La Ermita の記録

メキシコ隠遁生活の私的記録と報告
 @ユカタン半島。

年越し

2024年01月01日 | メキシコ 日常生活

明けましておめでとうございます。

今年は台所がないので特別なものは何も用意する気にならず。小さいガスコンロならあるので頑張ってカレーだけ。牛肉を買いに行くのは生活が落ち着いてからと考えているので、豚肉を買いに村の市場へ。

 肉屋でもらった。

クリスマスとお正月の粗品。結構いい作りの買い物バッグで、豚さんの絵がかわいい。

その代わり…でもないんだが、現場の親方一家にまたしても一家の集まりに呼んでもらった。おそらくメキシコ中で似たようなことをしていたと思う(1/6 追記:メキシコ中じゃないそうです、知らんと言われた)。大晦日の夜11時頃から集まって、年が明ける15分くらい前に古い服を着せた人形を燃やす。アニョ・ビエホという。

 準備OK。

道路に人形を寝かせて、ガソリンをまいてある。なんか、メキシコじゃシャレにならない景色だが、ここは安全なユカタンのさらに安全な田舎の村。

 火を付ける。

ゆく年の悪かったことすべてを燃やしてしまうというコンセプトらしいが、なぜ人形(ひとがた)なのか謎。

 少し離れたところの家でも。

人形には花火(爆竹)が仕込んであって、ときどき大きな音を立てて弾ける。そういえば人形の写真を撮るのを忘れた、すみません。火が収まって年が明けたタイミングで、みんなで新年の挨拶(ハグ)をし合う。年寄りから子供まで20人くらいと。大家族っていいですね。ニホンジン同士はそういう恥ずかしいことはせず、オメデトウゴザイマスと頭を下げる。

 その後、みんなで食事。

とにかく寒い。いや、内陸部で寒くなるのは知っていたが、家の中は暖かいし日中は30℃近くまで上がるので油断して真冬用の服を「借家では開けない引越し荷物」に入れてしまった。家具などと一緒に開かずの間のどこかに眠っている。冬季に急に日本に行かなきゃならなくなるなど、一応捨てないで持っているセーターとかジャンパーなど。ちょっと羽織るものくらいは出してあるんだが、いや〜、寒かったです。おそらく15℃くらい。寒くないですか? 我々はもう一生Tシャツで過ごしたいと移住したので、15℃でも十分寒い。ちなみに夜明け前にはもう少し下がる(けどベッドの中なので関係ない)。

 肉を焼いている。

ポクチュクというユカタン料理。こんなの。…ですが例によっていいレストランではこういう感じで出てくるが、ローカルは、肉とサルサと付け合せの玉ねぎが配られてトルティーヤでちぎったものを挟んで食べる。ハバネロサルサはお好みで。美味しかったのと寒いので写真を撮るのを忘れた(こればっかり)。

 スーシー。

突然1人の女の子が我々の席に来て「寿司は食べるか?」と聞くので、ニホンジンだから聞いてるのかと思って食べると答えたら、一切れずつ持ってきてくれた。おそらく夜中の食事まで待ってるとお腹空いちゃうから少し前に食べた残りだと思うw。メリダのスーシー以上に巻き寿司から離れていて、もはやなんちゃってではない。よくわからないけど甘いところがあった。

  その後はビニャータ。

小分けのお菓子をたくさん入れて作ったくす玉で、紐で高いところに吊るして大人が高さをコントロールする。子供には叩きやすく、大人には(大人もするんです)叩きづらく高さを調整して外野はそれを見て面白がるという行事?出し物で、集まりとかパーティでいっつもやる。ユカタンのピニャータは、棒とか使わずに拳で叩く。(それより子供の重装備を見てほしい、マジで寒かった)

 おじいちゃんも。

一族の長老。マヤ語しか通じないけど優しいおじいちゃん。その後大人もトライするんだが、普段目にするピニャータよりやたらと頑丈でなかなか壊れない。パンチを繰り出した全員、手が痛い痛いと騒いでいた。

  棒登場。

棒を使うときはスイカ割り方式で。あ、この写真で座っている赤い服の大人が高さ調節の係りです。

楽しかった。が、寒かった。本当は真っ平らなユカタン半島の地平線が見えるという隣村の丘まで行って初日の出を見るつもりだったんだが、これより寒くなるのかと慄いてやめてしまった。

正月休みは1日だけで2日からは平常運転、現場も始まる。昨年は引っ越しを決めたのと日本の家族でちょっとあり、特に後半はバタバタだった。今年は4月頃には引っ越せるようになるし、この村にもどんどん慣れていってるのでいい年になるはず!

