阿闍梨がやって来た。(否!これはクリムト!)
「ウィーン分離派」というムーブメントが新鮮だった。
ほかのムーブメントと異なり、ウィーン分離派に参加したメンバーの作風を統一スタイルが存在していない。
保守主義や伝統芸術に反対する芸術家たちの集まりといってよいだろう。
分離派ビルの入口には「あらゆる時代におけるあらゆる芸術。あらゆる芸術は自由である」というプレートがかけられていた。
彼らは歴史的な影響を受けていない新しいスタイルの芸術創造を希望していた。
あのエゴン・シーレもそのムーブメントの中にいた。
クリムトとベートーベン、一見すると共通項がなさそうだ。
伝統芸術に反対なのに、なぜベートーベンなのだろう?
ベートーベンの新しい解釈なのでしょか。
しかし、クリムトの没後100年を記念して開催されている「クリムト展 ウィーンと日本1900」には、
ウィーンの分離派会館での展示を再現したという全長34mにも及ぶ壁画《ベートーヴェン・フリーズ》の精巧な複製の展示があった。
グスタフ・クリムト作 「ベートーベン・フリーズ」
( ↓ ) 前夜は大阪から来た阿闍梨と、9月に倒れて救急車で搬送された立ち飲み屋 串吟の神田駅傍にある3号店へ。]
~せっかくアキバに来たのだからと、昔 秋葉原神社というフィギュアを祀る神社があったという
(まるで岩槻みたいだ⇒王貞治 「努力とは」)
巫女風のメイドがもてなしてくれる店に行った。
(神田明神の足元。)
帰り途を照らす月が奇妙な程に赤かった。
(写真に撮るとよく分かりませんが、
まるで再発売されたポールのエジプト・ステーション・エクスプローラ・エディションのジャケットのように。
⇒これに入っているsixty second streetが面白い。
Sixty Second Street (Paul Mccartney - Egypt Station Bonus) )
代表作「接吻」はなかったのですが、
黄金時代の代表作のひとつ「ユディトI」がありました。
クリムトの」作品を観てると、
金粉を用いた技工のみならず、唐草模様的なデザインや空白の入れ方に至るまで、琳派やジャポニズムの影響を受けているのがよく分かる。
1900a フロイトの精神分析学とグスタフ・クリムトの表現芸術 from RMC on Vimeo.