ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

[2014年11月]上毛・赤城 ~ 不足を知る。

2014年11月30日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

「翻訳は良い趣味だ」(内田 樹)

山で聴くガブリエルのオーボエが大好きなのだが、(弦のコラージュ、そして「倍音」の魅力)
年齢を経て段々と禅僧のごとくなってきたこちらのガブリエルの音楽に山で失くしてきた元気をもらう。

今朝は久しぶりにピアノ・レッスンにも行ってきましたが、
不調のゴルフとは別のところからもエネルギーを充填して、立て直しを図っていきましょう。
いや、立て直せなくても(立て直したところでたかがしれていても)、
別の方法があるのかもしれない、潮の流れはひとつではない。

流れに乗れなかった男の歌だ。

So deep, so wide, will you take me on your back for a ride お前はこんなに深くて大きかったか、いっそ背中に乗せたまま連れて行ってくれ。
If I should fall, would you swallow me deep inside       流れから落っこちてしまったら、お前は俺を呑み込んでしまうかい?
River, show me how to float    大いなる河よ、どうしたら浮上できるんだろう 
I feel like I'm sinking down      俺はもう沈んでしまうのだろう
Thought that I could get along   なんとか上手くやって行こうと思っていたのだが
But here in this water          この泥沼にあっては
My feet won't touch the ground   もう立っていることはできない
I need something to turn myself around 向きを変えるような何かが必要だ
Going away, away towards the sea      山からは降りることにして、遠くへ、海のほうへと流れていこう
River deep, can you lift up and carry me 深遠なる河よ、俺を力づけて運んで行ってくれ
Oh roll on though the heartland      心の故郷へと
'Til the sun has left the sky          太陽が空から消えてなくなるまで        
River, river carry me high           大いなる河よ、高みへと運んでくれ
'Til the washing of the water make it all alright   水がすべてを洗い流すまで
Let your waters reach me like she reached me tonight 今宵お前の水を浴びせ続けてくれ
Letting go, it's so hard     このまま続けるのは難しい...
The way it's hurting now    十分傷ついたよ
To get this love untied      情熱だって解けてしまうくらいに
So tough to stay with thing   そのままでいる、というのは実はタフなことなのだ
'Cause if I follow through      
I face what I denied
I get those hooks out of me
And I take out the hooks that I sunk deep in your side
Kill that fear of emptiness, loneliness I hide
River, oh river, river running deep
Bring me something that will let me get to sleep
In the washing of the water will you take it all away
Bring me something to take this pain away

翻訳まで途切れがちですが、最後の一行を残しておきたかったのです。

さて、ホームコースでありながら、ようやくの初訪問となった上毛・赤城のゴルフ、それはひどいものでした。

思ったほど寒くはなく、アニカにあやかったCUTTER&BUCKのブルゾンもプレイ中は不要。

( ↓ )  初日、上毛。

     IN 59/ Out54、

なんですか、これ。

ビジョン54? Mrs59? ってこのこと? 

途中、ショットのテイクメモも取らず。アプのあまりの酷さにショートゲームスコアも途中でやめ。


( ↓ )  二日目、赤城。

二日酔いの風邪っぴきで、朝から喉が痛い。

初日からの悪い流れは一向に止まず、二日目もショットのテイクノートを早々にやめ。


山から帰還した三連休最終日の夜、
体調はすぐれず、仮眠をとってから夜中に目覚めるとひどい悪寒に襲われて、明け方になっても39度の熱。
昨冬は治験期間中でもあり、風邪をひくとややこしいことになるので、万全を期していましたが、脇が甘かったのかもしれません。
体調不良で会社を休むのは病を得てからはじめて。

( ↓ ) Amazon等の書評でも評価の高い「阿修羅の呼吸と身体 - 身体論の彼方へ」(勇崎賀雄)」。

これでもか、これでもか、と徹底的に寝ていた合い間に読み切りました。
「骨ストレッチ」からの流れで、「骨呼吸」なるものを紹介している本で言及されていたのがきっかけで手にしたのですが、
濃厚な内容でした、得るところが沢山ありました。
年末には倍音声明を体験してこようと考えているので、この本で得た内容とあわせて、身体論を実践する年末になりそうです。