本年もよろしくお願いします。


聖母グアダルーペのお祝い

2023年12月14日 | メキシコ 日常生活

えーと、説明するの面倒くさいんで端折りますが、メキシコにはマリア様じゃなくてグアダルーペ様という聖母の信仰がある。他にも聖人や護り神?のお祭りなんかもあるが、だいたいミサがあって神輿が出て住民が一緒に行進したりする。

現場の親方に、自宅でペレグリノなる催しをすると呼ばれたので行ってきた。ペレグリノは巡礼という意味の言葉だが、ここでは信者がどこかに行くんじゃなくて一連の行事のことを指すんだと思う。

 5時から身内での礼拝?

礼拝というか、一族のお嫁さんのうち2人が音頭をとって歌を歌ったり何か唱えたり。広い敷地内に新しく作った寝室棟の前のテラスに、祭壇を作って椅子をいっぱい並べてある。

 だんだん暗くなる。

 終わったらご飯が出た。

よく晩ご飯に食べるスパゲティ・ロホ(チーズソーストマトクリーム味)、ハムサンド、ひき肉バーガーと、チョコプリンが挟まったケーキ。ジャンクみたいな組み合わせだが、例によって味はいい。夜にしっかり食べる日本人には量が足りないw。これをだんだん増えてくる参加者に、親方一家の息子&嫁たちが順に運んでいた。

 マリアッチによる献歌。

 親方一家とマリアッチ。

 続いてバンダによる献歌。

えー、マリアッチというメキシコならではの音楽グループは大体5、6人ですが、バンダは吹奏楽の20人くらいのグループです。マリアッチは観光地で流しをしたり、結婚式などのイベントに呼ばれたりする。バンダには昔でいう芸能界?で活躍するグループもいる。両方ともクラッシックなメキシコ歌謡というか、愛だのどうなのという歌がほとんどで、歌によっては日本のムード演歌?によく似ている。音楽に疎いのですみません、興味あったらググってください。

彼らが、参加者でなく祭壇に向かって、おそらくルペ様系の歌を歌った。バンダのほうは、その後参加者へ向きを変えて演奏。普通メキシコではダンス合戦になるんだが、なんとこの一族で踊ったのはイピル(民族服)姿の婆さまと彼女に付き添う嫁の1人だけであった。マヤ人ってシャイなんです。もちろんニホンジンも踊らない。

  踊らないが、音楽は楽しむ。

楽しむが、正面の席に座っていたためトランペットの音量に疲れて、敷地入口辺りまで移動(後退)。入ってすぐの大きい木にクリスマスの飾り付け。

 その婆さまの家。

婆さまにわらわの祭壇を見よと連れられて、一番大きなマヤの家へ。この記事で紹介している家。赤青緑の光が登っていくイルミネーションの現代商業チックさと、マヤのウアノ葺きの屋根に映るそれらの光の謎文明感で、頭がくらくらした。クリスマスが終わる1月6日に何かまたイベントをするから来いと言われた。

 夜のマヤの村。

写真が下手で申し訳ないが、その辺の木や周囲の茅葺き屋根や物干し紐などが月に照らされて、ああ、マヤの村なんだなぁという感じ。バンダが帰った後、だんだん人が減って、身内だけになってきたのでおいとました。楽しかった。


灼熱地獄

2023年06月19日 | メキシコ 日常生活

死んでます。先週からメキシコ全土が熱波に襲われていて、海辺のこのへんでさえ40℃を超えている。カリブ海あたりの国々も同様らしい。メリダの体感気温は50℃。風もいつものようには吹かない。というか、当然だが海水温もめちゃくちゃ上がっているらしい。

気温自体は北部の砂漠っぽいところの方が高くて、45℃なんてところもちらほら。本来ならもう雨季の始まりで、昼間は気温が上がるものの午後に雨が降って下がったりするし、もう夜には結構下がる時期なんだが、全土でカラカラだという。

が、ユカタンの悲劇は湿度が高いこと。そりゃ砂漠のカンカン照りも厳しいだろうけど、このへんでは熱い空気が時間とともに止まっている感じ。何が違うのか、なぜか日本みたいに蒸し暑いとは感じないんだが、ほぼ年中暑いところにもう8年近く、たぶん慣れただけ。

 よくあるユカタンジョーク。

普段からこうやって話題にするくらいで、逆に言えばコンクリートジャングルのメリダでなければ、ユカタンの住民は概して暑さに強い。実際、この暑さが始まった先週、ユカタンの中でも特に暑い南部の友達に大丈夫?と聞いたら、暑いの一言もなく「雨、降ったー!」と喜んでいた。その日の気温は40℃を超えていたんだが、人々は雨を心待ちにしていたのである。ところがその後はほとんど降ってないらしく、暑さもひどくなるが、日本でいう田植えの時期でそっちのほうが深刻らしい。

海辺のこの辺りでも、普段のように「今日は珍しく南風だねー」「明日は暑くなるねー」で済まず、その後ずっと暑いまま。連日暑いんで、ブロック造の家そのものが温まってしまった。水圧確保のために屋根の上に上水タンクがあるんだが、朝方でさえ蛇口から湯が出てくる。昼間は熱くてシャワーも浴びられない。家中で冷たいものと言ったら冷凍庫の中身くらい。涼をとろうにも、海まで行く200メートルの間に死にそうだし、政府からは「11時から午後4時の不要不急の外出は避けましょう」なんて注意が回ってくるほどで、コロナ騒ぎの頃のような非常事態である。

