La Ermita の記録

メキシコ隠遁生活の私的記録と報告
 @ユカタン半島。

公共サービス(業務)

2025年01月29日 | ユカタン諸々
運転免許が切れるので更新に行ってきた。ユカタン州の免許、は犯罪抑止目的か有効期間が短いほうが割安になっている。2年3年5年とあって当然安いほうがいいんだが、手続きするのが面倒くさいので前回から5年にした。ちなみに2年モノでは引退者割引にも申し込める。面白いから1回やってみたが、メリダの決まった公安まで行かなきゃならなくて面倒なんで、2年ものはその時きり。

更新手続きだけなら、州の公安や政府のワンストップサービスみたいなところでできる。

今回は住所に変更があるので、通常の更新より提出書類が多い。調べたらなんと、外国人は住所証明(公共料金の請求書など)以外に移民局発行の手紙が必要だという。免許更新は銀行やその他の手続きより居住の証明が厳しく、本人名義の書類でなきゃダメ(公共料金を払っている親の元で暮らしている若者などは親子証明も出さなければならないなど)。なので、前回も移民局の手紙を入手したんだが、前回はプログレソに移民局ができたばかりでえらいラクだった。

今住んでいる南部の村の管轄はメリダ。かつ、移民局自体が以前と違って予約しろとか手続きによって曜日が違うとかそのくせ朝の7時に行って並ぶとかとても面倒くさい。

ところで電気利用の申し込みとか銀行での手続きあれこれとか、田舎では諸事ゆるい。それでまずは、移民局の手紙なしで隣村にあるワンストップサービスに行ってみることにした。南部のこの辺には外国人なんかほとんど住んでないんで、追加書類のことなんか知らないと期待してw。第一、更新もせずに乗ってる輩ばっかりな田舎、行きさえすれば都会みたいに「提出書類に文句言われる」とか「担当者によって言うことが違う」とかメキシコあるあるのイライラもなく好意的に処理してくれるんではないか。まぁ、ダメだったらしょうがないからメリダまで行くつもりで。

 ワンストップサービス。

窓口が4つ。3つは出生証明書などの発行らしく、残りの1つが免許更新専用カウンターだった。入ったらすぐにこっちこっちと呼ばれた。とてもにこやかに、まずは電気料金の名義人になっている相棒分。書類チェックはあったが、メキシコ人と同じで移民局の「い」の字も出ない。視力検査もなかった。指紋を登録し直して、写真を撮って、ほんの5分で新免許受け取り。

わたしは水道料金の領収証を持っていったが、うちの村の水道局の書類は提出先によっては住所証明として認められない。免許更新に対してもダメで、うちの村の役場で「この人は本当にこの住所に住んでます」という手紙を書いてもらえと言う。一旦村まで戻って入手して、そのままワンストップに戻って提出して、同じく5分で完了。

いやぁ、メリダの移民局まで行かずに済んで助かった!www

 「医療移送車」

メリダまでの自動車道などで見かけて、看護師などの通勤バスかなと思ってた。村役場の前に停まってたので聞いたら、患者用だった。メリダの病院までの無料送迎バス。前もって診察がある日の乗車を役場で予約しておく。メリダ市内のどの病院まででもOKで、その日の予約者の行き先によってバスのルートが決まるらしい。

確かに村での移動はバイクが主流で、メリダまでとなるとちょっと厳しい。けど親切ですよね。ところが医者嫌いのマヤ人、村の保健所で「いい病院で検査したほうが…」とか言われても断る人が多いし、いざ大病となったら家族親戚で助け合うんで、乗客はあまりいないらしい。

一瞬、どんな感じか乗ってみたいと思ったが、てめえの具合が悪いときに他の病人と同乗するのも気が進まないから、多分乗ることはないであろう。

 電気料金請求書配達車。

前に来たとき(この記事の中ほど)は、運ちゃんが降りてきて手渡してくれたので気が付かなかったが、後部座席に請求書の束を載せている。これでトコトコ配達してくれる。メキシコは電気公社で民間じゃないんだが、こちらも都会だったら信じられない手厚いサービス。とはいえ、公社じゃなくて村役場のサービスかも。