一日で体調を立て直し、てきぱきと仕事を片付けられたのは、この本によるところも大きかったように思います。

何度も思ってきたことですが、ゴルフというのは、それほど自分に向いていないのではと思うことがあります。
いいショットを打つという面ではなく、いいスコアを出せるという面で、特にそれを感じます。
勝負の些末にこだわり続け、勝ちを得て、自信満々でいるほうが、負け惜しみを言うよりずっといいのですが、
些末と言う資格がないくらいに、その部分が欠落している。
しつこく粘り強く頑張ったのに、なぜそこであっさり淡白になるのだ??という、欠落。

理想というか、イメージとしては出来ている状態と、現実の結果との差に落胆する。
落胆の連続であります。
欠落と落胆の繰り返しに終わりはないのかもしれないと思うくらいに落胆は続くのであります。
だから、映画監督の篠田正浩さんが言っていたようなゴルファーとしての身の処し方もあると思うのです。
(鷹のダンディズム

得意なことをやるのがもちろん賢明です。
しかし、あまり得意でないものになぜか向かってしまう、惹かれてしまう、
そういう性癖があったとしたら、それは不足を知る、ということにつながる。
不足や欠落に自覚的であれば、改善する作用は必ず働くから必ず欠落は埋まっていく。
決して悪いことばかりではない。気長に。

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[2014年深秋] いざ上毛の国へ

2014年11月23日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

男性版アニカ ソレンスタムのようになりたいとよく思う。

シャイな性格だというアニカですが、イメージの力で強いゴルファーに変身した。

「ビジョン54」の体現者。

そんな彼女の左胸には、いつもCutter&Buckのロゴがある。

フォースの降ろし方をアニカに学ぶべく
冬間近の赤城へのお供に、Cutter&Buckのブルゾンを選びました。

愛用しているMizunoのブレスサーモのブルゾンは着脱式の袖の部分を風に飛ばして失くしてしまったのですが、
袖先がなくても十分に使えるし、ここ数年のもこもこ細かく割れたダウンジャケット仕様のデザインがいまひとつ好みでないので、そのままでいたのです。

しかし、さすがにこの時期の赤城・上毛の寒さは応えるだろうと思っていたところに、
私好み(紺色のほう)のCutter&Buckのジャンパーを発見。
Mizunoのブレスサーモは暖かくて気に入っているのですが、
これにもヒートナビというテクノロジーが使われています。

アニカのトレードマークであるCallawayはすでにキャップや、キャディバッグ、アイアンに至るまで愛用しているので、
Cutter&Buckをまとうことで、ほぼ見かけ上は男版アニカになります。
(Cutter&Buckなら、来ている人も少ないから、かぶらないし。)

なんだか野球用のジャンパーみたい、と言われましたが、
これなら、ゴルフ用だかなんだかわからないから、街中にでも着ていけると思います。
男版アニカになれるだけでもないと思います。

アニカのバンカーからのチップイン、さながら先日のイーグルショットのようです。(えっへん。)

群馬は、不思議とあまりなじみのないエリアなのですが、
一昨年、病を患う前に買った会員権は、近所の錦に加えて、上毛、赤城の3コースのメンバーシップなのです。

今シーズンも諸々の事情で延期になっていましたが、
冬期クローズになってしまう前に、何とか行けることに。

今年富岡製糸場が世界遺産登録されたばかりのパワースポットでもある群馬、上州の国。
久しぶりの泊まりゴルフで、上毛、赤城の両コースを巡って参ります。

” May the Force be with you(力とともにあれ)"

、これでいきましょう。

( ↓ ) 赤城、榛名、妙義を合わせて「上毛三山(じょうもうさんざん)」と呼ぶらしいです。

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イマジンの世界観

2014年11月16日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

こう見えて、「生体時計」や「時計遺伝子」といった「クロノスフェア」(時間と人智)の哲理について、医学や天文学の知見を交えながら、分かりやすく、濃密に書かれています。

ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの幸福論についての下りが印象的でした。
「老年期の諦念(ていねん)」というと、厭世的で、あきらめや後悔、を連想させますが、
決して悪いばかりのものではなく、むしろ幸福感が高まる源になっているという。
たしかに若い時代がそんなに良かったかというと、そんなこともないように思える。仰るとおり、焦りや不安も沢山あるような気もする。
Yesterday然り、若きウェルテル然り。
夏は冬に憧れて、冬は夏に還りたいという、ただそれだけのことなのかもしれない。

~ 青年期には、満たされぬ幸福への憧れと、不幸への憂慮がつきまとう。
それが老年期に入っていくと、現実世界からは何も得るものはないことを諦念し、もやもやとした思いは自然のうちに消え去っていく。
どのような「今」であっても、我慢さえすればやがて楽しい時が来ることを経験し、「今」を享楽することができるようになる。
その結果、ほんの些細なことにも感動し、喜びを感ずるようになってくる。

産業革命が起こり、科学の黎明期であった18世紀の知識人たちにとっては、科学を振りかざして「オカルト」を否定するのがカッコよかったらしく、
「悪魔だの、幽霊だの、そんなものをいまだに信じてらっしゃるの? まあ、時代遅れだこと」という感じだったそうである。

そんな18世紀末の時代に、数学、天文学から鉱物学に至るまで、レオナルド・ダ・ヴィンチのごとくマルチな科学者として有名だったのがエマニュエル・スウェーデンボルグ。
50代になってから、霊魂の探求のために解剖学を学び、今日の大脳生理学につながる大脳の様々な機能を予見し、
55歳を過ぎた頃には、霊的な力を獲得して、その霊的体験を「天国と地獄」など多くの著作に残した。

    

 ( ↓ ) アイルランドの作家スウィフトが、ガリバー旅行記に「天空の城ラピュタ」の物語を描いたのが1726年だというから、スウェーデンボルグが生きた時代と重なる。
(スウェーデンボルグは、26歳だった1714年に、動力さえあれば実際に飛行可能と思えるような飛行機械の設計図を歴史上はじめて書いた。)
強力な磁石の原理で空を飛ぶ、という着想は、
太陽が運んでくる空気や水の循環、海流や気象だけでなく、直接目には見えない磁場の存在にも気づいていたということなのか。

そんな時代に、「コペルニクス的転回」とも呼ばれる、それまでとは180度違った物の見方、考え方を唱えたのがもう一人のエマニュエル、哲学者のカント。
リンゴがあるから、リンゴがあることを認識するのではなく、
人間の認識が世界を構成していることに気づいた最初の人間がカントだった。

(同時代を生きた二人のエマニュエル。左はスウェーデンボルグ、右がカント。)

 

アインシュタインが晩年になってインドの大詩人タゴールと交わした有名な対話の200年近くも前に、
自然の本質を人間はとらえることができるのか、というその問いにカントは決着をつけていたということになる。。

タゴール:この世界は人間の世界です。世界についての科学理論も所詮は科学者の見方にすぎません。
アインシュタイン:しかし、真理は人間とは無関係に存在するものではないでしょうか? たとえば、私が見ていなくても、月は確かにあるのです。
タゴール:それはその通りです。しかし、月は、あなたの意識になくても、他の人間の意識にはあるのです。人間の意識の中にしか月が存在しないことは同じです。
アインシュタイン:私は人間を越えた客観性が存在すると信じます。ピタゴラスの定理は、人間の存在とは関係なく存在する真実です。
タゴール:しかし、科学は月も無数の原子がえがく現象であることを証明したではありませんか。あの天体に光と闇の神秘を見るのか、それとも、無数の原子を見るのか。もし、人間の意識が、月だと感じなくなれば、それは月ではなくなるのです。

「アルカナシカ」から派生的に、久しぶりに苫米地氏の著作を読んでみると、さすがに視点が鋭い。
目からウロコ的、コペルニクス転回的なパラダイム転換がここにも。

 

