La Ermita の記録

メキシコ隠遁生活の私的記録と報告
 @ユカタン半島。

食材

2024年12月23日 | ユカタン諸々
がっつりマヤの村へ来てマヤ文化を堪能できていいんだが、困ったのは食材のバラエティである。村の人たちは比較的保守的で、毎日マヤ料理か、この地域でもすでに市民権を得ているものを食べている。市民権を得たものとは、メキシコハンバーガー、メキシコピザ、メキシコスパゲティなど。いちいちメキシコをつける理由は、日本にあるものでも米国やイタリアのものでもないからです。

肉には苦労しない。海辺の村と違って牛肉もあるし、海辺だってどのみち海老以外のシーフードは日本人の味覚に耐える扱い方でなくあまり食べなかったので、鶏豚牛でとっても満足。というか、どれも放し飼いか放牧なので味も濃いし、その日の朝に落とした新鮮なものしか売ってないので、都会のスーパーなんかよりいい肉にありつける。もっと言えば、探せば鹿だってモグラだってねずみだってある。

問題は野菜その他。マヤ料理に使われる野菜は、結構限られている。もちろんどこの料理だろうとそこで穫れるものを使ってるんだが、寒冷地でもないのに、ここの料理は比較的バラエティが少ないと思う。流通の問題もあるが、マヤ人の保守性、つまり他にもいろいろ食べたいという需要がないのも大きい。マヤ料理と市民権モノで使う野菜しか売ってない。玉ねぎ(赤と白の2種類)・トマト・人参・じゃがいもに加えて、ユカタンかぼちゃ・きゅうり(白と緑の2種類)・赤カブ・キャベツ・レタス・ハヤトウリと、ユカタンでしか採れないヒカマぐらいが、常に八百屋で見るラインナップ。あとは季節によって、ミョウガや里芋など、少々珍しいものがちょろっと出る。

米や和食用の調味料などは隣村の変な店「スーパー・ハイジ」かメリダのアジア食料品店で買う。海藻とキノコ類は諦めるとして、少なくとも毎日の野菜ぐらいは地元で買って済ませたい(出掛けるの面倒くさい)。

どうしても日本人の食卓に足りないのは葉野菜、緑の野菜である。チャヤは確保したが、もっといろいろほしい。せっかく寒くなるので鍋もしたいし。一応日本からネギや紫蘇などあれこれ種を買ってきたが、敷地内がまだ落ち着いてないので手をつけられずにいる。

 ゴーヤの仲間。

仲間というか、野生というか、野良ゴーヤ。どこにでも生えている雑草。ユカタン人は、蛇の食べ物と言う。「それでも子供の頃に種の周りを吸ったりしたよね」と笑う。種の周りはほのかに甘いが、我々はそんな原始人みたいなことには興味ない。ほしいのは食べるゴーヤだ。で、変なガイジンと思われても道端でむしってくる。ちなみにうちでもガンガン生えてくるヘロヘロな蔓草なので、栽培も可能だがそれは今後の課題で、今は植栽を整えるために雑草として草むしりの対象になっているw。

 熟れすぎるとこうなる。

 モリンガ。

去年、ヒルベルトが彼んちに生えてる木を切り倒したんだが、それまでにうちの敷地内に種を落としていたようで、ちゃんと育っている若木が見つかった。ユカタンの木じゃないので村人は興味がないようで情報がないので、ここはインド料理などを参考にする。刻んで料理に入れたりお茶にしたり、ですかね。インターネット、ありがたい。

 大麦で麦茶。

スペイン語圏?には麦のジュースというものがあって、村でも白く濁った甘い飲み物が売られている。ジュースを作るための麦も売られている。おそらくそのジュース以外には使わないと思う。これを、日本人はそのまま煮るのでなくちゃんと煎ってから煮出して麦茶にする。

