ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

18ホール目のささやかなお祝い ~ 17th Anniversar

2013年02月24日 | 日記

風の強い砂ぼこりの舞う昼下がり。
バンカーに倒れるキャベツたち。

もう1ラウンド分にあたるのか、、
18回目のアニバーサリーは、住宅街の中にある主婦友の間で評判だというイタリアンレストランで。

相田翔子さんがバースデーパーティーで泣くほど美味しい!とコメントしてる。

なっちゃんこと小島奈津子アナはこの辺りが地元なのか何度もいらしてるみたい。


奥さんがスルドク反応したのは、トマトソースの素朴な味。
お店のFBを拝見すると、開店以来のこだわりの味、生のホールトマトの裏ごしから始まる丁寧な仕事。
わたしは真鱈の白子のトリュフ風ソテーに反応。このての濃厚系は、つまの守備範囲を越えるところがあるので、今度自分で挑戦してみよかという気になりました。


鮪のすき身とこんがりチーズって、こんなにマッチするのか。

メニューにあると、ついつい頼んでしまうのが、カラスミのパスタなのですが、ここのは美味しかった。カラスミの旨味が散らずにチップのなかに閉じ込められている。
大したグルメでもないのにエラそうなことを言わせてもらうと、カラスミには細打平麺が一番合うと思う。


取り分け用にピザを子どもたちに選んでもらう。海苔ソースの魚介ピッツアが旨そうだぞと思ったけど、ふつうにマルゲリータ。
新しい、美味しいものを、大人が教えるのがいいのか、
子どもに好きな物を決めさせるほうがいいのか、
みたいな話になって、美味しい物は大人になってから覚えたらいいから、ってことに。
(海苔ソース、旨そうだったけどなぁ )

こんな風にピアノの弾き語りができるといいのにな。

Paul McCartney "Only Love Remains" (The Tube)



アイデアを整理する必要もない記事なので、生っぽさ優先で、今日はアプリから、さくさく投稿。

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山の喩え ~ 40歳をピークとした人生像からの脱出

2013年02月23日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

大事なテーマがある。
いかにしておじさんになることを愉しみとするか、避けようのない老いを楽しめる心のあり様を持ち得るのかということ。
老境についての考察三部作
(攻めの養生 ~ 声に出して身心を調える)

「たえず人生の中に意義を見出そうとすることは、もっとも気高いことである。」(ウォルター・ポーツ/100まで生きる)

でも現実はどうだろう。

~ 私たちは若さにしがみつく。
  派手な生活を送る者を成功者とみなす文化では、老人の居場所はほとんどない。
  老人たちはかつての競争者であり、もはやゲームから離脱している。
  我々の文化では、最期は皆、老いぼれと呼ばれる。
  人生に青春期と老いぼれ期しかないとすれば、若者は大人になろうとせず、
  大人は年を取った子どもとなり果てる。

 

別にEDに悩んでいるわけではないが、45-60歳の時期に、女性ほど劇的にはっきりとした訪れ方はしないにせよ、
男にも更年期は存在するという。

生殖能力の存続により男性は若いままで居続けることができ、それが情緒的成長を阻害する。
何はともあれ、女性には閉経があるので、さらに成熟した女性になるために次のステップへ進まざるを得ない。

男性にとって第二成人期の主要な目的は「年長者」になることである。
人生後半の展望を持ち、若者の性急さを諌めたり、知恵の道を指し示す水先案内人になることである。
男性が更年期をきちんと受け入れないと、成人が青年期段階に退行した世界、年長者不在の世界を生むことになる。

人生を春夏秋冬に喩えるのは、さびしい感じがして、どうかと思うが、
この「山の喩え」はおもしろい。 そう、下山してまた新たな山に登るというのは、なかなかに勇気がいるのだ。
勇気を持って、違う価値観をもった山の谷間を渡っていく老人という存在は、尊敬されてしかるべきなのだ。

我々は40歳をピークとした人生像を描いていた。
我々は山頂に登る旅はいとわなかったが、その向こう側に降りていく気にならなかった。
第二成人期と呼べる別の山があるかもしれないと思ったが、最初の山を下るのは怖かった。

