ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

北参道に舞う蝶々の夜。

2017年05月28日 | 日記

明日香先生のCD発売ライブにお邪魔してきました。

アーティストにピアノを教えてもらうのは、私には敷居が高くてなかなか行けないのですが、
(でも、動画のYesterdayの弾き歌いを褒めてもらえて嬉しかった! )

先日四ツ谷のLIVEにお伺いしたら、アーティスティックな感性のなんと素晴らしいことか。
(夜会、アコーディオンと歌に酔う。

パリのミュゼットとか、これまで私が聴いてこなかったフランスや、中国といった異国音楽の引き出しをお持ちで、
時にえぐるような詩を含めて、ポップスというよりは、芸術、アートを感じます。
日常だけに留まらない、もっと深くて広くて多様な世界。

3曲入りのマキシ・シングルは、全曲オリジナル。

この日は今年の2月から始まった月末金曜日、プレミアム・フライデー。
職場の仲間と、会場「GRAPES Tokyo」のある東京メトロ副都心線「北参道」駅に初めて降りました。

 

木目調の温かい雰囲気のスタインウェイのピアノがプレミアム。

 

奇しくもこの日は、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」の50周年記念盤の発売日。
(Sit back and let the evening Go ! )

たまたまなのでしょうが、途中、「Mr.カイト」風のサイケなライティングに包まれたりして、どこか非日常的な夜。

 

20170526 AsuKA CD release LIVE @北参道 GRAPES TOKYO

2曲目のPull marineが嬉しい選曲でした。
ゲンズブールには、この美しいピアノシーケンスに、
こんなにも耽美的で頽廃的な詩を乗せれる人がいるのか、と驚いたことがある。
(人生はライブである ~ ゲンスブールの違和感とビロードの滑らかさ)

そして、作った動画では外してしまいましたが、”J'ai bu la tasse, tchin tchin.”ってところが、
不埒ですが、日本人の私の耳につく。
ゲンズブールは日本語を分かっていて、ふざけたのでしょか。

~ Pull marineの歌詞はこちらのサイトが詳しい ⇒ 「マリンブルーのセーターPull marine」)

今、エルトン ジョンの「Your song」の弾き歌いを練習中なのですが、
”水の底だけで輝くのではないマリンブルーの瞳を、視線もくれずに見分けてやって来る”というのは、どこかYour songに似ている。

 

太陽はしばしの間暖かく、この世はかくも素晴らしい。
彼が素晴らしいと語るのは、あなたの居る世界であり、
自分の記憶すらあてにできなくとも、色を忘れてしまっても、
あなたの瞳がかつて見たなかで一番美しかったと語る。これは無私の歌だと思う。
(ヤマハの電子ピアノ P-105)

 

瞳について歌った歌は数あれど、このうえないものがあります。


1st Stageは、新曲の「蝶々」で一旦幕を閉じる。

( ↓ ) 異界から舞い現れた蝶々が食していそうなのは、枝付きの干しブドウ。

二幕目は、「蝶々」が出現して耳元で揺れながら、lentementに、ゆったりとしたピアノで始まります。

そして、足元には、美しくもどこか頽廃的な色合いの花々、

蝶々がひゅるひゅると舞っていく宙に在るのではなく。

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「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を観る、脱力を極める。

2017年05月21日 | 日記

アカデミーの主演男優賞と脚本賞を受賞した「マンチェスター バイ ザ シ―」、
成功譚とかリア充とかではない、もっと人間らしいものに触れたくなって、
深夜24時までのレイトショーへ。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」はボストン北東部にある街の名前。マンチェスターとは違う。
 (まるで「港の見える丘公園」みたいなネーミングの街だ。ちゃんと説明書きのついた固有名詞。)
リー・チャンドラーを演じるケイシー アフレックは、スタローンやポールをどこか等身大にしたような感じがあって親近感が湧く。
(アメリカ北部の街や人が醸す空気感みたいなものが、スタローン初期作品のロッキーや、ロック・アップに似ている。)

映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観た人の感想、評価、口コミ
に寄せられた人々の声が素晴らしかった、この映画をよく代弁している。

冒頭海のシーンはとっても気持ちよかったのに、リーの今にシーンが移ると居心地の悪さを節々から感じる。
ケイシー・アフレックの演技もすごい。 こんなにアウトプットできない混乱を、整理できない心を演じた人は見たことない。

