ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

こんどはマスカラスになりきって、みた。

2009年10月31日 | マスカラスあるいはゴルフィー
マスカラス熱、さめやらず。ハロウィン de マスカラス、です。

アステカ王朝の衣装をまとったマスカラス(写真左)
マタドール(闘牛士)の衣装にソンブレロ、のマスカラス(写真右)



そして、今日はハロウィン。
ケルト人の1年の終わりの日(10月31日)。
精霊や魔女が出てくると信じられていた日です。



マスカラスのマスクのデザイン、古代マヤ文明~アステカ文明をモチーフにしたものかと思いきや、
なんとなくハロウィンっぽい、というかコウモリのようにも見えます。

(↓)2枚目のマスクが届いたので、うれしくてYouTubeに初投稿してみました。
  (でも、世界中のマスカラスファンからbooingコメントが寄せられても困るので非公開。。
   このブログでしか見れない貴重な映像です。(@_@)
   適当にスペイン語(メキシコ語)を並べて喋ってます。



(↓)ハロウィンの日の夕方、うえの子の部活の送迎やってると、こんな素敵なダリア畑の光景に出会いました。
   



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢の旅人/キンタイア岬

2009年10月29日 | お気に入り♪(ビートリー)

パンクロックがブームだった頃に、シレっとポールが発表したスコティッシュ・ワルツ。
ポールも、当時周囲から、何故こんな古臭いワルツを出すんだ、と言われたそうです。
ところが、当時ギネスブックに認定されるほどの売上記録を達成することになります。
ある意味、ポールらしくない、フックのないメロディが滔々と流れていくのですが、
イギリス人の郷愁を誘う何かがあるのでしょうね。

バグパイプの音や、yahoo~ho!!って声まで英国風キャンプソングの趣き。

(↓)ネットに訳詞がなかったので、適当に訳をつけてみました。
Paul McCartney - Mull Of Kintyre

Mull Of Kintyre ,Oh Mist Rolling In From The Sea,                 キンタイア岬 海から霧がたちこめてくる 
My Desire Is Always To Be Here                            ぼくの望みは いつだってここにいること
Oh Mull Of Kintyre                                    このキンタイア岬に

Far Have I Traveled And Much Have I Seen                      はるか世界中を旅して 沢山のものをみてきた
Dark Distant Mountains With Valleys Of Green.                   遠くにそびえる山々や緑の谷
Past Painted Deserts The Sunset's On Fire                       砂漠に映る残照、燃えるような夕日
As He Carries Me Home To The Mull Of Kintyre.                   いつだってぼくの心は故郷のキンタイアの岬に還ってくるんだ

Sweep Through the Heather Like Deer In The Glen                  渓谷を渡る鹿のようにヒースの丘を滑り降りると
Carry Me Back To The Days I Knew Then.                        いつだって懐かしいあの時が蘇る
Nights When We Sang Like A Heavenly Choir                    聖歌隊のように歌ったあの夜
Of The Life And The Time Of The Mull Of Kintyre.                     このキンタイア岬で過ごす日々の歌を

Smiles in the sunshine , And tears in the rain                     日射しのなかで笑い  雨のなかで涙を流せば               
Still take me back to where my memories remain                     今でもぼくを思い出が残る場所へと連れて行ってくれる
Flickering embers growing higher and higher                      ゆらめく灯りの余韻はどんどん高く燃えさかり
As they carry me back to the Mull of Kintyre                     
あのキンタイア岬へと連れ戻してくれる

キンタイア岬の映像⇒( http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/4c6d3e816c7215b27b291769ee345224

(↓)キンタイア岬~ポールの農場を訪れた人の記録を見つけました。

http://yositeru.com/60macca/10wanderlust/199707_2_farm/farm.htm

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハードボイルド風のバラッド

2009年10月29日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

マイナーなラジオ曲編でさらっと。

しかし、紹介する曲は
村上春樹さんではありませんが、世界の終りとハードボイルド…的な重たさを持っています。

(↓)ジョージマイケルには、あまり興味がなかったのですが、
   エルトンジョンのtonightのカバー、
   オリジナルよりも深淵な雰囲気があって秀逸です。

Elton John & Bernie Taupin's "Tonight" - George Michael 1991

(↓)本家エルトンのハードボイルド風のシンプルなバラッド。
   
Elton John - Shoot Down the Moon (1985) With Lyrics!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生曲線について

2009年10月28日 | 読書ノート
大人のしくみ 10代のための哲学
ビル・バーナード
光文社

このアイテムの詳細を見る


ある本に、こう書いてありました。
"どう生きるかという課題について、若者や老人向けに書かれたものはあるが、
一般のビジネスパーソンが頼りにできる指針や哲学はあるのだろうか。
社長向けの本はあっても、私にはすがるものが見つからなかった。"

この本、そもそもは、若者向けに社会のほんとう、を教える本として書かれたものですが、
有名なカート・ヴォガネットという作家のエピソードにあるように、
何歳になっても突き当たる課題について、
10代向けであるがゆえに、具体的に分かりやすく書かれている好著です。

~ 東部の名門大学での学位授与式でのスピーチの後、質問の手があがった。
  長年、作家の目でさまざまな人間模様を眺めてきての人生におけるアドバイスは何か?
  ヴォガネット:"私に分るもんかね。やっとここにたどり着いたところなんだから!"