この熱波が始まってすぐ、エアコンの使い過ぎが原因でメリダ中で停電した。当然、他州では熱中症による死者も毎日10人前後出ている。通学をやめてオンライン授業に切り替えた学校もあるらしい。

そういうわけで、ほとんど何もせずに家に引きこもり中。

ーーー

 丸型のサボテン。

暑さとは関係ない話。隣地の現場のせいで土地の境界近くにあったサボテンパークの柱サボテンが全部ダメになってしまった。施主は買ってきて賠償するとかほざいてたが、この辺の自生のものをコツコツと集めた自慢のサボテンパークである。4角柱から8角柱まで揃えられるとは思えない。少なくとも、開発が進んでこの村の名前の由来になっている種類なんかそもそも売ってない。とりあえず死んでない希少種だけ避難させた。

 キビとポルカン。

ポルカンはキビ以上に珍しいらしく、他州に住んでいる知り合いは誰も知らなかった。詳しいことを書きたいが、暑さでへばってきたのでまたの機会に。


W杯、見ないけどフォローしてる

2022年12月02日 | メキシコ 日常生活

えー、しばらくバタバタしておりました。

この時期、メキシコもW杯で盛り上がるんだが、決勝進出叶わず、急に静かになった。ユカタンでは普段は野球のほうが人気あるとはいえ、サッカーW杯だけは見るという人も多く、先週の土曜日までは結構盛り上がってたんですけどね。

 カタールでユカタンの旗。

この旗を持って応援に行った人がちょろちょろいるようで、いくつかSNSに流れてきた。

ってか、日本にびっくりだ。うちは義弟がドイツ人で、試合が終わって「何も言わないよ」とメッセージを送った(嫌な奴w)ら「今、言ったじゃん」という返事が来た(仰るとおりw)。義弟曰く、変な腕章をどこにつけるかで悩んでいるからだ、カタールじゃなければ何もしない…と。辛辣かつまっとうなご意見。

先ほどはスペイン語の先生(スペイン人)からメッセージが来た。試合を見てもいなかった(昼間なんだけどw)ので、言われてビックリ。彼の娘に日本語を教えてるんだが、大学で観戦するので両国の旗を持っていくと先週見せてくれていた。すごくデカイ国旗w。非国民といじめられていませんように。

実は私も野球派で、サッカーは実業団じゃなくJリーグになった頃から見なくなった。でも興味があるスポーツでなくても、オリンピックや箱根みたいなのは観る。帰属意識を楽しむナショナリスト系人間。

でもサッカーは、予定と結果だけは追うようにしている。詳しいことは分からなくても、勝敗の話題くらいにはついていけないとメキシコでは話が盛り上がらない。

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  闘牛祭り

ここには本物の闘牛みたなのはなくて、農場の男どもが出場するカウボーイ技術の競技会(記事後半)があるんだが、最近はそれも動物愛護(かわいそう、危険だ、見世物にするのよくない等々)の関係で減ってきた。

代わりに脚光を浴びているのが、元からあった子供の祭り。手押し車を牛に見立てて、馬に乗らず走って縄を掛ける。可愛い。

カウボーイやその技術が消滅するということは、乳牛がすべて牛舎飼いになるということだ。牛にとっていいのか悪いのかよくわかんないけど、少なくともメキシコには、犬を鎖で繋いでおいたり散歩のときリードをつけたりするのも猫を家飼いするのも否定する人がまだまだいる。

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 プログレソにできる高架。

メリダ - プログレソ自動車道は、終点でそのままプログレソの中心部に突入するので、埠頭を目指す大型車は西に少し逸れた道を海に向かって走る。中心部よりは一般車が少ないものの、二車線とはいえないような一通、おまけに両脇に住宅が建っている箇所もある。

20年も前から、埠頭へのアクセス改善プロジェクトが出ては消え出ては消え…してたんだが、いよいよ勢いに乗る知事および市長が今回こそは!と話を進めている。ルートに続いて、こういうパースが回ってきた。回すついでに、すごいだろすごいだろと言ってくるメキシコ人が多いんだが、何に感心すればいいのか。プログレソには買い物くらいでしか行かない我々には直接の影響はないし、なにしろトーキョーには60年近くも前から首都高ってものがあってだな。。。

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 夕日。

うちは暑さ対策で西側に窓がないし、あってもこんなのは見られない。この写真は、メリダ - プログレソ自動車道を出てうちの村へのバイパスに向かう立体交差で撮った。ただでさえあまり出かけないので、このタイミングは本当に稀。

