ある本に、こう書いてありました。
"どう生きるかという課題について、若者や老人向けに書かれたものはあるが、
一般のビジネスパーソンが頼りにできる指針や哲学はあるのだろうか。
社長向けの本はあっても、私にはすがるものが見つからなかった。"
この本、そもそもは、若者向けに社会のほんとう、を教える本として書かれたものですが、
有名なカート・ヴォガネットという作家のエピソードにあるように、
何歳になっても突き当たる課題について、
10代向けであるがゆえに、具体的に分かりやすく書かれている好著です。
~ 東部の名門大学での学位授与式でのスピーチの後、質問の手があがった。
長年、作家の目でさまざまな人間模様を眺めてきての人生におけるアドバイスは何か?
ヴォガネット:"私に分るもんかね。やっとここにたどり着いたところなんだから!"
思わず惹きこまれた導入部から紹介します。
~ みじめな理由として、可能性に満ち溢れているのにそれを持て余しているという状況がある。
可能性というのは、求めなくとも与えられてしまう、ばかでかい義務だ。
きみは可能性を台無しにしてしまうのではないかとびくびくしていて、
それであえてどうでもいいような振りをする。
ほんとは、どうでもいいやなんて思ってないし、思っていてはいけないんだ!
そういうつらさや苦しさ、心の葛藤は、きみが思っているよりずっと早く取り除けるものなんだ。
きみが自分で選んだ(もしくは選ぶように仕向けられた)「世界観」と「人生の現実」について考えてみればね。
自分についてや、世の中での自分の位置づけについて、
もっと自信を持てるようになるいちばん簡単で手っ取り早い方法は、
今までとは違った目で世の中を眺めてみることだ。
いいフレーズや示唆に富んだ内容がたくさんあるので、何回かに分けて書きだします。
今日は、人生曲線について、です。
(↓)図にすると、イメージが強化されます。
まずは、定規を使って、"きみ"の正体と居場所を確認するのです。
太い線は"きみのお父さん"の人生を表します。
5cmからはじまって9.5cmくらいまで、1cmを10年として、お父さんは40代半ばくらい。
人生には紆余曲折があるので、でこぼこの線で表し、
きみの人生は、お父さんが8cmくらいのところ、つまり30歳位のところから始まります。
30cmの定規なら300年を表すことができます。
今から50年後の2060年を定規の右端だとすると、左端はそこから300年前、1760年になります。
この30cmの中に、ナポレオンや坂本竜馬の人生も収まってしまいます。
人類が生まれてから3万年だとすると、3000cm(=3m)の定規があれば、
人類全員の曲線が描ける、ということです。
もっとイメージを拡げて、グランド並みの巨大ボードと定規を頭に浮かべてみます。
すると、この人生曲線図から分かってくることがあります。
<きみの人生は巨大なボード上に描かれたたった一本の短いでこぼこ線だ。>
きみの曲線は大した場所を占めていない。
人生全体でも7~8cmだ。決して長くない!
気にいらないかもしれないけれど、それが現実だ。
ユダヤの古いことわざがズバリと言い当てているように、
「人は死んでいる時間が非常に長い」。
死について考えることは愉快でないし、社会も死というものにあまりうまく対処しているとは言い難い。
しかし、死は人生を考えるうえで絶対に絶対にはずせない確定事項のひとつだ。
きみたちは、つかのま、この世に存在しているにすぎない。
ただ素直に受け止めてくれればいいんだ。時間の使い方を考えるための大きな動機としてね。
<同じ曲線はふたつとないこと>
同じ時刻に同じ場所から、同じ形を描く線なんてどこにもない。
ひとりひとりが、グランドの違う地点から出発し、違う方向へ進み、違う経験をする。
同じ曲線はひとつもないんだ。
自分の存在を正しくとらえていれば、自分の曲線を他人と比べたがるという、願望と今後いっさい無縁でいられる。
別々の曲線を比較したってなんの意味もない!そうだろ?
<曲線がつながっていること>
きみの曲線を出発点までさかのぼってみよう。
お父さんの曲線をみるとわかるように、きみはお父さんの人生のある時点で誕生し、曲線を描き始めている。
お父さんもそのまたお父さんにつながっている。
こうしてみんなつながっている。
この世に今、存在する60億の人間の曲線は、一本残らず、
この世に誕生した最初の人類までとぎれることなく、さかのぼることができる。
この地上に姿を現した全人類のごちゃまぜのなかで、きみがどういう存在であるかがわかる。
だから誰であろうと、自分がひとりの力で生きている、たいそうな存在だなどと考えるのは思いあがりだ。
人類の3万年分のぞっとするような困難があって、今きみが存在する。
きみは自分自身や、両親に対してだけでは済まない、もう少し大きな義務を背負っている。
義務が好きなんて人はいないから、あまり人気がないが、
ぜひきみの「世界観」に取り入れてほしい。
※ 遠藤周作先生も、同様のことを言われてました。
(
http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/500da30c1ade268f88d86e9f01d43bfc)
・ひとは意思を重んじる。しかし、意思は自分でコントロールできる意識的な部分だけで決まるようなものではない。
・無意識の部分が、そのひとの考えや意思に大きな影響を持っていることは知っておいた方がよい。
・無意識の部分とは、生活上の小さな意思決定や感じ方、環境の影響を受けながらそれらが蓄積して作られるだけのものではない。
人間の身体と同様に、無意識あるいは潜在意識のなかにも、DNAとして先祖から受け継がれているものがあるのです。
・だから、意思をコントロールしているのは自分独りの力だ、などと尊大になってはいけない。