苫米地氏は、世界を「情報」として認識している。
そして、物理的な現実世界である「物理空間」に情報が付加されているのではなく、
情報空間にある「特定の情報場の写像」として、物理的実体が存在するのだという。
主客逆転、である。
主は「情報世界」であり、物理世界、現実世界はその副産物に過ぎない。

人間の脳内では、物理的状態から情報的な状態(たとえば心理状態)が渾然一体となって連続的に存在している。
それもすべて情報として存在している。
では、脳の外の世界は別々かというと、はっきりした境界はなく、
物理的には分けられるが、情報としては内も外も同じ。

「夢はあくまでも人間の内面世界で起きている仮象の現象であって、夢の外には現実があり、その現実は夢とは無関係に動いている」
という常識的見解は否定される。

苫米地氏曰く、「情報という視点から見れば、すべては夢だ」ということになる。

ノイマンがマクロ世界にまで対象を広げた量子論の考え方に近い。

カントのいう認識論「あなたがそう見るからそう見える」の考え方に立てば、
心の中の情報世界の存在の仕方によって(内部表現によって)、世界の見え方が決定される。
そして、もはやそれは「世界の見え方」ではなくて、「世界そのもの」。
(苫米地氏がカントの認識論を念頭に置いていることは、リンゴのイラストからも分かる。)

 

およそ人生とは、何に意識を向けるかで、そのかなりの部分が決定していく、
そんな風に意識という道具を使うことをカントは生涯をかけて考えたという。

「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない」
『実践理性批判』の結びに出てくるというカントの墓碑銘にもなっているこの言葉は、
カントが、星空という外的宇宙と道徳法則という内的宇宙、その双方に深く頭を垂れていたことを示している。

ジョンレノンのWomanに出てくる詞にも似ている。~ After all, it is written in the stars.

認識やイメージの不思議な力と、その使い方についてはまさしくImagineそのものです。

Imagineが表現する哲学みたいなものは、人類史上の叡智のここかしこに感ずることができます。

カントが探求したのが、「認識の方法や意識の使い方について」なら、
スウェーデンボルグは、霊界が天上世界に存在するのではなく、
今ここ、私たちが生きているこの現実に同時に存在していることを示唆する言葉を残している。

” 我々もまた生者の霊として無意識下で霊界に所属しており、意識が霊界のレベルに達したときに霊を見る。 ”

人間は光のようなものではないか ~ ゴルフィー仮説(多次元境界仮説)

” 生物はある秩序(コスモス)の中で生きている。
その一方で宇宙は混沌(カオス)に取り巻かれている。
今を生きる私が、このカオスの世界に通じるためには「夢」が必要である。” (荘子)

国や宗教に関係なく、世界中の人々に届く。
そんなに上手に楽器を弾きこなせなくても伝わるものがあります。勇気をいただきました。

Twitterにもこんなのを見つけて感動。
(すげぇ勇気でた!「般若心境」の現代語訳がマジで泣ける【ジョンレノンも影響受けてた?】

引用が長くなりますが、Imagineについての記事ですから、力入ってもいいでしょう。

 

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ

もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。

苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。

それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、
苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。

全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、
そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、
全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

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2014日光御成道まつり

2014年11月10日 | 日記

冷たい雨の予報で天候が心配されましたが、 2012年以来2回目、隔年開催となる「日光御成道まつり」が開催されました。

暴れん坊将軍の将軍吉宗役だった松平健さんが今回も登場、

そして祭りのテーマ曲はマツケンサンバ、さながらマツケン祭りの様相です。

マツケンサンバⅡ~川口宿 鳩ヶ谷宿 日光御成道まつりバージョン~

 

川口市は東西に長いので、午前は川口宿、午後は鳩ヶ谷宿を行列はパレードします。

行列は川口宿から鳩ヶ谷宿へ移動するのに、なんと、わざわざ市の東側を通る地下鉄の駅を乗り継いでやってきます。

川口宿のあるJR川口駅方面は遠いが、鳩ケ谷ならちょっとした散歩です。
でも、普段は逆方向の緑の自然のほうに足が向くので、鳩ヶ谷宿の辺りは近いのに驚くほど疎い。

今日も新発見、「丸十まえのベーカリー」という美味しいパン屋さんにはじめて入りました。
天然酵母のパン自体の美味しさはもちろん、昔ながらのこしあんパンやクリームパンが、やさしい甘さで美味しいのです。