思わず惹きこまれた導入部から紹介します。

 ~ みじめな理由として、可能性に満ち溢れているのにそれを持て余しているという状況がある。
   可能性というのは、求めなくとも与えられてしまう、ばかでかい義務だ。
   きみは可能性を台無しにしてしまうのではないかとびくびくしていて、
   それであえてどうでもいいような振りをする。
   ほんとは、どうでもいいやなんて思ってないし、思っていてはいけないんだ!
   そういうつらさや苦しさ、心の葛藤は、きみが思っているよりずっと早く取り除けるものなんだ。
   きみが自分で選んだ(もしくは選ぶように仕向けられた)「世界観」と「人生の現実」について考えてみればね。
   自分についてや、世の中での自分の位置づけについて、
   もっと自信を持てるようになるいちばん簡単で手っ取り早い方法は、
   今までとは違った目で世の中を眺めてみることだ。

いいフレーズや示唆に富んだ内容がたくさんあるので、何回かに分けて書きだします。
今日は、人生曲線について、です。


(↓)図にすると、イメージが強化されます。

まずは、定規を使って、"きみ"の正体と居場所を確認するのです。

太い線は"きみのお父さん"の人生を表します。
   5cmからはじまって9.5cmくらいまで、1cmを10年として、お父さんは40代半ばくらい。
   人生には紆余曲折があるので、でこぼこの線で表し、
   きみの人生は、お父さんが8cmくらいのところ、つまり30歳位のところから始まります。



30cmの定規なら300年を表すことができます。
今から50年後の2060年を定規の右端だとすると、左端はそこから300年前、1760年になります。
この30cmの中に、ナポレオンや坂本竜馬の人生も収まってしまいます。
人類が生まれてから3万年だとすると、3000cm(=3m)の定規があれば、
人類全員の曲線が描ける、ということです。
もっとイメージを拡げて、グランド並みの巨大ボードと定規を頭に浮かべてみます。

すると、この人生曲線図から分かってくることがあります。

<きみの人生は巨大なボード上に描かれたたった一本の短いでこぼこ線だ。>

 きみの曲線は大した場所を占めていない。
 人生全体でも7~8cmだ。決して長くない!
 気にいらないかもしれないけれど、それが現実だ。 

 ユダヤの古いことわざがズバリと言い当てているように、
 「人は死んでいる時間が非常に長い」。
 死について考えることは愉快でないし、社会も死というものにあまりうまく対処しているとは言い難い。
 しかし、死は人生を考えるうえで絶対に絶対にはずせない確定事項のひとつだ。
 きみたちは、つかのま、この世に存在しているにすぎない。 

 ただ素直に受け止めてくれればいいんだ。時間の使い方を考えるための大きな動機としてね。
 

<同じ曲線はふたつとないこと>
 
 同じ時刻に同じ場所から、同じ形を描く線なんてどこにもない。
 ひとりひとりが、グランドの違う地点から出発し、違う方向へ進み、違う経験をする。
 同じ曲線はひとつもないんだ。
 自分の存在を正しくとらえていれば、自分の曲線を他人と比べたがるという、願望と今後いっさい無縁でいられる。
 別々の曲線を比較したってなんの意味もない!そうだろ?

<曲線がつながっていること>

 きみの曲線を出発点までさかのぼってみよう。
 お父さんの曲線をみるとわかるように、きみはお父さんの人生のある時点で誕生し、曲線を描き始めている。
 お父さんもそのまたお父さんにつながっている。
 こうしてみんなつながっている。
 この世に今、存在する60億の人間の曲線は、一本残らず、
 この世に誕生した最初の人類までとぎれることなく、さかのぼることができる。
 
 この地上に姿を現した全人類のごちゃまぜのなかで、きみがどういう存在であるかがわかる。 
 だから誰であろうと、自分がひとりの力で生きている、たいそうな存在だなどと考えるのは思いあがりだ。

 人類の3万年分のぞっとするような困難があって、今きみが存在する。
 きみは自分自身や、両親に対してだけでは済まない、もう少し大きな義務を背負っている。
 義務が好きなんて人はいないから、あまり人気がないが、
 ぜひきみの「世界観」に取り入れてほしい。


※ 遠藤周作先生も、同様のことを言われてました。
( http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/500da30c1ade268f88d86e9f01d43bfc

・ひとは意思を重んじる。しかし、意思は自分でコントロールできる意識的な部分だけで決まるようなものではない。

・無意識の部分が、そのひとの考えや意思に大きな影響を持っていることは知っておいた方がよい。

・無意識の部分とは、生活上の小さな意思決定や感じ方、環境の影響を受けながらそれらが蓄積して作られるだけのものではない。
人間の身体と同様に、無意識あるいは潜在意識のなかにも、DNAとして先祖から受け継がれているものがあるのです。

・だから、意思をコントロールしているのは自分独りの力だ、などと尊大になってはいけない。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淀みない"半月"の動き

2009年10月25日 | 読書ノート
茶の湯のことば
鈴木 皓詞,筒井 紘一
淡交社

このアイテムの詳細を見る


禅を支柱にする茶の湯には、独特の美しい言葉の響きを持つものが多く、奥深いものを感じるようになりました。
日本人が四百年に渡って、発見し伝承してきた、人の世の奥義のようなもの。
(茶会に出たことがあるくらいで、茶道を実際にやってるわけではありませぬが。)

この本では、もてなし、しつらい、よそおい、ふるまい、うつろい、の五章に分けて、
茶の湯の言葉を紹介しています。

ふるまい、の章に、「手なり」、「半月に持つ」という言葉がありました。

「手なり」とは、
茶の湯の所作、特に点前(てまえ)をする人の手の自然な動きと流れ、
その延長として手の止まりが不自然になっていないさま。
心と身体が定まることで現れる、無理のないさま。

