ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

[2014年8月/Part2] やっと分かった! 左手首の角度をキープして緩ませない。(久しぶりのマスカラス)

2014年08月31日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

 悩めるパターと、不安定なティーショットに一挙に解決策が与えられた気がします。

元のパターに戻しても相変らず3パットを連打して、スコアを伸ばせぬままの私に、
上級者のSさんが、『左手首を緩ませずにしっかり打つこと』とのアドバイスをくださいました。

ラウンドも後半になってからのことでしたので、今回のスコアに直結したわけではありませんが、
いしこが珍しくくれたナイス・アドバイス、
″ダウンスイングでも手首の角度をほどかないで振る″と相まって、目からウロコ。

久しぶりに、あのバカバカしいマスカラス・レッスンをやりたくなる程の気づきです。すみません。

「ようやく気づいた感があります。
スライスもフックも出る不安定な偶然に頼ったスイングからの脱却。
シンプルなことですが、手首の縦方向のアングル(コック)をキープしてダウンスイング­することで、
遠心力を引き出す骨使いになるのです。」

 

早朝3:20起きでした。迎えに車を走らせ、5:20にはコース入り。

長引くスランプですが、ようやく光明が差してきたようです。

 ( ↓ ) あれだけパット外しまくって94だから良しとしなきゃ。
    低いフック」や引っかけの少ないドライバーが良かったです。

     4番ミドル、コーライGだと易しくて距離も短めなのですが、Gまで残り15Y、あやうくワンオン。
     ここでは3パットこそしませんでしたが、そこから4打費やしてのボギー。情けない。

 

 ( ↓ ) これは先々週のキレてしまったラウンド。
     Y選手がいよいよ入会してきたというのに不甲斐ないゴルフをしてしまいました。

     診察の結果、どうということはなかったのですが、
     一年前に腰椎圧迫骨折の診断を受けた腰に痛みを感じて、
     途中から、前傾姿勢をキープできなくなり、
     バンカーでも腰を落とせず突っ立ったままクラブをぶつけるようにインパクトして後ろへのけぞる、
     みたいなをスイングしかできなくなりました。
     スコアメイクなんて到底無理な状態でしたが、がんばれそうだったのでホールアウト。
     JGAルールでは悪いスコアもコントロールカードを提出することになっているので 仕方なくの提出。

     (ハンデ20切りは遠くなったかも…)

絵画づいていた夏の終わりの日。

頭のなかのイメージに描かれた麗しの彼女は、まだ姿を現してくれませぬが、気配はすぐそこに感じます。

 Just a short time to show you the tricks that we've learned
 ぼくが身につけた魔法の技を少しばかり貴方に見せてあげたいのに。

Oh sweet painted lady  おー、絵に描いた麗しの淑女
Seems it's always been the same いつだって同じことの繰り返
Getting paid for being laid        もう報酬は十分に払ったから 休ませてよ
Guess that's the name of the game   これは何て名前のゲームだったっけ?
 

 

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パターソロ

2014年08月30日 | ブログ化未満のデモテープ風

どうもブログ化未満の、気づきやアイデアのない中途半端な記事だとアップしようと思えなくなるのですが、そんなことをしてるとイップスになります。

いつもいつもアイデアや気づきに溢れているわけでもなく、デモテープみたいな記事があってもいいんじゃないかと思いました。
明日になったら、書き足したりして、記事の内容が変わっている風なやつ。
デモテープでも書き残してるうちに、熟成されたりすることがあるかもしれないし、
適当でいいや、ってやってるほうが愉しいから。

さて、この心理的蛇行感を生んでいるのは、パッティングのせいなのかもしれません。

傷ついたパターグリップをご極太のグリップに交換してから迷い道に入ったパッティング。
先週、名器スコッツデールで放ったパットが、グリーン上で蛇行したり、カップ手前でクニャっとアマチュアラインにお辞儀するのを目の当たりにして、これはまずいーと感じました。
「腕を開いてウィークに握る」ニクラウスのスタイルを真似たり、いろいろ試しているのですが、転がりのいい順回転の球を芯で打つことは、当たり前のようで当たり前にできることではない。
一方で、いろいろ試すことで、かえってゴルフを複雑なものにしているような気がしてきました。もっとシンプルにいかないと。