昭和さえも通り越したような鄙びた感は、江戸の風情が今に残るからなのでしょか。

 ( ↓ ) 江戸の人は健脚でした。江戸城から本郷を上り、四日目には日光に到着する。

参列~御成街道~

あまりに美味しかったので、おかわりのこしあんパンを求めに、「丸十まえのベーカリー」に行ってる間に、信玄公が御通りです。

おぉ、あやうく不覚をとるところでした。

  

マツケンサンバの振り付けもされたダンサーの真島茂樹さん。
らしからぬ、奉行役の衣装と、奉行にふさわしい男性的な身のこなし。あやうくこれも不覚を喫するところだった。

   

来週の大河ドラマ「黒田官兵衛」で、官兵衛の長男、黒田長政の後妻となる栄姫(えいひめ)を演じる吉本実憂(よしもとみゆ)さん。
栄姫役そのままに。

 

そして真打登場~

 

鳩ヶ谷宿はこじんまりとしていて、道幅も狭く、行列がとても身近な場所を通っていきます。

最後は地元の地蔵院に参拝の健さん、おつかれさまー。

Yoda !?

   

 

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[2014年11月] イーグル奪取でタコ男決戦を制す

2014年11月03日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

May the Force be with you(フォースと共にあれ)は、まだ板についていませんが、
今日は勝負にこだわったゴルフができました。

強い北風に向かってのスタートでしたが、初めの2ホールはまずまずの出だし。

しかし、3ホール目187yardのショート、4番アイアンがなぜか右にすっぽ抜けてOB、打ち直しの3打目も同じ球筋でOB,
5打目は右を嫌がって左へ。ウェッジはうまく寄せましたが。5ショット/4ショートゲームで9打を叩きます。
続く4番ホールも、アイアンがシャンクのように、ことごとく滑って右に出て、11を叩きます。

------ はやくも万事休すなのか。 ------

しかし、5番で7番アイアンをつかまえて打って、調子を整えてからの、
5-9番ホールは5ホールで1オーバー、MyPar(ボギー基準)でいくと、5ホールで4つスコアを戻します。

圧巻は9番483Yardロング、
2打でGreen横のバンカーまで運ぶと、バンカーのあごを跨いでスタンスを取ってのバンカーショット。
これが高いロブショットになって、10yard程先のカップにそのままナイスイン

数年前に背丈ほどもあるポットバンカーから脱出した時のバンカーショットと並んで、
これまでで最高の感触、最高の結果のバンカーショットで、イーグルを奪取

アルバトロスはやったことがありますが、
([2013年1月 ホームコース申込ラウンド] ☆彡 アルバトロス達成 ☆彡)
ロングで2オン出来てもイーグルって意外に取れないもの。

3番、4番で、9、11と目を覆わんばかりの大叩きをしましたが、ハーフで52まで戻します。
(ショット22/ショートゲーム30)

強い北風が吹く天候の中、皆も苦戦して混戦模様に。

メンバーの体調不良でふたたび赤城合宿が順延となったこの日、
勝負に負けたメンバーは「タコ男」という有り難くない名前を襲名することに。タコ男決戦です。

普段ならビールだけで済ますのに、イーグル祝いの日本酒やハイボールを。

 

後半は一進一退、ボギーで凌ぎながら、最終ロングで1.5mのパーパットを確り沈めて、後半46(ショット23/ショートゲーム23)
98(ショット45、ショートゲーム53)でフィニッシュ。
9、11の大叩きホールでボギー+11打オーバーですから、10打くらい余計な感じですけど、よく立ち直りました。

新ビジョン54(ショートゲームは54で廻る)は達成できました。

(98、99、100と低空飛行ですが、北風強かったし、善戦したんではないでしょか。
 勝負にこだわって、タコ男決戦を制したのがうれしい。

 

 

この夏の最大の気づきは、
左手首を解かずに、左手首の縦のコックのアングルをキープすること。

 

