La Ermita の記録

メキシコ隠遁生活の私的記録と報告
 @ユカタン半島。

エネケン(サイザル麻)とモトゥル

2024年11月16日 | ユカタン諸々
きちんと雨の降るユカタン南部に引っ越して、屋内のジメジメ対策にぜひ使いたいと思っていたものには、チュクム(天然素材の漆喰)の他にエネケン(サイザル麻)がある。両方とも、湿度が高いときには空気中の水分を吸い込んで乾燥していると吐き出すといった機能を持つ。

プログレソ港ができる前、その西の方にシサルという漁港の村があって、スペインはじめ欧米諸国はユカタンの緑のダイヤ(スペイン語で緑の黄金)であるサイザル麻をそこからガンガン旧大陸に輸出して稼いだ(奴隷扱いされていたマヤ人)。ってか、シサルという名前からサイザル麻と呼ばれるようになった。

 化繊のない時代に大活躍したエネケン。

新居で壁一面に張るなんてことも考えたが、斜陽産業とまでは言わないが最盛期とは比べ物にならないほど生産が少なくて高価なので諦めた。そういう商品を作って販売している企業がオープンハウスをするというので、メリダから東へ20キロほど行ったモトゥルという村まで行ってきた。ちなみにユカタン南部のうちの村のあたりではほとんど生産してなくて、同じ農産物といっても食べ物だけ。

 工場。

結構な規模(ユカタンでは…ですよ)の企業。メリダに販売店があるらしい。きっと金持ち向け。

 自動織機。

オープンハウスと言いながら建物のほんの一角で割引品を並べたエリアだけがアクセス可能だったところ、製造について社員を捕まえて質問してたら機械エリアも少しだけ見せてくれた。が、繊維を取り出す機械は、危ないというので見学できなかった、残念。

 昔ながらの重り。

 機械自体は新しいタイプ。

織り機に詳しくないのでよくわからないが、古くからの細いU字みたいな重りを使っているのが自慢らしい。

 絨毯ゲット。

奥に見えるのは、クッションカバーを作るための織地1m分が巻かれたもの。そもそもロール状の織地を何メートルか買えたらいいなと思って行ったんだが、インテリア製品を見ていた相棒が気に入って、結構な値段の絨毯を買うことにした。絨毯というか、2x3mくらいなので我が家の広い居間では小さいラグって感じだが、オープンハウス割引価格で3万5千円くらい。えーと、言うほど高くないですねw。でも刺繍とか手織りとかじゃないし、普通の人はタイルの床で満足してる国だし、ここの物価的には贅沢品である。

ユカタンでは、他にもランプシェードなど金持ち相手のインテリアグッズがある。が、概して高い。トルティーヤ入れなどの民芸品とか、あと靴やハンドバッグなんかも売ってて、そちらは土産物価格とはいえ小物なんで安い。

わたしは、小物なんかじゃなくて床材に集中したほうがいいのではないかと前から思っている。暑くて湿度の高い土地ではめちゃくちゃ気持ちいいです。海辺の我が家では6枚セットのランチョンマットを買って、シャワー出たところの足拭きに使っていた。銭湯の床がもう少し足に柔らかくなったような感じで、一切ベタつかない。濡れた足拭きそのものはスーッと自然に乾いていく。知り合いは日本の実家で階段に使われているが確かに快適だと話していた。織り方にも多少左右されるんだろうが、ジュートやマニラ麻なんかよりも柔らかい。ユカタン土産には「エネケンのランチョンマットを買って風呂場の足拭きにする」を何よりお勧めします。

さらに、民芸品などを作って売ってるマヤ人女性を支援する団体などがよくあるが、ハッキリいってちょっとした現金収入になるだけで、大した支援にはならないと思う。というか、買い取って支援団体で販売するというのは、販路を提供するのでなく単に買い上げてるだけだ。ちょっと支援したい個人などではどうにもならないが、マヤ社会全体の底上げ目的なら、この規模の工場で建材をガンガン作って輸出すればいいのにと思う。法人税高いし。

エネケンもチュクムも、高い金を出す余所者都会人を尻目にマヤ人が「元は俺等のもの!」と生産地で享受してないのが残念だ。今の金持ち相手の商品を買って使えるくらいに経済的余裕があればと考えているわけではない。そうじゃなくて、先スペイン期やその後の植民地時代には支配層しか享受していなかった機能的な部分を、手軽に利用できたらいいと思う。例えばうちみたいな湿度対策。エネケンの織地なんか、「へえー、メリダではそんなに高いんだ、この辺ではみんな床材や壁紙として家中で使ってるよ」みたいに。