毎日毎日生き辛さを感じているリー・チャンドラ。
降り注ぐ雪を掻き続けるループが彼に与えられた罰のようであり、彼もそれを受け入れてるようなシーンが印象的。
静けさが彼の壊れた心で失った感情のよう。

幸せにはなれないし、乗り越えられないけど生きていかないといけない、リーの人生に心動かされました。

ケイシー・アフレックの佇まいが特に良い。憂いや悲しみ、自分への怒りをよく表現している。

泣きたいけど泣けない、微妙な感情の表現をしていてそれが現実で人間だよなぁと思った。

様々な人生をそっと見守るような視点の作品。
現代における、孤独や喪失感を丁寧に描いていると思います。

ストーリー自体はシンプルで、淡々と進んでいくけれど、その分登場人物たちの心理描写が際立っていた。
心に大きな傷を負った主人公を演じるケイシーはアカデミー受賞するだけあって、とても上手かったです。
傷を負う前と後の変化のつけ方もだけど、別人の様に心を閉ざしてしまっている状態でもちゃんと同じ人だと感じられる、
根っ子の部分は繋がってるのが感じられて良かったです。

とても淡々とした感じの映画で、派手に盛り上がる雰囲気の映画ではありません。
でも、内容は、愛や死や人の心の傷など描かれており、誰にでも当てはまる部分があったり、
今後、人が生きているなかで、経験するような事だと思いました。

映画をよく観るほうでもないし、詳しいわけでもないが、
映画をたぶん沢山観ているであろう人達の洞察力に驚く。
一般大衆だからといって、
必ずしも映画や娯楽作品に、分かりやすい起承転結やハッピーエンドだけを求めているわけではない。
上手く人に気持ちを伝えることすら難しくなってしまった、リーの感情を推し量ったり、表現されることのない心を裏打ちするようなコメントを寄せる人々に、温もりを感じたりする。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」特別映像

金曜日の夜の過ごし方は大切だ。
その流れで、ゆっくりした落ち着いた週末を過ごす。
どこか、いつも、ソファに浅く腰掛けて休んでいるようなところがあるのだが、
ソファに深く腰をおろして、もっと休むことに集中してみる。

リョウブの花。
真言密教の経典に、供花には瑞々しい、さらに白花の香しいものを用いよとあり、
白花を良しとする作法は、茶花にも受け継がれてきたという。
ショウマやチンシバイにも通じる涼やかな花姿といい、暑い日に涼を感じさせてくれる。

 

梅花空木(バイカウツギ)の白の不思議。
花の中にまた小さな花みたいなのがあって、ロシアのマトリョーシカ人形みたい。
花によっては、中にあった部分が表面にぶわっと咲き出てきて、どこか艶やかさのある花姿。

マトリョーシカって、いかにもロシア的な響きを、前に思いついたメロディに乗せられないか、ピアノで採譜してみた。
(イエスタディを作った時のポールと同じだ! どこかで聴いたことがあるようなメロディで、本当に自分で作ったのか、記憶の中にある曲のメロディをたどっただけなのか区別がつきません。
今度ピアノ教室で先生に聞いて確かめてみよう、”こんな曲知ってますか?”って。)

マトリョーシカ、マトリョーシカ、って名前を連呼するだけの歌なので、もう少し寝かせておこう。

 

一見複雑な印象のある「ノルウェイの森」だって、メロディ・パターンはたったの二つだ。(マトリョーシカも同じようなものだ。)

要はサウンドなのです。

 

 

ピアノ演奏でも、スポーツや武術でも、「ある一点(芯、スイートスポット)を鮮やかに捉えることが大事」。

” スポーツとは脱力を極めるもの。”

ほどよく力を抜いて、気持ちを込める、相反するように思える二つを両立させるのが人生の極意らしい。

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[2017年 GW] 赤城 ⇒ 上毛 (いつか もっと うっとりを。)

2017年05月18日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

「正直なミス」に向き合うゴルフへの意識改革、一朝一夕にはならず。

私の場合、大叩きするホールが必ず現れるので、他でいくら良いショットが打てていてもスコアを台無しにしてしまうケースがあまりに多い。

それもまた、向き合わなくては直らない「正直なミス」なのです。

 

