これまで、オンとオフを分けて広く見聞を求めようという気持ちから、経済などの話は殆ど採り上げることはありませんでした。
しかし、ブログというのは、なかなか強力なもので、避けているテーマの本や話題への関心は次第に薄れてゆくのです。
近ごろ手に採る本にしても、いささか偏りが出てきているように思います。
こないだまで、「持続可能な社会」が、エネルギー施策に留まらない、経済や公共投資のメインテーマに浮上しつつあったのに、
26日に発足した自民党 安倍晋三内閣は力強くデフレ脱却を宣言し、
「強い経済を取り戻す」、「成長をあきらめた国に未来はない」、という風になんだか勇ましくて、株式市場や海外投資家も歓迎ムード。
金融緩和政策を打ち出しながら、物価を上昇させ、民間投資を喚起するデフレ脱却政策ってどういうやり方を採るんだっけ?
景気回復と、国債発行に依存しない財政規律って、そんなに上手く両立するものだったっけ?
なんだか よく分からなくなってきている、、まずい。。。
自分のワードで政治や経済を語るには、ブログにしない分野のせいか、知見が薄くなってきている。
TPPの是々非々を述べよ、などと言われたら、語るべき言葉を十分に持ち合わせていない。
普遍の真理みたいなことは大切なテーマだし、何かしらテーマを持ってブログを書くというのも大事なことなのかもしれないが、
日常的な趣味のツールのようになってくると、もっと幅広にしておかないと、自分の興味の向く方向までが偏っていく。これではいけない。
作家先生ではないのだから、ミステリーが専門とばかりに枠をはめる必要もないし、専門外であっても気軽にスクラップブックをどんどん作っていったら良いではないか。
そのうち、考えも醸成されてくる。
( ↓ ) 株式相場の動向を政治イベントに絡めて定点観測する。
年末にかけての反騰でようやく東日本大震災以前の水準である1万200-300円台を回復した日経平均が、「1万5千円くらいに上昇するでしょう」って、どして??
一方で、なるほど、金融緩和しても、経済成長というエンジンがなくては、お金はリスク資産や設備投資には向かわない。
金融政策は万能ではない。年末の株価上昇は統治能力への買い、だという意見にふむふむする。
( ↓ ) 平成5年の細川内閣誕生以前の出版になる「明日はござなくそうろう」。
かつての政治家になかった率直な姿勢に驚きました。
(右は、父に学生時分に渡されて読んだベストセラー、「鄙の論理」。)
さっと読み返してみて、この本からの引用にはならないことが分かったが、氏の言葉に驚いたことがある。
″ 歴史の風雪に耐えてきた書物以外の本は読む気にならないし、読まない。″みたいなことを現職の首相が語っていたのを覚えている。(私の記憶が確かなら。)
インターネットもなかった90年代前半、週刊ダイアモンドやFINANCIAL TIMESのような情報誌こそが活きた情報の宝庫だと信じていたのに、
そんなものは取るに足らぬものだ、みたいな言い方だったと思う。(私の記憶が確かなら。)
かくして、私も知らず知らずのうちに影響を受けているのかもしれない。(胡隠君の黄色 ~ もみじの腹上死)
でも、ちょっと逆行して、週刊誌的な経済動向や政治動向にも耳を澄ませることもしようと思ったのであります。
時代の変わり目を生きている実感みたいなものは、そういうところにあるのかもしれぬ。
( 世界は「物理」と「物語」で成り立っている ~ With A Little Luck )
そして、そういったテーマはインターネットとも親和性があるのです。
( ↓ ) 当時BGMのようにしていた映画のうちのひとつ。
お金も人も、バブルに踊り、やがて弾けていった。。
(叩きつけられたライターが目の前で砕け散り、ぴゅっと出たオイルを顔で受けた私が言うのだから、本当のことだ。)
金融緩和へと政治のプレッシャーが増す中で、日銀の白川総裁のインタビューが興味深かった。
曰く、
政策金利は事実上ゼロになり、国債購入を通じて金融緩和を進めてきた。
それにも関わらず金融機関の貸出しは増えず、企業の投資や家計の消費は高まらない。
CPIはマイナス圏から脱する兆しはない。
金融政策だけではデフレ脱却は難しい。
物価上昇を達成する魔法のつえはない。
変化は必ずチャンスを生み出す。
民間投資を促すには、医療や介護など生活者の需要が大きい分野の規制緩和を進め、企業の新市場への参入を容易にする必要がある。
2006年の量的緩和解除の「早すぎた引き締め」、2008年リーマン・ショック時の協調利下げに加わらずに円高を招いた、との批判もある中、
″資産価格が上昇しても、物価上昇率が低い時には金融緩和の継続によってバブルを増幅しかねない″
名字が同じだから、なのだが、
任期満了を前に日銀の中立性の大切さを説く姿に、頑固なまでのに気丈な白川 静氏にも似た学者魂に似たものを感じました。
(透明にすることによって隠蔽されたもの、そして賦活させるもの)
(長く学会で冷遇されていたことについて)
学問は政治ではないので、そんなことは気にもならない。
~ 白川 静