 甘いリマ。

 実はこんな感じ。

ユカタン料理リストに出てくる(しつこいですが、ユカタン人はめったに食べない)ソパ・デ・リマというスープで使うリマという柑橘類の、甘いバージョン。食感は八朔。そんなものがあったことを初めて知った。

 ご近所さんがくれたので。

 蜜柑、オレンジ、甘いリマ。

この甘いリマ、甘さは個体差が大きい。が、以前海辺の村でもらった甘くないリマでは気づかなかったんだが、なんと実山椒みたいな味がする。ピリピリはしない。どうにか山椒として使えないものかと思い、外皮や袋や実そのものなどでいろいろ実験している。皮は干すと山椒の香りが消えてただの陳皮になるのが分かった。今後の課題。

あと、ここにはエスペロンというササゲ豆がある。ここの人が食べるのは豆なのでまだ豆にしかありつけてないが、なんとか栽培している人を見つけて畑に入らせてもらい、未熟な豆の鞘とか若い葉を採らせてもらいたい。
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 村の道路補修工事。

バチェという陥没穴(この記事の最後)の補修なんだが、なんとこれで終わりらしい。メリダでは砂利をちゃちゃっと入れてアスファルト敷いて…ってな適当なことをしていたが、ここではアスファルトは無しらしい。おそらく予算がないんだろうが、この砂、我が家の新築工事でも使った「岩混じりの砂」の砂である。サスカブといって、石灰岩が砕けてできた砂で、ぎゅっと固まる。「砂利+アスファルトをテキトーに…」よりマシなので、村役場としては一石二鳥なのであろう。

 排水桝の工事。

道の真ん中に大きな水たまりができるので、一旦地下に落としてそこから吸い込みやすい位置まで管でつなぐ工事。あちこちに岩が埋まっているが、水が落ちやすい穴でもあるのだろうか。これらの工事は村の土木課がする。

 未成年用二輪免許。

その村役場が発表した「16才以上18才未満用の二輪免許申込を受け付ける」という告知。…なんだが、隣村にある免許センターが出張してきて云々という話かと思ったら、なんと村役場の暴走だった。権限も何もないのに、半年で800ペソという金をとって道交法的には無効のライセンスを発行しようとしたらしい。興味を示す人がちょろちょろいたが、誰かに指摘されらのか告知は翌日削除されていたw。
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 マヤ電車のツアー広告。

マヤ鉄道の旅+マヤ鉄道のために作ったホテル泊+マヤ鉄道開通に合わせて作った遺跡内公園のツアー。クリスマスホリデーに出かける家族などには便利そうだが、旅行会社でなく当の鉄道会社が売り出す時点で、かき入れ時に予約状況が怪しいのかと勘ぐってしまう。

 マヤ電車の広告。

こちらはパレンケ - トゥルム間が開通するという広告なんだが、右下の女性の絵を見てください。一瞬マヤっぽいが、日本でいうと「太ったオバサンが振袖を着て内職の機織りしている」ってな構図、いかにも中央政府らしい「見せたいものにこだわった」文化紹介であるw。

マヤの集落②

2024年12月18日 | ユカタン諸々
前回行ったのは、新居の現場の親方のお父さんが生まれたという集落で、基本的に一族が住んでいた。子供の成長などに合わせて集落を出たり戻ってきたりしながら、身内で仲良く暮らしている。親方に役所の知り合いが結構いるのか、州や連邦の政府に掛け合って徐々にインフラを整えているという状態だった。

 今回行ったホウィツ。

プウク様式の遺跡群の東端にあるチャクムルトゥンという遺跡の近く。(話は外れるが、真ん中を行くのがマリア、右に息子を抱いたヒルベルト。見てください、我々の目の高さがどこにあるか。マヤ人は背が低いので、いつどこへ行ってもこんな見下ろす感じになってますw)