多くの人々は第一の山の頂きから第二の山の頂きへ直接行きたいだろう。
しかし、人生はそんな具合にはいかない。山を下り谷を渡る期間がある。
男性がこの更年期という45-60歳の時期を拒絶したり、うまく乗り越えなかったりすると、決して成長することはない。
万年青年、つまりピーターパンのままに留まる。
社会全体が人生のこの段階を拒絶したり、それについて無知だったりすると、
世界はモンスター少年に支配されてしまう。

谷間の顕れ方に違いはあっても、谷間を渡ってゆく場面に遭遇するという点で、男女に違いがあるわけではない。 

女性の更年期は月経の停止という生物学的指標があって、男性と女性が異質であることは明らかなように思えるが、
肉体やホルモンの変化、心理学的、対人的、社会的、精神的次元を含めると、「男性と女性は相違よりも類似のほうが多い」、という。
人間の青写真は46の染色体から成り、最初の44の染色体が二つずつの対となっていて、我々の人となりをほとんどすべて決定する。
最後の対がXXまたはXYであることによって、女性か男性かを決定する。

男女の違いばかりが強調される社会にいるので、両者がどれほど似ているかを忘れてしまいがちである、との指摘。

″ 成熟した大人になるとはどういうことか ″、
違いがわかることが成熟した大人の志向ではないような気もする。

Right there! That's it,Yeah! (そう、そこよー。そこそこ!) 
って、
なんだか腰を痛めて整体に通っている私にピッタリなPress 。
こないだ、後輩に、髪の色とか全体に色が薄くなって、しわが目につくようになったと言われた。
(精気がなくなってきたということか。。(>_<))

Paul McCartney - Press

これは年の頃も同じ、40代半ばのポール、
白髪が増えても、谷間を眼前にしてしがみつくばかりでなく、渡ってゆける人に思えるからお手本にしたくなるのかも。
(最近のYouTubeは英語の字幕出るから、勉強になる。franticにいこう。)

Paul McCartney Discusses the Frantic Years on "The Tonight Show Starring Johnny Carson" - 1984

もひとつ。
バカボンのパパは41歳の春、だったけど、46歳冬のポール。バスまで46だったのか。

Paul McCartney - Spies Like Us

 

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神様のポケット

2013年02月16日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

弟がお会いしたことがあって、ほうふつとさせる処がある、と言ってた。

「置かれた場所で咲きなさい」がベストセラーになった、渡辺和子さん。
九歳の時に、二二六事件で、寝室で、目の前で父親が銃殺されるのを見たという。

~ 置かれた場所や境遇が悪い、と諦めるのではなく、
   自分の境遇の主人になって花を咲かせようとすれば、自分も周囲も幸せになる、

シンプルなメッセージだけど、説得力がある。

けど、今朝わたしの心に引っかかったのはこれ、「神様のポケット」。

この方もワーディングを大切にされる方だ。

わたしたちは、最悪に甘やかされた人間という動物なので、生来的に、周りに「微笑み返し」を期待してしまう。
(最悪に甘やかされた人間という種なんだから、しょうがないなぁ。)

いくら、これはナイスアイデアだ!とか、なんて素晴らしいフィーリングだ、とか感じても、
周囲から何の反応もなければ、宙のもくずとなって、いつしか忘れられ、自分もまた忘れ去ってしまう。
親切や気遣いをしても、そうと気づかれないこともある。
だいたい自分だってそうだ。
形になった、完成されたふるまいとしての、良心や親切でないとなかなかに感じ取れないのではないか。
でも、断片的で未完成なものって、実は大変に多いような気がする。
多いどころか、ほとんど全部、がそうかもしれない。

そういうのって、単なる刹那的な自己満足だけのもの? 
共感や称賛を得ることができなければ、単なる時間の無駄遣いなのか。
損したような気分は、ガマンしてればいいのか。