 告知専用バイク。

こちらは民間。いつどこそこで肉を(落として)売るとか果物を買うとか集会があるとか、村のお知らせを流して回る告知専用バイク。村役場の「いついつ食料配布支援がある」とか「クリスマスツリー点灯式典がある」などのお知らせを流していることもあるので、公共インフラと言える。昔スペインに、知らせがあるから集まれと役所の前で音楽を奏でる職業があったらしい。それと同じく、文字を理解しない人向けに始まって、以後定着した習慣だと思う。

聞いてるとアナウンスの声が3種類(3人)くらいなんで、3社あるんだろうか。村中を走り回ってる人は大体シャイなんで、喋って録音する役の人は別にいると思われる。ちなみにメキシコ人って喋るの得意で(聞くの書くの読むの苦手w)一般人でも人前で結構上手に喋るが、このアナウンスは煽りっぷりといいプロの声優レベルである。

写真のバイクにはプブリモト(広告バイク)2と書いてある。結構いい商売なのかも。

坪庭の囲い

2025年01月29日 | 設備/外構/庭
相棒が去年の7月から造っている坪庭を囲む塀の、途中経過報告。風呂の窓の外にあって、湯船に浸かりながら庭を見るという風情のあることができるようにになる予定。

マヤの石垣を造ってくれたおじさんたちに頼もうと思ったが、見積もりを取ったら想像以上に高かったのでやめた。道からの視線を遮断して浄化槽からメタンガスを逃すための見苦しいパイプを隠すとなると結構な高さになるので、まぁしょうがない。で、相棒が自分で積み始めたはいいが、いつ完成するのか?w

 積み始め。

岩は、最初から敷地に埋まってたり基礎や石塀に使われた残りを使っている。岩には困らないが、ずいぶんとこだわりがあるらしく形が合うのを見つけ出すのが大変だと言う。まぁ、そう言うだけあって、マヤの石垣とはずいぶん違って、日本の城壁みたいな趣があると思う(褒めすぎか?)。

上の写真の西側から報告。

 こだわり中。

ちなみに奥に見えている白い棒みたいなのがメタンガスを逃すためのパイプ。当然だが、結構な高さがある。これを見えなくしたい。

 こだわり中。

ある程度の高さになった時点で、南面も延ばす。

 西面、ほぼ完成。

茶色い布(メキシコでよく日除けなどに使われる網状のシート)を被せてあるのが、浴室の大窓です。

 完成。

 南面。

 風呂から見るとこう。

こちらは外と違って表面が凸凹していて、遺跡のような趣がある。

 西面、南面完成。

 東面も積み完了。

 扉がつく。

 枠部分のペチペチ完了。

 窓の網布を扉部に移動。

これで入浴中に道を通る人の視線を気にしなくてよくなった。実際は、家は道から10m以上奥まったところに建っている。なので、立ち止まって想像を働かせない限り、この塀の奥にある窓の中で何をしているか全くわからないと思う。が、まぁ気分の問題である。

 内側、家と接した部分。

この上に照明をつける。よくある「椰子の木などを下から照らす」オサレな感じにはしたくない。もっと水平に近い角度で積んだ面と(その手前の植物?)を照らすつもり。

はっきり言って他にやってもらいたいことは山のようにあるんだが、毎日毎日これに精を出しているので、まぁいいかと思っている。初老の男の趣味ですね。

ーーー

 

斜向かいの家に搬入しにきたお兄ちゃんたち。あまりにデカいので聞いたら、岩のサイズには3種類あるという。写真のが大で、以前うちに搬入されたのが中。あと中小が混ざってるってのもあるらしい。こんなに大きかったら位置を変えるだけで大変だ。ちなみに値段は変わらない。造園的に大きいほど高いということも、作業しやすいから中が高いということもないらしい。現場で選る作業代をどのサイズにも乗せてるということか…。

