La Ermita の記録

メキシコ隠遁生活の私的記録と報告
 @ユカタン半島。

マヤの集落②

2024年12月18日 | ユカタン諸々
前回行ったのは、新居の現場の親方のお父さんが生まれたという集落で、基本的に一族が住んでいた。子供の成長などに合わせて集落を出たり戻ってきたりしながら、身内で仲良く暮らしている。親方に役所の知り合いが結構いるのか、州や連邦の政府に掛け合って徐々にインフラを整えているという状態だった。

 今回行ったホウィツ。

プウク様式の遺跡群の東端にあるチャクムルトゥンという遺跡の近く。(話は外れるが、真ん中を行くのがマリア、右に息子を抱いたヒルベルト。見てください、我々の目の高さがどこにあるか。マヤ人は背が低いので、いつどこへ行ってもこんな見下ろす感じになってますw)

 チャクムルトゥン遺跡。

 奥に神殿などが広がっている。

 結構渋い遺跡。

この遺跡は、建物群から1kmくらい離れた小山の中腹にピラミッドがある。

 去年の雨季が始まる前。

雨季が終わった今は小山全体が伸びた植物に覆われてピラミッドは見えない。集落はマヤ語でホウィツ(山の中心)というだけあって、このピラミッドのさらに山奥にある。ちなみにこの写真の辺りにも、チャクムルトゥンという名の、5家族くらいの集落がある。ヒルベルトんちで昼ごはんをご馳走になっていてホウィツが話題になり、行ってみることになった。

 車で行けるのは途中まで。

ピラミッドまでの道も地中に埋もれているラハ(岩)がゴツゴツとすごくて大変で、もちろんうちの小型車じゃなくてヒルベルトが働いている会社のクロカンで行った。ホウィツは、それさえも通れない先にある。

 見えてきた。

 中はこんな感じ。

 政府の支援で建てられた家。

この支援は、おそらく前の記事に書いた「トイレとシャワーの離れ」と似た感じで、政府が「ハリケーン来たでしょー、大変だったでしょー、家、プレゼントするねー!」と有無を言わせず贈ってくるパターンで、本当に必要としているものは意外と支援を得るのが大変らしい。

我々が集落入口にいたお爺さんの許可を得てちょっと中まで入ったら、集落の代表を務める女性が出てきて、いろいろ話を聞けた。数年前に人権弁護士と知り合えたおかげで、ようやく電気を引くことができたと言う。

 電線が見える。


 水を貯めておく土製の桶。

電気が来てポンプを使えるようになったので今は井戸があるが、それ以前はこのように雨水を貯めておいて大切に使っていた。(また清潔とか快適の話で悪いんだが、一瞬、ポンプ無しのつるべ式でいいから井戸を掘ろうとか考えないのかと思ったけど、地中の岩が邪魔で無理なのかも)

 小学校。

屋根の上にタンクが見えるのがそう。基本的にその代表者の女性が教えていて、ときどき州の教育省からも教師が来る。授業はスペイン語だそうで、学校の建物を一歩出たらマヤ語。

集落の人口は現在50人、うち子供が16人だという。数年前にマリアが行ったときから倍増したらしい。なんとも健全な社会。どうして過疎化しないのかというと、男の子が大きくなると近隣の村へ出ていって仕事に就き、彼女を作り、結婚したら嫁を連れて集落に戻ってきて子供を作るから。女の子のほうは相手がどこ出身でも気にせず、ただ愛する人についていく!ということらしい。まぁ、メリダまで出ていって見つけた彼女じゃそうはいかないんだろうが、それでこんな小さな集落が存続どころか発展していけるなら、女性の活躍とかガタガタ言わず(以下ry)

とはいえ、心配ないのは人口だけで、上に書いたように電気を引くのも一苦労だった。人権弁護士には今後はどんどん主張しろと言われているらしい。代表の女性曰く(そしてマリアも強く同意)、一番必要なのは道の舗装だという。ホウィツからうちの隣のテカシュ村まで3kmほど、道さえよければ毎日通える距離である。わざわざ集落から引っ越さなくても、仕事につけるし学校にも通える。

これに反対しているのが INAH(メキシコ国立人類学歴史研究所、遺跡の調査や保存などをしている連邦政府の機関。チチェン・イツァ等の遺跡でバカ高い入場料を取ってるところw)で、遺跡近くの集落に変に近代化されては雰囲気ぶち壊しとでも言わんばかりらしい。道があれば、住民が簡単に出掛けるだけでなく、遺跡を訪れた人が集落に寄れるようになり食べ物を販売したりもできるんだが、そういう支援の話はなかなか進まないという。

マリアが前回訪れたのは、ユカタンの毛無し豚を買うためだったんだが、今は売っていない。この INAH との交渉が有利になるよう、他の揉め事、つまり希少生物保護政策絡みの問題は避けているんだという。

 (c) Amacc

とても美味しいらしい。残念。まぁ、連邦や州の政府となれば、頭でっかちで外向けにウケのいい支援をやりたがる。「我々の望む(=観光客が喜ぶ)マヤ文化」を壊さない支援はする、それ以外は自分達でどうにかしろ…である。

そういえば、出発前、マリアとヒルベルトに「12月に訪問すると、何か贈り物を持ってきたんだと期待される」と言われた。そのときは、クリスマス時期なので子供にお菓子でも…という至極当然のことだと思ったんだが、ちょっとニュアンスが違った。ビスケットの箱を開け始めたら、代表の女性が子供達を並ばせ、写真を撮るかと尋ねたのだ。役所の広報でよく目にする「支援した!住民喜んだ!」というプロパガンダ写真を撮るか?(ポーズするか?)という意味である。貰う方も慣れている。はいはい、付き合いますよ、という感じ。

今思えば、マリアが代表の女性に「子供の数が分からなかった(足りなかったらすみません)」としきりに言っていたのも同じで、役所の公務員同様、イベントの不手際的なことを心配していたのだ。マヤ文化圏にはびこる「支援する側と受ける側の双方が得する微妙な関係と、その確固たる図式」を見るようで、複雑な気分になった。普段の彼らは、友人の家に行くとき手土産の数なんか気にしないもん。そんなんじゃないですよ、ただ来たかっただけ、みんなで食べてねと言ったら、代表の女性もマリアも不意をつかれたような顔をしていた。これが、本当の格差社会というものだ。日本でギャーギャー言う人の話は単に稼ぎの大小、格差ってのはそういうことじゃない。

