今月半ばに来て、今回は初めて2週間というスケジュール。もう6回目、うち2回は父と二人で。
移住計画を始めた頃は両親も一緒に…という話だったこともあり、もうこっちに来ちゃえばいいのにと思うが、年寄りはそうもいかないようです。
遺跡もいくつか行ったし、家の作業は落ち着いたし、かといってずっと海辺の家でグダグダ過ごすというのも何なんで、何ヶ所か遊びに行った。
革命記念日には、メキシコの国じゅうどこでもこういうイベントが行われる。メリダでは海軍や民族舞踊のプロなど見応えたっぷりの行進だったらしいが、ここでは市内の小中学校と高校のチームと(特殊学級も)、市内唯一?の老人ホームが行進に参加した。革命当時のドレスや、国旗の赤白緑のリボンその他を使ったりして、なかなか楽しい。
市役所ビルでは、市長(嫌われている)と警察署長?がバルコニーの上から見学。その前で一旦止まって、各チームがパフォーマンスをする。だいたいダンス。本当にメキシコ人はダンスが好きだ。体育系の学校は組体操をしていた。
こういうのが大きくなるとセノーテで、普通は遺跡内の見どころ、あるいは遺跡とは別の観光名所になるんだが、ここでは実際、チケット売り場の小屋まで水を引いて、トイレなどに使っていた。
マヤの人たちは多神教なので、宣教師たちに改宗を迫られ「あんたたちの神も信じていいよ」と受け入れたらしい。現在、先住民族以外のメキシコ人は、自分たちにもその血が流れているとはいえ、スペインに親近感を持ちつつ、侵略者を嫌悪する感情は残っている。なぜ今メキシコで、カソリックがこんなに生活に根ざした宗教になっているのか、まったく理解できない。
チケット売り場には、おじさんが一人。観光客も我々以外は後から来た2グループだけという静けさ。チチェンとは大違いで、こういう遺跡のほうがいい。あ、名前は X'cambo という。シュカンボ。
とにかくプレートなどの案内が何もない。パンフレットもない。帰りにおじさんにいろいろ質問していたら、おじさんは小屋の隅から薄茶色の棒のようなものを出してきた。出土したマヤ人の大腿骨だという。
けど、近所の友達に、X'cambo に行ったよと話したら、あそこでは2000年頃に死体が大量に見つかって大騒ぎになったと言っていた。埋めた犯人の意図がどこにあったのか知りたい。やっぱり「区別付かんやろ」とか思ったんだろうか? なんちゅうか、いろいろ感慨深い。
競技者には少年もいた。あどけない顔をした田舎の子だが、いまどき農園主と労働者って関係もないだろうから、実はランチョ(大農場)の御曹司であろう。
競争馬(あるいは引退した馬)しか見たことないので、背の低い馬はずいぶんかわいいんだなと思った。
他にも、年に1度のフェリアという祭りにも行った。ユカタン産業展+遊園地といったところ。去年も母が来ていて、Lさん一家に誘われて一緒に行き、土産を買うのにいいと会期中にもう一度行った。それを覚えていたらしい。今回のメキシコ訪問のメインはこれだった様子。
が、写真はない。すみません。