近所の犬ら

2025年01月26日 | ユカタン諸々
毎日2回、犬の散歩に行っている。去年1匹死んじゃったので、今は我が家に最初に来た1匹だけ。当初は敷地内で放し飼いする予定だったが、隣家の鶏が入ってくる(そしてときどきうちで卵を産むので邪険にできない)し、村人たちに対して閉鎖的な印象を与えたくないので高いブロック塀で囲わずマヤの石塀で門扉もない。うちの犬は放し飼いに慣れてないので、出てったら絶対に迷子、そしてどこかで事故に遭って死ぬのが目に見えてる。というわけで逃走されたら怖いので、普段は繋いであって、朝夕に散歩。おそらく近所の人たちには「ヘンな日本人、犬の飼い方もヘン」と思われている。

メキシコでも都市部だと放し飼いは少ないが、この辺ではだいたいそう。性格が悪かったり闘争的だったり飼い主の言うことを聞かなかったりで放されているのは塀の中だけという犬がいるが、あまり多くない。他は、ほぼ放し飼い、犬も好き勝手にしている。飼い主もいろいろだし犬もいろいろなんで面白い。人によっては興味のない話だろうが、ちょっとまとめておく。(犬嫌いの家族、遊びに来なくなるかなぁ)

新居へ引っ越してきてすぐは方針が決まらず、リードに繋いで敷地内をぐるぐる回っていたが、わたしが日本へ行っている間に相棒が外に散歩に行き始めた。近所では、ヒルベルトんちと空き家以外は大体どこでも犬がいる。我々だけで普段前を通っていても、もう慣れたらしく何もしない。が、犬同士となると態度が変わるので、引き離すのに苦労したり、どうにも危険そうだとルートを変えたりと、最初の頃は大変だったらしい。ほぼすべての犬が、自分家の前を通る別の犬(うちの)を見ると、あるいは見る前からワンワン吠え出す。ちゃんと番犬として機能している。犬もお互い慣れてはくるんだが、どうにもならない相性ってものもあるらしい。

 特に犬が多い道。

ものの見事に全戸で飼っている通り。一軒、放し飼いをしている家があって、その家の3匹は両隣の家の前くらいまでがテリトリーになっている。飼い主の言うことは聞くが、飼い主がいると気が大きくなってギャンギャン吠える。この道を通るのはやめたが、遠目にうちのを見つけるとみんな反応している。その他の家は、敷地内で放し飼い。一軒の犬はうちのを無視、もう一軒はうるさく吠える、あとの一軒の3匹はうちのが好きなようでキャンキャン吠えながら塀越しについてくるが、うちのが相手をしない。

 閉じ込められ組。

 ハスキーともう一匹。

敷地内で放し飼い。逃走癖があるのか、門を開けるときは犬エリアに隔離している。うちのと特に仲が悪いのがこのハスキー(ミックスだけど)で、茶色いの1匹だけだと吠えてこない。

 その様子を見守る「隠居さん」。

ハスキーの家の隣の家で、いつも放し飼い。玄関部が広いテラスになっているので、犬小屋もない。

 じっと観察。

老犬らしく、ゆーっくり歩く。ハスキーたちが騒ぎ始めると道まで出てくるが、何もしない。距離をとって観察し、うちのがハスキーたちの前を通り過ぎるのを確認して自分ちに戻っていく。以下、隠居さんと同じ自由組。

 道へは出てこない。

 同じく敷地内だけ。

 こいつは前の道まで。

 変な顔。

 我々を待っている。

赤い塀の向かいくらいにある家の犬。

 一本の足だけ白。

ソック(靴下の片方)と呼んでたら我々に慣れて、いつも1ブロックだけ散歩に付き合う。

 2匹と2人で散歩。

自分の家の前を通るヒトや犬に対してじっと観察してたり吠えたりいろいろだが、うちの犬と違ってみんなテリトリーは分かっている。どう躾けたらそうなるのか? 続いて繋がれ組。