なかなか興味深かった。何はともあれ、どんどん子供が生まれる環境というのは、やっぱり住民が幸せなんだと思う。
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 ピラミッドの登り口。

ここから急な斜面を登っていく。が、こんな看板が立っていた。

 「登頂は自己責任で」

最近岩が崩れて転んだ子供が亡くなるという事故があって、禁止じゃないけど補償しないよ、ということになったらしい。ピラミッド以外の建物群のエリアが素晴らしくて充分見ごたえのある遺跡だが、登ろうとあの悪路を来てこれはちょっとショックじゃないかと思う。

 遺跡までの道の脇。

村をちょっと出ると周りは山やジャングルなんだが、そこはエヒードや個人所有の土地で、積極的に生産して活用したり、ある程度放ってあるが採れる作物を自分たちで消費(残ったら売る)したりする。これが村人ほぼ全員が持っている「自宅以外の土地」の正体だった。まあまあ計画的に生産してそうな土地も、多かれ少なかれこんな感じで、秩序ってものがまったく感じられないw。文化の違いを再確認するのは楽しい。


グアダルパノ巡礼の旅

2024年12月15日 | ユカタン諸々
毎年この時期に、メキシコの聖母グアダルペ様を讃えて?巡礼の旅が行われる。メキシコ中でやってて、他の地域では行進など他の行事もあるらしい。この辺のメインの行事は巡礼で、旅に出るのはだいたい男性。自転車かバイクで数日かかる距離を集団で移動してどこかの教会を目指すキャラバンみたいなものだが、カトリックに疎いのでちょっと違うかも。

 今年のユニフォーム。

うちの村のチャリ部隊ので、去年初めて見たときはビックリした。前身頃全体にでっかい聖母様が描かれていて、日本人が見ると小っ恥ずかしいが、彼らは心底楽しんでいる。信仰を深めて、(うがった見方をすれば)祭り気分になれて、仕事休めて…というわけでw、結構な人数が参加する。現場の男の子は、毎年行くお金はないので、2年か3年ごとに行くと言っていた。

 バスで行くケースも。

 ド派手な装飾。

そして旅から帰ってくると、夕方から夜中まで地元を凱旋して回る。

 役場の警備車。

 警察も協力。

奥に見える明るい何かが、凱旋パレード用に改めて着飾った車です。通行止めにしてるので、この区間で何かルペ様関連のイベントをするのかも。パレード用の車は、その後ろに巡礼から帰ってきたチャリやバイクを引き連れてサイレンを鳴らしながら走る。そんなのが、うちの村の中だけで何グループもある。まったくもってうるさい。メキシコらしいけど。
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 州の支援。

マニ村管内の集落に住む13世帯に、ユカタン水道局から「トイレと洗面台とシャワーがある離れ」が贈られた。我々が住んでいた不便極まりない借家の離れ(この記事の中ほど)みたいなもの。これがない家では、トイレはどこか見えないところに便器があって、シャワーはなくて盥で行水する。

ここの人が金をかける対象の、優先順序が理解できない。快適なトイレとシャワーは、支援が来るまで無しで済ませられる物なのか。ってか、だからこういう支援があるんだろうが、これが貧困が原因って単純な話ではない。馬鹿でかいスピーカーやパーティーをするための電飾なんかは、結構どこの家にもある。お姉ちゃんは、バリバリに化粧をして出かけていく。住居といえばまずは清潔で快適な…じゃないのである。

 朝靄。

寒いです。海辺の穏やかな気候が望めないのはわかっていたが、内陸の日較差の大きさは想像以上に気分に影響する。陽が昇ればあっという間に30℃近くまで上がるので、何するか考えて脱いだり着たりするのが非常に面倒くさい。

オレンジ祭り

2024年12月14日 | ユカタン諸々
隣のオシュクツカブ村のオレンジ祭りに行ってきた。

 今年の柑橘類モニュメント。

 ユカタン鉄道連合の機関車。

 1975年まであった。

うちのあたりの村々はメリダからペトという街まで伸びていた路線上にあって、今も駅舎は各村に残っている。貨車と客車の両方を引いていたので、村人たちは生産物を載せたり駅で乗客に食べるものを売ったりしていた。今はそういうちゃんとした鉄道がない(マヤ電車はあるけど役に立たない)ので、年配の人は強い郷愁を感じるのである。

ちなみに機関車のうち1台は、「リアルな機関車」を探していたフロリダのディズニーランドの目に留まって買われ、改装して使われている。

 生産者別に並ぶ柑橘類。

 タンジェリン。

なんだが、こんなゴジラみたいなのは初めて見た。とても甘いそうで、日本でいう菊みかんみたいなものじゃなかろうか。

 展示されていたクボタ。

 甘いオレンジコンテスト。

 Brix という計測法らしい。

司会のおじさんが絞ったジュースをいちいち試飲していて羨ましかった。微妙な違いを知るのにすごくいい機会ではないか!

というのも、このコンテスト、ただ生産者が順番に袋に詰めた自分とこのオレンジを差し出し、係が計測して、結果発表するだけ。勝った生産者の挨拶も身内への感謝とかばかり。今年の甘さの秘密なんかが聞けたら面白いんだが、もしかして生産技術的なことはほとんどしてなくて、天気とコンテスト当日に収穫してきたオレンジがたまたま当たりだったってことかもしれない。

オレンジなんかどっさりあるんだし、客にも試飲してもらえばいいのにと思う。あるいは、ただ測って数値の高い生産者が勝つんじゃなくて、ゲストでも呼んで「フレッシュな感じ」とか「酸味とのバランスがいい」とか何でもいいから各々の生産者のオレンジにキャッチコピーをつけるとか。

このコンテストはまだいい方で、はっきり言ってこの祭りは損してると思う。物産展なんだが数少ない娯楽を地元に提供するという目的もあって、夕方以降のプログラムは充実しているんだが昼間がつまらない。いや、充実してるのは地元民向けという意味で、コンサート、民族舞踊、コメディショーその他の舞台ものと、屋台という代わり映えのしないラインアップばかりなのである。

メリダあたりから大勢に来てもらおうと、本気で思ってないんじゃないか? オレンジに関する催しが糖度コンテストしかない。屋台も、普段食べているユカタン料理ばかり出すんじゃなくて、オレンジを使った新しいレシピを募集して、これまたコンテストなり出店なりすればいいのにと思う。袋詰め放題(参加費には祭り限定デザインのエコバッグが含まれていて、それに詰めるとか)なんかあったら、メリダ人は喜ぶだろうと思う。