ちなみにビーチに行くと夕日が見られるけど、太陽が海に沈む。それが好きでここを選んだので、なんと数年ぶりの「地平線に沈む夕日」であった。


誕生日の集まり

2022年07月27日 | メキシコ 日常生活

メキシコ人は、まあとにかく家族とその誕生日が大切な人々。友だちもしょっちゅう「いついつは誰それの誕生日の集まりがある」と言ってる。スペイン語のファミリアは辞書では家族だが、どっちかというと親戚も含めての一族で、いとこの夫とかも家族に含まれる。基本カトリック信者なんだが離婚再婚も多くて、おじさんの今の彼女とかも入るんで、日本語の家族とは全然違う。

で、そのそれぞれの方々の誕生日。えーとですね、私はメキシコに来て、音楽と誕生日が嫌いになった。いっつもだしうるさいし面倒なんで。

でも、仲良しに誘われたら行く。彼らは大体メリダに住んでるので、そういうときくらいしか会わないし。今回は、このブログの初期の重要登場人物Lさん(最初に住んだメリダの借家の斜向かいに住んでいた一家の主人、うちを建てたときの現場監督)のお母さんの誕生日会であった。

彼らの一族は、時期はいろいろ(40年前〜10年前くらい)だが、危ないタバスコ州からメリダに引っ越してきた。ユカタン人の多くは、タバスコ人と言えば粗暴で下品で…というイメージを持っている。まぁ、最近は槍玉に上がりがちなステレオタイプと言えばそうなんだけど、彼ら一族に限って言えば、当たっている。そのお母さんは絵に描いたような荒くれ肝っ玉母ちゃんで、私と実に気が合う。

 こういうおばさんw

彼女は近所で料理を売っていて(メキシコでよくある商売パターン。店舗など構えず自宅の台所で作ってテキトーに声をかけてほしい人に売る)、腕はピカイチである。なので、自分の誕生日であっても、作るのは彼女。

で、今回出てきたバルバコアのスープにはたまげた。メキシコで食べて美味しかったものベスト3に躍り出た。

  こういうの。

左は玉ねぎとシラントロ(パクチー)の薬味(右の写真の奥の皿)を入れたバージョン。最初はまず味見と思って入れなかったらそれが正解であった。ちなみにライムも添えられてたけど、これも入れないで正解。

一口食べてショックが収まってから、これなあに?と聞いたら、コンソメだと言う。いや、それは分かってんだけどwと日本人がウケてたら、コンソメを知らないんだと思ったらしく、ゆっくり「コン・ソ・メ」とかいって挙げ句の果てに紙に書き始める始末。楽しい人たちなんだが、そうじゃなくて。

正体はバルバコアという料理の過程でできたスープの味を整えたものであった。こちらがバルバコアですが、英語で言うとバーベキューなんで、写真じゃ分かりにくいと思う。ユカタンではあまり馴染みがないので詳しく知らないが、味付け肉を熱い石で焼く料理で、ああ、材料は違うけど、ここのコチニータと同じ系統ですね。

で、その肉の方は、タコスにして食べる。おっとスープの美味しさに驚いて写真を撮るのを忘れた。すみません。が、スープに夢中になっている間にトルティーヤに汁がしみて破れて困ってたら、Lさんが「そんなの最初から分かってる、こっちのほうがいい」と見せてくれた食べ方がこちら。

 スープとか肉だけとかをトルティーヤですくって食べる。

結構どんな料理でも、こういうふうにトルティーヤを使って食べる。セビチェとか。丸ごと焼いた鳥なんかも、トルティーヤで挟みながらちぎってそのまま口に入れる。あー、でも「粗暴な」食べ方なのか、実は知りません。もう最近はメキシコを知ってるとは言えないと自覚してるんで。

ちなみにバルバコアも、店で出てくるグリルかなんかで焼いたやつとは別物だった。めっちゃ美味しい。この母ちゃんはあなどれないんです。

スープの前に出てきたおつまみ(これも写真を忘れた)は、小さいタマルとソーセージのチポトレサルサ和えなど。そのタマルに緑の葉っぱの切れ端がいっぱい入っていて、でもユカタンのチャヤと味が違うと思ったら、チピリンだという。メキシコ南部の料理というと、大体これが入っていて、前から何だろうと思っていた。ユカタンは南部扱いですが、やっぱりちょっと別世界だと思う。

 こんな葉っぱ。

 苗木もくれた。

けど、これ、なんか田んぼのわきにはえてるレンゲみたいな匂いで、味もよくわかんないし、調べても別にチャヤみたいに栄養が豊富!というわけでもない。あまり食べると眠くなると、別の友達が教えてくれた。