押し手のゴルフを意識するあまり、左手までが緩み、フェースの角度が不安定で偶然に頼ったショットになっていたのです。

( ↓ ) 押し手(ワトソンの場合の左手)ではなく、むしろ受け手(ワトソンの場合は右手)に注目しています。
    受け手はほどけることなく、強烈に走る押し手のガイドとなって、大きな遠心力を生むストッパーの役割を果たしている。


 

【記憶にとどめたいのはこちら】

アドレスの時に、左手首を内側に曲げてアドレスする。
(下の写真の田村プロのような逆くの字アドレス、これは肩が開かないから、曲がらない。
 左手がストッパーになるから、遠心力や勁(けい)のエネルギーを使ったスイングにもつながると思う。)

これが効果テキメンで、曲がらずに強いショットを打つのに役立っている。

「骨ストレッチのゴルフ ~ ゴルフの真髄へ」。

マイクオースティンの手首使いにも相通じるものがあります。

 

手首を逆くの字にして右足寄りで構えると、肩が開いて突っ込むこともない。
左手首が緩まないから、自然とフォローではヘッドがトゥーアップする動きになる(=フォローでクラブヘッドが管理できている)

 



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May the Force be with you.(フォースとともにあらんことを)

2014年11月02日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

ゴルフスイングのかけ声としては、″ちゃーしゅーめーん”が有名だが、
私にはオリジナルのwordingがなかった。
「右、胸、ロック」とか、「右、腕、返し」とか、その時々で工夫し、適当なwordingを探していたのだが、
とうとう結論に行き着いたのかもしれない。

 

May the Force be with you.
(フォースとともにあらんことを、フォースのご加護がありますように、フォースとともにあれ。)

ゴルフにも、能や武道と同じように、
「人間世界に自然や異界の力をおろしてきて制御する技能」といった発想があってもよいのに、
と思っていましたが、それを体現するような言葉です。

(ゴルフでもいいんです ~ 自然力のおろし方
[2014年8月/Part2] やっと分かった! 左手首の角度をキープして緩ませない。(久しぶりのマスカラス)
骨ストレッチのゴルフ ~ ゴルフの真髄へ

ゴルフの変容 ~ ターゲットゲームから「仲間を増やすゲーム」へ

ダウンスイングで左手首を解かずに、左手首の縦のコックをキープして振ると、
遠心力や「圧倒的な勁(けい)のエネルギー」を引き出す骨使いのコンビネーションが生まれることに気づいたのですが、
ヨーダが語る”Force(力)”という言葉には、単なるパワーではない本当の強さを感じるのです。

" May the Force Be with You " と唱えながらスイングすると分かりますが、適度なタメが生まれるリズムです。
打ち急ぐリズムにはなりません。
自然の力をたずさえながらプレーすることを、言葉に出して確認する。

You must feel the force around you,
Here,between you, me,
the tree and the rock, and everywhere (Yoda)

ルークが ″You want the impossible" って吐き捨てるように行った時のヨーダの悲しそうな顔が印象的です。
ハン・ソロも、フォースを信じるどころか笑いものにすらしていたのですが、
エピソード4のクライマックスでルークがデス・スター攻撃に向かう際、この言葉を用いてルークの幸運を願った。
Feel the Force スターウォーズ伝説のすべて

Force、というのはスターウォーズの中でキーワードのように、いくつも形を変えて出てきます。

The Force is with you, always.
「フォースはお前と共にいるのだ、いつだって」

さて、「旅人の心得」の田口ランディさん、(Hope For The Future (未来への希望)
すばらしい書評を見つけました。
実際に本を読みすすめていても、マクロ世界もミクロ世界も量子論の対象になるとみなした科学者のノイマン、
ヨーロッパの知性の巨人である二人のエマニエル(カント、そして私も興味を持っているスウェーデンボルグ)、脳機能学者の苫米地英人さんとのインタビューまで、多岐にわたる取材のもとに書かれていて興味深い内容です。

 