なんとももったいない。

ハンモック

2024年12月06日 | ユカタン諸々
 ポツリと置かれた編み機。

 普通の家。

村には、ハンモックを編む人が結構いる。ここではベッド椅子代りに使うので糸が劣化したりほつれたりして新調するなど、需要も結構あるんだと思う。近所のおばちゃんも、ときどき編んだハンモックを一枚?だけ手に持ってその辺の家を回って売っている。

で、歩いていてみつけた、軒先にぽつんと置かれたハンモック編み機。緯糸の仮処理がしてあって、ちょっと休憩ってわけでもなさそうだが声をかけても誰もいなかった。

 後日。

編んでいたのはおじちゃんだった。別に男性が編んでも構わないんだが、初めて見たので少しびっくりした。緯糸の仮処理について聞いてみたが、おじちゃんは特に理由はないと言う。でもその脇にいた孫らしき青年が、几帳面だからと言っていた。おじちゃんは修理もできるらしい。直せるのはちゃんと編んだハンモックだけで、自動編み機で編んだものや細部がテキトーなものは修理できないという。普通の編み物と同じですね。

 借家の隣の朝食屋。

 トルティーヤを揚げている。

揚げるといってもコーンチップ にするのでなく、ここユカタンではサルブテ。

 こちらはソペ。

 お目当てはサルブテ。

久しぶりに買った。やっぱりめちゃくちゃ美味しい。

 チチャラを作るおじさん。

 大鍋。

前を通ったのは10時過ぎで、まだ鍋の中には肉から出たラードが少なかった。家の外に「12時半から販売」と書いた黒板を出してあった。

 バチェ。

悪名高い、ラテンアメリカ中どこにでもある「道路の穴」。舗装の質が悪いせいで雨が降ったりすると出没する。都会にもある。メリダのバチェの説明は、この記事の中ほど。

この村では、店というよりチチャラのおじさんみたいに「気の向いたときに家で作って売る」人が多く、「FBの売ります書います」に書かない人もいるのでフォローしきれない。普段は車で移動してるんだが、どこか行くついでに「こんなとこに◯◯屋!」と目について車よりいいと思い、こないだオンボロ自転車を買った。買ったはいいが、バチェが酷すぎてよそ見しながら乗るなんて無理だった。役場の土木課がたまに補修工事をしているが、雨季で生まれるバチェの方が多く、舗装が追いつかない。

 我が家の前の道。

うちの前だけは、使用済み猫砂で埋めるのでバチェがないw。

 検問。

…かと思ったら、バイクを止めて猿でもわかるような「道交法のイラストチラシ」を手渡していた。3人乗りはやめましょうとか、免許はちゃんと更新しましょうとか。ユカタンは凶悪犯罪が少ないので、交通違反取り締まりに割ける警官が多い。最近のメリダでは交通整理のほうが重要みたいだが、依然として取り締まりも多い。それと比べるとなんとも呑気である。

 マニ村のクリスマスデコレーション。

 ナシミエント。

 村名碑の周り。

さすが、プエブロ・マヒコ(自然が豊かとか文化遺産があるとか歴史的に重要だと選ばれる観光地、マニ村の場合は歴史)である。全体的に色みを抑えてあって、メキシコらしからぬエレガントな飾りだと思う。この村は、本当に何をやっても渋い。渋いと同時に可愛い。

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 お姉さんの方の猫。

こないだ買ってきたエネケンのラグの上にいるだけで、まるで日本の猫みたいに見える。10年近く住んでるが(以前の外国暮らしでは床はカーペット)、タイルの床というのは本当に日本人には馴染みのないものなんだと思った。

ポルカン、他

2024年11月29日 | ユカタン諸々
 ここのポルカン。

めちゃくちゃ美味しい。感動ものである。イベスという豆を粉にして生地に練りこんであって、粒も入っている。

 中に入っているイベス。

調べたら山形だったかの白ささぎらしく、豆の中で一番美味しい豆なんだそうな。確かに味自体が、クセがないのに濃くて、なんとも形容しがたい美味しさ。ユカタンでは美味しすぎてほぼ生産地で消費されてしまうので、乾燥豆が一切ない。メリダでは旬の冬の間も入手するのはちょっと難しいが、ここでは時期が来た途端に売る人がどっと出てきた。たぶん、家の庭とかで作っている。

 海辺の村の。

イベス豆でなく黒豆入り。ポルカンの意味はヘビの頭だそうで丸い方がそれらしいんだが、メリダで見たのも円盤型だった。海辺の村では丸型が本物だと言われたが、おそらくメジャーなのは円盤型だと思われる。

 レストランのポルカン。

お目にかかったことはないが、ユカタン料理を紹介する記事で見つけた。肉とか野菜を挟んでいる。買ったポルカンにはトマトサルサと赤タマネギのライム汁漬けとハバネロサルサが付いてきた。が!絶対にポルカンだけ食べた方が美味しい! というか、ポルカン自体の美味しさが味わえる。肉とかなんか挟んだら、同じ揚げ物のサルブテと大して変わらないんではなかろうか。あるいは、イベス豆をたっぷり使わないと物足りないものになるからアレコレ挟むのかも知れない。

 ハバネロ。

こちらも、おそらく庭で作っている人の出品(FBの売ります買います)。普段は大きなビニール袋詰めが1キロ25ペソくらいで売ってて、そんなにいらないんだが、こちら出品は珍しく1個1ペソだった。食料雑貨店ではしなしなのしか売ってないので買いたかったが、他の販売情報と同じく、出前方式で売られている。たくさん買っても新鮮なうちに使いきれないので買いたいのは5個とか6個だけなんだが、5ペソ6ペソのために届けてもらうのも気がひける。産地ならではの悩みというか、我々も結構辛いもの好きだが、マヤ人、どんだけ使ってるんだ!?