 ケーキ

その誕生日の彼女の妹の孫がケーキ屋(同じく自宅で作って売る商売)をしていて、この一族の集まりにはいつも彼女がケーキを作ってくる。メキシコなんでとても甘いが、丁寧に作ってある。今回は、周りのほのかな紫色は着色料で、普通のトレス・レチェスであった。彼女のは中に挟まってるクリームにカルーアを使っていて、とても美味しい。この紫のにうちの海のぶどうの汁なんか使ったらすごく美味しそうだと思ったけど、メキシコ人はあまり季節感とかに価値を見出さない(旬はあるけど、安くなる程度の話で、歳時記的なこととそのとき食べるものの材料の旬とのつながりが日本より薄い)んで、まあいいや。

えー、食べ物の話ばかりになったけど、そもそもメキシコの誕生日の集まりってのは、集まって美味しいもの食べて歌うたってケーキ食べる…です。基本は日本と同じだけど、その間ずっとうるさいんで(音楽ガンガン、おしゃべりギャーギャー)、疲れる。我々はだいたい「遠くまで帰る年寄り」なんで…と、メキシコ人にはまだ序の口…な時間に失礼する。

 

 最近の海

きれいだけど、去年のように海藻がいなくてつまらない。


獣医

2022年06月23日 | メキシコ 日常生活

 イグアナのけい君のごはん。

うちにはイグアナが4匹くらいいると思われる。それぞれ、大体の寝床(住処)は決まっているらしく、大体同じところで見るのは同じ大きさ。で、けい君はまだ決まってないのか、あるいは隣の隣の土地の廃屋にいるのか。

でもうちにもときどき来るので、定まった位置に野菜くずを置くことにした。写真はニンジンだけど、キャベツとかいろいろ。置き始めて3日後から毎朝、切れ端が小さくなって、足跡がついている。早く怪我が治りますように(怪我について興味あったら、前の前と、その前の記事を見てください)。

 

 いつにない格好で庭作業をする相棒。

根っからの面倒くさがりやで、ここにいるとあまり人に会わないもんで、それが加速した。で、いつもタンス(というか棚。天板なしの網状、ステンレススチール製。もう錆びてるけど)の一番上にある服を着る。湿度が高くて、服になるべく風を通したいので、洗濯したものは他の服の下に置くようにしている。

が、お出かけ用…というかぼろ作業着じゃないやつもたまには着てほしいと言ったところ、なぜかこんな格好をして普段の作業を始めた。そしたら、一階の屋根にいる犬どもには相棒だと分からなかったらしく、けたたましく吠え出した。

こういう格好をするのはメリダまで出かけるときだけで、いつも車のある玄関側でしか見ないので、庭にいた飼い主をよそ者だと思ったらしい。番犬としては優秀だが、「俺だよ、オレ、オレ!」と何度か叫んでようやく分かった。ちょっとバカ。

 牛くん(雌)。

前脚に肌荒れというか、毛が抜けてそれをベロベロ舐めて悪化させたので、獣医に行った。以前は村の中心地の先にいい獣医がいたんだが、プログレソに引っ越してしまった。避妊とかどうしても必要なときはそっちまで行ってたが、猫は室内飼いだし犬は屋上飼いなんであまり問題も起こらない。起こらないと行かないので、犬どもの元々の車嫌いがもう手に負えない。というか、25キロの嫌がる犬を抱っこして一階まで運び(自分で階段降りられない)、車に載せることを考えるだけで嫌になる。

で、ガイジンも増えてるしもしかして…と思って調べたら、なんと村に別の獣医がオープンしていた。餌で合わないものがあったとの見立て。

してくれた処置が、消毒とアロエの切れ端の湿布。前に隣村の歯医者に行ったときも、抗生物質の代わりにプロポリスを使われた。自然派ってのはウケるようで、この獣医もガイジンに大好評である。

が、わたしは経験上、肌のトラブルは市販薬その他なんかに頼ってないでとっとと皮膚科に行くのがいいと思っている。巷でいいと言われてる「自然のもの」なんかも、日頃から…ってな感じではいいが、トラブルになってしまったら皮膚科でもらう薬の方が効く。で、アロエ。

そんなんだったら、うちには万能と言われているニームが植わってるんだが、してくれたものはありがたく受け入れ、言われたとおりに毎日一回消毒の後、切れ端の湿布をしていた。(切るときぬるぬるするし犬は暴れるし、面倒だ)

ところが3日目に見たら、いまいち体質が合わないようで、ちょっと悪化している。だったら獣医の再診はやめた、やめた。自然なものにちょっと抵抗を感じたのか、相棒がニームの前にオロナインだと言うので、まずはそれに変えた。前から何かあると塗って調子よかったし、今回は順調に回復中。

獣医には790ペソ。5千円弱。円、安くなりましたね(涙)。790ペソは、このエリザベスカラー代だ。しょうがない。

小屋に入るのに苦労していたので、一階の屋根じゃなくてテラスに移動。お兄ちゃんのコン君(雄)がいなくて寂しいのは我慢してくれ。


たま食堂、他

2021年12月11日 | メキシコ 日常生活

 ご存知ニッポン行きたい!たま食堂

旧市街から店を引っ越して、これまでの店はたこ焼き専門店にする。商売繁盛で、我が事のように嬉しい。で、用があってたこ焼き屋のほうに行ったら、特注鉄板をそのまま使おうとしていたので、シーズニングを手伝って(というか教えて)きた。