 オレンジの木の下。

 同じく。

 ミカンの木の下。

 ただの木の下。

猫も意外と多い。というか、犬でも猫でも避妊的なことを一切しないので、おそらくどんどん生まれてどんどん死んでいってる。

 元祖「ママが髪切った」

後ろにいる兄妹「自分で髪切った」はあまりうろつかないのか滅多に見ない。「ママが髪切った」はうちの敷地内を散歩したり、他の家の石塀の上を歩いたり、勝手気まま。

 「ちょっと待って」。

こいつはチャボのように足が短い種類で、見えているのは指(もみじ)の部分。普通の鶏のようにコケコッコーでなく「ちょっと待ってー」と鳴く。ところでスペイン語で鶏の鳴き声はキッキリキーだそうだが、これはまったく納得いかない。カキクケコでもラリルレロでもいいんだが、母音が違いすぎる。第一声の母音はイじゃなくて絶対にオ、そのあとはエ。ドグェ〜になったりその後も個体によって子音はテキトーになるが、みんな、母音を並べると「O・E・O・OO」である。キッキリキーなんて、小さい「ッ」の位置まで違う。絶対に認めない。反論も認めないw。

 我が家が縄張りの隣家の鶏。

マヤ文明は「崩壊」…(ナショジオ)

2025年01月19日 | ユカタン諸々
先日、ナショナルジオグラフィック日本版に「マヤ文明は『崩壊』などしていなかった、大幅な回復が判明、研究」という記事が出た。「文明崩壊、王朝消滅!」などのありがちなミステリアスさはずいぶん前に卒業した者としては、逆に何がそんなに新しい判明ごとなんだ?って感じで、記事を読んでみた。

 雰囲気だけ。

こういうのって著作権に引っ掛かるんですかね? それはともかく、ナショジオでさえ、話を「ミステリアス」系に持っていきたい思惑があるのを感じるw。

わたしが考古学でいう文明の定義を知らないからか、何百年も変わってなさそうなマヤ人の暮らしを毎日目にしているからか、記事を読むだけではまだイマイチ何が判明したのかよく分からなかったので、今回発表されたという論文を読んでみた。いろいろ感想が浮かんだので、忘れないうちに書いておく。

論文の内容を簡単に書くと、ある都市国家が消滅しても、人々は周囲に散らばって住んでいて、散らばった「統治者なき、一般人が住んでるだけのエリア」の人口は以前考えられていたよりずっと大きく、彼らが新国家の構築を助けた…だから文明(ある国家/王朝)の崩壊という言葉は正確ではない、という話。

ポイントは、神事祭事、つまり政(まつりごと)に関係なくただ人が住んでいるだけのエリアが遺跡(ピラミッドとか)からずいぶん離れたところにたくさんあり、その人口も以前考えられていたよりずっと多かったという部分です。ある王朝の崩壊後、役人(王族でなく)がそういうエリアに住むようになり、後に別王朝が興るのをその子孫が助けた、つまり「文化の継承」が見られる、と。

先行研究への参照が他の論文と比べて非常に多く、「これはライダーで新事実が分かったからから間違い」、「これは範囲を広げて調査したらこうだったから解釈違い」ってな感じで、マヤ文明研究の歴史を読んでるみたいだった。

 遺跡と居住だけエリアの散らばり。

真ん中辺の赤い線で囲まれた部分が、マヤパン遺跡(古代都市、世界遺産)。黒い線が我々がメリダに行くのに乗る自動車道で、それに沿って調査したら、現存する村のほぼすべてに古典期終末期から後古典期にセメントを使って造られた何らかの遺跡(ピラミッドとかじゃなくて)が見つかった。

今マヤパンと呼ばれる行政区域はマヤパン遺跡から少し離れたところにあって、域内には別の名前の小さい村がいくつかある。それらの村がマヤパン統治の時代からそこにあったか知らないが、スペイン人が侵略してマヤの人口が減少した後、スペイン人の子孫であるユカタン中央の支配層にマヤ人は奴隷扱いされている。奴隷扱いされていたマヤ人はどこに住んでいたのか? 農作業にこき使われていたマヤ人全員が支配層が住む街やアシエンダ(農園)の主人の屋敷のそばに住んでいたわけではなかろう。実際、メリダの街にはマヤ人が入れないエリアがあったし、カスタ戦争(1849-)のときにはあちこちの村で戦いがあったんだし。