 サポテネグロ。

ねっとりしてない。前にプログレソの市場でまだ皮が緑色のを買ったことがある。十分熟すまで置いておいて食べた。そのときとちょっと違ったので別物かと思って調べても、やっぱり同じサポテネグロらしい。ブログなどで書いている人もだいたいが追熟させていて、待って食べた感想はみんな一様に「ねっとりして甘い」。が、ねっとりというほどではない。くれた人に聞いても、甘さは個体差があるが食感はこんなもんだという。そりゃ、梨みたいなシャキシャキ系とはまったく違うし、スプーンでしか食べられない硬さなんだが、ねっとり…というのとは違う。

去年マメイを食べたときにも、さっき木からもいだってな実は味も食感も市場で買うのとずいぶん違うと感じたが、ユカタンの果物は「追熟するかしないかで変化が生まれる」んではなかろうか。

 ポポシュの花と実。

 オレンジの木を侵略している。

悪さをする蔓草で、触るとあちこちが痒くなる。不思議と、触れてないところも痒くなる。それがわたしの留守中放っておかれて成長し続け、大事なオレンジの木を覆い尽くそうかってくらいになっていた。実が落ちたらそこからギャンギャン芽を出すので、慌てて駆除した。蔓同士が絡まり合ってエライ大変だった。

 オレンジの隣のウアノ。

こちらは高すぎて届かない。根元から引っこ抜いたので、いずれ枯れて見苦しくなるんだがしょうがない。

 石垣に伸びた別の蔓草。

岩を崩さないように注意しながら引っ張り出した。とにかくここの蔓草の成長はすごい。芽の出方も半端ない。放置厳禁で大変だが、村の名前になってるくらいだから全滅させるには忍びない。というかおそらくニンゲンに勝ち目はないので、マメに観察して切ったり抜いたりと対処するしかない。

 村役場のイベント。

メリダに大きなマヤ博物館がある。前に行ったことがあるが、展示物はすごく面白いし多いのに、エアコンが効きすぎて寒くて全部をじっくりとは回れなかった。村役場で「マヤ博物館が出張ってくる!」と宣伝してたのでリベンジするつもりで行ったんだが、こんな催しw。職員が2人、壺などの小物を9点持ってきて地域の小学生などに見せるという、文化教育の一環らしい。そうと想像すべきであった。

しょうがないので小学生の後ろから覗いて職員の説明を聞いたりしてたんだが、子供達がこっち(珍しいアジア人)に気を取られてしまい、申し訳なかった。最後に自由に見学…となったとき、1人の女の子(たぶんアジア好き)が「韓国人ですか?」と聞いてきて、それに勇気を得たのか質問してくる子が続々と出てきて、最後には囲まれてしまった。海外や外国人に接するどころか、州外に出る機会も少ない子供達。うちの庭が落ち着いたら市の教育員会?か何かに声をかけて、出張授業でもしに行こうかと思った。

 別のイベント。

 フットベースの試合。

先日の「女性に対する暴力撤廃国際デー」とやらに役場主催で行われた。大都市ではデモ行進などが行われるそうで、そういうときは暴動に発展しやすいので注意せよと大使館からメールが来ていたが、村ではこんなもん。平和で楽しそうで何よりである。

 手芸店のフスタン。

フスタンとはユカタン民族衣装の一部で、着物でいうと裾除けですかね?

 こんなの。

民族服であるイピル(ワンピースというかアッパッパー部分)に襟飾りと裾飾りを加えると、晴れ着のテルノになる。ユカタン民族舞踊の女性たちはこれがもっと派手になったやつを着る。

 (c) Yucatan Times

メリダ市役所前でのダンスに出てくる女性たちはこんな風なんだが、村ではそれほど派手ではない。

 洗濯物のイピル。

 死者の日のイベントで。

これはイベントなんで揃いで作ったと思われるが、この辺では普段もイピルを着ている人が多い。結婚式などでは、そのちょっといいやつに裾飾りだけ足して晴れ着にする。なので結構需要があるそうで、メリダではオーダーメイドか土産物屋でしかお目にかからないフスタンが、しれっと手芸店で売られている。


エネケン(サイザル麻)とモトゥル

2024年11月16日 | ユカタン諸々
きちんと雨の降るユカタン南部に引っ越して、屋内のジメジメ対策にぜひ使いたいと思っていたものには、チュクム(天然素材の漆喰)の他にエネケン(サイザル麻)がある。両方とも、湿度が高いときには空気中の水分を吸い込んで乾燥していると吐き出すといった機能を持つ。

プログレソ港ができる前、その西の方にシサルという漁港の村があって、スペインはじめ欧米諸国はユカタンの緑のダイヤ(スペイン語で緑の黄金)であるサイザル麻をそこからガンガン旧大陸に輸出して稼いだ(奴隷扱いされていたマヤ人)。ってか、シサルという名前からサイザル麻と呼ばれるようになった。

 化繊のない時代に大活躍したエネケン。

新居で壁一面に張るなんてことも考えたが、斜陽産業とまでは言わないが最盛期とは比べ物にならないほど生産が少なくて高価なので諦めた。そういう商品を作って販売している企業がオープンハウスをするというので、メリダから東へ20キロほど行ったモトゥルという村まで行ってきた。ちなみにユカタン南部のうちの村のあたりではほとんど生産してなくて、同じ農産物といっても食べ物だけ。

 工場。

結構な規模(ユカタンでは…ですよ)の企業。メリダに販売店があるらしい。きっと金持ち向け。

 自動織機。

オープンハウスと言いながら建物のほんの一角で割引品を並べたエリアだけがアクセス可能だったところ、製造について社員を捕まえて質問してたら機械エリアも少しだけ見せてくれた。が、繊維を取り出す機械は、危ないというので見学できなかった、残念。

 昔ながらの重り。

 機械自体は新しいタイプ。

織り機に詳しくないのでよくわからないが、古くからの細いU字みたいな重りを使っているのが自慢らしい。

 絨毯ゲット。

奥に見えるのは、クッションカバーを作るための織地1m分が巻かれたもの。そもそもロール状の織地を何メートルか買えたらいいなと思って行ったんだが、インテリア製品を見ていた相棒が気に入って、結構な値段の絨毯を買うことにした。絨毯というか、2x3mくらいなので我が家の広い居間では小さいラグって感じだが、オープンハウス割引価格で3万5千円くらい。えーと、言うほど高くないですねw。でも刺繍とか手織りとかじゃないし、普通の人はタイルの床で満足してる国だし、ここの物価的には贅沢品である。

ユカタンでは、他にもランプシェードなど金持ち相手のインテリアグッズがある。が、概して高い。トルティーヤ入れなどの民芸品とか、あと靴やハンドバッグなんかも売ってて、そちらは土産物価格とはいえ小物なんで安い。

わたしは、小物なんかじゃなくて床材に集中したほうがいいのではないかと前から思っている。暑くて湿度の高い土地ではめちゃくちゃ気持ちいいです。海辺の我が家では6枚セットのランチョンマットを買って、シャワー出たところの足拭きに使っていた。銭湯の床がもう少し足に柔らかくなったような感じで、一切ベタつかない。濡れた足拭きそのものはスーッと自然に乾いていく。知り合いは日本の実家で階段に使われているが確かに快適だと話していた。織り方にも多少左右されるんだろうが、ジュートやマニラ麻なんかよりも柔らかい。ユカタン土産には「エネケンのランチョンマットを買って風呂場の足拭きにする」を何よりお勧めします。