うまくなるのも大切なのですが、まずは迷いなくショートパットを打てる状態に戻したくて、元のNIKEのパターに戻すことに。
WINNのグリップを、フラッグシップモデル的なブルー&オレンジのツートーンのに交換したばかりですが、これも元のモデルに戻してみることにします。

 

明日は、思う存分パター・ソロを。

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ハンデ20切り宣言 ~ 自然の言うことも聞け

2014年08月16日 | ゴルフィーライフ

「日常生活を、そのまま写し取ったようなものには興味が持てません。

新しい世界の認識の仕方、みたいなものに興味がある。

世界は個々人の認識や知覚の産物であって、認識の仕方を新しくすれば、世界は新しくなるからだ。 
なぜ99%の日常に囚われていなければならないのか。
1%のほうを新しい現実だと決めて、シフトしていくことに興味がある。
(心の時代の次へ ~ あわいの力

ヒップホップってすごいな、と感じたのはNujyabesだったが、(神が宿る風景 ~ 私の範囲をとらえ直す
英語でなくても、日本語であっても、ヒップホップのリズムに乗りやすいのかもしれない。
韻を踏むのは何もイギリス英語の特権ではない。

まさしく Music Go free , ここには詩がある。現実や今現在の限界をスキップするように超えてゆくもの。

過去・未来・現代、誰もが行く孤独な海原。求め彷徨う新天地、水平線に人生の欠片を探す。
でも、そこはまさに大自然の驚異。この地球がくれたネイティブなリズムと唄、そして確実に変える明日。

「ビジョン54」の考え方は、このブログを始めた頃からのテーマだった。今もそれに変わりはない。
(ブログ開始 ~ ゴルフ84ビジョン宣言)

リンクスからの便りが届きました。

スコアの良し悪しに関わらず、すべてのスコアを登録する、ってきつい。(´;ω;`)
ゴルフは、いくら素晴らしいショットを打てても、そこのところの能力を評価するようにはなっていません。
前にも恨み節を書いたことがありますが、ゴルフに芸術点はないのです。

ラウンドしながら、ボールやゲームをコントロール出来ていると感じる瞬間が訪れることがあります。
時間にして1%に過ぎないかもしれませんが、その時のわたしは、「瞬間シングルプレイヤー」だと感じます。
一発のショットで競えば、シングルプレイヤーに負けないような気もするのですが、そこは99%の現実に従うしかない。

リンクスからの成績通知です。

シングル(ハンデ10切り)とは言わずとも、20切りを目指します。はい。

 

私のMY 54は、「ビジョン84」と呼んでいます。
オールボギーが90なので、そこをMY Parに設定して、6アンダー、
ハーフで3つParを奪取すれば達成できる数字です。
ブログを始めて、宣言通りベストスコアは84を達成できましたから、次はハンデ「20切り」を宣言します。
ハンデ20切りのためには、常時90をマークしなければなりません。
つまり、ラウンドすれば、多方80台で廻ってくるレベルです。
真の80台プレイヤーといってもいいでしょう。
ハーフで5アンダーあたりを狙えるようになると、「ビジョン80」に格上げとなり、シングル入りも間近となります。

( ↓ ) 自分が素晴らしいプレーをしている時の状態や感覚を言語化すること。
   感覚を言語化して、技法として身につけることは、簡単なことではありませんが、
   このブログを始めたそもそもの目的は、そこでした。

   宮里プロも「自分力アップドリル」に取り組んでいるとのこと。
   スコアを良くするためには、テクニカルなスキルだけでは駄目で、
   ”自分力”とも言うべき、もっと広範囲なスキルが必要なのです。  
   それを技化していくということは、すばらしいテーマです。そこを主題化するだけで立派です。(`・∀・´)
   

Learn how to decide & commit   決めてコミットする、その方法を学びなさい。
Quiet your mind                 心を静かに保ち
Play with freedom & Enjoy the game  自由と共にプレイし、ゲームを愉しむこと
Leading to  lower scores           それがスコアにつながっていきます
Sign up today for your mind performance course  今日誓いましょう、自分自身のマインド・パフォーマンスのコースに就くことを。

合気道にも似た、他の流派や術理の良さを取り込んでいく柔軟性。ゴルフって面白い。

宮里藍 太極拳スイング

もひとつ。

青木プロのパーゴルフ連載「ゴルフたるもの」から、さすがの名言。

「心を静かに保つ」(Quiet your mind)、というのは、きっと、「自然を相手にしていることを忘れないように」、ということなのだ。

「自分さまのことをばかりを言うのではなく、それだけ長く呼吸してきた自然の言うことも聞けよ」、ってことなのだ。

So won't you listen to what the man said ?