さて、GWのお泊りゴルフ初日は赤城の南⇒北コース。

4月29日、30日とポールデンウィークのクライマックスを満喫した後、
5月1日、2日を挟んでの5月3日、関越上り朝7時は渋滞ピークだったので、高速に乗らず、下道を走って順調にコースに到着。

スタートホールでバタバタしてトリを叩くも、続く2番はきっちりしたショットとパットを並べてPar奪取。
3番でまたもバタバタしたが、5番できっちりPar奪取。

この日魔のホールとなったのは、南の8番。長めのショートホールで、左がバンカーと崖。
左に行かないように右手首を固めて右目に打ったら、右へふけ球が出て、そこから木にぶつけたり、バンカーToバンカーがあったりで10の大叩きで崩壊。
昼食を挟んでからの北コース2番では、左方向へ同じような高いフックボールで4発連続OB、
9打目のティーショットからダボで15、崩壊。

 

( ↓ ) ここなんて、絶対左へ打ってはいけない、右ぎりぎりでも傾斜で左の池方面に転がるホールなのだが、
    巻き球を抑えて、右目にストレートボールを打ってFWキープ。飛距離も出ている。

 集中力がうまく乗っていく所とそうでない所の落差が、我ながら激しすぎる。

曜日並びが良くて大型連休になるGWだったので、宿を赤城や伊香保にとれずに前橋泊り。

夜は「歓喜の肉盛り」のキャッチフレーズに惹かれて上州牛と上州麦豚を。
(締めのボロネーゼが美味しかった、かつてない味。)

2日目は上毛へ。

アップダウンや打ち下ろしが多い印象があったのですが、あらためてラウンドしてみるとよいコースでした。

赤城・上毛はまだ桜と冠雪の涼しげな風景をとどめていました。(左は少しルノワール風で。)

 

調子は決して悪くなく、この日もOutスタート1番からPar、ボギー、ボギー。
ところが4番で、” 何年もゴルフをやってきて、まだそんなことやる” 、
の殆ど空振り、ファウルチップ気味のティーショット。

そこから徐々に崩壊。

調子が悪くないのに、これではねぇ。。

ゴルフのやり方が分かったはずでしたが、私には何かが大きく欠落していることを認めざるを得ません。
(ほんとに、普通の人と、たぶんどこかが違っていると思います。)

ところで、もうすぐスティングがやって来ます!
ポール マッカートニーがインタビューの中で、” これは自分が書きたかった、と思うような曲がありますか”と聞かれて、
ビリー ジョエルの「素顔のままで」やスティングの「フィールズ オブ ゴールド」を挙げている。

スティングがこの曲についてこんなことを言っています。

”僕達のイギリスにある家は、大麦畑に囲まれているんだ。
夏になるとね、黄金の海の波のように揺らめいてきらめく表面を、風がそよいで渡るんだ。
それを見るとうっとりする。
この景色はまるで、風が大麦に愛の行為を行っているように見えて、
元からある何か性的なもの、何か原始的なものだ。
恋人達は、ここで約束を交わしてきたんだよ。
きっと、心地よい四季の移り変わりが彼らの絆をより強くしたんだろうね。”

『風が男性を象徴し、大麦(barley)が女性を象徴している』らしい。( 出典はこちら ⇒訳詞の世界~Fields of Gold – Sting(和訳) )

こじつけっぽいが、barleyはballに似ているじゃないか。
フィールドを渡っていくballを大切にしろ。

男なら、風としなやかな身体とクラブ使いで、女を、ボールを、うっとりさせろ。
コースを共に同伴してくれる彼女に失礼なことはするな。

風を読み、ボールと戯れるゴルフには、どこか原始的な、プリミティブな部分がある。
スコアとかそんなのばかりが、ゴルフじゃない。(と、開き直る。)
うっとりするような原始的なものを感じていたい。
18ホール通してうっとり出来たらすごいスコアになるが、
18ホールすべてでは無理でも、時折たしかに、うっとりするような瞬間を感じることがある。

言い訳っぽくなるが、私が、ほんとうに求めているのは、
人間が作ったルールに則った、人工的なスコアゲームとかではなく、
一瞬の刹那であり、断片であり、うっとりするようなプリミティヴな瞬間なのかもしれないと思ったりもする。

Fields Of Gold - Sting (lyrics)