さらに、民芸品などを作って売ってるマヤ人女性を支援する団体などがよくあるが、ハッキリいってちょっとした現金収入になるだけで、大した支援にはならないと思う。というか、買い取って支援団体で販売するというのは、販路を提供するのでなく単に買い上げてるだけだ。ちょっと支援したい個人などではどうにもならないが、マヤ社会全体の底上げ目的なら、この規模の工場で建材をガンガン作って輸出すればいいのにと思う。法人税高いし。

エネケンもチュクムも、高い金を出す余所者都会人を尻目にマヤ人が「元は俺等のもの!」と生産地で享受してないのが残念だ。今の金持ち相手の商品を買って使えるくらいに経済的余裕があればと考えているわけではない。そうじゃなくて、先スペイン期やその後の植民地時代には支配層しか享受していなかった機能的な部分を、手軽に利用できたらいいと思う。例えばうちみたいな湿度対策。エネケンの織地なんか、「へえー、メリダではそんなに高いんだ、この辺ではみんな床材や壁紙として家中で使ってるよ」みたいに。

でも、常に支配層がいたことや、マヤの家でなければブロック造一択と知識が薄いことや、あるいは教育レベル問題のせいか全体的に想像力が乏しいので、エネケンやチュクムなんか自分たちには関係ないという感じで、虐げられていた歴史を思い起こさせられるのか、そっぽを向く、というか嫌悪を示す。

でも、そういうのは観光客の目の前でトルティーヤ焼いて見せてるうちは解決しないと思われる。トルティーヤ焼いたり骸骨洗ったり、庭で採れた果物を道端で売ったり古い道具を使って調理したりといった写真をユカタン歴史&文化フループなんかで素敵素敵と消費されてるうちは。教育現場でそういう消費のされ方と同じやり方で「我が文化!」と教えているうちは。難しい。

さて、その工場があったモトゥル村には、ウエボス・モトゥレニョス(モトゥル風卵)という料理がある。ちょっと詳しい「ユカタン料理リスト」なんかには顔を出す。

  ウエボス・モトゥレニョス。

硬いトルティーヤの上に目玉焼きをのせて、その上にトマトソースという、書くと変哲のない料理なんだが、目玉焼きがここでは珍しい半熟可なのと、酸っぱ甘いトマトソースの味が絶妙で、とても美味しい。メリダ人も大好き。

今回久しぶりに行ったんだが、すでに「田舎の可愛い村」ではなく、ちょっと観光地化していて、市場のフードコートは観光客をさばくスペースに見事に変身していた。が、モトゥルの街はこの料理目当ての観光客増加に自然体で対応を重ねてきたんだと思う。政府観光局や旅行代理店によくある「キレイ写真も嘘ばかりじゃないけど所詮メキシコだなw」系のガッカリ要素が味やサービス等にない。「張り切ったのね、けどちょっと残念ね」みたいなとこが一切なくて、街の発展としては成功。

たぶんメキシコ人やメキシコ政府や州は、日本人のように「何それ食べに行くぞー!」だけの旅行にあまり興味がない。えてして遺跡とかの建物や伝統行事など目で見てどうこうって物を売ろうとする。モトゥルは政府の目に留まらず余計な口出しをされなかったおかげで、日本人には馴染みのある整い方で発展したんだと思う。

ちなみにメキシコ中のあちこちの地名にもなってるユカタンの英雄フェリペ・カリヨ・プエルトの生誕地。

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 メリダまでの自動車道。

  木と蔓草に覆われている。

日本から帰ってきたときは、メンテの一環で道路脇の植物が剪定されてきれいだった。が、それから1ヶ月もたってないのにガンガン伸びてて、道幅が2mくらい狭いように感じる。本当に、ここの植物の成長はすごい。古代マヤの都市が隠されるのなんて、あっという間のことだっただろうと思う。近場で生活圏を移動するのは、今のマヤ人でも結構多い。中に建物があるか分からない凄い藪なんかいくらでもある。

例えばある王朝が水不足で引越を決めたとして、大きいピラミッドがあろうがジャングルに埋もれるのなんて多分半年かからない。最初のうちは家が水源に近いとか何かの理由で腰を上げない人がいたとしても、人の手が減ればここの植物の成長速度にすぐ負ける。雪かきを怠ったときみたいに、いつか見切りを付けないと脱出不可能になる。季節ものの雪と違って植物の成長は止まらないし、ここは乾季もカラカラにはならない。奴らは年中延び続ける。隠された遺跡の出来上がり。

ササゲ

2024年11月09日 | ユカタン諸々
なんと、先日書いたテカシュの記事が消えてしまった! 消えたっていうかアプリがうまく機能しなくていじってたら消えたんで、もちろん消したんだけど…w。残念。いいね!くれた方、すみません。

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しつこく死者の日がらみのことを少々。

 バナナの葉を採って運ぶ人。

この画像に、大変だとか尊い仕事だとかのコメントがたくさん付いていた。確かに大量の葉を積んで泥道を行くのは大変だが、この時期ピブ需要でバナナの葉だけでなく死者の日がらみの物はガンと値上がりする。普段は自宅の庭や持っている農地で採って売ってるんだが、需要が上がるのでこうして遠くまで採りに行く人が出る。でも、苦労には十分見合っているであろう。

  エスペロン豆。

こちらはピブ(エスペロン入り)に入れる豆で、調べたところ植物学的にはササゲらしい。インゲンばかりのメキシコでは珍しい。この青物野菜の少ない田舎で莢も食べられるササゲはありがたいということで買ってきた。ここでは豆粒しか使わないので収穫時期には比較的無頓着なんだろうが、メリダや海辺と違って採りたてのものが売られている。が、日本のササゲのつもりで調理したらやっぱり硬かった。

ところがその後、莢を束ねた写真でなく畑の写真を載せている人がいた。たぶん、その日の朝に採ったことをアピールするためだと思うが、ニホンジンは別のところに目がいく。若そうな莢もあるし、ササゲ菜も採れそう。今は買ったばかりなので、全部消費したらその人にコンタクトして、お目当の莢と葉だけ、つまりお客さんが好きに採るササゲ狩りみたいな感じで採らせてもらえないか聞いてみようと思う。