で、そのマヤ人の「居住するだけエリア」について、昔はそんなものないとされていたし、比較的最近の研究も遺跡(ピラミッドとか)から大きく離れた場所を調査したことはなかった。今回の研究で、そういうエリアの人口や、移動などが明らかになった。ところで移動じゃなくて引越という言葉を使うと、人々が都市ごと棄てた…みたいな、例によって「ミステリアス」な話になりがちだ。実際は、マヤ人って個人レベルでしょっちゅう村から村へ移動していて、そういう文化は最近始まったわけじゃないと思う。

なんというか、王朝消滅!棄てられた古代都市!みたいな見方をやめれば、ロマンwはなくなるかもしれないが、この「人々の移動」なんか、太古から続く暮らしの一幕以外の何ものでもなく、別に珍しいことじゃないじゃんと思った。「知事とか都庁の位置変わったけどオレらずっと東京に住んでるし」とか、都心3区が一旦空洞化したあと高層マンションがニョキニョキ建ってやれ銀座だ六本木だ次は麻布台だ…ってのと少し似てるんじゃなかろうか。

今回の論文を読むと、1980年くらいまでの西洋人研究者たちは謎を解明!と言いつつ「ミステリアスな文明を扱ってる」的にちょっと酔いしれてたんじゃないかという印象を受ける。1950年以前の論文なんかは、今論文という言葉から得る研究のイメージと違って、「発掘!浪漫!」的なノリだ。その後も、技術レベルが違ったからもちろん判ることは限られていたんだろうが、すでに消滅した文明ってのを前提にしているのがすごく感じられる。そもそも、それら先行研究の著者が、西洋人ばかり(英語あるいはヨーロッパの名前)だし。

今回はマヤ人研究者がいる。昔の論文に「蜂蜜生産のための小さい土台等」と書かれていた遺跡(ピラミッドじゃないですよ)を、「石塀で囲まれた土地に小さい家が数戸」と解釈し直したのなんて、その研究者はわかりやすいヒントの蓄積がいっぱいあったんじゃないか。

 例えばこれ。

石塀の跡と、それに囲まれたエリアの中にある、家の土台らしきもの、家じゃなさそうなものを表してある。使われたモルタルの年代は古典期終末期かとか後古典期かとか調べている。ハッキリ言って敷地の使い方なんか、もろこの辺の家と同じ。石塀で囲った土地の中に小っこいマヤの家と道具や薪を入れておく小屋などがいくつか、まさに絵のようにバラバラと建ってて、他に家畜を繋いでおくための台座とかがある。「自宅以外の土地」には家らしきものはないけど何らかの「造ったもの」がある。今だと、水を溜めておく石製の水槽とか、ポンプを置く台とか。ホント、今でも図の通り。

これ、そのマヤ人の研究者には「そんなん、明らかに誰か住んでた家の跡じゃん…」ってなことだったのかなぁ。さらに、今回の研究グループは昔の白人探検者と違って、「そうそう、こんな小っこい家に何人もハンモック吊って寝てるし。もっと人口多い証拠!」とか思ったのかなぁ。おそらく昔の金持ち発掘者達にはそれが分からなかったんじゃなかろうか。いや、昔だろうと研究論文なんでハナから決めつけてたわけじゃないだろうけど、彼らの頭が想像できる範囲が違ってた、というか。

メキシコには、スペイン語化政策のために先住民言語の使用を禁止していた時期がある。「何民族だって言って喧嘩しない!みんなメキシコ人!」なので目的自体は悪くないが、やり方が先住民差別につながった。先住民が社会的に復権した後も、被差別感情は強く残っている。それはともかく、ずいぶん経った今でも、教育レベルの差はなかなか埋まらない。これからはどんどんマヤ人研究者に活躍してもらいたい。が、マヤ人だって皆が歴史や考古学をしたいわけじゃない。マヤ人であることに誇りを持っている人たちには、言語系に行ったり文化紹介系に行ったり芸術系に行ったり、いろんな人がいる。昔のことよりこれからのことの方が重要かもしれない。

ライダー(航空レーザー計測技術)の恩恵ってすごいから、解明の速度はぐんと上がってくだろうけど、研究者層も変わっていってほしい。考古学だけじゃなくていろいろ(マヤ語に関することとか)、「ヨーロッパの言語を使う人たち」の考えることには偏りがある。彼ら同士で別文化だと思ってるから(イギリスだアメリカだフランスだカナダだなど)、彼らには偏ってるという自覚がない。