いいえ、そんなことはありません、ってことを教えてくださった気がした。

「神様のポケット」というと、なんだかメルヘンチックだが、
誰も気づかなくても、誰も褒めてくれなくても、ちゃんとポケットに入れといたよ、って感じが暖かい。

無償であることをいとわないような、そんなに出来上がった人間になれなくても、
その手前くらいのところで、受け止めているところが暖かい。

It's no sacrifice at all、 全くの無駄なんてものはない。

Mutual misunderstanding after the fact,  あとに残るのは 成熟した誤解、

Sensitivity builds a prison in the fianal act  結局のところ 感受性が牢獄を創りだす

エルトンの歌に顕れるラインは、艶っぽくて大人だと思う。キレイだけで流れない、フックがある。
成熟=賢くなるということでなく、豊かな感受性=過敏性、でもあるということが、fact と final act に絡めて歌われる。

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腰痛を乗り越えるゴルファーになろう

2013年02月10日 | 養生訓

整骨院のお世話になることに。

あのジャンボ尾崎は若い頃から腰痛持ちで、坐骨神経痛が悪化して、椅子を持ってトーナメントに出場する姿が話題になったことも。
帝王ニクラウスだって腰痛に苦しんだ。

 

ゴルフは捻りの動作が入り、スイングの遠心力がかかるから、腰痛に悩むゴルファーは多いという。
ストッパーを効かせた打ち方は、強烈なテコのエネルギーを利用するから、身体への負荷もかかるはず。
腰を傷めないほうがおかしいのかもしれません。

インフルエンザで咳がボディブローのように関節に響き、なんだか腰にきたのが始まり。

 

インフルの菌がおさまるまで我慢して、中国整体に行ってみると、坐骨神経痛で、ひどい凝りが芯まであるとのこと。

以前、肩の腱板損傷と診断された時に、鍼を紹介されて、一回の施術で上がらなかった肩がぐるぐる廻るようになって驚いたことがありました。
今回も、一発逆転的な効果を期待して鍼治療を試みてみましたが、劇的な改善には至らず。。

(ゴルフでの怪我といえば、わたしはカート道を外れて坂を下ってゆくゴルフカートから危機一髪ダイブで脱出したことがあるのです。
カートは坂の下の金網に激突して煙を上げていましたが、わたしは足の親指をひかれて爪を剥がす程度の怪我で大難を免れました。厄年のころの話です。
 こないだアルバトロスを達成しましたが、たぶん、こっちのほうが珍しい話だと思います。(>_<))

鈍痛は腰から右のお尻や右足にも及び、太ももから腰までハードテープで固定しながら出勤するようなはめに。

つまの勧めで、評判の整骨院に、真面目に通うことにしました。

HPを拝見すると、なんとゴルフの帝王ジャック・ニクラウスを復活させた「エゴスキュー・メソッド」なる療法を採り入れたりと、
私のニーズにピッタリな予感が。

骨格の歪みを測り、ひとつひとつ的確に歪みを矯正していく技術に、これはいい!って直感しました。
レントゲン撮影があるわけでもなく、身体の正面と背面の撮影で肩などのラインから身体の大まかな歪みを診て、指先や手を使った触診でもって、痛みの原因部位を特定していきます。
中国整体で坐骨神経痛だと言われましたが、坐骨神経痛の場合にはもっと脚の裏筋に痛みが出るとのこと。
私の場合は、腰から右尻にかけてカーブを描くように痛みの部位があるので、坐骨神経痛とは違うようです。

私の場合には、股関節の捻れが右腰の痛みの原因になっているとのこと。
左股関節が硬く貼っているのに対して、右の股関節が緩んでいる、、姿勢もよくない、、、
緩んでいる右腰の股関節を入れてゆくような施術を受け、
昨夜の痛みからくる睡眠不足や揉み返しの疲れを取るために、2時間ほど寝たら、驚くほどに回復。

ストレッチ等で気をつけていたつもりでいましたが、身体の歪みやクセみたいなものは段々と蓄積されていくものなのだな、とあらためて考えさせられました。

週末のストレッチ&ストレングスに、整体的な観点を採り入れてゆこう、と思います。

痛み解消メソッド驚異のエゴスキュー|EGOSCUE

明日はトロフィーを賭けたゴルフがあるので、なんとかプレーして、プレー後に整骨院を再訪して診てもらうことに。

腰痛をはじめとするスポーツ障害に悩むゴルファーは多いと思うので、体感として気づいた点は、書き留めてゆこうと思います。

~ こういうことは誰の本にも書いてない。だから、自分の身体が習い覚えたことを、自分の言葉で語ってゆくほかないのである。(内田 樹)
   (大切なのは、まず「身体を割る」ことなのだ。