 隣の州政府広報。

隣のキンタナ・ロー州は以前から中央政府寄りで、そのため中央政府の正書法に基づいてハナル・ピシャン(マヤ文化での死者の日の食事、死者の日そのものも指す)を Hanal でなく Janal と書くのが正しいと言っている。スペイン語ではHを発音しないので、メキシコ人にとって正しく発音しやすくしようと思えば、Jになる。でもユカタンでは長年Hを使ってきた(キューバのタイノ語との関係もあるとかないとか)が、今年は政党が変わって中央の与党の知事になったので、J表記が増えた印象を受ける。

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 F1メキシコGPのサーキットメニュー。

コチニータのトルタがあるこの写真が出回って、「マヨネーズ入り!フライドポテト付き!」と騒いでいた。ユカタン人は、世界中どこへ行ってもコチニータを見つけ、違う違うと文句を垂れ、それでもそれを買って食べているw。郷土愛。

 バルチェの花が真っ盛り。

バアルチェというマヤの聖なるお酒を作る。なんと、樹皮をどうかして作るらしい。やってみたいが、聖なる…すぎて実験などして遊んじゃいけない雰囲気がある。ヒルベルトんちの木だし、テキーラもどきと違ってなかなかチャンスに恵まれない。というか、日本語ウィキには「今でも現地では…」などと書かれているが、はっきり行って土産物屋でさえ見たことない。マリアに聞いたら作り方を知ってるだろうか。

 どこにでもあるマヤの家。

どこにでもあるんだが、敷地内が木でボーボーになっていないわりに蔓草が屋根まで伸びてて、少し珍しい。おそらく最近無人になったんだと思われる。

 近所の鶏肉屋のヒヨコ販売。

ヒヨコが売りに出されるのは、2週間に一度と決まってるらしい。この辺では、鶏なんか飼おうと思ったら誰でも飼える。でも飼ってる人も鶏肉を買いに行ったりする。各家庭で鶏肉と卵の需要というか、「肉になるよう育てている鶏と卵を産ませる鶏」、さらに「肉になるよう孵させる卵と食べる卵」のタイミング/計画があって、鶏肉屋は経験則からそれを熟知している。「2週間に一度」という頻度はそれに合わせているんだろうと思う。

死者の日の祭壇コンテスト

2024年11月02日 | ユカタン諸々

死者の日でござる。去年は引っ越すほんの少し前だったので、今年はディープ・マヤの死者の日を堪能するぞ!と期待ガンガンであったが、思ってたのといろいろ違ってそれはそれで面白かった。

 隣のカンペチェ州のパレード。

マヤ文化圏の本当の死者の日には、ガイコツは登場しない。あれはメヒコのものである。ユカタン文化グループでは、毎年ガイコツを取り入れることはいいだのダメだのと議論している。ユカタンの伝統的な死者の日では、祭壇は家の中に作って厳かに死者の魂を迎える。

だから村の様子も普段とあまり変わらない。ただ、近所の人たちに聞くと、近くの村に住む親戚んちに行ったり、いろいろ準備で忙しいという。マヤ文化グループで「祭壇は見世物じゃない」という議論があったが、まさにそういう感じがする。ただ、夜には親戚で集まってワイワイやっているのか、どこからともなく爆竹の音が聞こえる。

爆竹もうるさいが、それより衝撃的だったのが、祭壇コンテスト。海辺の村では、移り住んだ当初はマヤ式のが数個といった感じだったが、年々メヒコ色が強くなってガイコツだのオレンジ色の花などを使うことが増えて、かつ見世物度も上がっていった。が、うちの村の役場でコンテストがあるというので、よーし、今年は久しぶりに厳かなマヤの祭壇を見るぞ!と勇んで出かけていった。

  なんと、この人出。

マヤ式の祭壇がいくつか並んでいて、そのどれもが正当マヤ式…ってな静かな展示を想像していったんだが、見事に裏切ってくれたw。大勢の村人、子供の数が半端ない。どう審査するのか知らないが、マイクを持った役場の人?が順番に回って、各製作者グループの代表が祭壇つくりのコンセプトなんかをスピーチする。その間も、どんどん見物客が増え、子供達が走り回る。

 紹介がすべて終わると、

  なんと、お供えを配り出す!

配るというか、見物客が祭壇の上からどんどん好きなものを取っていく。なくなると製作者が奥から出してきてまたどんどん並べる。

食べ物を漁りにいくようでちょっと嫌だったが、肝心の祭壇を見たかったのでちょっと回ってみた。

  こんな感じ。

後で聞いたんだが地元の小学校などが出場していて、祭壇そのものの様式はそれほど重要でなく、作るという伝統を守るための学校行事に役場が一役買っているという感じらしい。田舎の村にはこれといった娯楽がないが、自分たちでいちいちイベントにしてしょっちゅう楽しんでいる。ディープ・マヤ感ゼロだが、これはこれでここらしいなと思った。ってか、これは30日のイベントで、31日には学校でまたちゃんとした死者の日のイベントをし、1日は各家庭で故人を偲ぶらしい。

 見てたら捕まった。

奥まで入って見てけ!食べてけ!と囲まれて、死者の日の甘いお菓子なんかを次々と勧められて、最後には

  お土産。

グレープフルーツとみかんとオレンジをこんなにどっさり。

死者の日の甘いお菓子というのは、有名なメヒコの死者の日だとこんな感じ。だいたいがマジパンでドクロや食べ物に成形したもの。ユカタンだとこんな感じ。果実を甘く煮たものなどもある。シリコテ(ギターの材料になるジリコテの実)のが美味しかった。ここのマジパン菓子の特徴としては、かぼちゃの種を挽いた粉を使っていること。

ところでちょっと日にちが前後するが、死者の日の週が来ても、FBで関連グッズ(ひょうたんの殻で作ったお椀やろうそくなど)の販売が盛んになっる以外、あまり村の様子は変わらなかった。メキシコの死者の日をググると出てくるようなこれ見よがしな飾りとは無縁。

隣のマリアは関連グッズをどこかで仕入れてテカシュ村まで売りに行くと言っていた。日を追うごとに、お菓子を売る人も増えてきた。そういう関連ものでゲットしたのがこちら。

 チョコレート飲料の素。

えー、チョコレートの発祥はここ中南米で、甘い板チョコじゃなくて苦い飲み物だったというのは、今どのくらい知られているんでしょうか。我々はメキシコに来てすぐウシュマル遺跡に行ったとき、近くのチョコ博物館で知って、ついでに試飲もできた。苦かった。

