イギリスの湖水地方をこよなく愛した詩人、ワーズワースの視点に立って心象風景を描くというアイデアが斬新だ。
その美しいフィーリングに敬意を表して、その美しみに溢れた部分から。
自然の方も、美しさに注目する者にはお返しに、ワーズワースによれば、わたしたち自身の内にある善きものを突き止めることに力を貸してくれる。
ワーズワースは読者に、いつもの物の見方を捨てて、しばらくはこの世界が他者の眼にどんなふうに映るかを考えてみたらと誘う。
人間の物の見方と、自然の物の見方との間を行き来してみたらと、。
なぜなら不幸は、たぶん、たったひとつの物の見方しかできないところに生まれるからだ。
幾たび、孤独な部屋で、街や都会の喧騒のさなかで
わたしはここにある美しいかたちの者たちに力を借りたことか。
誇張ではない。何十年経ってもアルプスは彼の中に生き続け、彼が呼び出すたびに、いつでも力を与えてくれるのだった。
わたしたちは自然の中で、人生を通じて自分の中に留まるような情景を目撃することがある。
その情景は、意識に入ってくるたびに、現在の困難を相対化し、救い手となってくれる。
彼は、そのような自然のなかの経験に「至高の時」という表現を与えた。
われらの存在の中には 至高の時がある。
その時はくっきりと際立ち 保つのだ
われらを力づける美徳を。
その時は われらを貫流し、堕落の時にあってもわれらを支え、
攀じ登る力を与えてくれるのだ。
自然のなかでのささやかだが、決定的な瞬間への信仰が、
自分の詩の多くにワーズワースが例のない特殊なサブタイトルのつけ方をする理由を説明してくれる。
たとえば、「ティンターン僧院」の副題、「旅の途上 ワイ渓谷の河岸を再訪して。1798年7月13日」は正確な年月日を明記する。
峡谷を見下ろす束の間の時が、人生でもっとも重大で有意義な時間の仲間入りをし、
誕生日や結婚記念日と同じに、正確に記憶すべき価値を持つものとなっている。
TwitterでフォローさせていただいているKAGAYAさんが、2013年の夏にアイスランドで撮影されてきた写真から。
映画「風立ちぬ」でも空の雲の色彩や描写の美しさに打たれましたが、この写真の雲や虹や空の奥行きのある立体感はどうでしょう。
なにも晴天の青空だけが美しいわけではないことを教えてくれる。厳しい嵐の後の天球の自然の美しさ。
よく晴れた昨日、めりはりのある寒暖のせいか、ハナミズキの花色が際立って映えているように感じました。
駅前にもう数十年もしたらすごい景観になるかもしれないって期待しているハナミズキ通りがあるのですが、
特に紅色のハナミズキの花色がどこか東洋風で、ユートピアに咲く異国の花のように思えました。
同じような花姿を求めても、曇天の今日は昨日の印象には遭遇できません。
ですが、曇天には曇天の風情、湖水地方だって雨の日や曇天の日が多いのです。
湿り気を含ませながら、花の季節は次のシャクナゲへと。
オーガスタにも負けない紅の印象、アザレア。
荒ぶる自然の力を下ろしてくるような、霧が立ち込めてくる光景。スコットランド風の地謡のようにも思えます。
原題は「キンタイア岬」なのですが、邦題の「夢の旅人」からして、どこかしら夢幻能の世界に通じるものがあるようにも感じる。
Paul McCartney Mull Of Kintyre Versions I & II 1977