「半月に持つ」とは、
円の半分を月になぞらえ「半月」として、棗(なつめ、茶を入れる塗りの器)を持つ形をいいます。
綺麗な言い回しです。

(↓)この、手なりで、淀みのない、半月の形、をイメージするためにスクラップしてみました。
   禅ゴルフ、という本も出ているくらいですから、ゴルフにもつながるイメージを強化できると思います。
   半月形の淀みない動き、心と身体を定めて目線をグラグラさせない、といったこと。




(↓)僕は、週末よくプールに行って、ストレッチしながらのエクササイズ(いわゆるストレッチ&ストレングス)
   をするのですが、
   近頃は、肩甲骨からハムストリングスにかけての、裏筋の筋肉に意識を向けるようにしてます。
   身体をしっかり立てて起こし、チャクラではないですが、澄んだ色の気を、自分の真ん中に通していくような感じ。
   「軸の立った人」に通ずるような静筋を強くするようなイメージ。
   バレエの動き、男版 草刈民代になったようなイメージといったら意味不明になってしまいますかねぇ(・・?

(↓)Music by Butterfly Tea、とのこと。
   大地を踏み鳴らすようなリズムのうえに流れる弦の音が気に入りました。
   バレエの動きにも「淀みない半月の動き」を感じます。

Prix de Lausanne 2010 Trailer


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日の締め、タイガーマスクED

2009年10月24日 | お気に入り♪(CM/TV/映画)
これも、理解されづらいかも。。

こんなに切ない曲もなかなかありません。
タイガーマスクのエンディングテーマ。

強ければそれでいいんだ
力さえあればいいんだ…

みなし児のバラード


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスカラスになってみた。

2009年10月24日 | マスカラスあるいはゴルフィー
隠れ家に潜むマスカラス。(・・?

(コレ被って、マスカラスをイメージしながら家の中でトレーニングすると、
 汗をかくから着替用にもう1枚、と色違いのマスクを買ってしまいました。)(・。・;


(↓)これは、本物のマスカラス。


(↓)そして、これが隠れ家に潜む、自称マスカラス。


(↓)微妙に両目の間が広めで、まぬけに見えます。ははは。。



★ 撮影協力 : したの子。( @ 家のなかのマスカラスの隠れ家)



シャレ、ですから、誤解なきよう。

ハロウィンですが、これで外に出る勇気はありません。あしからず。<(_ _)>

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[09年10月 藤岡ゴルフクラブ]

2009年10月24日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

ゴルフのスコアって、気がぬけたプレーをすると、かくも簡単に崩れるもの。
今日は、Myリーダーズボードも、記録間違いに帰ってきてから気づくくらい、
ヘンチクリンなプレーでした。
魔法のスコアカードも時折つけ忘れてるし、字も汚いし、心が入ったプレーができてませんでした。

ここのところのラウンドで、91、92をマークして、
ちゃんとプレーできれば、100は叩かない、
悪くてもボギーペースのハーフ45基準で+5までには収めることができるはず、
なのに、こんな按配。。

今日は、とにかく、脇の甘い、のんべんだらりとしたプレー。 
ややもすると、丁寧さを欠く、自分の悪いところ、癖(くせ)が極端に出た内容。 
こんなゴルフをしたら、やっぱり後味が悪い。反省します。 

こういうゴルフをしてしまう自分がいる、ことも分かっていないといけません。
技術うんぬんではなく、真剣さが足りなかったとしかいいようがありません。

あがり3ホールで、いつものゴルフができたのが幸いでした。

90切りは、最後まで丁寧にプレーすることができてから、の話です。

※ 最後のほうで、右ひじをつけたワッグル、をティーショットで取り入れたら、よくコントロールされたドライバーが打てることを思い出しました。

  でも、帰りにいつものように、締めのラーメン食べてて、マスカラスのマスクをなぜ買ったかの話題で、結構盛り上がりました。

  今日は、届いたままになっているマスカラスのマスクのことが気になって仕方なかったのかもしれません。

  家に着いてから、早速被って記念に写真を撮りました。
  話してて、面白かったので、ブログにもアップしてみます。バカバカしくて笑えるかも。

 


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミルマスカラスのマスク買った~(^O^)/

2009年10月21日 | マスカラスあるいはゴルフィー

 最近、ちょっと顎の線が緩みがちなので、家でミルマスカラスのマスクをかぶっていると、
ついついトレーニングしたりするのではないかとのアイデアが頭をよぎりました。

(↓)そして、とうとうネットで購入しました。
   よくあるオモチャっぽいレプリカ仕様ほど安っぽくもなく、家で普段気軽に被るには、そこそこ手ごろな値段。
  (プロ仕様の本格的なものになると、マスカラスだと10万円以上するものもザラなのです。)
   この週末には、これを被って家でくつろぐ自分がいることでしょう。(*^^)v


 
  ~メキシコ製。ミルマスカラス。
   トップクラスのマスク職人作のプロフェッショナルルチャマスクではございませんが、
   
ストレッチ素材とビニールで出来ており、着用時のフィット感、作り共に本格的な仕様になっている
   セミ・プロフェッショナルマスクです。
    すべて現品のみとなります。
   ●サイズフリーサイズ大人用です。 ●素材ストレッチナイロン/ビニール ●原産国 Mexico

こんなものを普段被るって変??(家内はかなりひいてますが…)
(↓)いえいえ、京都で外出してもなかなかサマになるくらいなのですよ。($・・)/~~~

 