でも、常に支配層がいたことや、マヤの家でなければブロック造一択と知識が薄いことや、あるいは教育レベル問題のせいか全体的に想像力が乏しいので、エネケンやチュクムなんか自分たちには関係ないという感じで、虐げられていた歴史を思い起こさせられるのか、そっぽを向く、というか嫌悪を示す。

でも、そういうのは観光客の目の前でトルティーヤ焼いて見せてるうちは解決しないと思われる。トルティーヤ焼いたり骸骨洗ったり、庭で採れた果物を道端で売ったり古い道具を使って調理したりといった写真をユカタン歴史&文化フループなんかで素敵素敵と消費されてるうちは。教育現場でそういう消費のされ方と同じやり方で「我が文化!」と教えているうちは。難しい。

さて、その工場があったモトゥル村には、ウエボス・モトゥレニョス(モトゥル風卵)という料理がある。ちょっと詳しい「ユカタン料理リスト」なんかには顔を出す。

  ウエボス・モトゥレニョス。

硬いトルティーヤの上に目玉焼きをのせて、その上にトマトソースという、書くと変哲のない料理なんだが、目玉焼きがここでは珍しい半熟可なのと、酸っぱ甘いトマトソースの味が絶妙で、とても美味しい。メリダ人も大好き。

今回久しぶりに行ったんだが、すでに「田舎の可愛い村」ではなく、ちょっと観光地化していて、市場のフードコートは観光客をさばくスペースに見事に変身していた。が、モトゥルの街はこの料理目当ての観光客増加に自然体で対応を重ねてきたんだと思う。政府観光局や旅行代理店によくある「キレイ写真も嘘ばかりじゃないけど所詮メキシコだなw」系のガッカリ要素が味やサービス等にない。「張り切ったのね、けどちょっと残念ね」みたいなとこが一切なくて、街の発展としては成功。

たぶんメキシコ人やメキシコ政府や州は、日本人のように「何それ食べに行くぞー!」だけの旅行にあまり興味がない。えてして遺跡とかの建物や伝統行事など目で見てどうこうって物を売ろうとする。モトゥルは政府の目に留まらず余計な口出しをされなかったおかげで、日本人には馴染みのある整い方で発展したんだと思う。

ちなみにメキシコ中のあちこちの地名にもなってるユカタンの英雄フェリペ・カリヨ・プエルトの生誕地。

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 メリダまでの自動車道。

  木と蔓草に覆われている。

日本から帰ってきたときは、メンテの一環で道路脇の植物が剪定されてきれいだった。が、それから1ヶ月もたってないのにガンガン伸びてて、道幅が2mくらい狭いように感じる。本当に、ここの植物の成長はすごい。古代マヤの都市が隠されるのなんて、あっという間のことだっただろうと思う。近場で生活圏を移動するのは、今のマヤ人でも結構多い。中に建物があるか分からない凄い藪なんかいくらでもある。

例えばある王朝が水不足で引越を決めたとして、大きいピラミッドがあろうがジャングルに埋もれるのなんて多分半年かからない。最初のうちは家が水源に近いとか何かの理由で腰を上げない人がいたとしても、人の手が減ればここの植物の成長速度にすぐ負ける。雪かきを怠ったときみたいに、いつか見切りを付けないと脱出不可能になる。季節ものの雪と違って植物の成長は止まらないし、ここは乾季もカラカラにはならない。奴らは年中延び続ける。隠された遺跡の出来上がり。

ササゲ

2024年11月09日 | ユカタン諸々
なんと、先日書いたテカシュの記事が消えてしまった! 消えたっていうかアプリがうまく機能しなくていじってたら消えたんで、もちろん消したんだけど…w。残念。いいね!くれた方、すみません。

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しつこく死者の日がらみのことを少々。

 バナナの葉を採って運ぶ人。

この画像に、大変だとか尊い仕事だとかのコメントがたくさん付いていた。確かに大量の葉を積んで泥道を行くのは大変だが、この時期ピブ需要でバナナの葉だけでなく死者の日がらみの物はガンと値上がりする。普段は自宅の庭や持っている農地で採って売ってるんだが、需要が上がるのでこうして遠くまで採りに行く人が出る。でも、苦労には十分見合っているであろう。

  エスペロン豆。

こちらはピブ(エスペロン入り)に入れる豆で、調べたところ植物学的にはササゲらしい。インゲンばかりのメキシコでは珍しい。この青物野菜の少ない田舎で莢も食べられるササゲはありがたいということで買ってきた。ここでは豆粒しか使わないので収穫時期には比較的無頓着なんだろうが、メリダや海辺と違って採りたてのものが売られている。が、日本のササゲのつもりで調理したらやっぱり硬かった。