 チャクムルトゥン遺跡。

 奥に神殿などが広がっている。

 結構渋い遺跡。

この遺跡は、建物群から1kmくらい離れた小山の中腹にピラミッドがある。

 去年の雨季が始まる前。

雨季が終わった今は小山全体が伸びた植物に覆われてピラミッドは見えない。集落はマヤ語でホウィツ(山の中心)というだけあって、このピラミッドのさらに山奥にある。ちなみにこの写真の辺りにも、チャクムルトゥンという名の、5家族くらいの集落がある。ヒルベルトんちで昼ごはんをご馳走になっていてホウィツが話題になり、行ってみることになった。

 車で行けるのは途中まで。

ピラミッドまでの道も地中に埋もれているラハ(岩)がゴツゴツとすごくて大変で、もちろんうちの小型車じゃなくてヒルベルトが働いている会社のクロカンで行った。ホウィツは、それさえも通れない先にある。

 見えてきた。

 中はこんな感じ。

 政府の支援で建てられた家。

この支援は、おそらく前の記事に書いた「トイレとシャワーの離れ」と似た感じで、政府が「ハリケーン来たでしょー、大変だったでしょー、家、プレゼントするねー!」と有無を言わせず贈ってくるパターンで、本当に必要としているものは意外と支援を得るのが大変らしい。

我々が集落入口にいたお爺さんの許可を得てちょっと中まで入ったら、集落の代表を務める女性が出てきて、いろいろ話を聞けた。数年前に人権弁護士と知り合えたおかげで、ようやく電気を引くことができたと言う。

 電線が見える。


 水を貯めておく土製の桶。

電気が来てポンプを使えるようになったので今は井戸があるが、それ以前はこのように雨水を貯めておいて大切に使っていた。(また清潔とか快適の話で悪いんだが、一瞬、ポンプ無しのつるべ式でいいから井戸を掘ろうとか考えないのかと思ったけど、地中の岩が邪魔で無理なのかも)

 小学校。

屋根の上にタンクが見えるのがそう。基本的にその代表者の女性が教えていて、ときどき州の教育省からも教師が来る。授業はスペイン語だそうで、学校の建物を一歩出たらマヤ語。

集落の人口は現在50人、うち子供が16人だという。数年前にマリアが行ったときから倍増したらしい。なんとも健全な社会。どうして過疎化しないのかというと、男の子が大きくなると近隣の村へ出ていって仕事に就き、彼女を作り、結婚したら嫁を連れて集落に戻ってきて子供を作るから。女の子のほうは相手がどこ出身でも気にせず、ただ愛する人についていく!ということらしい。まぁ、メリダまで出ていって見つけた彼女じゃそうはいかないんだろうが、それでこんな小さな集落が存続どころか発展していけるなら、女性の活躍とかガタガタ言わず(以下ry)

とはいえ、心配ないのは人口だけで、上に書いたように電気を引くのも一苦労だった。人権弁護士には今後はどんどん主張しろと言われているらしい。代表の女性曰く(そしてマリアも強く同意)、一番必要なのは道の舗装だという。ホウィツからうちの隣のテカシュ村まで3kmほど、道さえよければ毎日通える距離である。わざわざ集落から引っ越さなくても、仕事につけるし学校にも通える。

これに反対しているのが INAH(メキシコ国立人類学歴史研究所、遺跡の調査や保存などをしている連邦政府の機関。チチェン・イツァ等の遺跡でバカ高い入場料を取ってるところw)で、遺跡近くの集落に変に近代化されては雰囲気ぶち壊しとでも言わんばかりらしい。道があれば、住民が簡単に出掛けるだけでなく、遺跡を訪れた人が集落に寄れるようになり食べ物を販売したりもできるんだが、そういう支援の話はなかなか進まないという。

マリアが前回訪れたのは、ユカタンの毛無し豚を買うためだったんだが、今は売っていない。この INAH との交渉が有利になるよう、他の揉め事、つまり希少生物保護政策絡みの問題は避けているんだという。