Paul McCartney - Listen To What The Man Said (live '1987)

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オルセーかセーヌかリンクスか

2014年08月10日 | ゴルフィーライフ

ホームコースでは荒川の川面を名物のフェリーボートが行き来する。

デュフィの絵を見てからというもの、イメージが重なるのだが、朝な夕なの川面の光景が地謡のようなざわめきをもって迎えてくれる。

都心部に近い、カジュアルさが何より魅力。丸一日かかるレジャーにするのではなく、思い立ったら、高速道路に乗らずとも、ささっと行ける。
ゴルフはそういうものであって欲しかった。

家から近いカジュアルさの一方で、川を渡ることで、日常的な世界との結界を越えることができるような気がする。
日常とは違った世界でしばしプレイに興じている気分にもなる。

マネの草上の昼食みたいなものだ。
(こんな人はコースにいないけど、たまにいたらいいかも。今日は居たね!一緒にサンドイッチ食ったよ!、みたいな。)
日常にはない結界を持つ、ということだ。

 

 (れんげ草はまだプレーしたことがないが、7ホールは中途半端だ。いっそのこと、ゆったりと6ホールにして、3回廻ると18ホール分のラウンドが出来るようにすると、同じ練習でも、スコアメイクの練習にもなる。ゴルフは、ナイスショットを打つ練習も必要だが、ひょっとしたらそれ以上に、悪いなりにスコアをまとめてしまう練習の方が必要だったりする。我ながらいいアイデアなので、メンバーとして具申することにしよう。)

さて、マネの草上の昼食が収蔵されているオルセー美術館は、旧くからある駅舎を改造して1986年に開館されたというから、
わずか30年ほどのことなのだが、歴史あるルーブル美術館と共にいまやフランスを代表する美術館になっている。

(今回は、マネの作品に刺激を受けたモネの「草上の昼食」(下)が展示作品に含まれていた)

河川敷のホームコースも、オルセー美術館みたいになったらいい。
高原のリゾートコースや、ルーブル美術館的名門コースこそが、ゴルフにふさわしいと言うような意見も少なからずあるが、
カジュアルに、もっと生活に近いゴルフを求める方向へとシフトが進めば、パラダイムはすぐに変わるだろう。
わずか30年で世界的に認知を受けたオルセーのように。

河川敷や堤防は国が管理し、公園や防災ヘリコプター発着などの公共利用に限られていたのが、
2011年に規制緩和されて、自治体から指定を受けた民間事業者が商業利用できるようになったそうです。
埼玉県では、水辺を地域活性化の拠点に育てる取り組みを始めているとのこと、
都心部にこれほどの水辺や自然があるというのに、民営化前の国鉄の遊休地の如く、これまで河川敷はunder-ratedな扱いを受けてきたように思う。
欧米でも湖や川遊びは昔からあったし、日本でも河川敷の両サイドには宿場町があった。
本来的に水辺に人は集まる。
河川敷も民間事業化が進んだ近い未来には、人が集う新しいスポットへ変貌していると思う。

ふたたび、オルセーに話を戻しましょう。

オルセーは印象派の作品を多く擁しているせいか、比較的新しい芸術の自由な気風を感じて、どこか爽やか。
乃木坂にある国立新美術館は、自宅からメトロ一本で行けるカジュアルさがあって、行きやすい。

(オルセー美術館展2010deデート
(あのひとのワルツ)
(バレンタインデーあるいはモネの誕生日

前回2010年の展示の方が規模は大きかったが、
前回と今回で、下の本の表紙にある「日傘の女性」や「笛吹きの少年」といった代表的な所蔵品を直に目にすることができた。
(写真右下は、今回の展示作品から。)