さすがディープ・マヤだけあって、村の人たちはタブリヤという板状のもの(チョコレート飲料の素)を手作りして売っている。作るところも見たいがまだ家のあれこれ(留守中まったくされてなかった掃除とか、ようやく食器棚が来るとか)で忙しいので、とりあえずブツだけ。年中ときどき売りに出ているが、死者の日にお供えする/振舞われる食事の一部なんだろうか、この時期はめちゃくちゃ多い。カカオとその他材料の複雑な香り。これを湯で溶いて飲むと言われたので、まずはその通りに。

 なんとも複雑なお味。

そして苦い。役場が売っていた死者の日のお菓子と、ものすごく合う! 友達には甘いパンを食べながら飲むと美味しいよと言われたが、パン程度の甘さではイマイチというか、これは日本のお薄とまったく同じように、ちょっとの量の甘いものの後にめちゃ苦いものをゴクッと一口いくのがいい。まだ残ってるので、次回は茶会みたいにセッティングしてちゃんと飲もうと思う。

青い皿のはサポティートという。祭壇コンテストで人に揉まれて潰れてしまったが、本当は博多のひよこみたいな形をしている。

 こんなの。

他のマジパンもかぼちゃの種が入っていればそう呼ぶらしいが、うちの村では正確にはこの形のものを呼ぶらしい。なぜこの形なのかはこれから聞く。

チョコレート飲料の上に写っているせんべいみたいなものは、かぼちゃの種そのものを砂糖などで固めたもの。アーモンドみたいに後を引く味。これまた苦いチョコ飲料に合う。

 味変で牛乳を入れてみた。

こちらは「うっ、苦い!よく知ってるチョコ飲料じゃない!」と感じる前に脳がミロだと認識して、非常によろしくなかった。二度とやらない。

 パン・グランデ(巨大パン)

ユカタンの片田舎には、死者の日のパンは登場しない。その代わり、なぜか大きいサイズのパンが出回る。お供えした後みんなで食べるんだろうか。

 コンテスト会場にいたガイコツ。

希望者が一緒に写真を撮れるように歩き回っていた。役場が雇ったのであろう。それにしても、本場メヒコのガイコツにも、こんな丑の刻参りみたいなのがいるんだろうか。

最後に、祭壇という言葉は墓そのものを指すようで今ひとつピンとこなくてずっと盆棚と呼んでたんだが、キリスト教では何かするときの台のことを祭壇と言うんですね。でも、マヤの祭壇は日本の盆棚とコンセプトがまったく同じなので、個人的にはあれは盆棚だ。


シシュ、ナンセ、ポソレ(ポソル)

2024年07月28日 | ユカタン諸々

  シシュ。

ディープ・マヤでしかありつけないマヤ料理で、牛の内臓以外のいろんな部位を、牛自体から出る脂で揚げる。前回は現場飯で食べた。ちなみにディープ・マヤ以外でもありつけるマヤ料理は、コチニータピビルとかポクチュクなどです。

 今回はご近所さんで。

牛を一頭落として肉も売っていたので、大きい塊を買った。マヤ人は煮込みにすることが多いので、骨やいろんな部位が入っているお得袋で買うのが好き。我々は普通に料理に使う。まずはカレーか。シシュは、前回考えたように今晩ワサビを効かせたシシュ丼にしてみる。

 

 ナンセの実

ナンセが採れたのでこちらに書いたように「基本的に好きじゃないが、美味しい食べ方を探る」実験をしようとしたところ、なんとシロップ漬けやリキュール漬けにあるような苦味というか臭みがない。これならまぁ…というより別物である。そうはいってもメキシコには美味しい果物があるので飛びつくほどってわけじゃないが、特に不味くはない。ほんのり甘いバター風味がする。

拍子抜けしたので、まずはあの不味さの原因を探ったところ、

 種によって違う。

黒くて硬い種の実は美味しくて、種が赤かったり周りが赤くなっていると臭みがある。ただ、黒い赤いは熟し具合とは違うようで、未熟なら黒い/赤いというわけではない。実の柔らかさからすると、おそらく樹上で完熟したか、その前に落ちたか…で差が出ると思われる。完熟して落ちたばかりという実が美味しくて、追熟はダメっぽい。こんな小さな実がバラバラと採れて、当然選別などしないから、不味いものが混ざるのであろう。それにマメイと同じく、追熟で味が変わるんじゃなかろうか。面倒臭いんで煮ちゃえ漬けちゃえというのは、いかにもメキシコらしい。

で、普通に美味しいので

 ジュース。

やっぱりバターっぽい味がする。砂糖を足せば、ミルクセーキと変わらないってな味。とはいえナンセ独特の味が少しするので、大人のミルクセーキといったところ。なんというか、バター風味の「濃さ」が気になったのでゴクゴク飲んでいいものなのか念のため調べたら、ナンセは下痢に効くと書いてあった。ゴクゴク飲まなくてよかった。

 餅。

我が家の定番、餅も作ってみた。杏餅みたいなのを想像して、実を裏ごしして、絞って果汁を少し減らして練り込んだ。出来立ては非常に美味しく、半日経つとナンセっぽい臭みが出たけど草餅レベルの苦味。1日置くと、もう何とか漬けを使うのと変わらない味になる。おまけになぜか餅が緩くなった。

でも元々はあの変な味を活かした食べ方の模索だから実験としては失敗。あたしの想像では隠し味として「普通の押し鮨じゃなくて柿の葉寿司みたいになる」的な使い方がいいんだけど、庭で採れた中から不味いのを選るのがネック。

 

 ポソレ。

有名なメキシコ料理のスープじゃありません。本当はポソルといって、オルメカなど古代文明の時代からあったという飲み物の素です。アルカリ処理したトウモロコシの粒を挽いて水と混ぜて作る。で、その素をまた水で溶いて飲む。メキシコ南東部に残っていて、場所によって少しずつ違う。タバスコではカカオ入りが定番らしい。

この辺ではこんなふうに丸いボール状で売っていて、野良仕事に行くとき持っていく。お腹が空いたら、水に溶いて飲む。昔々は旅人がそうしてたそうで、日本の弁当みたいな存在ですね。握り飯とかお腰につけたきび団子みたいだけど、飲み物なところが面白い。お腹の空き具合によって、溶く量(飲む量、あるいは濃さ)を調整するのも面白い。

ユカタンではカカオ入りはほとんど見ないが、ココ入りで既に水に溶いた飲み物状態で売っているトゥクトゥクもある。カップに注いで氷を入れて売る。

まぁ、トウモロコシのジュースなんだが、ほんの少し発酵させてあるのか、かすかに乳酸菌っぽい味がする。沖縄のミキの、酒になる一歩手前っぽい感じ。しかし、トウモロコシで色々作るもんだなと感心する。

ーーー

  隣家の七面鳥。

隣のゴミ屋敷から、七面鳥まで我が家に侵入してくるようになった。七面鳥は高く売れるので犬猫や鶏と違ってきちんと世話していると聞いていたが、七面鳥に何の心情の変化が??