 (c) Amacc

とても美味しいらしい。残念。まぁ、連邦や州の政府となれば、頭でっかちで外向けにウケのいい支援をやりたがる。「我々の望む(=観光客が喜ぶ)マヤ文化」を壊さない支援はする、それ以外は自分達でどうにかしろ…である。

そういえば、出発前、マリアとヒルベルトに「12月に訪問すると、何か贈り物を持ってきたんだと期待される」と言われた。そのときは、クリスマス時期なので子供にお菓子でも…という至極当然のことだと思ったんだが、ちょっとニュアンスが違った。ビスケットの箱を開け始めたら、代表の女性が子供達を並ばせ、写真を撮るかと尋ねたのだ。役所の広報でよく目にする「支援した!住民喜んだ!」というプロパガンダ写真を撮るか?(ポーズするか?)という意味である。貰う方も慣れている。はいはい、付き合いますよ、という感じ。

今思えば、マリアが代表の女性に「子供の数が分からなかった(足りなかったらすみません)」としきりに言っていたのも同じで、役所の公務員同様、イベントの不手際的なことを心配していたのだ。マヤ文化圏にはびこる「支援する側と受ける側の双方が得する微妙な関係と、その確固たる図式」を見るようで、複雑な気分になった。普段の彼らは、友人の家に行くとき手土産の数なんか気にしないもん。そんなんじゃないですよ、ただ来たかっただけ、みんなで食べてねと言ったら、代表の女性もマリアも不意をつかれたような顔をしていた。これが、本当の格差社会というものだ。日本でギャーギャー言う人の話は単に稼ぎの大小、格差ってのはそういうことじゃない。

なかなか興味深かった。何はともあれ、どんどん子供が生まれる環境というのは、やっぱり住民が幸せなんだと思う。
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 ピラミッドの登り口。

ここから急な斜面を登っていく。が、こんな看板が立っていた。

 「登頂は自己責任で」

最近岩が崩れて転んだ子供が亡くなるという事故があって、禁止じゃないけど補償しないよ、ということになったらしい。ピラミッド以外の建物群のエリアが素晴らしくて充分見ごたえのある遺跡だが、登ろうとあの悪路を来てこれはちょっとショックじゃないかと思う。

 遺跡までの道の脇。

村をちょっと出ると周りは山やジャングルなんだが、そこはエヒードや個人所有の土地で、積極的に生産して活用したり、ある程度放ってあるが採れる作物を自分たちで消費(残ったら売る)したりする。これが村人ほぼ全員が持っている「自宅以外の土地」の正体だった。まあまあ計画的に生産してそうな土地も、多かれ少なかれこんな感じで、秩序ってものがまったく感じられないw。文化の違いを再確認するのは楽しい。


グアダルパノ巡礼の旅

2024年12月15日 | ユカタン諸々
毎年この時期に、メキシコの聖母グアダルペ様を讃えて?巡礼の旅が行われる。メキシコ中でやってて、他の地域では行進など他の行事もあるらしい。この辺のメインの行事は巡礼で、旅に出るのはだいたい男性。自転車かバイクで数日かかる距離を集団で移動してどこかの教会を目指すキャラバンみたいなものだが、カトリックに疎いのでちょっと違うかも。

 今年のユニフォーム。

うちの村のチャリ部隊ので、去年初めて見たときはビックリした。前身頃全体にでっかい聖母様が描かれていて、日本人が見ると小っ恥ずかしいが、彼らは心底楽しんでいる。信仰を深めて、(うがった見方をすれば)祭り気分になれて、仕事休めて…というわけでw、結構な人数が参加する。現場の男の子は、毎年行くお金はないので、2年か3年ごとに行くと言っていた。

 バスで行くケースも。

 ド派手な装飾。

そして旅から帰ってくると、夕方から夜中まで地元を凱旋して回る。

 役場の警備車。

 警察も協力。

奥に見える明るい何かが、凱旋パレード用に改めて着飾った車です。通行止めにしてるので、この区間で何かルペ様関連のイベントをするのかも。パレード用の車は、その後ろに巡礼から帰ってきたチャリやバイクを引き連れてサイレンを鳴らしながら走る。そんなのが、うちの村の中だけで何グループもある。まったくもってうるさい。メキシコらしいけど。
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 州の支援。