彼らはレストラン経験なしに商売を始めたんだが、テレビで散々流していたのは「日本食の作り方は日本からの留学生などに教わり…」という日本人が喜ぶ部分である。が、側で見たり本人たちの話を聞いたりしていると、苦労の原因は日本食そのものより、飲食屋経験がない、あるいは調理師としての教育を受けていないことのほうが多かっただろうと思う。オープン前に間に合ってよかった。

 メキシコ寿司のデリバリー。

一方、カリフォルニアロールからさらに寿司から進化した(離れた)メキシコ寿司の店は、コロナで出前が増えてどこも好調らしい。写真は、緩衣を来たような変な中国人(口角の脇にちょろっと髭が伸びているタイプ)をキャラにしていた「センセイ・スシ」。新キャラ出前忍者の絵も見える。

 

 麦わら。

 定番、藁人形(あそび)と、作りかけた何か丸いもの。

正月飾りのしめ縄用に、パラパを葺き替えた斜向かいさんからもらっておいた藁だが、稲わらと勝手が違う。丸いのは、上手くいきそうだったらカゴみたいにしたかったが、途中で投げ出した。しめ縄は一応できたけど、色がなぁ。あと、簾も製作中。

 

 遠くの異物に向かって吠え続ける犬。

800メートルくらい離れた現場で、コンクリ打ちをしていた。以前はうちと同様、人海戦術で屋根をかける現場ばっかりだったが、最近は重機を入れるとこも多い。だから、犬がうるさいこともしょっちゅう。

 小鳥を捕まえて食べている。

 おこぼれにあずかれず、羽の匂いを嗅いでいる。

結構グロだし、食べかすにアリが来るので勘弁してもらいたい。

 

 給湯器の掃除。

 水道料金の支払い。

アプリでもできるんだが、銀行のシステムが落ちてもニュースにさえならない、客もまたかと思うだけの国で、オンラインバンキングはなるべく避け、電気代も公社の事務所まで出向く我々が、田舎の市のアプリなんか使うわけがない。それに、窓口のお姉さんたちと世間話をすると、市長が発表するイケイケの計画じゃなくメンテの予定とか現実的な話が聞ける。

 

   最近やたら増えたトウゴマ。

更地にするタイミングによるのか、ガーッと伐採した後に生える植物が、土地によって違う。前からポツポツとは生えていたが、今うちの近くではトウゴマの小森がやたら元気になっている。自転車にさす油でも作ろうかと思ったが有毒なのを思い出して調べたら、とんでもない猛毒だとわかったのでやめた。

 草いけ。

秋なのになぜか花を咲かす種類が多いので、あれこれ切っては飾っている。他にはブーゲンビリアとか、よくわからない豆の木とか、よくわからないつる草とかの花。

 最近の夜明け。

もうすぐ冬至ってことで、ずいぶん南方から日が出る。


メキシコ独立記念日

2021年09月20日 | メキシコ 日常生活

9月16日は独立記念日。独立したその日じゃないんだが、飾り付け・行事・料理その他、クリスマスと死者の日の次くらいに、国中が同じカラーに染まる。

バレンタイン餅を作った頃から3色ってのは独立記念日に活かせるなと思っていたので、今年トライしてみた。

 メキシコの国旗。

例によってニッポン行きたいたま食堂と、別のジャパレス友だちに連絡して、7ヶ月ぶりの mochi 販売と相成った。試作してそれぞれにイメージ画像として送ったところ、たま食堂を通じて地元のメディアから取材依頼が来た。今回、緑をユカタンの野菜チャヤで、赤をハマイカ(ハイビスカス)で色をつけたんだが、メキシコの野菜と和菓子のフュージョンを面白いと思ったらしい。

日本人は結構いろんなものを組み合わせるんで、フュージョン自体は特に珍しいものでもないと思ってたが、チャヤを練りこんだ草餅は実は大ヒットなのである。草餅を食べたくていろんなもの(野生の草まで)試したが、ほろ苦い草餅の雰囲気を見事に再現できたのはチャヤだけである。地元の野菜にもっと早く気づくべきであった。

 コロナのせいで会うの久しぶり。

 短い動画に出演。

たま食堂の女将に試しに丸めてもらおう(こっちが映るのは逃げよう)と思ってたら、取材が多くて疲れた(もっと悪い言い方はある)そうで、取材が終わった頃に出勤してきた(逃げられた)。

 売ったのはこういうの。

作った本人の自慢は、白(普通の大福)につけたマークである。ワシとサボテン。上の国旗の画像の雰囲気出てるでしょ?