You'll remember me when the west wind moves 君は僕を思い出すだろう
Upon the fields of barley                 大麦畑を西の風がそよぐとき
You'll forget the sun in his jealous sky        嫉妬する空とそれを支配する太陽のことなど忘れてしまえ
As we walk in fields of gold                 僕たちは黄金色に輝く世界を生きたのだ

I never made promises lightly            僕は軽々しい約束など決してしなかった
And there have been some that I've broken    なのに何度か約束を破った
But I swear in the days still left             だけどまだ残された日々の中で僕は誓う
We'll walk in fields of gold                  二人で黄金色に輝く世界を生きていくことを


久しぶりに江戸川ラインのショートコースに行った。
なぜ、これがコースで続けられない と思うほど、私は上手だった。

足元にはアザミと草藤(くさフジ)の紫、
      そして別の日、うっとりするほどだった万世橋の紫。

紫の宵に

また約束したような結果は出せなかったけど、
だけどまだ残された日々の中で、僕は誓う、
共に黄金色に輝く世界を生きていくことを。

 

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[ピアノ弾きおじさんへの道] Yesterdayに寄せて

2017年05月07日 | ツールとしての音楽

なかなか上手く歌が乗らずに難儀していたYesterdayですが、
ポールの来日するGWまでになんとか弾き歌えるようになることを目標にしておりました。
(イエスタディ (Audacityバージョンの出来上がり。)

仕上がりはまだまだな部分がありますが、私の弾き歌いは、この程度で十分なのです。

(今日、先生に聴いてもらったら、速いテンポのアレンジなので、メトロノームを使うことを薦められました。
 自分では気づきにくいのですが、速くなる部分と遅くなる部分があって、全体で帳尻を合わせるような弾き歌いになっているらしいです。
 そして、Bメロの F on Aの部分 (~I don’t (know she wouldn't say) の部分)で左手の A(ラ)を入れるタイミングが少し早いようです。)

オリジナルはギター伴奏ですが、
夢の中で浮かんだ曲を、目覚めてすぐに傍にあったピアノで音を確かめながら曲が出来てしまった、というエピソードがあるくらいですから、
ピアノにもなじむ曲だと思います。

違うアレンジで挑戦したこともありましたが、(イエスタディの捧げもの
オリジナルのテンポやイメージに近いこちらを参考にしました。( ⇒ Como tocar "Yesterday"(The Beatles) - Parte 1/2 - Piano tutorial y partitura)
綺麗なメロディはどんなアレンジにも映えるのですが、
ギターとストリングスによる、彫りの深い、陰影豊かでキワの立った、オリジナルのニュアンスが好み。

GWも今日で終わり、その間玄関を飾っていたコデマリの花。

ポールが滞在していた銀座ペニンシュラにはマロニエの木がありましたが、
近所のマロニエは花もそろそろ終わりの時期のようです。


Yesterday (piano & vocal cover 2017)


お耳直しのカルテット。神を感じる。

Yesterday BEATLES (string quartet only)

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2017年GW ポールデン・ウィークの音楽祭

2017年05月06日 | 日記

And we were New,,, そして当たり前のように今年も奇跡が現実になった。

まさにJust in Timeだった大病明けの2013年秋から数えて、3度目のポール来日公演は、最終日4月30日の東京ドームへ。

前回2015年に続き今回もいい席でした!
ステージ正面ではありませんが、最前列になるA4ブロックのなかでも5列目のステージ寄りの席。
妻が、初めて一緒だった25年近くも前の1993年が一番良い席だったというので、
あらためて当時のチケットを見直してみると、前回よりも正面寄りのC13列でした、、よく覚えている。
(「Peace in the Neighborhood」っていう当時のニューアルバムに入ってた曲を気に入っていたことは、私のほうがよく覚えている。
 今回も80年代の曲、「エボニー・アンド・アイボリー」とか「パイプス・オブ・ピース」とか「カエルの歌」(= We All Stand Togetherのこと)とか歌ってほしいなぁ、と言ってましたが、80年代の曲についていえば、Here Today以外は不思議なほど選から漏れます。いつか聴かせてくれぃ。)

 


 

 


まもなく75歳にもなるポールだけに、長旅や3時間近くに及ぶ連日のライブによるパワーダウンを心配していましたが、
ツイッターに上がってくるコメントや、黒柳徹子さんのインスタグラム投稿に、そんな不安も払拭。