マニ村管内の集落に住む13世帯に、ユカタン水道局から「トイレと洗面台とシャワーがある離れ」が贈られた。我々が住んでいた不便極まりない借家の離れ(この記事の中ほど)みたいなもの。これがない家では、トイレはどこか見えないところに便器があって、シャワーはなくて盥で行水する。

ここの人が金をかける対象の、優先順序が理解できない。快適なトイレとシャワーは、支援が来るまで無しで済ませられる物なのか。ってか、だからこういう支援があるんだろうが、これが貧困が原因って単純な話ではない。馬鹿でかいスピーカーやパーティーをするための電飾なんかは、結構どこの家にもある。お姉ちゃんは、バリバリに化粧をして出かけていく。住居といえばまずは清潔で快適な…じゃないのである。

 朝靄。

寒いです。海辺の穏やかな気候が望めないのはわかっていたが、内陸の日較差の大きさは想像以上に気分に影響する。陽が昇ればあっという間に30℃近くまで上がるので、何するか考えて脱いだり着たりするのが非常に面倒くさい。

オレンジ祭り

2024年12月14日 | ユカタン諸々
隣のオシュクツカブ村のオレンジ祭りに行ってきた。

 今年の柑橘類モニュメント。

 ユカタン鉄道連合の機関車。

 1975年まであった。

うちのあたりの村々はメリダからペトという街まで伸びていた路線上にあって、今も駅舎は各村に残っている。貨車と客車の両方を引いていたので、村人たちは生産物を載せたり駅で乗客に食べるものを売ったりしていた。今はそういうちゃんとした鉄道がない(マヤ電車はあるけど役に立たない)ので、年配の人は強い郷愁を感じるのである。

ちなみに機関車のうち1台は、「リアルな機関車」を探していたフロリダのディズニーランドの目に留まって買われ、改装して使われている。

 生産者別に並ぶ柑橘類。

 タンジェリン。

なんだが、こんなゴジラみたいなのは初めて見た。とても甘いそうで、日本でいう菊みかんみたいなものじゃなかろうか。

 展示されていたクボタ。

 甘いオレンジコンテスト。

 Brix という計測法らしい。

司会のおじさんが絞ったジュースをいちいち試飲していて羨ましかった。微妙な違いを知るのにすごくいい機会ではないか!

というのも、このコンテスト、ただ生産者が順番に袋に詰めた自分とこのオレンジを差し出し、係が計測して、結果発表するだけ。勝った生産者の挨拶も身内への感謝とかばかり。今年の甘さの秘密なんかが聞けたら面白いんだが、もしかして生産技術的なことはほとんどしてなくて、天気とコンテスト当日に収穫してきたオレンジがたまたま当たりだったってことかもしれない。

オレンジなんかどっさりあるんだし、客にも試飲してもらえばいいのにと思う。あるいは、ただ測って数値の高い生産者が勝つんじゃなくて、ゲストでも呼んで「フレッシュな感じ」とか「酸味とのバランスがいい」とか何でもいいから各々の生産者のオレンジにキャッチコピーをつけるとか。

このコンテストはまだいい方で、はっきり言ってこの祭りは損してると思う。物産展なんだが数少ない娯楽を地元に提供するという目的もあって、夕方以降のプログラムは充実しているんだが昼間がつまらない。いや、充実してるのは地元民向けという意味で、コンサート、民族舞踊、コメディショーその他の舞台ものと、屋台という代わり映えのしないラインアップばかりなのである。