 

<2013/2/12追記>

遠いので分院に通うことに変えましたが、日本のセラピストとしてTV番組でも採り上げられていたようです。
技術の確かな整骨院を知っているというのは、これから大切なことかも。
捻れや骨のズレなどを時々正して歪みを取り、心身のメンテナンスに役立てていく。
ゴルフを終えたその足で、すぐに再訪して腰の具合を診ていただいた後、
ゴルフのシャドースイングをして、いわゆる「矯正」(ボキボキってやつ)をしていただいて、再度シャドースイング。
驚くほど、スッと手がフォローで伸びて驚きました。
昔やった右肩の腱板損傷の後、右肩が左に比べて若干柔軟性がないように感じていたのですが、改善された感じ。
とりあえず腰の痛みを直すことが先決ですが、
わたしはガチャ目だったり、いわゆるシンメトリーからはほど遠い、歪みが腰に限らずありそうなので。

ニッポンのセラピスト 姿勢にこだわる整骨院

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誰もが傷つき得ること ~ ALONE AGAIN NATURALLY

2013年02月09日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

「翻訳するのは良い趣味だ」 ~ 内田 樹

浄土真宗には喪中という概念はないから、あまり気にすることはないのだけど。

荘厳なレクイエムにはどこか悲しみを強いる儀式的なところがあるが、
「それを悲しむまいとする」志向をもったものに共感することがある。

一聴すると明るくて楽しげなメロディなのに、そこに綴られた物語には痛々しいほどの哀しみがある。
乾いたドライな日常を送っていればこそ、時には湿らせて、心を巡らせてやらないといけないように思う。
そう、ストレッチだ。
そうでないと、ただでさえ偏っているものが、偏ったまま凝りのようになっていくのではないだろうか。
「心は自分ではない」のだから、そこにはあんまりタブーを作る必要もないのだ、しなやかに自由に。

自らの体験でもって感じ得ることなんて たかが知れていると思うから、
小説や文学が今ひとつ不得手な私は、ドストエフスキーを読む代わりにこのようなところで滋養を養う。

ALONE AGAIN NATURALLY

最初のバースなどは放送禁止になってもおかしくないくらいのメッセージを持っている。

In a little while from now         しばらく時間をおいてみても
If I'm not feeling any less sour     この嫌な気持ちが無くならないようなら
I promise myself to treat myself    自分にこう誓ってる、自分をこうしてやろうって
And visit a nearby tower         近くの教会の塔に行って
And climbing to the top, Will throw myself off  頂辺まで登って 身を投げよう
In an effort to make it clear to whoever       わからせてやる
What it's like when you're shattered          誰であろうと粉々になったら どんな風になるかってことを
Left standing in the lurch at a church         こうしてよろけながら教会立っていると、
Where people saying:                   人々がこう言うのが聞こえるんだ
 "My God, that's tough" "She stood him up"   ″あぁ、神様 なんてことでしょう″ ″待ちぼうけをくわされたんですって"
"No point in us remaining" "We may as well go home" ″ここに残ってることもないわね" ″はやく家に帰ったほうがいいわ ″
As I did on my own Alone again, naturally      昔からそうだったけど 一人ぼっちになったよ、あたりまえのように  

神を冒涜するつもりは全くないけど、誰もが傷つき得ること、誰もが弱者になり得ること、
そしてそうなった時のことが 淡々と歌われる。

To think that only yesterday        昨日までのぼくは
I was cheerful, bright and gay       元気で、明るくて、陽気だった
Looking forward to who wouldn't do    ワクワクして楽しみにしていたから 
The role I was about to play        自分が演じる役回りがこんなだとは思ってなかった
But as if to knock me down         でも、打ちのめすように
Reality came around              現実はやってきた
And without so much as a mere touch  大げさなことでなく ほんのちょっと触っただけで
Cut me into little pieces            それはぼくを粉々に打ち砕いた
Leaving me to doubt             ぼくは疑うようになった
Talk about, God in His mercy        みんな慈悲深い神様について話しているけど
Oh, if he really does exist           もし神が本当にいるなら
Why did he desert me            どうして彼はぼくを見捨てた
In my hour of need I truly am indeed  ぼくが必要としていた時に 本当にどうしようもなく求めていたのに
Alone again, naturally             また一人ぼっちになった、あたりまえのように

It seems to me that there are more hearts broken in the world
この世界には もっと傷ついた心が沢山あふれているように思う 

that can't be mended , Left unattended
決して癒されることもなく、相手にもされない心が

What do we do? What do we do?
ぼくたちはどうすればいいんだろう?