カバネラの「ヴィーナスの誕生」は、同じ印象派の時期に重なるというのに、ルノワールの裸婦像とは全然描き方が違う。
見ての通りで、神話的なモチーフから逸脱しているとの非難もあった作品のひとつなのですが、
絵画の歴史は、その時々のフレームワークを押し広げていく自由の歴史でもある。
絵画にして、皆が同じもの(フレーム)を目にすることで、見たり語ったりしていいものになっていく。
変人扱いをしておいて、常識のほうが変わってから、こんどは芸術だと誉めそやす。

今では、六本木にある都心の公共の場で、しげしげとこれを眺めていても、誰もいやらしいとか言って咎めたりはしません。
むしろ、隣の見知らぬご婦人が、” きれいな絵ですね " と話しかけてきてもおかしくない。
ここならオーケーですよ、っていう結界のような壁や境界は、実は不確かなあわいのようなものなのだ。(心の時代の次へ ~ あわいの力

 

オルセー美術館はセーヌの左岸にある。
そういえばホームコースのあるのは、荒川の左岸だ。

ロンドンタウンなるアルバムで、セーヌの左岸のことが歌われている。
テムズ河の光景が、セーヌ河とクロスオーバーする。
Continental breakfastに、English speaking peole、German Beer、、ちゃんぽん状態はどんどん広がっていく。

荒川だってどこか似ている。同じ地球の都市部の河ですから。
ポールやデュフィーが作品にすることでパラダイムがシフトするだけのことなのかもしれない。瞑っていた目を開けて見えている川面がセーヌ河なのか荒川なのか、って、実は水面だけを見てたら分からないかもしれない。

うちの近所も自然が豊かで、デュフィーみたいな感性で捉える方がいるといいのに、と思ってましたが、
素敵な街の紹介MAPが作られれているのを発見。
(家の前の道が、おすすめウォーキングコースとしてここでも紹介されているので、あまり増刷されると賑々しくなりますが。
街角で見られる四季の花、セレクトがしぶすぎます。)

 

 

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[2014年8月] 夏、スコッツデール

2014年08月10日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

アリゾナはツーソンの家を出てカリフォルニアを目指したのはジョジョだったが、
アリゾナ州にあるスコッツデールは、PING創業当初にパター工場があった場所らしい。

 

パッティングに悩むゴルファーがしばしばそうするように、GetBack、
原点に戻って、PINGのパターにしてみた。

むかし、PINGのAnserを使っていたが、今度はScottsdale。
(センターシャフトのモデルはAnserやKarstenにはなかったから。)

センターシャフトのモデルは、芯とシャフトが一直線上にある。重心距離がゼロ。
ゴルフクラブを扱うことの難しさは、野球やテニスとちがって、重心距離の離れたところに芯(スイートスポット)がある道具を使うことにある、と言われるが、
センターシャフトなら、素直に芯を手の先に感じることができる。
一方、その構造上フェース面が回転しやすく、デリケートなタッチを要求される上級者向けパターのイメージもある。
(フックラインではトゥ側で、スライスラインではヒール寄りでパッティングせよ、という教えがあります。
ボールに当たり負けしてフェースが押し込まれることを予め計算して、プロライン側にパッティングしていく為の技。
慣性モーメントが大きくなった今時のパターではあまりイミがあるようにも思えないのだが、私も時々、そういう外しの技を使ってみる。
センターシャフトのパターなら、この技が活きてくるかもしれません。パターで上手くなる、パターに教えてもらう。)

PING スコッツデールTR ~TR溝~PINGの革新は続く

TR(トゥルー・ロール)溝はなるほど転がりがいいような気がする。ナニより、打っていて気持ちがいい。

 

 

あまり期待していた機能ではなかったが、パターシャフトの調整機能が秀逸だと思います。

( ↓ ) 34インチの基準線からシャフトを短く調整していきます。
振りがスムースになる、しっくりくる長さというのは、決して1インチ刻みではないことが分かる。
別々の日に撮った2ショットをつなぎ合わせていますが、シャフトを短くして、フェースを少しだけクローズに閉じたセッティングにしてみた2ショット目、
あら不思議、違うパターになったみたいに、パコパコ入るようになりました。(@練習場)

ミシェル ウィーだって、短いパッティング・スタイルに変えて、初のメジャータイトルに輝きました。
日本人より長身であるにも拘らず、欧米では(日本標準仕様の34インチより短い)33インチが主流だとも聞きます。
パッティングというのは、気まぐれでデリケートなところがあるので、時々、調整してみよう。