ところがその後、莢を束ねた写真でなく畑の写真を載せている人がいた。たぶん、その日の朝に採ったことをアピールするためだと思うが、ニホンジンは別のところに目がいく。若そうな莢もあるし、ササゲ菜も採れそう。今は買ったばかりなので、全部消費したらその人にコンタクトして、お目当の莢と葉だけ、つまりお客さんが好きに採るササゲ狩りみたいな感じで採らせてもらえないか聞いてみようと思う。

 隣の州政府広報。

隣のキンタナ・ロー州は以前から中央政府寄りで、そのため中央政府の正書法に基づいてハナル・ピシャン(マヤ文化での死者の日の食事、死者の日そのものも指す)を Hanal でなく Janal と書くのが正しいと言っている。スペイン語ではHを発音しないので、メキシコ人にとって正しく発音しやすくしようと思えば、Jになる。でもユカタンでは長年Hを使ってきた(キューバのタイノ語との関係もあるとかないとか)が、今年は政党が変わって中央の与党の知事になったので、J表記が増えた印象を受ける。

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 F1メキシコGPのサーキットメニュー。

コチニータのトルタがあるこの写真が出回って、「マヨネーズ入り!フライドポテト付き!」と騒いでいた。ユカタン人は、世界中どこへ行ってもコチニータを見つけ、違う違うと文句を垂れ、それでもそれを買って食べているw。郷土愛。

 バルチェの花が真っ盛り。

バアルチェというマヤの聖なるお酒を作る。なんと、樹皮をどうかして作るらしい。やってみたいが、聖なる…すぎて実験などして遊んじゃいけない雰囲気がある。ヒルベルトんちの木だし、テキーラもどきと違ってなかなかチャンスに恵まれない。というか、日本語ウィキには「今でも現地では…」などと書かれているが、はっきり行って土産物屋でさえ見たことない。マリアに聞いたら作り方を知ってるだろうか。

 どこにでもあるマヤの家。

どこにでもあるんだが、敷地内が木でボーボーになっていないわりに蔓草が屋根まで伸びてて、少し珍しい。おそらく最近無人になったんだと思われる。

 近所の鶏肉屋のヒヨコ販売。

ヒヨコが売りに出されるのは、2週間に一度と決まってるらしい。この辺では、鶏なんか飼おうと思ったら誰でも飼える。でも飼ってる人も鶏肉を買いに行ったりする。各家庭で鶏肉と卵の需要というか、「肉になるよう育てている鶏と卵を産ませる鶏」、さらに「肉になるよう孵させる卵と食べる卵」のタイミング/計画があって、鶏肉屋は経験則からそれを熟知している。「2週間に一度」という頻度はそれに合わせているんだろうと思う。

死者の日の祭壇コンテスト

2024年11月02日 | ユカタン諸々

死者の日でござる。去年は引っ越すほんの少し前だったので、今年はディープ・マヤの死者の日を堪能するぞ!と期待ガンガンであったが、思ってたのといろいろ違ってそれはそれで面白かった。

 隣のカンペチェ州のパレード。

マヤ文化圏の本当の死者の日には、ガイコツは登場しない。あれはメヒコのものである。ユカタン文化グループでは、毎年ガイコツを取り入れることはいいだのダメだのと議論している。ユカタンの伝統的な死者の日では、祭壇は家の中に作って厳かに死者の魂を迎える。

だから村の様子も普段とあまり変わらない。ただ、近所の人たちに聞くと、近くの村に住む親戚んちに行ったり、いろいろ準備で忙しいという。マヤ文化グループで「祭壇は見世物じゃない」という議論があったが、まさにそういう感じがする。ただ、夜には親戚で集まってワイワイやっているのか、どこからともなく爆竹の音が聞こえる。

爆竹もうるさいが、それより衝撃的だったのが、祭壇コンテスト。海辺の村では、移り住んだ当初はマヤ式のが数個といった感じだったが、年々メヒコ色が強くなってガイコツだのオレンジ色の花などを使うことが増えて、かつ見世物度も上がっていった。が、うちの村の役場でコンテストがあるというので、よーし、今年は久しぶりに厳かなマヤの祭壇を見るぞ!と勇んで出かけていった。

  なんと、この人出。

マヤ式の祭壇がいくつか並んでいて、そのどれもが正当マヤ式…ってな静かな展示を想像していったんだが、見事に裏切ってくれたw。大勢の村人、子供の数が半端ない。どう審査するのか知らないが、マイクを持った役場の人?が順番に回って、各製作者グループの代表が祭壇つくりのコンセプトなんかをスピーチする。その間も、どんどん見物客が増え、子供達が走り回る。

 紹介がすべて終わると、

  なんと、お供えを配り出す!