メリダあたりから大勢に来てもらおうと、本気で思ってないんじゃないか? オレンジに関する催しが糖度コンテストしかない。屋台も、普段食べているユカタン料理ばかり出すんじゃなくて、オレンジを使った新しいレシピを募集して、これまたコンテストなり出店なりすればいいのにと思う。袋詰め放題(参加費には祭り限定デザインのエコバッグが含まれていて、それに詰めるとか)なんかあったら、メリダ人は喜ぶだろうと思う。

なんとももったいない。

ハンモック

2024年12月06日 | ユカタン諸々
 ポツリと置かれた編み機。

 普通の家。

村には、ハンモックを編む人が結構いる。ここではベッド椅子代りに使うので糸が劣化したりほつれたりして新調するなど、需要も結構あるんだと思う。近所のおばちゃんも、ときどき編んだハンモックを一枚?だけ手に持ってその辺の家を回って売っている。

で、歩いていてみつけた、軒先にぽつんと置かれたハンモック編み機。緯糸の仮処理がしてあって、ちょっと休憩ってわけでもなさそうだが声をかけても誰もいなかった。

 後日。

編んでいたのはおじちゃんだった。別に男性が編んでも構わないんだが、初めて見たので少しびっくりした。緯糸の仮処理について聞いてみたが、おじちゃんは特に理由はないと言う。でもその脇にいた孫らしき青年が、几帳面だからと言っていた。おじちゃんは修理もできるらしい。直せるのはちゃんと編んだハンモックだけで、自動編み機で編んだものや細部がテキトーなものは修理できないという。普通の編み物と同じですね。

 借家の隣の朝食屋。

 トルティーヤを揚げている。

揚げるといってもコーンチップ にするのでなく、ここユカタンではサルブテ。

 こちらはソペ。

 お目当てはサルブテ。

久しぶりに買った。やっぱりめちゃくちゃ美味しい。

 チチャラを作るおじさん。

 大鍋。

前を通ったのは10時過ぎで、まだ鍋の中には肉から出たラードが少なかった。家の外に「12時半から販売」と書いた黒板を出してあった。

 バチェ。

悪名高い、ラテンアメリカ中どこにでもある「道路の穴」。舗装の質が悪いせいで雨が降ったりすると出没する。都会にもある。メリダのバチェの説明は、この記事の中ほど。

この村では、店というよりチチャラのおじさんみたいに「気の向いたときに家で作って売る」人が多く、「FBの売ります書います」に書かない人もいるのでフォローしきれない。普段は車で移動してるんだが、どこか行くついでに「こんなとこに◯◯屋!」と目について車よりいいと思い、こないだオンボロ自転車を買った。買ったはいいが、バチェが酷すぎてよそ見しながら乗るなんて無理だった。役場の土木課がたまに補修工事をしているが、雨季で生まれるバチェの方が多く、舗装が追いつかない。

 我が家の前の道。

うちの前だけは、使用済み猫砂で埋めるのでバチェがないw。

 検問。

…かと思ったら、バイクを止めて猿でもわかるような「道交法のイラストチラシ」を手渡していた。3人乗りはやめましょうとか、免許はちゃんと更新しましょうとか。ユカタンは凶悪犯罪が少ないので、交通違反取り締まりに割ける警官が多い。最近のメリダでは交通整理のほうが重要みたいだが、依然として取り締まりも多い。それと比べるとなんとも呑気である。

 マニ村のクリスマスデコレーション。

 ナシミエント。

 村名碑の周り。

さすが、プエブロ・マヒコ(自然が豊かとか文化遺産があるとか歴史的に重要だと選ばれる観光地、マニ村の場合は歴史)である。全体的に色みを抑えてあって、メキシコらしからぬエレガントな飾りだと思う。この村は、本当に何をやっても渋い。渋いと同時に可愛い。

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 お姉さんの方の猫。

こないだ買ってきたエネケンのラグの上にいるだけで、まるで日本の猫みたいに見える。10年近く住んでるが(以前の外国暮らしでは床はカーペット)、タイルの床というのは本当に日本人には馴染みのないものなんだと思った。