりのポーズ。

1本は3mくらいの丸太(電信柱状態)にしてもらい、もう1本はいろいろ密集しているので根元から切り倒してもらった。

 続いてマンゴー。

こちらもデカイ。この木は切り倒して栽培用品種を植えろという意見もあったが、たくさん実をつけるまで年数かかるし、自分たちが食べる分には何でもいいんで、せっかくの大木を残すことにした。ただし、高すぎるので4mくらいの高さで切ってもらう。

 完了。

葉っぱのついた枝がどっさり。これで低いところでたくさん身をつけるようになり、わたしのもぎ棒で簡単に取れるようになる。

 もぎ棒。長さ2.5m。

  続いて前庭真ん中のスギ。

これもヒョロ〜っと高いし落ち葉がいっぱい落ちるし、何よりこんな広い敷地なのに車で外出するときバックで道まで出なければならず、非常に邪魔な木であった。この高さまでビーサンで登って、重い電ノコを使うのすごい。

 枝をすべて払う。

そのあとは、親方たちがやったように根元で切り倒すんだが、枝を先に払うのといい、3人だけで思った方向へピッタリ倒すのといい、とてもプロフェッショナルな仕事であった。当たり前。

 最後に、家の後ろのジャングル。

ウアノとスギと何だか分からない木が3本、根元からひっついてそれぞれ大木に育ち、かついつだか知らないが近くで物を燃やした影響でスギの低いところがうろになっているという厄介者である。これは見た全員が、ハリケーンの襲来を心配したという代物。

 同じ要領で、枝を払ってから。

こちらも、雨季にも関わらず何とか生き延びた(ジャングルに戻らなかった)遊歩道の伸びる方向へピタリと切り倒した。

  搬出。

あとは、葉っぱがついた小さめの枝・ふだん使い用の細い薪・ピビル用の太い薪・板に加工するための大きな木材の状態に分け、別々に搬出した。葉っぱは牛の餌になるなど、それぞれに売り先がある。ピビル用の薪は、死者の日が近づいてこれからピブを焼く人が増えるので、値段も上がりつつある。いい仕事をしてもらえるなら、より彼らの現金収入が多くなるように、この時期に仕事を頼むのがいいかもしれない。

  板用。重そう。

 すべて完了。

板になる部分の丸太が太すぎるのでスライスしたときに出たおがくずと、切り倒す時に取れた葉っぱは、これから我々が掃除する。もうハリケーンシーズンは終わりに近いが、とにかく懸案事項がひとつ片付いてホッとした。

ーーー

実は、買い物もいろいろ片付けることもスイスイと捗る東京の真ん中の非常に便利なところに2ヶ月強滞在し、メキシコの田舎の州のそのまた田舎のちっぽけな村に帰ってくるんで多少の不安はあった。のどかなのは好きだが、要領を得なかったり諸事遅れてたり汚かったり…。嫌に感じたらどうしようと考えなくもなかった。が、帰ってきてみたら東京とはあまりにも別世界で、ぜーんぜん気にならないのであった。よかった。

 コツィート。

 だいたいこういう料理にする。

トルティーヤをロール状に丸めて揚げたものにトマトサルサやチーズなどをかけるスナック。ユカタンにしかないらしい。我が家では、このサルサをかける前のロールを、三角のトスターダの代わりに使う。

 モテない雄鶏。

まだ若いからだと思うが、いつも雌鶏に逃げられている。この鮮やかな外見にも関わらず、さっぱりモテない。外見だけじゃなく鳴き声も、我々には馴染みのあるコケコッコー。よく聞いてると、コッケコケーとかコグェーとかコケーッグォーとか色々で、文字通りコケコッコーなのは非常に微笑ましい。が、モテない。