(↓)この写真のものと思われるマスク(中古ですがサイン入り)も発見したのですが、
    普段使いにするのが惜しくなってしまうのと、値段が少々はるので、やめときました。 (スポットライトの中でこそ映えそうな感じです。)

 (↓)フリア製タグなし /サイン入り /マスカラスが手に持った写真付/ 青ラメ 金革フチ

  

(↓)真夏の夜の夢、と題して以前アップしたマスカラスの記事。
     (もう、自分でポリ袋でマスク作らなくてもいいや。(-。-)y-゜゜゜ )
http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/4eaa99ed1a9445faa5da9231d7ccdd97

(↓)購入したオーソドックスな色合いのマスクをしたマスカラスのインタビュー付き映像をクリップ。

 Mil scaras en "Leyendas Vivientes". Parte1.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

座右の言葉たち~負けない、ということ・その3

2009年10月20日 | 読書ノート
桜井章一さんの、「負けない、こと」その3、最終章です。

"守り"ではなく、"受け"ていくこと。
やり過ごす、とか、いろいろなフレージングがありますが、積極的なニュアンスを含んだ言葉です。
その2で書きだした"とりあえず全部受けておきましょうか"にも通ずる勝負哲学。

欲望に支配された「勝ち」の戦いではなく、「負けない」という普遍的なスタンスを身につけるための言葉の数々。
" 人間は言葉に囚われる生き物 "
どれだけいい言葉を持ち、血肉としていけるか、
折りに触れて、見返したい、言葉のビジョンボードです。

<答えを求めない強さをもつ>
 だれもが小さいころから学校で勉強を教わる。
 それはすべて「答え」があるもので、
 現代社会では「答え」をたくさん覚えるほど、
 いい学校や会社に入れるシステムになっていて、それが成功だともてはやされる。
 マニュアル慣れした現代人は、「答え」という定まったものがないと不安になる。
 そこで、地位や名誉、金、権力といったものに答えや確証を求める

 「確証は間違いなくあるもの」という感覚で人生を歩んでいくと、
 ちょっと裏切られただけで挫折してしまったりする弱さを持つことになる。
 最初から確証など存在しない、と思っていれば、どうってことはない。
 その柔らかさは、間違いなく人を強くする。

 「答えを求めない」「確証などない」という気持ちを持つことから始めてみてはどうだろう。

<褒めて育てるへの疑念>
 褒められたい人間は、褒められなくなると文句ばかりつけるようになる。
 それで世の中はクレーマーだらけになっていく。
 だったら、はじめから褒めること、褒められることなど求めず、
 人の悪口を言わないようにしていけばいい。
 褒め殺しという言葉があるように、褒めるという行為には人を抹殺するようなところがある。
 だから、そこまでいかないように、ちょっと手前で止めておいたほうがいいこともあるのだ。

 褒められなきゃダメ、褒めなきゃダメという関係は脆い。
 「わかってくれているんだな」、という関係こそ強い関係なのだ。

<片づける感覚が勝負強さを生む> 
 勝負においては、相手を片づけたほうが勝者であり、片づけられたほうは敗者である。
 「片づけられる前に自分から片づける」という感覚は、普段から持っておくといいだろう。
 それが負けないことにもつながってくる。

 だから、仕事にしても、日々の生活にしても、ものごとをさっさと片づけることがとても大切になってくる。
 ものごとをさっさと片づけるとは、"間に合わせる"、"済ませる"ということ。
 "間に合う"ようになるには、
 その瞬間、瞬間でいろいろなことに気づき、行動し、済ませていくようにすることだ。
 "済ます"ことに慣れてくれば、
 "澄ます"につながり、気分もすっきりし、以前よりものごとに気づくようになる。

 そのいい循環を保てば、"片づける"ことが日常的になり、
 それは勝負事にもいい結果として必ず現れる。

<勝負に怒りはマイナス> 
 私は相手から怒りをぶつけられた場合、
 その怒りのパワーを「おもしろいじゃないか」といったん受けるようにしている。
 そしてスルーする。
 怒りを一度自分の中に通すことで、相手の怒りの質も見えてくる。
 そこから気づきが生まれ、どう戦うべきかというヒントを与えてくれる。
 だから、怒りを相手にぶつけるのは勝負事では不利、である。

<加害者意識を少々持つこと>
 人は被害者意識を持つ動物。
 居心地のよい母胎から外の世界に出されたところから、被害者意識を持ち始めるからだ。
 だから、どうしたって人間から被害者意識を拭い去ることはできない。 

 しかし、被害者意識をたとえバネにしたとしても、どこかでひずみが生まれるものだ。
 だから、被害者意識はほどほどのところで抑えるべき。

 そのためには、自分の中に"加害者意識"をほんの少々、いつも持っていればいい

 人はみな、怒りや悲しさといった感情から自分を救い出すコツを身につけておくべきだと思う。 

 「自分も悪い」という感覚、世の中の悪い大人の中には、自分も入っている
 そういう認識、加害者意識が少しずつ入ってくれば、
 人間が元来持っている被害者意識が薄まり、怒りのような感情もコントロールできるようになる。

<ミスはするもの、まずはしっかり受け止めれるように>
 そもそも、ひとつのミス自体は大したものではない
 ミスを「まずい」とだけ思うのではなく、
 「ミスしちゃった。おもしろいなぁ。おれ、こういうミスすんだなぁ」と一旦受け止める。 

