10cc - Welcome To Paradise
↓パラダイス繋がりをもう二つ。
(夏が来れば ~ 裏磐梯の遠い空~Return to Paradise)
Hello Little Girl - The Fourmost
【これで分かる!!ハンドパンの演奏方法!! ~超初心者向け~】
↓ 筑波山の方向(晴れてれば見える)。
↓私のホームコースでの開催が予定されていた芝刈コンペが中止...。
↓人生の小休止なのかもな。
↓最後の来客は暗くなってから、お見送りです。また来てな。
これも来週火曜くらいと予測しています。今のところ(10回照射)その予兆はないです。)
( ↓ )4:00頃、脳のBBBと呼ばれる抗がん剤を届きにくくする例外としてタルセバが登場する。
脳転移の症状緩和の放射線治療
↓これ本当にカバーなのか。。
雨模様の外を眺めながら聴いていると、嗚咽するような感情が湧きあがってきます。
世情 ‐ 中島みゆき Cover XXkurage
↓ LINEで旧い記事を読んでくれている輩がいてくれたのです。(嬉しい!)
〜なかなかそんな風に言ってくれる輩はいませんから。
前後の記事を読み返してみると、6年6ヶ月前にがんの検査を繰り返していた頃のことでした。
↓放射線治療が行われるリニアック室の様子がよく分かります。(駒込なら家から近いぢゃないか)
私は全脳照射(2グレイ×25回)なので、頭にマスクを装着する。
密着!放射線治療 自分らしく生きるために
↓ 10/24木曜,そろそろ脱毛の可能性が出て来たので。(9回目/全25回)
↓病院食では物足りないので、1階ローソンにて買い足し。
↓遼くんがタイガーの来日している米PGAツアーの前哨戦プロアマで、
↓全脳照射のその後に備えて。
備えあっても憂いありあり、だが、
不安を客体化しておくと良いと思う。
↓希望限定色、おにぎり。
明日からは麺(蕎麦)やピラフも。看護師Mさんのファインプレーです!感謝!
復職届に添える診断書(「治療経過」と「復職時の配慮事項」の記載が必要です)を書いて頂く為に、MRIも主治医にお願いして仮予約しました。
(まだ副作用の脱毛も始まってないくせに。)
↓タイガーすごい!
日米共催PGAツアーのZOZOチャンピオンシップ(@(千葉にある)アコーディアゴルフ習志野CC)で
初日池ポチャスタートも、
二つの3連続バーディーで首位で初日終える。
↓ここセンターで富士山を見るのは初めてかもしれません。(前回入院時は西棟でしたから。)縁起がいい。フィラデルフィアの朝のロッキーみたいです。
昨日つまが持って来てくれた梨を冷やしててあるのを思い出してパクパク。
同じ日にゴルフサークル芝刈会コンペも私のホームコースにて開催されます❗️
↓即位礼の朝は季節外れの雨模様。
先週の台風19号といい、まさに「天気の子」そのもの。
↓台風19号の被害を慮って、当初予定されていた祝賀パレードは11/10に延期された。
↓つまとセンターそばのイタリアンレストラン ビバーチェにて。色々な話をした。
上)チーズをふんだんに使ったピザ
下)ポリチー二のリゾット
↓即位の礼を明日に控えた前日の朝。
ドアを開けると、つい立てが見えた。
指ヨガと共に効果的なトレーニングになるのではないか。
15歳でピアノを始めたという開始年齢の遅さ、
(私の場合は46歳の時にがん宣告を受けてから、と比較にならないくらい遅いが…)
6:00頃になってご本人が解説される右手3・4、左手3・4・5の指が動かないというハンディを
創意工夫で乗り越えられた。
いらいらしてはいけない。
ベートーヴェンだってそうだったぢゃないか。
↓昨日来、開き直ったら苦痛に感じなくなった。
↓この日も昨日に続いて病院周辺をウォーキング。
時間は伸び縮みさせていくことが可能。
↓10/16昼間は担当看護師のMさんは新入り看護師(学生?)のマンツーマン指導員だった。
タンスやTV台の上にある物は片して下さい〜と正論を述べておられたので、言うこときいてみました。
↓10/17木曜は夕食前から何となくムカムカするので、
吐き気止めを看護師の方(初めての男子看護師!)にもらって、 病院食はほどほどに。
↓翌10/18金曜の朝は病院内のコンビニでフルーツサンドを。写真下は放射線治療が終わった後のコーヒーブレイク。
↓右手リハビリ開始です。
↓家のそばにあるというシルバーホクソンっていう快適介護の店で売られているお箸がとても握りやすかったです。
さあ、三連休が明けて、放射線治療再開だ。
この日は朝病院オープンとほぼ同時に呼ばれた。
↓昼の13時からは4階講堂でコンサート。
(あ、ピアノの先生に11月もレッスン受けられそうにない、って申告していないぢゃないか!)
もみじ、荒城の月にはじまって、アメイジング グレイスまで見事な演奏と歌でありました。
↓ジストニアを患っても、ピアニストを諦めない。
ピアノを始めたのは15歳と遅かった。
大阪音楽大学短期大学部ピアノ科卒業後、1999年YAMAHA音楽フェスティバルでの演奏が
ジョアン・ガスパールやコスモ・ブオーノの目にとまり、同年ニューヨークへと渡った。
しかし2004年のリサイタル中に指に不調をきたし、診断の結果ジストニアと診断された。
一時は両腕が使えなくなったものの、
その後の懸命なリハビリとカウンセリングの結果、現在は7本の指が動くまでに回復した。
昨晩の宿直看護師は私を担当しているMさんだった。
朝が来て、代わりの担当がIさんだった。メアリーマッカートニーに似ている。
彼の車はVWだったので、それらしい車を探してみたが、お墓のある佐野厄除け大師に向かってから、見舞いに来るとのことでした。
「エセルとアーネスト ふたりの物語」メーキング動画