配るというか、見物客が祭壇の上からどんどん好きなものを取っていく。なくなると製作者が奥から出してきてまたどんどん並べる。

食べ物を漁りにいくようでちょっと嫌だったが、肝心の祭壇を見たかったのでちょっと回ってみた。

  こんな感じ。

後で聞いたんだが地元の小学校などが出場していて、祭壇そのものの様式はそれほど重要でなく、作るという伝統を守るための学校行事に役場が一役買っているという感じらしい。田舎の村にはこれといった娯楽がないが、自分たちでいちいちイベントにしてしょっちゅう楽しんでいる。ディープ・マヤ感ゼロだが、これはこれでここらしいなと思った。ってか、これは30日のイベントで、31日には学校でまたちゃんとした死者の日のイベントをし、1日は各家庭で故人を偲ぶらしい。

 見てたら捕まった。

奥まで入って見てけ!食べてけ!と囲まれて、死者の日の甘いお菓子なんかを次々と勧められて、最後には

  お土産。

グレープフルーツとみかんとオレンジをこんなにどっさり。

死者の日の甘いお菓子というのは、有名なメヒコの死者の日だとこんな感じ。だいたいがマジパンでドクロや食べ物に成形したもの。ユカタンだとこんな感じ。果実を甘く煮たものなどもある。シリコテ(ギターの材料になるジリコテの実)のが美味しかった。ここのマジパン菓子の特徴としては、かぼちゃの種を挽いた粉を使っていること。

ところでちょっと日にちが前後するが、死者の日の週が来ても、FBで関連グッズ(ひょうたんの殻で作ったお椀やろうそくなど)の販売が盛んになっる以外、あまり村の様子は変わらなかった。メキシコの死者の日をググると出てくるようなこれ見よがしな飾りとは無縁。

隣のマリアは関連グッズをどこかで仕入れてテカシュ村まで売りに行くと言っていた。日を追うごとに、お菓子を売る人も増えてきた。そういう関連ものでゲットしたのがこちら。

 チョコレート飲料の素。

えー、チョコレートの発祥はここ中南米で、甘い板チョコじゃなくて苦い飲み物だったというのは、今どのくらい知られているんでしょうか。我々はメキシコに来てすぐウシュマル遺跡に行ったとき、近くのチョコ博物館で知って、ついでに試飲もできた。苦かった。

さすがディープ・マヤだけあって、村の人たちはタブリヤという板状のもの(チョコレート飲料の素)を手作りして売っている。作るところも見たいがまだ家のあれこれ(留守中まったくされてなかった掃除とか、ようやく食器棚が来るとか)で忙しいので、とりあえずブツだけ。年中ときどき売りに出ているが、死者の日にお供えする/振舞われる食事の一部なんだろうか、この時期はめちゃくちゃ多い。カカオとその他材料の複雑な香り。これを湯で溶いて飲むと言われたので、まずはその通りに。

 なんとも複雑なお味。

そして苦い。役場が売っていた死者の日のお菓子と、ものすごく合う! 友達には甘いパンを食べながら飲むと美味しいよと言われたが、パン程度の甘さではイマイチというか、これは日本のお薄とまったく同じように、ちょっとの量の甘いものの後にめちゃ苦いものをゴクッと一口いくのがいい。まだ残ってるので、次回は茶会みたいにセッティングしてちゃんと飲もうと思う。

青い皿のはサポティートという。祭壇コンテストで人に揉まれて潰れてしまったが、本当は博多のひよこみたいな形をしている。

 こんなの。

他のマジパンもかぼちゃの種が入っていればそう呼ぶらしいが、うちの村では正確にはこの形のものを呼ぶらしい。なぜこの形なのかはこれから聞く。

チョコレート飲料の上に写っているせんべいみたいなものは、かぼちゃの種そのものを砂糖などで固めたもの。アーモンドみたいに後を引く味。これまた苦いチョコ飲料に合う。

 味変で牛乳を入れてみた。

こちらは「うっ、苦い!よく知ってるチョコ飲料じゃない!」と感じる前に脳がミロだと認識して、非常によろしくなかった。二度とやらない。

 パン・グランデ(巨大パン)

ユカタンの片田舎には、死者の日のパンは登場しない。その代わり、なぜか大きいサイズのパンが出回る。お供えした後みんなで食べるんだろうか。

 コンテスト会場にいたガイコツ。

希望者が一緒に写真を撮れるように歩き回っていた。役場が雇ったのであろう。それにしても、本場メヒコのガイコツにも、こんな丑の刻参りみたいなのがいるんだろうか。

最後に、祭壇という言葉は墓そのものを指すようで今ひとつピンとこなくてずっと盆棚と呼んでたんだが、キリスト教では何かするときの台のことを祭壇と言うんですね。でも、マヤの祭壇は日本の盆棚とコンセプトがまったく同じなので、個人的にはあれは盆棚だ。