なんだかね、あの時の気持ちをすこし思い出した。(目には見えないが、世界にいろいろな形で残っている思いについて。)

前にもギルバート オサリバンにはインスピレーションを受けた。  そんなぼくに何がわかるのか ~ Nothing Rymed

あんまり、三連休には似つかわしくない記事になったので、楽しいやつも。

Gilbert O'Sullivan - Matrimony 1971

 

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夜毎夜毎の炉辺ものがたり

2013年02月03日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

 たまに上手い表現を思いつくとうれしかったりする。(コクリコ坂から~そこに行けないから、上を向いてはいけないという道理はない)

「そこに行けないから、上を向いてはいけないという道理はない」

われながら たまには良いことを言うなぁと。
でも、そのよなことを言わしめるのは、素晴らしい表現者への憧れがあるから。

一昨年はその歌に感激してビデオを作ったり。
″ 空に終点はあるのかしら。夜が来て一日は終わるでしょ。″  2011年の夏空から

その頃に愛聴していた曲をYouTubeで見つけました。
これも歌詞が素晴らしい。
これは自分に向けられたメッセージだって感じることってあるでしょ。
クルマの中でバッハを流してたら、同乗していた連れに、葬式でもあったか??って言われましたが、
ほの暗い調べのなかに豊潤があるように思えたりすることがある。

幾つもの昼と夜を越えて 幾つもの海と島を渡り
真の光を探し続け  彼の旅は未だ終わらず

京都あたりを歩くと、そうだ京都行こう的観光イメージではなく、幾つもの生き死にの物語の匂いを感じたりすることがある。

言葉が意味をなくした都に 隠された愛の言葉を探し
声なき声がすすり泣く 深き暗闇の路上を歩む

誰にとっても同じ現実があるわけではない
それぞれに それぞれの現実があって、それぞれの光景がある。美しい詩だ。

夜毎夜毎の炉辺ものがたり
懐かしき隠者の面影

輝かしかりしかの年月を 取り返すことあたわずとも
それを悲しむまいとして  彼の旅は未だ終わらず

旅人 (中文字幕)

 

″ それを悲しむまいとして "
なんと意気軒昂なフレーズなんだろ。生老病死、誰もが避けて通れぬ苦しみや悲しみを過ごす時に。

「もし君が若い時にパリで暮らすことができれば、残りの人生をどこで過ごそうと、パリの日々はいつも君と共にある。
 なぜならパリは移動祝祭日なのだから」
ヘミングウェイの言葉を彷彿とさせる。
暖かい炉辺の日々は決して過ぎて流れ去ってしまうだけのものではなく、どこで何をしていようと自分について回る、そう思えたら素晴らしいではないか。

 

手嶌葵さんもカバーしたのが、QUEENの「手をとりあって」。
太陽の光も素晴らしいが、月の光も素晴らしい。陰翳礼讃、陰があってこそ際立つもの。

QUEEN 手をとりあって TEO TORRIATTE 本物映像コラボバージョン QP劇場

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節分 ~ 肴は炙ったイカでいい

2013年02月03日 | 日記

明日は立春、そして今日は節分、冬と春の季節を分ける日。

南南東に向かって恵方巻を食べ、いわしを頂く。

たーくんは正統派のかわいい子どもだったけど、まーくんはフックのある可愛さがあった。

幼稚園で喜々として豆まきしてるかと思ったら、手持ちの豆がなくなったら怖くなって教室の隅に隠れて泣いてましたよ、とか、
家での豆まきで、鬼の役をやったはいいけど、皆に豆を投げられたら段々悲しくなってきたらしくて泣き出したり。

( ↓ ) こんなとこでもマスカラスをやっていた。(n‘∀‘)η

 