 自分だけがミスをするのではないのだから
 ひとつのミスに囚われず、 むしろ、面白がって、好んで向かっていくことだ。

 ミスを犯した後に勝者と敗者の分かれ道がある。
 ごめんならごめんで済ませて、早めに次のことをやっていくこと。
 それがミスの連鎖にはまらず、負けないこと、につながっていく。

<緊張は前に出てきてしまうもの>
 成功だけを求めたり、人の目を意識しすぎると、
 前ばかりに意識がいき、緊張も高まってしまう。
 そんなときは緊張や意識を後ろに持っていくようにすればいい。
(桜井さんの道場では、両手で顔の前を覆い、手を両脇に広げてパーッと視野を明るくする練習を普段からしているそうです。)

<守るのではなく、受ける>
 人間は言葉に囚われる生き物なので、「守り」という意識を持ってはいけない。 
 では、どうすればいいか。 "守り"ではなく、"受け"と捉えればいいのだ。

 攻撃に対して、柔らかく且つ厳しく対応するのが"受け"の基本。
 次に自分が攻めやすくするための攻撃なのだ。
 「負けない」勝負をしていくためには、"守り"ではなく"受け"ていく姿勢が大切。

<平常心とは>
 大一番の前などに、人は「緊張しないよう平常心で挑む」と言ったりする。
 「平常心とは何があっても揺れない心」と多くの人が解釈しているように思う。
 だが、私の考える平常心に対する解釈はちょっと違う。
 日常の中で、「準備・実行・後始末」を当たり前にこなしていく、 
 普段の生活で起こる些細なことを丁寧に、大事に扱う、
 平常心という心の常があれば、
 人はなにか事があって揺れても、またすぐ「常」の状態に戻れる。
 この強い修正力が平常心なのだ。

※ 何度も(自分が)見に来たくなるように、きれいな写真とれたら、ここにもアップしようと思ってます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軸の立った人

2009年10月18日 | お気に入り♪(ビートリー)
本の" 軸の立った人 "ってフレーズに、この曲が思い浮かびました。
葉っぱや幹だけでなく根っこを拡げて、流れの中に軸を立てることのできる人。

誰も警告してくれないけど、
小さな柳、しっかりがんばれ。

Paul McCartney - Little Willow


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

座右の言葉たち~負けない、ということ・その2

2009年10月18日 | 読書ノート
ゴルフでwordingの効果を感じています。
本を読んだりして、気になるフレージングを書きとめて、馴染むまで何度も目を通せるようにしておくことは、とても有益に思えます。

最近も、鳥越俊太郎さんの指摘に、ハッとしました。
 " 日本人は、春夏秋冬を人生だと思っている。
  歳とともに考え方も服装も生きていること自体もグレーだと感じるようになる。
  人生そのものまでが四季の移ろいと同じだと信じ込んで、
  いや信じ込まされている。"

そして、巡り合った、桜井章一さんの言葉の数々、パート2です。
勝間和代さんの「読書進化論」(http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/8cd91ed10ab8ad9f75142a9580524b19)に、
人を進化させる読書がある、という章があります。
桜井章一さんの本は、まさにそんな感じ、
・負けない気持ちを強化する新しいフレームワークを疑似体験し、
・負けない技術や知恵を、タグ付けして頭の中に格納し、
・読書の中だけに体験を閉じない、
ようにしておきたい大切なフレーズが、1冊に1フレーズどころか山のようにありました。

その1では、主に第一章「負けないは勝つより難しい」から抜書きしました。
その2では、第二章「負けないための技術」から感じ入ったところを書き出してみます。

<スルーする感覚で強くなる>
 いいものは自分の中に留めておきたいものだが、溜めこむと囚われが起こるのでスルーする。
 悪いものも、放り投げたり、無視したりせず、スルーしてその存在を確かめる。
 " まあ、とりあえず全部受けときましょうか"、
 そんな感覚で私はものごとをスルーしている。
 たとえるなら、一度自分の中に通してから後ろに抜いていくような感覚
 自分だけでなく、他人の中でスルーができるようになると、さまざまなことに気づくようになる。

<シンプルさには無駄な動きがなく、スピードが加味されて最大限の力になる> 
 簡単なことは簡単。
 複雑なことは高等なこと、賢いことだと多くの人が思っている
 複雑にすることで知識が広がり、力も伸びるという教育を受けて育ってきた、
 思考の癖(くせ)から逃れられないでいる。

<チャンスというのは居場所を求めて常にうろうろと動き回っている>
 チャンスだけでなく、運も、勝ち負けも、すべてが動き回っている。
 チャンスは自ら掴み取るもの、というが、チャンスはみんなすでに掴んでいる。
 ほんの一瞬、あなたにペタッとくっついてくるチャンスを、どう感じ取り、活用するかにかかっている。

<勝機というチャンスに合わせていくこと>
 努力や忍耐だけで勝機を呼び込むことはできず、
 流れを読む力や、その人の素質、勝機との相性も密接に関係してくる。

 勝機との相性とは、訪れた勝機と自分が、合っているかどうかということ。
 合っていなければ、それは勝機ではなく、ただの"機"になってしまう。
 だから勝機と合わないときには、「どうやったら、合うようになるのか」を模索していく。
 さもないと、勝機を多く導くことはできない。
 目の前に子供がいたら子供に合わせる。年寄りがいたら年寄りに合わせる。
 いろんなことへの" 合わせ方"が必要なのだ。 そういうことを全部やっていないと、勝機というものに数多く当たることはできない。