ところが、バレンタインと違って今は雨季真っ盛りで湿度が80%近い日もざら。くっつかないようにここのコーンスターチをつけるんだが、その分量が多くなってしまって扱いづらいのなんの。餅販売は、この時期は避けたほうがよかろう。

ーーー

先日見つけた大仏の正体判明。買い物か何かの帰り、人がいたので聞いてみたら、ホテルになると言う。その彼は現場監督だそうで、(おそらくオーナーもみんな)ゲレロ州から来るんだとドヤ顔をされた。さすが、メキシコの熱海、アカプルコがある州である。ユカタンの田舎にホテルを作ってやるんだ…って感じですね。

 奥の方にマヤ風の屋根。

すごく大きい敷地なので、よくタヒチとかモルディブにある母屋+個別のバンガローみたいな作りになるんだと思う。

 大仏も増えてた。

車が止まっている右に、子大仏とブランコに乗った孫大仏が見える。

が、なぜ大仏なのかまったくわからん。聞くのも怖いのでw、オープンを楽しみにすることにする。

 

 ペリカン。

ビーチ客がいなくなって、砂止堤の棒っ杭を離れて水面でくつろいでいた。近くを泳ぐと、向きを変えながら観察しているけど逃げない。きっと、アクティブで賑やかなメキシコ人とは違うと分かってるんだと思う。


高額医療保険

2021年06月26日 | メキシコ 日常生活

去年の3月から続いた相棒の闘病に、先日ドクターが完治宣言を出した。入院もしたし、ホントに大変だった。よかった。

もっと長くかかる病気もあるし難病なんかはえらい大変だろうが、東京にいる間だったらもっと楽だっただろうと思う、看護する側の話だけど。

それはともかく、この機会に高額医療保険に加入した。来たときには、保険代も安くないので制度や医療現場を知っから入ることにして、いざとなったら自腹を覚悟…と決めていた。まあ、5年以上経ったし、治療経験によって諸事情がわかってきたし、年齢も年齢ってことで。

高額医療保険という名のとおり、高額なものしかカバーされなくて、免責額の設定も結構高い(もちろんある程度の幅はあってチョイス可能)。あと、最初わからなかったのが、免責が二段階に分かれている点で、疾病ごとにいくらまでという免責額と、その額を超えた後の何割は免責…という具合に分かれている。

高いけどジム代もカバーとかとにかく自腹の額を減らしたいという客が少ないのか、保険者・被保険者の両サイドに少し聞いてみたんだが、誰に聞いても似たようなカバーにしている。

と同時に、この国は基本的には全住民が公的保険に加入しているという前提で、我々が入っている国民健康保険でも、補償の範囲は意外と広い。州の広報なんかで「どこそこの公立病院に新しい何とかが入った!」とか読んでいたから、「高額医療保険に入っていれば高額な私立病院に行ける」という観念は、言葉では理解しても当初はあまりピンとこなかった。国の健康保険制度に生命保険で保険外をカバー…という日本のシステムと、考え方というか客側の心構えが少し違う。コストの面はわかりやすいんだが、清潔さとか待ち時間とか。地元の代理店を選んだ結果、客の多くがガイジンだそうで、出身国によって疑問点がいろいろ違うと言っていた。

我々がテメエらの経済事情を考えて選んだのは、「上限なし」「疾病ごと4万ペソ(20万円ちょい)の免責」「それを超えた分の1割免責」、特約で「事故はフルカバー」「年2回の歯石取り付き歯医者フルカバー」。50代の爺婆二人で保険料は年間4万ペソ弱(だんだん上がる)。ま、保険なんで、使わなかったら”5万円の歯石取り、車の保険に入ってない人も多いらしいんで、もらわれ事故でも安心”って感じですな。

 

   鳥が巣を作った

テラスに置いてある梯子のてっぺん。小さい鳩みたいな鳥で、周りに木が減ったからか、やたらといる。卵は長さ3センチくらいだったが、気がついたときには10センチくらいの雛に孵っていた。梯子が使えなくて不便。

 バイパスに片持ち表示板らしき工事

 村の入り口にもなんかのゲートの基礎工事

おそらくウェルカム関係だと思う。そういうことよりインフラを…と思わなくもないけど、観光客(だけ)増える分には村が潤っていいかも。

 ウアヤという名の果物。

ユカタン半島ではこの時期結構出回るんだが、これも他州の人はあまり知らないようだった。さくらんぼみたいに大きいタネがあって果肉はライチみたいな感じ。味はなんとも形容しがたい。一口食べて美味い!って感じではないけど、意外とハマる。

  最近の海

水がすごく透き通ってきて、波がない時間帯だと、背が立つか立たないかくらいのところで足の指先が見える。サルガッソの時期は終わった。

 村の診療所の入り口

「必要なだけお取りください」と書かれてコンドームが置いてあった。この人形に持たせるセンスがなんとも。

 海岸に植わってる植物が花をつけた

片方だけに花びらがついていて面白い。gullfeed という名でフロリダ原産とか。例によって地面に這って伸びる。

 我が家のココ

家の建設中にマヤさんが拾って置いてくれた3つのうち、1つは埋めた場所が悪かったのか5年近くたっても大きくならない(手前)。村の子から芽が出たのを買ったやつ(奥)はすくすく伸びているので、将来の景観を考えて優良児を移植した(右の穴のところに植えてあった)。