長く使うものだから、腰に負担がかかるようなら、38インチまで伸ばせるのも便利。

フェースの角度を変えるのってどうよー、って意見は必ずあると思うのですが、
スクエアが、誰しもの骨格や体格にベストフィットの構えだとも思えない。
左利きの人間が、道具の都合や、多数派の都合に合わせて、右利きに変えるのと同じことを言ってるだけではないのかとも思える。

( ↓ ) 早めの夏休み、単独ホームコース・ラウンド、ハーフ44でさくっと廻ってきました。

酷暑を避けて、午後4時近くからの薄暮ハーフに変更、正解。
暑いとはいえ、夕方になると、河川敷には風が吹き始めて次第に涼しくなってきます。
むしろ午前8時位のぎらぎら太陽に向かう時間帯の方が熱いのではないか、と思えるくらいです。
パターのフェースをクローズ目にセットするアイデアは、この時、右にプッシュアウトするパッティングが多かったから。
閉じてセッティングしてみたら、ホールに向けて伸びやかに球が転がり始めたのです。不思議。

( ↓ ) 昨日のラウンド、
新たなスコッツデール伝説が一気に開花する、ということはなく。。
アウトスタート、ラストパットが決まらない中、ボギーで耐え続けた7番で10を叩き、切れ気味に。
8番ダボ、9番ロングでパーを奪取するも、10、11番は連続トリと、大崩壊。

しかし、川を渡って仕切り直しの12番-18番は、4つのパー、3ボギー/1ダボで3つスコアを戻し、
10オーバーを7オーバー(オールボギーの90+7)で踏みとどまった。

17番で、ようやく3mをキメれたのがうれしかったなあ。

スコアをキープする気持ちがなくなった時に、こうして戻せるチカラ、
コントロールカード提出でハンデに影響してくるので、ショットのチカラも大切だが、切れずに忍ぶチカラも大切になってきます。

以前なら110くらいは叩いている展開だったが、リセットして戻せた。

スコッツデールって響きのいい地名、ハイランドフォールスみたいだ。

夏、錦ヶ原にて。

 Billy Joel - Summer, Highland Falls Lyrics [On Screen]

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紫めぐりの夏

2014年08月05日 | 旅と帰省とお出かけと

この夏は、デュフィが見つけた紫のイメージを探そうと思った。(我が人生はうるわし ~ デュフィの青

 

イメージはあった。 Tittenhurst、ビートルズが最後のフォトセッションを行った場所。(イマジンのビデオが撮られた白亜の豪邸もここにある)


デコなら、あの紫の穂がなびくヤナギランが見れるはずだ。(高原日和(びより)~デコ平湿原

標高が1300mを超えるデコ平湿原から見る磐梯山には、爽やかばかりでもないうごめくような生の躍動感がある。(夏が来れば ~ 裏磐梯の遠い空

ヤナギランと共に、楽しみにしていた風景なのです。

しかし、山の道は変わるものだ。木道のコースが前に来た時と違う。流れていた小川も枯れている。
どんな巨大熊がいるのだろうか、という、熊注意の立て看と囲い。 (森の熊さん

(写真下) ″ 生の躍動感 " というよりは、ビューポイントを失い、色をも失ったように見える。

 

最盛期には一週間ほど早いらしく、前に来た時は、ひらひら空を舞っていたアサギマダラの姿も見かけません。
道を行く熱心なカメラマンに声をかけて聞いてみると、ああ、あの浅葱(あさぎ)色だ。

ヤナギランの群生地も場所を変えておりました。

磐梯山の方へ、人の手の入った道を下っていくと、探していた紫に。

 

The Beatles' final photo session (FULL FILM)

昨日記事にした、心眼による色彩感のほうがデュフィの紫に近いのかもしれない。

小野川湖の朝日にも出会えました。
燃えるような紫の見える湖は別のポイントか、桧原湖か猪苗代湖なのかなという気もします。

日が昇るにつれて、立ち込めてくる幻想的な霧を捉えることができるのか、
もうもうと立ち込める湖面をフォーカスしてみた。


 

 

~ 番外編 ~

グランデコからみた夕日と蕎麦の花

 