<合わせる、とは。>
 先入観や思い込み、固定観念を捨てて、素の状態でみること。
 (海に潜って、岩場などに同化して隠れているタコやヒラメを見つけるのが得意な桜井さんは、
  目で見るというより、素の状態を感じるから、存在がわかるのだ、と言っています。)
 素の状態を感じるとは、その場その場に合わせる、ということ。
 なにも八方美人になれと言ってるのではない。そこにあるのは打算であって自然の流れは存在しない。
 都合のいいもの、悪いものを含めて、場に合わせること、
  を日々やっていると、 素の状態でものごとを判断できるようになる。

<勝負の流れ>
 勝負の流れには、正しいものもあれば間違ったものもある。
 常に正しいことをしていれば、ちゃんと流れに乗れるというほど、勝負は単純なものではない。
 それが"正しい流れ"なら正着(せいちゃく)を打っていれば流れに乗れる。 
 " 間違いの流れ "が起こっているときには、
 間違いの手や悪い手を打ったほうがいい結果になることがある。

 でも、そういった場面では、悪い手を使って勝ちに行くのではなく、あえて敗者になったほうがいい。
 間違いの流れに悪い手で乗ってしまうと、正しい流れが来たときに合わせられなくなってしまう。
 いかに正しい流れに合わせられるか、が自分の力の試しどころ、
 間違いの流れに乗ってはいけない。
 それが、負けないことにつながっていく

<軸の立った人>
 "動"から始まる動き。
 動の中に起こっていることを俯瞰して見ることができる"静"。
 それを超えたところにある"流れ"。

 風や雲、川を見ていれば、自然の流れを感じることができる。
 それと同じような流れの感覚を自分の中に見つけていけば、
 おのずと、流れを感じる、「軸の立った人」になる。


 木を見たときにどこに軸を感じるだろうか。
 木の幹の部分に軸を感じるのは、人間の主観でしかない。
 (素の状態で見ていないということ。) 
 木は幹がしっかりしているから立っているのではなく、
 大地の中にしっかりと根を張っているから立っている。

 軸というと、まっすぐ一本に伸びていくものをイメージするが、そうではない。
 軸には形やサイズはなく、広がっていく。 その広がりが無限の可能性を生む。

<気づきの度量が広がっていけば感覚も磨かれていく>
 多くのことを感じ、気づけるようになるためには、
 人間関係以外のところから、 ありのままの自然界から気づいていくことが一番いい。
 大自然の中でなくてもいい。
 街中を吹き抜ける風から天候の変化に気づく、
 道端に咲く一輪の花に季節を感じ、気づく。

 自然と本能の相互作用で感覚を磨いていくと、
 人は元気や勇気など、さまざまな気を自分の中に持つようになる。
 多彩な気を持っている人は、やがて気遣いのできる人間になるもの。
 勝負というものは常に変化している。
 自分の方程式にこだわっているとついていけなくなってしまう。
 固定観念をその都度消し去り、
 何がどう変わっていくのか、 気づくことができる人は、流れの変化に合わせていける。

※ おぼろげな記憶しか残っていませんが、昔読んだ、宮本武蔵の五輪書に通じるものを感じます。
  的を射抜くように言い得ることは難しくても、
  流れや気、といったものの存在は、多くの人が感じるところ。
  ならば、単なる好奇心や興味だけでなく、愚直にその感覚を磨くことをそろそろ始めてもよいのでは、と思いました。
  軸の立った人、というフレーズは新しかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

座右の言葉たち~負けない、ということ・その1

2009年10月17日 | 読書ノート
負けない技術──20年間無敗、伝説の雀鬼の「逆境突破力」 (講談社プラスアルファ新書)
桜井 章一
講談社

このアイテムの詳細を見る

甘いおっパイの一件から、
前向きな気持ちを取り戻す言葉を求めて、ブログに書ききれないくらい、ずいぶん本を読みました。
そんな中、今日、これだと思う本に出会いました。桜井章一さんです。
伝説の雀鬼、全財産や命を賭けるような裏麻雀の世界にいた人、というと、色眼鏡で見るひともなかにはいるかもしれませんが、
今の僕にとっては、まるで現代の歎異抄、悪人正機説を説いた親鸞聖人の教えのよう。深く語りかけてくるものがありました。
書いていること自体は、よくある自己啓発本とそんなに変わりないかもしれませんが、
きれいごとではなく、滋味のある、ほんとうの言葉として語りかけてくるような感じがしました。
(麻雀パイとよく効く苦い薬をかけて、苦いおっパイ、ってタイトルにしようかと思いましたが、
 ふざけると、せっかくのこの本の価値を損ないそうに思えてやめにしました。)

野暮かもしれませんが、いくつか、キーフレーズを抜書きしておこうと思います。
(ゴルフにも役立ちそうな、勝負に対する考え方が書かれています。)

<負けない、ということ>
 自然界にいる動植物たちには、「本能で生きる」、つまり「負けない」という普遍のスタンスがあるだけ。
 根底にあるのは、「負けないためにはどうしたらよいのか」という姿勢であって、けっして「勝つため」の考えではない。

<「負けない」も「勝つ」も結果的には同じことを意味しているが、本質はまったく別のものだ>
 「勝ちたい」は欲望と同じで限度がない。
  限度がないから それを達成するために汚いこと、ずるいことも平気でするようになってしまう。
 「負けない」という気持ちには、もうこれでいい、という納得感があるから、
 相手が弱ったらおしまい、とかそういう終わらせ方ができる。相手をとことん追い込む必要もない。