近所の火事など

2021年05月25日 | メキシコ 日常生活

子供の自由研究から少し離れて、最近の出来事など。

 火事があった。

プログレソから隣村まで行く道の向こうで火事があった。先週から雨季に突入したが、10日くらい前にはカラッカラに乾燥していて、多分刈った草を燃やしてたのが広がってしまったんだと思う。

現政権はエコ志向で、ゴミの野焼き禁止条例を作ったんだが、剪定ゴミも燃やしちゃダメになった。不便でたまらないし、手軽に燃やせない(日本でいう粗大ゴミ的な手間がかかる)ので、剪定自体することが減り、そうすると木が伸び放題になってゴミを捨てる輩も増える。その結果、手に負えなくなった地主が重機を入れて木も草もお構いなしにガーッと片付けるようになり、結局はエコどころかハゲ更地ができるという、本末転倒な条例である。

で、なんか煙たかったので「あれ?こんな昼間に誰か燃やしてるのか?(エコ警察が来るのに)」と思ったら、野焼きじゃなくて火事だった。いや、原因は多分野焼き。

この辺には消火栓などないので、消防タンクローリー(上の写真で赤く見える車)が一台来た。火を消しとめるというより、延焼防止で周りの草を湿らせる程度。何十メートルも離れてブロック造の家がある程度の過疎ぐあいなので、建物延焼のリスクは皆無、草さえ燃えなければ何の危険もない。

 小道で渋滞。

燃える危険はないが、煙で前が見えないので隣村まで行く道が通行止めになった。それで普段はひっそりしている小道に車が迂回してきて渋滞。うちの前の行き止まりの道にも入ってきて団子になってたので、出てって交通整理した。

 

昨年は国勢調査の年だったんだが調査中にユカタンにもコロナが来て、そういえばどうなったかな?と思って国立統計地理情報院のサイトを見に行ったら、ちゃんと統計が出ていた。うちは、プログレソから帰ってくる途中、ユニフォームを着た人を見かけて「ああ、今日調査票持ってくるんだな」と思ってたけど、今思えば来なかった。

 ユカタン州に住む外人の数。

上位5カ国なのか、その他大勢の数字が大きすぎて判断に迷うが、とにかく日本も入ってて、去年の時点でユカタン州には37人の日本人が住んでるそうです。何年か前に日本の外務省で把握している数字を調べたら60人ちょっといたんで、メキシコの統計には漏れがあると思われる。現に我々は入ってない(調査されてない)し。

あと、プログレソ市にはカナダ人がすごく多いと言われているが、ノイジーな数人の存在感が多いだけなのか、5カ国に入ってないのが不思議である。どうでもいいけど。

 先住民族の言語を話す人の数。

メキシコには先住民族の言語が60くらいあるそうで、我がユカタン州(yuc)のはマヤ語。田舎に行くと両親祖父母世代はマヤ語を話す家庭も多い。かじる程度だが、小学校でも教えている。この表は、貧困世帯の数ともある程度一致していて、メキシコの課題…的に語られることが多い。

こういう統計は見ていて面白い。ちなみに移住者がめちゃくちゃ増えている体感どおり、実際も増えていた。が、ユカタン州だけでなく全体的に増えている。危ないとかああとか言われるけど、やっぱりみんな暖かいところところに住みたいんだよ。

 

 メリダの交通標識。

よくご覧ください。この先セントロ(中心部・歴史的地区)の標識の下に、バーガーキング。こういう私企業の看板?が結構ある。まあ、目印だと言われればそうだが、しょっちゅうつぶれたり引っ越したりするのに、無駄にならないんだろうか。ただでさえ走り慣れない道路なのに余計な情報が目に入ってくるもんだから、免許取り立ての頃は本当に閉口した。

 

 村の水屋(飲料水を売っている店)の注意喚起張り紙。

大きいヤシの木をピンクに塗って目立つようにしている店で、ヤシの木なんでヤシの実が付いている。落ちてくるから真下に車止めるなという意味です。

メキシコでは水道水は飲めない。飲料水は、都会はデリバリーサービスが多いが、村ではみんな大きなボトルを持って買いに行く。来た当時はデリバリーだろうが何だろうが面倒だったが、もう慣れた。どっちかというと、うどんとか大量の水で茹でたいときにケチりたくなるのがたまにきず。

 

  夜、猫が遊んでいた虫。

体の側面に発光する部分があって、目が光ってるように見える。コードギアスみたいでかっこいい。調べたら、ヒカリコメツキというらしい。確かに、猫に追いかけられてコメツキムシみたいに跳ねていた。