海の水を掬ってみても、空に近づいてみても、青は決してつかむことができない。

高い場所に来ても、やはり高い空。

地上の赤、天空の青。

 

 

~ 夜はここに寝転がって星空をしばらく見ていたが、私も奥さんも、見えた流れ星は一個だけ。
   ホタルのヒカリは飛んでたけど、まーくん、ざんねん。
   ひとつひとつの規模はそれほどでなくとも、ピークを迎える水瓶座の流星群とか、いくつかが重なって流れ星シーズン到来のはずなのですが。

( ↓ ) プラネタリウムではいいのを観た。Kagaya studio制作の銀河鉄道の夜から。

 

昨夏は夏休みどころではなかったので、二年ぶりの会津・裏磐梯となってしまい、お伺いするのが今ごろになってしまいました。かたじけなく。 受験生を続行中のたーくんはお留守番。来年は皆で来て、立石寺あたりまで足をのばしたいものです。
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恩寵の時空、色彩の記憶

2014年08月03日 | 旅と帰省とお出かけと

かつてこんな木陰を見たことがない。恩寵のような夏の風景に出会う。

ほんとうの朝陽そのものに出会ったと思った。
木を見ているというよりも、神を見ていたような気がするほどだ。

僕はこれだけ生きてきて、おそらく何万回と夕陽を見ているはずです。
ところが小説で夕陽を書くとき、
そのうちの三回か四回、本当に夕陽そのものに出会ったと思った、その魂の経験としての夕陽しか書いていない。
女性を書くときもそうでしょう。
そういう体験は自分で探してもできるものではない「恩寵」のようなものであって、読む者の心を深く打つのは、そういう経験なんです。
書く前に考えていなかったことが、書いている途中で一種の霊的体験(インスピレーション)として出てきたらそれはいいものになるのであって、「この小説で何を書いたのか」って質問は無意味ですよ。
書く前に思っていたことしか書いていないものなんて読む必要もない。
エリアーデは「妖精たちの夜」を書き終わったあとに、その小説に含まれている意味を理解して愕然とした、というようなことを書いています。
(「新しいところから古くなっていく」。)

裏磐梯に来ると、ただ一本の木を見たいがために、時間をみつけてはわざわざ立ち寄る場所があります。

普通の観光旅行的な感覚だとありえないようにも思えますが、曽原湖そばにあるこのクルミの木に、会いたくなったりする。
喩えが適当ではないかもしれませんが、お墓参りにも似ている。
何か特別なことがあるわけでもない、ただのクルミの木なのですが、
朝には朝の、昼には昼の立ち姿をしていて、その素朴な様子を見るとなぜだか落ち着きます。

しかし、この日の朝は様子が違っていて、妖精たちが群れたように賑々しくも、神々しい光景に遭遇することになりました。

見る前に思い描いていたのとは違う「恩寵」の時空、
朝なのか白昼夢なのか、今なのか昔なのか、この光景に紛れてしまうと時制すら定かではなくなってくる。

ここは冥界と地続きの場所なのではないかと思える風景、異界のような地平は、時空がねじを巻いているかのようだ。

色を失いながらも極彩色に輝いているとでも言えばいいのか。

宙の周波数に含まれた紅や青が、グラデーションを為しながら光の中に顕れる。
(ソルフェジオ周波数とは)

目眩がするような宙。ねじれた時空の歪みの陰から、パワーが漏れ出しているかのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 Ombra mai fu、 

「オンブラ(Ombra)」とは、イタリア語で「影」、
「マイ・フ」の「マイ」は英語で「never」。「フ」は三人称単数の過去形。合わせて「今までになかった」の意味に。

オンブラ マイ フ、 今までになかった影、光の緑陰。

 ~ 詩人とは必ずしも詩を書く人とは限らない。別に何をやっていてもかまわない。詩を書かなくてもよい。(「詩人」という生き方

 ~ 小説というのは、人類の発明した最も新しい、とても柔軟で豊かで便利な思考の方法だと思います。 いろんなことを重層的に書ける。
実はわれわれは小説というすごいものにまだ慣れていなくて、使いこなせていないんです。 (「新しいところから古くなっていく」。)

朝露の光たちが灰白色の蕾にぽっと紅色を灯した。取り戻された「色の記憶」

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