「マアジナル」をフィクションだとすると、この「アルカナシカ」は(便宜的に)ノンフィクションとされています。ただ、二つの本を読むと、フィクション世 界はノンフィクション世界を侵食して、ノンフィクション世界はフィクション世界へと侵食しています。ふたつの作品は一つの明確な境界線で仕切られるもので はなくて、分けようとしてしまう線引きや行為そのもの自体に、大きな問いをつきつけてくる本でした。 

小林秀雄が「信ずることと知ること」について語っている文章が引用されます。
『不思議を不思議と受け取る素直な心が、何と少ないかに驚く。』
『科学は、この持って生まれた理性というものに加工をほどこし、科学的方法とする。計量できる能力と、間違いなく働く智慧とは違いましょう。学問の種類は非常に多い。近代科学だけが学問ではない。その狭隘な方法だけでは、どうにもならぬ学問がある。』
まさにこの態度こそが、一本の強い縦糸としてこの「アルカナシカ」の世界観を貫通しています。 

理性や知性の限界を考えた大哲学者であるカントは「あなたがそのように見るから、そのような現実である。」と指摘しました。このことは、認識論における「コペルニクス的転回」と言われ、ドイツ観念論哲学のはじまりとされています。その壮大な学問のきっかけになったのは、カント自身が神秘思想家スウェーデンボルグの幻視体験が持つリアリティーに圧倒され、自分の理性が揺らぎ、日常の崩壊を疑似体験したからではないかと、この本で語られています。

そのように認識や理性の限界を丁寧に踏まえ論証した上で、物質とエネルギーに次いで、近代科学が扱う重要な第三の存在としての「情報」も話題の中に取りこまれていきます。この射程の広さには脱帽しました。本書では述べられていませんが、おそらく物理学者マクスウェルが提唱した「マクスウェルの悪魔」という思考実験の知識も根底にあるのだろうと思います。(物理学にとっての観測問題(<見る>行為)を通じ、量子論、統計力学、熱力学だけではなく、<情報>の概念が導入された。ビットなどのメモリー(記憶)とエントロピーやエネルギーとの接合が行われるきっかけになった思考実験。)

最後は、ランディさんのシンクロニシティー(=意味のある偶然の一致)を読み手も追体験しながら、占星学という大宇宙とこの生きている世界との相応の関係へと話が展開されていきます。
まさに、カントの墓に記されている「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない」(『実践理性批判』)を時空を超えて追体験しました。

高度な哲学的で形而上的な問題を、この世界の神秘や不思議さと織り交ぜながら、圧倒的な筆力で文章が展開していく様は圧巻でした。なかなか類書がない稀有な本だと思います。
(amazonの書評から)

「フォース」の使い方の指南を求めて読んだこちらは、
行間がラフで、「アルカナシカ」のような何度も参照したくなる濃密さや情報量に及ばない。
仕方ありません、
「フォースの使い方」というのは、丹念に指南を求めながら、
ああでもない、こうでもない、と累々と型を繰り返し、その感覚を求めていくしかないのです。

ヨーダも右手をかざしてフォースを使っていましたが、
似ている。- ドライビング・レインのジャケットでは、左利きのポールが右手をかざしています。

 

 Paul McCartney: Driving Rain: Heather

真っ暗な画面が続きますが、CDなんかで聴くよりも音が粒だっている。
フォースを感じる音楽。

音速を超えて宇宙を突き進んだら居場所が見つかったよ、みたいな感じで、
2:35過ぎになって突然顕れるかのような小唄が秀逸。

I'm gonna fly to the moon   月へ向かって飛んで
Check in outer space       外界の宇宙にチェックインする
Find me a suitable plot      ピッタリな計画を見つけたら
Build myself a place         居場所を作ろう

There I will stay for a year and a day  そこに僕は滞在する 満一年が過ぎるまで
Until the cares of my life blow away  人生の心配事が吹き飛んでしまうまで
And I will dance to a runcible tune   そしたら三叉に分かれたチューンに合わせて踊ろう
With the queen of my heart        僕のハートのクイーンと一緒に

しばらく触っていないピアノだが、フォースの旋律をなぞってみたくなってきた。 

コメント
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