 マリアはアヒル。

鶏、牛に続いて、今度はアヒル。こちらも食用。なんというか、この不規則な突然入手して’きて飼い出すのが、ニホンジンにはよく分からないw。

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 オンボロピックアップの車内。

岩を運んできた見慣れたぼろピックアップなんだが、これには驚いた。ガソリンタンク(携行用)をガソリンタンク代わりにしている。直結。ちなみにタンクの奥のボウルは、横のオレンジ色の水筒からラジエターに水を注ぐところ。この車が引退する日って、いつか来るんだろうか!?

 


悪い奴ら

2024年07月22日 | ユカタン諸々

午前中に相棒と、親方チームにそのままおいて置かれた屋根のコンクリ梁(鉄筋入り、重い!)をどうしようかね?と話していたら、ちょうど午後、道を歩いていた青年が譲ってほしいと声をかけてきた。そうでなくとも、壊れた家電などを買うという車はしょっちゅう通るし、鉄くず集めみたいなことをしている人もいるし、いらない物は家の前に出しておけばいつの間にかなくなっている…というのはメキシコではよくある話である。

どこに売るのか知らないが、他にも我々がいらないものを持ってってくれると言うので、そりゃいいってことになった。まずは軽いものから。軽いといっても、太くて長い鉄筋なんかは我々だけでは1本も持ち上がらないくらい重い。

 乗っていたオンボロ自転車で。

 戻ってきて格子鉄筋。

めちゃくちゃ重いコンクリ梁を運ぶのを手伝ってくれる人を探しにいったがみつからず、梁はうちにご飯の出前に来たおじさんも巻き込んで、なんとか1本載せた。

 三輪車で。

 また戻ってきて短い方(これも重い)。

1人でどうにか載せてどこかへ消えてった。

その夜、またうちに来た。普段、頼んだ出前が来たり興味あることがない限り、夜は道には出ていかない。この辺の夜の道を危険だと思ってるわけではないが、用もないのに出てって余計な問題に巻き込まれるのは御免である。

あんまりしつこいので出てったら、家族で困ったことがあるので助けてほしいと言う。こうなると怪しい。ろくに知りもしない相手に金をねだるのは普通の人間がすることではない。断りながら家の中に戻ろうとしたら、車庫近くまでついてくる。証拠もないのに失せろと言うわけにもいかないので、明日戻ってきたら仕事をやるかもしれないと言ってお引き取り願った。

そこまではよかったんだが、数時間後、家の外でカチャッと音がしたと思って外を見たら、梯子を抱えて自転車で走り出す男の姿が見えた。やられた〜。無造作に置いてあるのをさっき入ってきたときに見たのである。実は、よく使うからと相棒が家の外に転がしてあったのでしまえよと思ってたんだが、することが多いので大目に見ていたのがよくなかった。要は、盗りやすい状態にしておくほうも悪いんだがそれはともかく、ホントに油断しちゃいけませんね。

海辺の村に住んでいた頃、ユカタン州が安全なのはユカタン人の「犯罪許すまじ」感覚が強いおかげだなぁと思うことが度々あった。犯罪ニュースなどを目にしたときの反応が、他の州の人間と明らかに違う。諦めムードってものがない。「悪さするのは他所者!来るな!」とハッキリ言う人も多い(実際そう)。

ところがこの村に来たら、あちこちで「悪い奴がいるから気をつけろ」と言われる。あの家族とは付き合うな…などと具体的に教えてくれる人もいて、だいたいあの家族とやらの評判は誰が言うのも同じなのである。日本でも「近所づきあいが防犯になる」というが、対象が見知らぬ犯罪者なんじゃなくて「村に住んでて細かい悪さを働く奴ら」という感じ。でもって近所の人たちの話を総合すると、悪い家族同士では仲がよくて、普通に村に住んでいる。

結局、ヒルベルトの話では、彼の隣の家(うちじゃないほう)を新しく借り始めた3カップルがよくない奴らで、うちに来たお兄ちゃんはその知り合いらしいということが分かった。そのまた隣とかお向かいさんとか大家とかと話して判ったことらしい。なんとも強烈な口コミというか井戸端会議というか、田舎らしい住民結束社会である。

田舎なんでリンチの習慣なんかも残っていて、子供に対する犯罪とか殺人とか本当に悪いことをすると自分の身が危ないので、そこまでのリスクは負わないし、興味もないんだという。だいたい、酒(酔っ払いは嫌われる)とマリファナ、何かくすねる&そういう情報を共有する程度の悪さ。バレバレなのは気にしないが、現行犯は避ける。

なので、よほどのチャンス(庭に無造作においてあって盗みやすいとか)がなければ、彼らも「知っている近隣住民」には悪いことはほとんどしないらしい。我々は新しいガイジンなので、早くより多くの村民に「完全な近隣住民」だと認められなければならないらしい。同じユカタンでもずいぶん違うなと思った。さすが田舎。

ーーー

 鍾乳石。

チシュルブに落ちた「恐竜絶滅の原因となった」隕石が砕けて飛び散った硫黄を多く含んでいて黄色い。岩交じりの砂に混ざっていた。

 何かの芋。

雨季に入り大繁殖中。近いうちに間引きするなり全部引っこ抜くなりせねば。

 友達の誕生日パーティー。

がさつなタバスコ女でとても気が合う、Lさんのお母さん。色が黒いのでネグラと呼ばれている。頭のリボンは履いていたズボンを切って作ったんだと思う。色黒だと黄色と青緑の組み合わせなんていう派手な色が似合って羨ましい。

ところで彼女はめちゃくちゃ料理が上手で、昨日出てきたバルバコアはすごく美味しかったが、買ってきたというトルティーヤが「うーん」という味だった。この村に来て粒から作るトルティーヤばかり食べていたので、工場でトウモロコシ粉から作るトルティーヤの雑味が気になるようになったんだと思う。