日本からも留学や研究に来る人がいるけど、マヤ文明の範囲は広いのでグアテマラとかホンジュラスとか別のところに専門がバラけてしまう。英語の論文を読むの面倒くさいんで、ユカタン半島低地南部へ、来れ、日本人研究者!www

村祭り初日

2025年01月18日 | ユカタン諸々
年に2回の祭りが始まった。年明けすぐからなぜか市役所のお知らせが止まっているため、はっきりしたプログラムが分からない。おそらく例年と変わらないと思うが、まずは絶対に見逃したくなかった「御柱建立」を見にいった。狭い村とはいえ、ほとんどの村人の説明がいい加減ということもありw、どこで何をやってるのかあちこちで聞き回ってなんとか辿り着けた。ちなみにいい加減なのは、住所表記が機能してなくて「誰それんちのほう」とか言うし距離が非常に不正確なせいです。

 御柱。

初日に、一本の高いウアノを切り倒して臨時の闘牛場まで運び、その真ん中に建柱する。ユカタンの伝統であるコリーダ・デ・トロは、訳すと闘牛だが実際はカウボーイ技能の競技会で、場内に放たれている牛に向かってカウボーイたちが一斉に入場し、誰が一番早く縄をかけるかを競う。(写真は友達のFBより)

で、このウアノ切り出し、佃祭の大幟柱掘り出し&建立と似ているのでとても興味がある。去年の2回目の祭りのウアノ切り出しはうちの近所だったそうなんだが、日本に行っていて見られなかった。

 切り出し会場まで向かう群衆。

行列の長さ、200mくらい。住民がだんだん加わっていって、最後尾を村の警察の車がついてくる。先頭付近に音楽隊もいるが、この時点では聞こえてくるだけ。

 誰かの敷地の中ほど。

結構村外れだった。高いウアノとなると数が限られる(うちの高いのも建設前に切り倒して、残っているのは高さ6mほどの低めの木だけ)。お祈りとかああとかは特に何もせず、普通にチェンソーを使って切り倒した。

 てっぺんの葉の処理。

不要な葉を切り落とし、残した葉をまとめる。葉1枚だけでも結構重いんです、これが。今回の木は長さ9m、普段切り倒す木よりちょっと細い。

 障害物を退けて準備完了。

 男衆がつく。

 先っぽまで。

 少しずつ向きを変える。

いろんな木が生えている敷地の中なので、邪魔な木で切り倒せるものは切り倒してあるが、狭いところでは大変。

 木の間を通す。

 持ち上げる。

 道まで運び出す。

 音楽隊。

その間ずっと、短い曲を奏でては少し休み…の繰り返し。

 道でトラックに載せる。

日本の祭りだったら担いで行くところだが、そこは要領重視のメキシコw。

 群衆を引き連れて闘牛場まで。

そして最初の写真みたいに立てるんだが、それは次回のお楽しみにした。というか、佃の祭りだと掘り出しと建柱と大幟旗揚げは全部別の日で、祭りが近づいて気分が高まってくるのと相まって最高なので、今日のところはここまで…という気分になってしまった。

以下、写真は友達のFBより。

 ちびっ子バージョン。

 纏と牛(右の赤いやつ)。

こちらは村の中のどこかの家から臨時闘牛場まで。大人がサポートして、音楽隊もついていた。日本の祭りの子供神輿とか山車と同じですね。可愛いなぁ。

 カウボーイたち。

段ボールで作った馬を背負って、大人が扮した牛(上の写真の赤いやつを持って走る)を追う子供バージョンの競技会もする。

 バケリア(民族舞踊)。

夜はバケリア。メリダの観光客向けのイベントなどと違い、なんと全員がただの村民。こういう晴れの日のためにイピルの晴れ着バージョンも各自持っている。

 頭に飲み物を乗せて踊るダンス。

プロじゃないのにこのクオリティ。

 コンテストの後。

 見ていた人達も踊り出す。

さすがディープ・マヤ。