<失うことを拒否しない>
 「勝ち」だけを欲する人は、人生においても「得る」ことばかりを求める生き方になりやすい。
 しかし自然の摂理からいえば、得たものは失う定めにある。
 人生という道の先々にあるすべてのものは、失うための導きである。
 齢(よわい)を重ねるにつれ、失っていくのは自然界の定め。

 失うことを拒否するのではなく
 「失う定め」だという事実を認めるだけで、落ち込んだり、失望したりすることは少なくなるはずだ。


<「勝ち」を求めすぎると弱くなる>
 字面だけ見て、「勝ちたい」は前向きで、「負けない」は後ろ向きとの印象を抱く人も多いかもしれない。
 でも、私から見れば「勝ちたい」は厚化粧をしてなんとか見られる人、「負けない」はすっぴんできれいな人、くらいの違いがある。
 さまざまな化粧を重ねることで「勝ち」を拾っていくのが今の時代の「勝ち」の姿なのだ。
 心の化粧、能力の化粧、生き方の化粧、、「勝ち」を求めるあまり、人間の質が劣化し、
 もはや素の自分では生きていけない、上っ面ばかりの卑しい人間はたくさんいる。
 勝ち=豊か、ではないし、勝ち=強さでもない。それは時代が証明している。

<負けないは純粋な分、プレッシャーがない>
 「勝ち」ばかりを追いかけると視野が狭まり、自分の技量以上のことをしようとする。

<勝ちと欲の関係>
 人間には欲があるから「勝ち」にいってしまう。
 「勝ち」にいく勝負が欲の支配する戦いだとすると、「負けない」というのは人が持つ本能からくる戦い方だ。
 勝負を続ける中で「勝ち」が重なってくると、欲がどんどん膨らんでくる。
 それは人間の性なのだが、その欲をできるだけコントロールすることが大切だ。そこには我欲だけではなく他欲も入り込んでくる。
 人間の本能からくる、食欲、睡眠欲、性欲の3つの欲がある程度満たされていればそれでいい、 くらいの感覚を持っていれば、
 それ以外の欲に惑わされることがあっても、自分で気づけるようになる。

<満足より納得>
 納得を求める人は、満足を得るための「勝ち」を求めない。
 「負けない」人というのは、あくまでも納得することにこだわりを持ち続ける人。 
 毎日を納得して生きていると、そこには感謝の気持ちがおのずと起こってくる。
 敵を外ではなく、己の中に置くと、その人の人生は納得できるものへと変わっていくはずだ。

 自分の中の敵と戦い、己の一部分を理解できた人は、対戦相手のことも理解できるようになる。
 そうやって勝負の中で人として成長していくことこそ、勝負の最大の魅力だと私は思っている。
 結局のところ、自分と戦うということは、自分に納得するためなのである。
 しかし己を知るのは難しい。
 私も自分自身のことは一生かけてもきっとわからないだろうと思う。

<負けないための努力> 
 自分の内面のなかにあるものには必ず、善し悪しがある。
 その善し悪しをしっかりと自覚して、悪いものを捨てていく。
 一気にではなく、少しずつ。
 全部を一気に捨てようとすると悪しき完全主義志向になり、病を招く。
 だから、悪いものを半分くらいずつ捨てていく感覚を持つといいだろう。
 そうすれば、おのずといい条件がそろう。
 いい条件がそろえば、結果として「負けない」ことにつながっていく。

 人間は「得る」という気持ちばかりで、なかなか今までに築いてきた自分を「捨てる」という感覚になれない。
 それが自分にとって悪いものであれば、取り除いていかなくてはならない。

  <現代人の性を知ること>
 世の中が近代化されるにつれ、人々は確証を求めたり、あるいは保証された立場を得ようとしたりするようになった。
 確証を持てる、保証される、というのが「勝ち」のひとつのバリエーションになった。

 私は、仕事でも人生でも「負ける」という行為の99%は「自滅」だと思っている。
 実際にスポーツ、経済、あらゆる世界で繰り広げられている勝負において、
 「負け」の原因をつぶさに見ていくと、自滅で負けを引き寄せているパターンが圧倒的に多い。
 たいがいの人は勝手に自滅していく。
 「勝ち」を求める人は、その行動や動機に自滅の要素をはらんでいるのだ。

※ 書きだしていくだけでも大変なくらいの量になってしまいますが、「負けない、ということ」シリーズ、続けようと思います。
  写経のようなもの。
  言葉が自分の身や心にもっと馴染んだ頃には一回り成長できているように思います。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スカ~ぶぉろォ~うっ!

2009年10月17日 | お気に入り♪(ビートリー)
同じスカボローが出てくる歌でもこんなに雰囲気が違います。
リフが印象的な「old siam sir」。
ポールのボーカルもhotだし、メンバーも陶酔して演奏してます。


Paul McCartney & Wings - Old Siam, Sir [1979]

(このビデオ大好きですが、なかでも、自己満的ベストシーンは、
1:45 ポールとデ二―・レインがお互いのベースとギターを突き合わせてリフを弾くシーン
2:55 ポールがインディアンみたいに口に手をあてるシーン
3:35 ポールがシャウトを抜くように上を見上げてからスカ~ぶぉろォ~うっ!って歌うところ。

もうひとつ、同じアルバム(バック・トゥ・ジ・エッグ)に入ってるfunkyなナンバー、spin it onです。
"Paul! isn't this cool? this is not a song this is MASTERPIECE!!!"
ってコメントを寄せてる人もいるくらいで、これまた、とにかくgroovy!