これね、お買い得なんです。サクにならなかったマグロのぶつ切り。 いわゆる半端物的鉄火丼とでもいうのでしょか。
近所の魚屋で見つけたら、ラッキーなので、ちょこっと食べる用に買う。
目をつけてる人もきっといるのでしょう、数も出ないから、なかなか巡り会えないけど、サクより分厚くて濃厚だったりする。

マグロのトロだって、赤身ばかりが重宝された昔は漁師が船で食べてしまってたとか言うし、
ネギトロだって骨の周りの脂ののった部分が賄い飯にされていた。

魚のあらもおんなじ。
タラのあら鍋なんて、プルプルして、とても美味しいのに、あらは安価で手に入る。もったいない。

いつになったら、寿司屋のカウンターで ″オヤジ、こはだ″ってセリフがキマるような大人になれるのでしょか。

″ 肴は炙ったイカでいい " ってセリフが似合うようになりたい。

そろそろ節目を分けて、本格的なおじさんとしていきたいもんです。大人らしいゴルフもね。

舟唄-八代亜紀

 

 

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[2013年2月 ホームコース] 84から114へ

2013年02月03日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

前回アルバトロスを達成して、84をマークしたラウンドから約半月。

ホームコースとなって2回目のラウンドは冬場の強風のコンディションとの闘いで始まりました。

河を渡る朝。(写真左)
シャッターチャンス逃してしまってて、よく分からんですが、冬の空に富士山が大きくくっきりと見えました(同右) 

 

 同じTourAD BBの6Sを使用しているというK原さんと、12月に新規募集枠でメンバーになったばかりというY川さんと。

お二人とも100yからのゴルフが堅実。

私は、アプローチ、ぼろぼろ。トップにシャンク、あらゆるミスが出て、G周りからに自信が持てなくて、ゴルフになりませんでした。
いしこも同じ。アプローチの安定感がカダイです。

あえて、いいとこを探すと、パットのタッチがちゃんと出せていたところと、
TourAD BBシャフトが合ってるのか、ドライバーが大きなミスにならないところ。
(前はSシャフトでしたが先端が走るシャフトだったので、ややもすると左が怖くなって、タイミングを合わせにいってミスする傾向がありました。)
この日は、メンバーばかりで、ブルーティーからのラウンドでしたが、16番335Yは、あわやワンオンかって感じ。(風はフォローですけど。)

しかし、2打目以降がまるでダメ、
まんじゅう怖い、ではないが、アプローチ怖々。バンカー、池、OB、なんでもあり。

スコアは前回の84より、なんと30打も多い114。 どうなってんですか?あんた??

あいも変わらぬ、ジェットコースターのごときアップダウンの激しい、真っ逆さまゴルフ。

こないだまで「このコースは俺のことを愛してくれてるみたい」って思ったけど、今日はその気はないわよ、って感じ。
わかりませぬねー、ゴルフってやつは。

数多くのメンバーの方の名前を覚えたいけど、そこらあたりはブログは適さない。
ご迷惑をおかけするわけにもいかないので、
クラブライフ用に、個人的な備忘録としてEverNoteを始めることに。

EVERNOTEにアップしよう

近くにホームコースがあるってのはよいなぁ。
冬場なので6:50頃のスタートでしたが、スルーで廻って昼飯食べて帰ってきても、お昼すぎ。

丸一日をかけたゴルフではないから、家の用事にも差し障りがない。
カジュアルに、散歩するように、ゴルフができる。

昭和の男、結構好きなんですよ自分は。

 

それは、男の中の、男の中の、男の世界 - 高倉 健

 

 

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入定 ~ ストップすること

2013年02月02日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

ぎっくり腰ではないのだが、腰を痛めていたので鍼灸に行ってきました。

ゴルフのカートからダイビングして肩を打ち、「腱板損傷」と診断されたときに鍼治療に行ったら、上がらなかった肩の痛みが取れてスムーズに肩が回るようになったことがあります。
整骨院に行ってもどうにもならなかった痛みが鍼で治まって驚いた。

東洋医学、東洋の思想には、切り刻んでことを考えてゆく「要素還元的」な発想ではなく、
身心全体をインテグレートしてゆく発想が根底にあるように思います。

身体の経路の一部分にわだかまっている「暗い固まり」を溶かしてゆく。

  

目指せ仙骨美人で、以前採り上げた本。

ゴルフスイングでストッパーを利用した打ち方に気づいたのですが、
ストッパーとは強烈なテコのエネルギー、、『 圧倒的な「勁(けい)のエネルギー』と呼ばれるもの。
(必殺 アックス・ボンバー ~ 「勁(けい)」のエネルギーの体現者たち)

この「ストップする」という考え方は気功法のなかにもあったのです。

「戒定慧(かいじょうえ)」、
~ 仏道修行に必要な三つの大切な事柄。悪を止める戒と、心の平静を得る定と、真実を悟る慧。

「心は自分ではない」は邪悪な心を認め、向き合って御していくための知恵ですが、(★★『心は自分ではない』★★)
この「定」というワーディングに目が止まりました。

気功法や瞑想法などの決まった形、体の中の元の命のルールを守っていくのが「戒」、
しかし、戒だけあっても知恵に行き着く具体的な方法がなければ駄目です。その方法が「定」です。
気功法で「定」というのは「ストップ」ということです。

曰く、

この宇宙に存在するものは、ミクロの原子から銀河まですべて運動のなかにあります。
その中の人間、自然界、みんな大きなひとつの動きのなかにあります。
ストップということは、その大きな運動のなかで、一瞬、あるいは一瞬以上動きを止めることです。
私たちは、雑念が多すぎるから、無駄な動きが多すぎるから、消耗が多いのです。
人間も、どんなものでも長い時間置いておけば、消耗し、風化して無くなってしまいます。
気功法で一番の不思議なことは消耗をストップできることです。

気功法や瞑想法はストップの方法だといいます。
長生きで知られる象は、横にゆっくり揺れている鼻が一瞬止まったときに寝ている、
自然界で長生きするものは、だいたいストップの方法をうまく使っている、
ストップすることで「元に戻る」、生まれつきの、本当の自分の元の気、いい状態に戻ることができる。

修行をするということは、生まれつきよりもっと前の先祖の知恵に触れるということなのです。
自分に自信がないということは、誰でも鏡を見て、そこに写っている自分だけしか自分はいないと思っているから自信がないのです。
実際は、自分は自分だけではなく、もっとずっと前からのパワーが集まった存在なのです。
昔からのパワーは本当は空中にあるのです。

石や木や水と私たちの関係について」と同じ考え方だ。

そのための方法としての「定」。

入定

人間は元々は精子一本のもの。
精子の頭の部分が上丹田、霊の部分であり、尻尾の部分が下丹田、ポンプの部分。
そして二つの間をつなぐのが中脈。
大きくなった人間も基本的にはそれと同じだと言います。

下丹田に気を沈めて落ち着かせてゆくのが気功法だと思いがちでしたが、
上丹田へ、下から上へと気(パワー)をあげてゆく気功法もある。

″ 人の大勢いるところでは、意識を上丹田に置くと気を取られません。″

これは感覚的にわかる。スピーディーに動く時も、上丹田に意識はあるように思う。
意識と呼吸を合わせてゆくのが、気を練る方法(気功)であるなら、上丹田を強化する側面がもっと強調されてもいいように思いました。

( ↓ ) やっぱり、ビートルズはたぶんに東洋的、仏教的だ。
Everybody seems to think I'm lazy  I don't mind, I think they're crazy
Running everywhere at such a speed till they find there's no need
Please, don't spoil my day, I'm miles away
And after all I'm only sleeping 

The Beatles Im Only Sleeping (Subtitulada Español) HD

 スピリチュアルをスピリチュアルな側面だけで語ることは好まないが、
″  心の世界をサイエンスで説明するには、まだまだ多くの歳月を要する。
  しかし、釈迦の教えは間違いなくサイエンスにのる ″

 

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夜のしじまに ~ 鼻唄作曲家

2013年02月01日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

月がキレイな夜、

今晩は以前にも載せた、Ladidaで作った処女作でも聴きながら眠りましょ。
(シェイクスピアの詩に、適当に鼻歌でメロディをつけただけのものなのですが、存外気に入ってるのです。またつくろかな。)

夜のしじまに ~ 鼻唄作曲家

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