武道館は行けなかったけど、最終日の東京ドームへの期待が高まります。

そう、何度見ても深いところで感動するのです。
おぉ、神よ、そこでは、あらゆる種類の人生や感情が肯定される。

朝から、神さまに逢う日の地球の春を愛でる。

沁みるような緑、フランス式庭園のように整形された端正な生垣。

青空に異国情緒のような差し色を入れるピンクのハナミズキが好きです。
上手く写真に撮れていないが、よく晴れた青い空に浮かぶ花色は、ガンダーラの歌に出てくる遥かな憧れのようだ。

生命が蠢き、沁みるような艶やさを見せるのは緑だけではない、土から栄養を吸い上げて沁みるような赤を見せるのがこの時期のツツジ。
太陽が眩しすぎて、沁みるような瑞々しさのある写真にはならなかったが、これもまたどこか遠い異国アルルの田舎道風。

おぉ、銀座に行くのに、またも出遅れた。
出待ちのペニンシュラに着く頃は黒山の人だかり。

 

McCartney on 30 Apr 2017@Tokyo Dome / part1 ~In spite of all the dangers

”彼らは2002年のDriving World Tourからバンドとして10本目になるOne On Oneの準備をしながら、ポールとの仕事について語る。
 それから14年が経ち、何百もの思い出に残る夜を経て、そして何百万もの音符を奏でて、
 このバンドはこれまでにも増してタイトであり、可能な限り最高のコンサートをしたいという意欲を強く持っている。”

1989年以来ポールとステージを共にしているキーボード奏者、ウィックスの言葉が紹介されている。
~”僕はこれを一般観客に提示すること、そしてそのレガシーという意味で、自分の仕事、僕ら全員の仕事の責任を理解している。
  僕らは演奏する度に、その状況の重要性を常に認識しているつもりだ。”

  ”曲の特徴的なパートには敬意を払う。それは何度も弾いたからという理由だけでどこかのフレーズを変えたりはしないけど、
  一方で、知られているからという理由だけで何かを全く同じように演奏したりもしない。”

曲のフレーズのここそこに、そのようなスピリットを感じる瞬間がたしかにある。
これまでに聴いた演奏と、フレーズの断片をどこか違えていたりするのだ。
その細やかなこだわりに敬服させられる。セットリストが似ていても、同じツアーではない。

 

McCartney on 30 Apr 2017@Tokyo Dome /part 2 ~ you won't see me ~

ヘイ ジュードでの合唱用にチケットと共に送付されて来た「Na Na Na」のプラカード。

4月30日には会場にサイリウムが用意されていました。

 McCartney on 30 Apr 2017@Tokyo Dome /part3 ~ The end

 

ポールは最終日のコンサートを終えた晩、会場からそのまま羽田空港に直行し帰国の途に就いたそうです。
休暇を取ってゆっくり観光するようなこともなく、音楽を届けるため、ライブをするためだけに、はるばる日本にやって来たのでしょうか。
Out There ツアー然り、One On Oneツアー然り。

 

たとえば、一つの和音を長いこと押さえたままにし、「これはどんな感じがする?」と自分に問いかけながら、
納得できる答えが浮かぶまでその音色に浸り切る。
「ものごとを実際にどう感じるかを意識し、それを確かめる力」
この大切な心と体のつながりを果たした時の変化は、文字通り目に見えるほどだ。
そのような再生が実現するかどうかは、それを自分のものにできる、という根本的な信念を取り戻せるかどうかにかかっている。

想像がつく通り、「克服するのではなく追跡するように態度を変えれば」、問題は不思議にも消えてしまうことがある。
もう一度弾いてみて、体のどの部分が、いつ緊張するのか、どこから問題が始まっているのかを、正確に追跡すること。

そして、選んだパッセージをどんなふうに感じたいのか、エネルギーの細部にいたるまで想像する。
動作を細部に至るまで想像すると、神経学的には、その動作を実際にしているのと同じ経験ができることが分かっている。

動作がどんなふうに『見えるのか』のイメージを描くのではなく、
体が神経学的にどんなふうに『感じるのか』の『フィールイメージ』を描く。

(「ミスタッチを怖れるな/ウィリアム ウェストニー」より」)

ポールの音楽や、その底知れぬパワーについての洞察や手がかりにもなる。

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