Paul McCartney & Wings - Spin It On [1979]



1:10 ポールが歌詞そのままに目を回して顔をスピンさせてのけぞるシーン
1:30過ぎからはポールがジョンとやってたようにデ二―レーンと顔を突き合わせて、楽しそうにシャウトしてます!

なんだか、興奮のあまり、スカトロ的なタイトルになってしまってあいすみません。<(_ _)>




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒースとスカボロー

2009年10月17日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

好きな英国風で。

Kate Bush - Wuthering Heights - ( Lyric included )


この曲、初めて聴いた時は、なんだかぞっとしました。
「背徳のクラシック」でいうところの、異端なるもの。こいつは何か違うと感じる妖しげでブチ切れた異様な光。
特に、"ヒースクリフ、私よ、キャシーよ、とても寒いの、中に入れて"ってところ。

文学には疎いのですが、ネットにこんな記事がありました。↓
なるほど、鋭い指摘だと思いました。

 ~第一連の"You had a temper, like my jealousy / Too hot, too greedy /
  How could you leave me / When I needed you / To possess you?"のところは
  ヒースクリフが言っているとしたほうがいのではないかと思う。
  『嵐が丘』では、まあキャシーもヒースクリフも嫉妬深いしかんしゃく持ちなのだが、
  どっちかというとかんしゃく持ちなのはキャシー、嫉妬深いのがヒースクリフだろう
  (ヒースクリフはキャシーが他の男と結婚したのをずーっと根に持っているわけだし)。
  それから「いてほしかったのにいなくなってしまった」のは、
  キャシーが結婚した時に出奔してしまったヒースクリフを示しているともとれるのだが、
  この歌詞の開始時点ではキャシーは死んでいるわけなので、
  どっちかというとヒースクリフを捨てて勝手に結婚した上
  勝手に死んでしまったキャシーを責めていると考えたほうがいいのではないだろうか。
  私がそうでないかと疑っているのは、
  第二連の歌詞の最後で"Wuthering, wuthering, wuthering heights..."
  というふうに三回呪文のような繰り返しがあって、その後ちょっとメロディに変化があるので、
  ここまでをヒースクリフの一人語り、
  その後をヒースクリフの妄想世界
  ( の中で召喚されたキャシーの亡霊が話している ) と考えたほうが、
  歌としてはもっとホラーっぽくて面白いのではないかと思うからである。
  この歌はお化けソングなので(死んじゃったかつての恋人が「寒いから窓から入れてくれ…」と迫ってくる)、
  最初の二連を現実世界、後を妄想世界としたほうがもっと怖くないか?

(↓)次は、「スカボローフェア~詠唱」です。
   ハーブの名前が出てきたりして、爽やかに聞こえますが、
   不可能なことを並べたてて決してかなわない希望を歌う切ないラブソング。
   サイモンとガーファンクルによって、曲間に反戦のメッセージが挟まれています。
Scarborough Faire Canticle - Simon and Garfunkel

Are you going to Scarborough Fair?
Parsley, sage, rosemary and thyme
Remember me to one who lives there For once she was a true love of mine
 スカボローフェアに行くのなら
 パセリ、セージ、ローズマリーとタイム忘れないでいてほしいと伝えてほしい
 私が昔、愛した人に
Have her make me a cambric shirt  (On the side of a hill in the deep forest green)
 Parsley, sage, rosemary and thyme  (Tracing a sparrow on snow-crested ground)
Without no seam nor fine needle work  (Blankets and bedclothes a child of the mountains )
And then she'll be a true love of mine
(Sleeps unaware of the clarion call )
麻でシャツを作ってほしい      (深い緑の丘の山腹)
パセリ、セージ、ローズマリーとタイム (雪の積もった地上で雀の姿を追いかける)
縫い目も針のあともないシャツを      (毛布とベッドクロスに包まれる山の子供)
そうすれば彼女は私の本当の恋人になるんです (進撃ラッパの音も聞かずに眠りこける)
Tell her to find me an acre of land   (On the side of a hill, a sprinkling of leaves)
Parsely, sage, rosemary, and thyme  (Washes the grave with silvery tears )
Between the salt water and the sea strand  (A soldier cleans and polishes a gun )
Then she'll be a true love of mine
1エーカーの土地を見つけて欲しいと伝えてほしい (丘の中腹で葉っぱが散る)
パセリ,セージ,ローズマリー,タイム         (銀色の涙を流しながら墓石を洗う)
海と岸辺の間にある土地が見つけられたら      (兵士が一人銃を磨いている)
彼女は私の本当の恋人になるんです
Tell her to reap it in a sickle of leather  (War bellows, blazing in scarlet battalions )
Parsely, sage, rosemary and thyme  (Generals order their soldiers to kill )
And to gather it all in a bunch of heather  (and to fight for a cause they've long ago forgotten)
Then she'll be a true love of mine
皮でできた鎌で刈り入れるように伝えてほしい  (緋の軍服を着た大軍の中で銃砲が火を吹く)
パセリ,セージ,ローズマリー,タイム        (将軍は兵士たちに「殺せ」と命令する)
ヒースの束の中に収めることができるのなら     ( とうに忘れられた大義のために「戦え」と命ずる)
あの人が私の本当の恋人になるんです
Are you going to Scarborough Fair?
Parsley, sage, rosemary and thyme
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine
スカボローの市に行くのですか
パセリ,セージ,ローズマリー,タイム
よろしく伝えてほしいんです 私が昔、愛した人に

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする