ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

タケカワ ユキヒデさん♪

2019年09月01日 | 日記

あれは一年前のことだった。
タケカワユキヒデLIVE!(ハタチのお祝い)

一年を経て、先週のエルトン ジョンに続き、
エルトン ジョン ~ 映画「ロケットマン」
越谷レイクタウンにタケカワ ユキヒデさんがやって来る、というので観に行って来ました。

まーくんは眼鏡市場で21歳になってメガネを初めて作りました。(私が眼鏡を初めて作ったのは、結婚後30歳になってからのことでした。)

( ↓ )サイン会ではタケカワさんに
”ピアノ始めたのはビートルズのレディ マドンナがきっかけだった、っていつかの記事で読みましたよ”
って話してみたら、
”両手で弾いた初めての曲なんです。”って仰ってました。
この日もthe Long and winding roadとLet it beを弾き歌いされてました。
撮影禁止だったので、そんな彼に憧れながらピアノ弾き歌いを始めた私のやつを

 

Lady Madonna(Piano & Vocal Cover 20170617)

The Long and winding road / ピアノ弾き歌いへの道

始めは人もまばらでしたが、
演奏が始まるとエスカレーターの3階部分まで人がいっぱいになりました。
(やはり、音楽で人を惹きつけるタケカワ ユキヒデさん、すばらしい。
24時間テレビの週末だからなのか、ビューティフル ネームを含む濃いセトリのライブでした。)

ビューティフルネーム

 ( ↓ )これ程秀逸なTheLong and winding roadのカバーを私は知らない。

[ピアノ弾きおじさんへの道] 2015/年の瀬の音楽漬け

美しさは君のハートのなかに育てるものだ ~ ゴダイゴ ♪

 

世界はいろいろな想いを経験してきているのだ。
目に見えなくとも音に残っている。
王貞治 「努力とは」

 

色彩の話/鳶色の雲~ゴダイゴ

Mary Macgregor - Sayonara

Yes, I Thank You

はい、私は、ありがとう。

見るもの聴くもの ~ サイツ&サウンズ♪

 秋~イメージ

 非公開⇒Thank You, Baby

時の落し子 再び

非公開⇒澄んだ冬空に似合う歌

 

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エルトン ジョン ~ 映画「ロケットマン」

2019年08月24日 | 日記

ボヘミアン・ラプソディーに続いてエルトン ジョンの映画がやって来た❗️

8月初旬に無理を押して参加したピアノ発表会で弾き歌いに取り組んだのは
奇しくもエルトンのユア・ソング。

ピアノ弾きおじさんへの道] 第4回大人のピアノ発表会で間違えながらもユア・ソングを完奏するの巻。

私は今、癌との闘いの最中、
2013年4月にステージⅣの肺腺癌との確定診断を受けてから6年目になります。
癌になってから取り組み始めたピアノ弾き歌いも、
4回目の発表会の前になって、右腕に気持ちを込めるのに難儀するようになり、
思ったように愉しめない日々。

そんな折、あのスーパースターのエルトンでさえ、
絶頂の最中にあっても苦しみに満ち満ちていたという実話に接し、
勇気を与えてくれた。
幸せとは何なのか、それはきっと、どんな心持ちでいられるかということであって、
成功とかそのようなモノサシとは別の物だ。

  

Elton John - Rocket Man (Remastered 2017 / Lyric Video)

 Elton John: Voice Changes

*******************( ↓ )過去記事からあちこちに散らばっていたエルトンの曲を使っているものを集めてみた。**********

エルトン・ジョン/ The One/believe

 (腹上死のテーマ ~ burning buildings

 (行く夏を惜しむ歌~Sweet PaitedLady)

   (自分の苦しみは口にしないあいつ~One more arrow)

   (夏が来れば ~ 裏磐梯の遠い空~Return to Paradise)

 (Elton John I Need You To Turn To 1970

 (なんで、人がこれをブルースっていうのか分かったブルースはお好き?

 (ピアノの吟遊詩人~エルトン・ジョン

 (ハードボイルド風のバラッド

 

 (セニョリータ、もっとギターを♪

黒のカーペット~Daniel)

 

 (ある意味、人間は音楽だ。~ the One
⇒ この頃からだろうか、エルトンが(髪の毛含めて)若々しくなったのは。)

超弦理論 ~ モナリザはいつも微笑しているわけではない

ルーベンスとフランダースの犬 Just Like Belgium

深淵なるスパニッシュ・ギター~ A Word in Spanish)

(↓)エルトンの数あるアルバムの中でもポップだと思うのは「JUMP UP」。

 

 **********( ここまで)過去記事から************************************************

( ↓ ) 右腕が上手く使えなくなってきた私、車を運転するのが怖々になってきました。
MRIでは異常所見が見られないのだが、CEA(腫瘍マーカー)値は閾値を超えて上昇を続けている。

cancer sleeps,Curled up in my father  ~ 癌が眠っているんだ、父の中で
and that means something to me 

BELIEVE ~ Elton John (lyrics)

 ( ↓ ) 弾き語ってみようかなと思わせる堂々たる弾き姿です。

Elton John - Believe - Live at the Greek Theatre (1994)

 ( ↓ ) 映画でもラスト近くで効果的に使われていました。
この曲でエルトン ジョンにハマった私は、以降暫くの間エルトンを聴き続けたのでした。

Elton John - I'm Still Standing (Remastered 2016 / Lyric Video)

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クリムトと阿闍梨

2019年05月26日 | 日記

 阿闍梨がやって来た。(否!これはクリムト!)

ウィーン分離派」というムーブメントが新鮮だった。

ほかのムーブメントと異なり、ウィーン分離派に参加したメンバーの作風を統一スタイルが存在していない。

保守主義や伝統芸術に反対する芸術家たちの集まりといってよいだろう。

分離派ビルの入口には「あらゆる時代におけるあらゆる芸術。あらゆる芸術は自由である」というプレートがかけられていた。

彼らは歴史的な影響を受けていない新しいスタイルの芸術創造を希望していた。

あのエゴン・シーレもそのムーブメントの中にいた。

クリムトとベートーベン、一見すると共通項がなさそうだ。

伝統芸術に反対なのに、なぜベートーベンなのだろう?

ベートーベンの新しい解釈なのでしょか。

しかし、クリムトの没後100年を記念して開催されている「クリムト展 ウィーンと日本1900」には、
ウィーンの分離派会館での展示を再現したという全長34mにも及ぶ壁画《ベートーヴェン・フリーズ》の精巧な複製の展示があった。

グスタフ・クリムト作 「ベートーベン・フリーズ」

 

( ↓ )  前夜は大阪から来た阿闍梨と、9月に倒れて救急車で搬送された立ち飲み屋 串吟の神田駅傍にある3号店へ。]

~せっかくアキバに来たのだからと、昔 秋葉原神社というフィギュアを祀る神社があったという
(まるで岩槻みたいだ⇒王貞治 「努力とは」
 巫女風のメイドがもてなしてくれる店に行った。
 (神田明神の足元。)

帰り途を照らす月が奇妙な程に赤かった。

(写真に撮るとよく分かりませんが、
まるで再発売されたポールのエジプト・ステーション・エクスプローラ・エディションのジャケットのように。
⇒これに入っているsixty second streetが面白い。

Sixty Second Street (Paul Mccartney - Egypt Station Bonus) )

 

 

代表作「接吻」はなかったのですが、
黄金時代の代表作のひとつ「ユディトI」がありました。

  

  

クリムトの」作品を観てると、
金粉を用いた技工のみならず、唐草模様的なデザインや空白の入れ方に至るまで、琳派やジャポニズムの影響を受けているのがよく分かる。

 

1900a フロイトの精神分析学とグスタフ・クリムトの表現芸術 from RMC on Vimeo.

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成人式のプレゼントはお揃いで

2019年02月02日 | 日記

まー君の成人の日のプレゼントは長男たー君とお揃いで「タマ屋(太真屋)」の印鑑を。

成人の日のプレゼント

タケカワユキヒデLIVE!(ハタチのお祝い)

たー坊まー坊と呼んだりするのだが、
ヤン坊マー坊天気予報みたいです。開運道具で幸福予報になりますように。

 『ヤン坊マー坊天気予報』がついに終了! 55年間おつかれ

 ( ↓ )  生体認証などの本人確認手段の多様化や、RPAの進展で

いつ無くなるともしれないハンコですが、男子の成人祝いには相応しいように思うのです。

自分で高いお金を出してまで買おうとは、そうそう思わないものこそ、プレゼントには相応しい。

甲骨文字もしかり、字は太古の昔から祈りを込める対象だった。

        「透明にすることによって隠蔽されたもの、そして賦活させるもの

出来上がり後配達予定でしたが、マー坊に鑑定結果を話してみたら
直接聞いてみたいというので、受取り再訪することに。

【日刊姓名判断】開運鑑定士 山田健次 のライブ ストリーム
  より

 まーくんはタレントを持ったチャレンジャーだった。
 優しいが故に頼まれると期待に応えようとするが、
 出来てしまうから受けていると、いつの間にかそれが当たり前になってしまって、
 感謝もされなくなる。
 後ろ盾となる資格などを得て、タレントを活かせるニッチな分野を探せば、
 その道の成功者になる。

 

( ↓ )そなのよ、印鑑社会の日本ですが、世の中は変わっていくので、
   RPAの進展と合わせてハンコは段々不要になっていくのでしょう。
   でも姓名運を強化するお護りのような プレゼントにはなると思うのです。

 

 

( ↓ )”君は護りの天使”という邦題がついていた。

Elton John - I Need You To Turn To(1970) Live on BBC TV - HQ

 

 

日産社長 西川廣人さんの運勢は?|開運鑑定士 山田健次【日刊姓名判断】#1

 

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ルーベンスとフランダースの犬

2019年01月19日 | 日記

 朝から通院だった日の帰り、
上野の西洋美術館にまもなく開期終了となるルーベンス展を観に行ってきました。
(17:30閉館なので、16:04上尾発16:40上野駅着で滑り込みセーフです。
 そして、その後はいつもの焼き鳥屋へ。
ネロが倒れたのはベルギーはアントワープのノートルダム大聖堂(聖母大聖堂)の祭壇画の前でしたが、
私が九月に倒れたのはこの焼き鳥屋でした。(LIPAとリバプール大聖堂と夏の終わり))

(写真左)
《聖アンデレの殉教》
国内過去最大規模となるルーベンスの展覧会「ルーベンス展―バロックの誕生」の目玉作品のひとつ(初来日作品)。

(写真右)
平成最期となる今年の日々、2日前の同じような時間帯に天皇皇后両陛下もご覧になられたよう。

( ↓ )こちらのサイトがかなり詳しい。

「美術手帖」

「ルーベンス展」みどころ紹介


 

の大きさゆえ実物を国立西洋美術館に持ってくることができなかったという
アントワープ聖母大聖堂のルーベンスの祭壇画3点
《キリスト昇架》《キリスト降架》《聖母被昇天》は
入場後の展示室前ロビー4Kカメラで撮影したという映像が上映されていた。


( ↓ )ネロとパトラッシュが最期に見た《キリスト昇架》《キリスト降架》(のポストカード)。

(「ヘンリー王子結婚の日に寄せて ~ウェストミンスター寺院」でもフランダースの犬のことを採り上げていました。
バンケティング・ハウスには行けませんでしたが...。)

フランダースの犬【最終回】後悔するハンスとコゼツの旦那

『 フランダースの犬』のネロが命尽きた教会と亡くなる前に見た絵


大英博物館の展示もそうでしたが、
エジプトステーション的大英博物館 ~ ミイラの祝福 )

今回もおよそ400年前の作品だというのに、なぜにこんなにも色彩が鮮やかで“濃い”のか。
(“濃い”ってのは周りで観ていた人たちが洩らしていた感想でもあります、同感。)

ルーベンスの描く裸体は「ミルクと血でできている」と言われ、
バロックを代表する劇的な誇張表現で豊穣な肉体を描いた。
バロックかゴシックか(I Don't Know))

法悦のマグダラのマリアもそうですが、この《ローマの慈愛(キモンとペロ)》が驚きだった。
”現実の女体の裸体は許されないが、神話に登場する女性の裸体ならオーケーというのが、何世紀にもわたるヨーロッパ美術界の暗黙の約束事であった”とか、
”老父を訪れて授乳し,その孝行によって父の命を救った娘(pero)の物語である”とかいうが、
慈愛なのか倒錯なのか。

( ↓ ) 叩きつけるようなピアノとスパニッシュ・ギターとの絡みがベルギー風なのだろか。

Our code of living, meant little to others,
(ぼくらの生き方のコードは、他の人たちにとってはあんまり意味がないみたいだけどね。)

Elton John - Just Like Belgium (1981) With Lyrics!

 

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タケカワユキヒデLIVE!(ハタチのお祝い)

2018年09月17日 | 日記

タケカワユキヒデさんの出身地である浦和の小さな会場でのLIVEに行って来ました。

”鳶色の雲はつづれ織りに 君を不思議な小径へと誘う”

カトマンズ(この日のLIVEでも歌われた。)に出てくるフレーズ。
このようなフレーズを生み出す感性を育んだ土地に住まう喜び。

(武蔵野線の走る武蔵浦和や東浦和、東川口辺りも広い意味では武蔵野なのかと思ったが、
「武蔵野」を書いた国木田独歩の記述によると、
”武蔵野の範囲は現在の東京23区西部と立川以東の市部、
埼玉県川越市以南の中南部、神奈川県川崎市北部のごく一部ということが推測される。”とある。

やはり武蔵野台地のある荒川の西側辺りまでのようです。

うちからクルマで30分、浦和駅あたりはまだ荒川の東側ですから、武蔵野とは言わないのかもしれません。
(少なくとも「武蔵野台地」ではなさそうです。)

( ↓ ) LIVE会場の浦和フォーラムがある柏屋楽器のビル。

(写真右:この日はまー君の20歳のバースデーのお祝い。
 あんまり興味はないみたいだけど、この土地が生んだバイブレーションのようなものを伝えたくなった。
 今の身体実感をベースに、それにピッタリくるものだけでなくて、
 スペースに押し込んでおくことで、いつか受肉することが起きることだってある。(アデルの倍音
 「成人の日のプレゼント」はまた冬になった頃に。)

 

Open時刻の前に到着。ほんとにこじんまりしてて、間近でLIVEを体験できそう。

( ↓ ) こんな風なピアノの弾き語りを期待していましたが。。

 タケカワユキヒデ CMソンググラフィティメドレー

 

LIVE名称が「カヴァーズPart22 & CMソンググラフィティ2」となっていて、その通りの内容。

( ↓ ) Twitterで事前に公開されてたセットリスト。

正直、カバーなんか歌うのではなく、ゴダイゴの曲をもっと演ってほしかったのですが、
オリジナル(CMソンググラフィティ2)のほうは、
同じタイトルのアルバムと曲順までぴったり一緒でした。
看板に偽りなし、ファンに対する誠実さの証しのような気がするほどにそのままです。

 

LIVEの雰囲気を伝えたくとも、会場内は撮影禁止ですので、会場に着いた頃のスタッフによるツイートから。
本番ではグリーンのジャケット姿に変わり、キツ目にオーダーするという衣装トークまで舌好調。
話好きで自然体な感じのタケカワさんは前半カバー曲の合間はずっと喋りっ放し。
”ギターでこの曲のフレーズをちゃんと弾けたことないんだよなあ、今日はちゃんと出来んのかなぁ”
って感じで若干おじさん落語会的な雰囲気の前半。

会場の物販コーナーで、タケカワユキヒデの素顔に迫るマネージャーをやってた方の本を購入。

ピアノ弾き語りなし、練習中というギターを抱えてのLIVEは、
カバー曲のせいだったりするのかもしれません。

ピアノ演奏を任せられた若いお兄さんが、
ドラムなし、タケカワさんのギターと2人編成のサウンドをコーラスを含めて支えておりました。
(名前を忘れてしまいましたが、”君たちはどう生きるか”の主人公( ↓ )にそっくり!
というのが、まーくんとつまの一致した意見。)

後半のCMソンググラフィティ2は素晴らしかった

前半と違って曲間のお喋りも殆ど無く、純粋にその秀でた音楽性に惚れ惚れしてしまった。

他のジャパニーズ・ポップスとは違う独特のバイブレーション、雰囲気がある。

 

美しさは君のハートのなかに育てるものだ ~ ゴダイゴ ♪」で採り上げたタケカワ ユキヒデさんのデモ音源集、
今回のLIVEのEncoreでは、この中から「ユニコ」(vol 9に収録されている)が歌われた。
手塚治さんの連載マンガ「ユニコ」の20分程の短編アニメが試作された際に作られながら、
未発表のままになっている作品だ。

ゴダイゴはほんとうに好きでこんなのも持ってる。

今回、ゴダイゴの有名曲があまり演奏されなかった中で、
光っていたマジック・カプセル。

私はピアノ下手なただのおじさんだが、こんな風に音楽を愉しめたらいいなぁ、と思える映像です。
ピアノに向かって曲作りしているシーンとかとてもいい。

MAGIC CAPSULEができるまで

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皆既月食の赤い月の見え方が違う件

2018年02月04日 | 日記

一月の終わり、
夜中を跨いで二月になる頃には再び満月に戻っていく
君の姿を見つめつづけた夜。

 (NASAでは、今回の皆既月食の月をスーパー・ブルー・ブラッド・ムーンと呼ぶらしい。
一カ月のうちに二度目の満月となるブルームーンと、地球と月が最接近するスーパームーン、
そして皆既月食による赤銅色のブラッドムーンが同時に。)

( ↓ )月の公転面が地球と重なった時に月食は起きる。

 

( ↓ )月の満ち欠け(塑望月)の周期が変動するのは、新月になるまでに一周360度回転では足りず、
     月の公転による移動分だけ余計に回転しなくていけないから。

今年の一月は神満月と呼ばれたりもしたが、月の満ち欠けの周期は29.5日~29.8日なので
今年の二月は満月の無い月になる。

( ↓ )ケプラーの法則について分かりやすく紹介されていた。⇒ 暦Wiki

月の公転による移動速度は、緑の部分の面積が同じになる為、近日点では速く、遠日点では遅くなる。


昨年晩秋に買ったNikonのデジカメ、CoolPixが活躍してくれた。

「2012年5月21日 金環日食の空」の時と同じく、家のベランダから撮影できました。

今年の正月、1月2日のスーパームーンに続く、ブルームーン(一カ月のうちに二度目の満月)。

次第に欠けていきます。

やがて空に浮かんでいたのは、「ブルームーン」だというのに皆既月食と化した赤い月、「ブラッドムーン」。


大気中のちりの反射具合によるものなのか、私より眼のいい家内や次男は色味の微妙な変化まで見てとったようです。
光を浴びたいつもの月は平面ぽく見えるが、この時の月は明らかに立体的で球体に見える。

うぐいすボールみたいだ。

2018年1月31日のスーパー・ブルー・ブラッド・ムーン
 

君にいつまでも見とれたい。

プライマル/オリジナル・ラブ

愛は生命より前にあるから…。

月はまだ生命もなかった頃から、地球上に潮の満ち干を引き起こし、
海辺では水位がリズミカルに高くなったり、低くなったりしていた。
そして、海の浅瀬で生じた新しい分子がすぐには壊れなくなり、やがて単純な生命が生まれた。
新しく生まれた生命は、月と共振する波の動きに適応して進化を遂げていった為に
私たち人類もまた、種の起源として「月時計」が遺伝子の中に組み込まれている。
だから、人間は生涯、驚くほど強く月の影響を受けながら生きていく。
私たちは宇宙の一部であり、月のリズムと共に生活するのが自然なことなのだと云う。

なんだか、シュレジンガーの話にも通ずるところがある。
(場を考える ~ 意識や生命の見える化に成功した。 )

私たちが月のリズムに同調してしまう仕組みについて、なるほどと思えるのはこちら。
⇨(内的リズムと外的リズムを同調させること~同期現象(引き込み)について)


 

オリジナル・ラブこと、田島貴男さんの本を読んでるのだが、
こんなことが書いてあった。

アメリカ人がリズムをどう感じながら歌っているのか、自分ではわかっているつもりでもまるでわかっていなかった。
シンコペーションとか、リズムを”タメる”歌い方、ちょっと遅らせて歌う感じというのは意識はしていたけど。
理論として解き明かそうと、そんなことばかり考えていたんだけど、
本当の意味でのノリとか、気持ちよくなるリズムはどういう歌い方をすれば出てくるのかとか、
まったくの独学だからすごく遠回りをしてしまった。
オリジナル・ラブ初期の歌を聴くと、どうしても日本的なオンタイムのリズムにとらわれてしまっている。
実際にプレイして、”これだな”って自分で実感できるものができるようになったのは、本当に最近のこと。
うまく言葉では説明できないんだけど。
ギターと歌が同じリズムではない。歌はちょっと後ろでとる。
あれ、やってみるとわかるけど、むっちゃ難しい。

月のリズムとの共振について書いてはみたけど、ことはそんなに簡単でもない。

私も今、トム ウェイツの If I Have to go の弾き歌いに取り組んでいるので、その辺の難しさはわかる。
わかっているレベルは違うと思うけど。

超能力は決して特殊な人だけの特殊な能力ではなく、
誰もが持つことができ、いつでも使うことができるようになれば、あたりまえの能力になる。

神経細胞の間に電気信号が流れていて、それが代謝物質を出したり、活性化させたりすることが分かってきた。
こういうエネルギーもそのうちに理屈が分かって来て、電機やコンピュータのようにちゃんと使えるようになると思うんです。

たしかに、不定形にブラウン運動をする空気の粒子が整然と形が整うかのように、
ぼやーっとした状態から小一時間くらい集中しようとがんばっていると、
横揺れや振動が無くなって、

ひとつの方向に集中できる状態になる、ということは経験的にあるでしょう?

コンピュータのCPUが人間の頭脳に該当する部分だとして、
クロック周波数が25メガヘルツより50メガヘルツの方が、情報処理能力が上がるように、
人間の頭脳についても同じことがあり得るのではないか。

神経細胞間の電気信号のクロック周波数を操作できるエネルギー技術が開発できれば、
自分でクロック周波数を操作して、頭脳の情報処理能力を上げたり下げたりできるかもしれない。

自然や人間、コンピュータといったものは、相似形のようなところがあると思う。 

そんな所を手掛かりにして、世界の見方を変えることは出来ないのか、そういう工夫はいつだってしていたい。

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ゴッホ巡り

2017年11月26日 | 日記

チャレンジングな試みだ。
油絵が動く映画ってのが、とてもユニーク。
そして、そこにはゴッホの絵こそが映えるように思った。

炎の画家と呼ばれるゴッホの絵には、そもそも動きを感じるから。

(今月オープンしたばかりの上野のシネコン、TOHOシネマズ 上野にて。)

Loving Vincent, behind the scenes

空間の中に在るオーラのようなものまでがデフォルメされて、いわゆる拡張現実(Augumented Reality)のようだ。

感覚が増強されているような感じがあるが、ゴッホのような画家が知覚していた世界はこれに近かったのかもしれない。

オルセー美術館展以来になるゴッホ作品の展示も観に行ってきました。

(オルセー美術館展2010deデート)

(「ゴッホの椅子」)

今回は3バージョンある「ゴッホの寝室」のうち、ゴーギャンとの共同生活を始める前の、
希望に充ちていた時期に描かれた、鮮やかな色彩の第1バージョンの展示でした。

映画を観た後だったので、有名な耳きり事件で苦しむゴッホの姿が重なります。


モネに代表される印象派の画家が日本に憧れていたというのは、よく言われることですが、
ゴッホも日本の浮世絵や、そこに描かれている素朴で美しい光景に憧れていた。

そして、日本によく似た光景のある場所がアルルなんだとか。

ジャポニズムって、印象派期の画家が抱いていた、
日本的で風変わりなものへの好奇心や軽い異国趣味、程度に思っていたのですが、
その惚れ込みぶりは結構本気だったようです。

ゴッホも憧れた日本の美しい風景が、近くにある幸せ。

毎年秋に訪れる近所のもみじ園だが、毎年遭遇する光景は一期一会なのです。

今年は、永らくスマホに頼りきりで放ったらかしだったデジカメの電池が液漏れを起こしていたので買い替え、
初めての撮影がこのもみじ園の風景となりました。

紅も美しいが、緑や黄色との鮮やかなコントラストやグラデーションが殊のほか見事です。

 

印象派が求めたような、豊かな光が、ここにもありそうだ。

   

  

スティングはどこかゴッホに似ている。まるでゴッホの黄色のような「フィールズ・オブ・ゴールド」を作ったし。)

眠ろうとした。祈ろうとした。でもだめだった。
人生のぞっとするような不可思議さが悩ましい。
私はどうやってここまで辿り着いたのか。
フランセスと出逢うまでの私の人生は、とりとめのない断片もいいところだった。
瑣末な選択と取るに足らない決断を集めただけのものだった。
にもかかわらず、そんな、私の人生のちょっとしたコンパス調整が、いつの間にか私を容易ならざる責任へと追い込んでしまっている。
今この瞬間から、過去の自分の軌跡を逆に辿ってみようか。
小さな変更がひとつ、わずかな進路の逸脱が一度でもあれば、回る車輪のセット全体が、
入り組んだ運命の歯車に巻き込まれてしまうのだろうか。
(スティング)


トム・ウェイツもゴッホに似ていると思う。

  

今、シューベルトの「楽に寄す」に取り組んでいるのだが、またまた私には難曲だ。
コードも和声もおんなじようなもんだと思っていたが、クラシックはちょっと違ってるみたいだ。

上の和音が八分音符なのに、ルート音だけ四分音符なので、
ルート音を弾く親指を一拍分残しながら、中指と小指で違う音を押さえたりする。


左右の手で同じ鍵盤の音を弾く箇所が出てくる(右手のト音記号のA音と、左手のヘ音記号のA音が同じ音階のAなのだ)。
右手は0.5拍 × 2回、鍵盤を叩くのだが、左手は1拍の間、鍵盤を押さえている。
同じ鍵盤上なのに、それは無理というものだ。

(左手は0.5拍を引きずるように0.6拍くらいのイメージで弾くらしい。)

一見簡単そうだが、私にとってはチャレンジングだ。
(しかも、私は弾き歌いをやってみたいと思っている。伴奏つき歌唱は見るが、弾き歌いは見たことがない。)

そんな風に難儀してるというのに、同時にトム・ウェイツをやってみたくなってきたのです。
「If I have to go」に取り組もうと思うのだが、これもコード弾きではない。
音数は少ないが、左右がばらばらで、リズムの取り方が違う。
おまけに歌メロも別だ。
(黒鍵が多いのだが、黒鍵を使うと、隣り合わせの音に半音が混じる白鍵よりも音を重ねた時の和音がクリアで濁らないらしい。)


難儀しそうだけど、完成しなくてもいいや、くらいの気持ちで難儀することを愉しもうと思います。

そういう停滞ならいいと思う。停滞というよりは、目に見えた成果は無くても進化の途上なのだし。

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シンボルツリーは龍脈のように

2017年11月19日 | 日記

2017年11月、武田巡りの旅から戻ってから、
ずいぶん高くなったシンボルツリーの芯止めを行ないました。

2001年の暮れ、こちらに引っ越したばかりの頃、母も来ていた年の瀬に植えて以来16年になります。

武田巡りの旅は、龍脈を辿る旅でもあり、
常磐木
(ときわぎ)である、ホプシー(ファットアルバータ)の姿は青々と逞しい竜のようでもあります。

 

16年前は小学校入学と幼稚園入園を春に控えた頃でしたが、

今年は二人共 大学生。

 

ホプシー色の『楽に寄す』。

さぁ、練習しよう。日本語詩で弾き歌いたいのです。

感謝する気持ちや幸福感のようなものの強化になると思う。

龍脈を押すように。

 

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Yes, I Thank You

2017年09月17日 | 日記

失敗だった。でも後悔はしていない。
そこを受け容れると楽になれるような気がします。

当時会社は違いましたが、20年程前 電子マネーやICカードの実証実験が始まった頃からの同い年が早期退職で会社を辞めていきました。
はっきりとした物言いをする、頭が良くて個性的な御仁。
机を並べて仕事をしていた時期もあって、仕事柄 時々廻り道せずに専門用語を臆面もなく使う論客でもあったので、
周りから後になって、もう少し分かるように「通訳」してくれ、と頼まれるようなことも何度か。
私が難儀なプロジェクトを担当していた時には、あなただから出来るんだって、何気ない励ましをくれたり。
どうして、あんな風な、得難くて筋のある人間がいなくなってしまうのか。
理解者を失っていくようで、素直に淋しいです。

内々の送別会も終えて、最終出勤日だという金曜日の晩は、気晴らしにレイトショーの映画を観に行くことに。

初めての新文芸坐。

この日の昼には大場久美子さんがトークショーに来ていたようです。

気にはなりながら、観たことのなかった、初めてのハウス。

音楽を担当しているのはゴダイゴ。
主題歌でもある「君は恋のチェリー」の日本的でないポップ感覚が、斬新な映像に似つかわしい。
ゴダイゴのメンバーもちょこっと出演していました。
(今の東京駅からは信じられないくらいに鄙びたチープなセットで撮られたようなシーン。)

House (Hausu) Trailer - Subtitled (Nobuhiko Obayashi, 1977)

「君は恋のチェリー」のB面曲だったので、考えてみればなるほど、なのですが、
エンディングでこの曲が流れてびっくり。

ブログ始めた頃に、YouTubeのアノテーション機能を使って歌詞もアップしたやつを再掲。
(スマホやタブレットではアノテーションは見れないと思います。)
うつ向いた気分を救ってくれるような、気持ちを軽やかに清々しくしてくれるような歌。
失敗し傷つこうが、美しさを称え、感謝することはやめない。

はい、私は、ありがとう。


なんだか上手く巡り合わせたかのような、プレゼントをもらったような夜になった。

Yes, I Thank You

( ↓ ) このチープなGIF画像、ハウスっぽい。

( ↓ ) 後楽園のTENQ(宇宙ミュージアム)で撮って、FBのプロフィールにもあげてみた。

”なんだかアイドル風やな”、 みたいなコメントをもらったのだが、図星です。

 (しかし、横たわっているのはポールでなくてリンダでした。)

この日は、茗荷谷に用事があったので、帰りは小石川後楽園の横を通って後楽園へと戻りました。

( ↓ ) パストラミ・ビーフのサンドイッチ、1600円。 (ただの燻煙した塩漬け肉だというのに。)

     近ごろよく口にするようになったのは、フルーツサンド。存外にサンドイッチに合う、元気になる甘さがいい。

 

筑波大の茗荷谷キャンパスでの開催だから申し込んでみた、とつまが言っていた” 肺がん患者の会”、

今回は患者家族の集まりでした。

家族向けのプログラムも結構あるのです。

がんは、患者本人ですら、日々の生活のなかでは省みられることはあまりありません。
しかし、この日のプログラムのなかで、患者の「家族」のほうは、辛くても患者と違って主治医すらいない、という話がありました。
お互いの状況を話していく場面で、つまが珍しく声をつまらせているのを見て、
表立ってこないが為にケアされることの無い、忘れられた気持ちが在ることに、せめて自覚的でなくてはいけないと思った。

患者会の難しいのは、状態が人それぞれだということ。
同じがんだといっても、病気の状態、年齢や性別、社会的・経済的な環境が各々に違う。
しかし、患者の立場でいると、自分の辛さが自分にとっては一番の辛さになりがちだ。
”がん患者であることに一生懸命にならない”(与謝野 馨)、
がんから逃げることもせず、程よい距離感で暮らしていくのに、このマギーズセンターみたいな場所はいいのかもしれない。
いつか行ってみよう。

 

” おまえ、患者のくせに、おなか出てきたんぢゃないのか。”

” あのアメリカ人が好きそうな塩漬けビーフのせいですよ。”

 

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「君の膵臓をたべたい」~ 喜びは絶望よりも深く心を流れる

2017年08月30日 | 日記

再検査を控えた八月終わりの日曜日、観に行った映画は、「関ヶ原」とかではなく「キミスイ」でした。

「君の膵臓(すいぞう)をたべたい」、

ぎょっとするような強烈且つ病的なタイトルは、なんだかネガティヴで、
おいおい縁起でもない、みたいな感じに聞こえるかもしれませんが、
見終えた後に、不思議なことに、どこか清々しさが残った。

それは、たぶん少し前に本で目にした「喜びは絶望よりも深く心を流れる」みたいなところがあるからだと思う。

 

( ↓ ) 作者である住野よるの名前が、薄いピンク色で小さなローマ字で記されている。

Yoru Sumino

ちょうど今練習している Your Song と一瞬だが勘違いした。
君に贈る僕の歌みたいなところが、どこか似ているせいだと思う。

エルトン・ジョン Your・Song (訳詩付き)

 違う選択もできたはずなのに、僕は紛れもない僕自身の意思で選び、ここにいる。僕らは選べる。

それを教えてくれたのは、紛れもない彼女だ。

もうすぐ死ぬはずなのに、誰よりも前を見て、
自分の人生を自分のものにしようとする彼女。
世界を愛し、人を愛し、自分を愛している彼女。

「僕」は、携帯電話を手に持つ。
君は本当に凄い人だ。ずっと思っていた。
僕は本当は君になりたかった。
言葉にすると僕の心にあまりにぴったりで、沁み込んでいくのが分かった。

”僕はどうかすれば君になれただろうか”
”僕はどうかすれば君になれるのだろうか”と、
記憶の片隅、いや、中央からかも、と、
考えては思い出しながら
彼女に贈る言葉を探して、打ち込むだけ打ち込むのだが、すぐに消してしまう。

そんな「僕」が、彼女に贈るのにこれ以上にぴったりな言葉はないと、
最後に彼女の携帯へ送信した渾身の言葉が ”君の膵臓を食べたい”。
(出会った頃に、膵臓に重い病を抱えた彼女が、カニバリズム的に、冗談めかして口にしていた言葉だ。)

「君の膵臓をたべたい」予告

私は小説をあまり読む方ではないのですが、
ストーリーを追わなくても、素晴らしい文章や下りを見つけると、それだけで凄いと思えたりする。
主人公の「僕」(志賀春樹)が、彼女(山内桜良)のことを思い出して号泣するシーンが、予告映像にもありますが、そこの下り。

僕らは同じ方向を見ていなかった。
反対側から対岸をずっと見ていたんだ。
ずっとお互いを見ていたんだ。
本当は知らないはずだったのに、気が付かないはずだったのに。
違う場所で、関係のない場所で、それぞれにいるはずだった。
なのに僕らは出会った。
彼女が溝を飛び越えてきてくれたから。

初めてだった、大声で泣くことも、人前で泣くことも。
そういうことはしたくなかったから。
人に悲しみを押しつけるようなことはしたくなかったから、今までしなかった。
でも今は押し寄せる数多の感情が、自己完結を許さなかった。

主人公2人の演技の素晴らしいのは勿論、
どこかやり場のない感情をかかえた男を演じた小栗旬さんに共感したりする。

(マンチェスター バイ ザ シー然り、エヴェレスト(神々の山嶺)然り。
 旧いところでは初期の頃のロッキーもそうだった。 
 ひと気のない動物園での淋しい冬のシーンに温もりを感じるようなところ。)

(「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を観る、脱力を極める。)

(神々の山嶺)

喪失感と折り合いをつけながら生きる人達を美しいと感じる。
そのような脆さや儚さと共にいられる心持ちに強靭さを感じる。 お手本とするものも、状態に合わせて時々変えていくほうが自然だ。

( ↓ ) 6月1日以来、7月初旬、そして2ヶ月間をおいて本日8/30にMRI検査。

夏休みもとらず、覚悟を持ちつつ臨んだのですが、
また2ヶ月後の10月下旬に再々検査と相成る。
小栗旬さんよろしく、栗の花が実をつけて旬を迎える頃。


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筑波山恋歌 (& あなたへの歌)

2017年08月19日 | 日記

まるで私向けにしつらえられた夏のようだ。

東京は8月に入ってから今日まで19日間連続で降雨を記録したらしい。

エルヴィスが亡くなった1977年の8月(22日連続で降水量を記録)以来、40年振りのことだという。

8月終わりに再検査を控えて、夏休みもとらずにいると、調子を合わせて併走してくれているかのような夏らしくない雨や曇天続き。

そんな夏の日の朝、 ちょこっと筑波山へ。

 

双耳峰の筑波嶺、左側が男体山、右側のわずかに標高の高いほうが女体山。

標高僅か877m、日本一低い百名山であるが、 山全体がご神体と言われるパワースポットでもある。
万葉集に詠まれた歌の数は25首を数え、その数は富士山をも凌ぎ別格扱いだという。

男神、女神を祀る峰が寄り添うように並ぶ。
Wikipediaにも
筑波山は古来より農閑期の行事として大規模な歌垣(かがい)が行われ、
近隣から多数の男女が集まって歌を交わし、舞い、踊り、性交を楽しむ習慣があった。”とある。
明治期になってキリスト教的道徳がサンプリングされていくまでの、古来の日本人や神道は性に開放的で、
そもそも神道には性のメタファーがたくさん出てくるといいます。

「酒をあがらぬ神はなし」という通り、「清らかな」快楽に充ちているのが神道の世界観。

そうして筑波山は情歌の代表的な枕詞となっている。

 It goes like this,,

筑波嶺の 峰より落つる男女川(みなのがわ) 恋ぞつもりて淵となりぬる

 

この日は筑波山神社からケーブルカーで男体山のある御幸ヶ原まで昇り、そこから女体山に向かいました。

ガマの口に石を入れるとご利益があると云われるガマ石。
「ガマの油売り口上」はここで思いついたそうだが、
元来「雄龍石」といい、傍らには「雌龍石」もあり、(こちらも雌雄が対になっている)
もともとはガマというより龍の姿だったよう。

筑波は、龍に象徴されるようなパワースポットなのだ。

霊験あらたかなパワースポットを、パワーをあらためて感じながらの振りかえり。

日本神話に登場する天上界である高天原(たかまがはら)。
女体山にも高天原と呼ばれ、天照大神を祀る巨大な岩があります。
神道の祝詞(のりと)に、
「樹根立草の垣葉をも語止めて(きねたちくさの かきはをも ことやめて)」と記されているが、
約2600年から3000年前に、神武天皇が、
幽顕一如であった幽界と顕界の間に扉を立て
人間は、木や草などの自然とコミュニケーションできなくなったらしい。
テレパシーや超常現象と言われるようなこと、動物と会話できる黒柳徹子さんのような人がかつては沢山いた。
しかし、突如として神は沈黙し、突然の神の不在によって、
人々はそれぞれが孤独な存在になり、争いが絶えなくなったという。

何故に幽界と顕界を二分して、物質世界を発展させたのか。
それとも、我々が知らないだけで幽界も顕界と同じくらいに歴史的な発展を遂げているのか。

二分された世界が、目指すべき歴史の終わり、終着点の世界なのか。
それとも、歴史的・時間的な分離ができない世界が別にあるのか。

女体神の頂きを前に、奇岩とかではない、もっと生身なパワースポットがありました。
見つけたというよりは精気のようなものを感じたのは、神道的コミュニケーションが成立したからなのでしょうか。
(山で時々見かけるが、これはマムシグサでしょうか。)

 

紫峰杉も、生きものめいた生身のパワースポット。艶めかしさぶりはもっとベテランだ。800歳だ。

杉の木に神を宿した姿だと言われるが、手足のように伸びる枝は滑らかで、苔までが艶っぽい。

足を踏み外したら、ほんとうに幽界に行きそうで、足がすくむ。
標高877mの低山だろ、とか関係ない。
877mも落ちれば、幽界への距離としては十分だ。

 

 (前日は山の日だった。真っ白で景色なんて全然見えない。)

筑波嶺の 峰より落つる、、とは凄い歌だと思う。

もう一首、いきましょう。

 筑波嶺のさ百合の花の夜床にも 愛しけ妹そ昼も愛しけ

幽界との結界に咲く白百合が妖気を放つ。

御幸ヶ原に戻ってくると、霧がさささっと明けて、関東平野が顕現していたのでした。

日光東照宮より旧いと云われる「見ざる・言わざる・聞かざる」。

 

パワースポット詣での記念に龍を象ったお土産を買ってカエル。

(ガマやカエルばかりアピールしないで、パワー溢れる龍とかのイメージのほうが筑波には似つかわしいと思う。
 筑波山と呼ぶのもいいが、雅称の紫峰もいい。人のことも尊敬を込めて雅兄と呼んだりする。子供たちの名前もそうだ。)   

去年の今頃はイマジンをやってました。
([ピアノ弾きおじさん] 未来をイメージとして予見せよ ~Imagine(take1))
発表会を終えて、くすぶっていましたが、私も恋歌を詠もうと思って練習中。

ユア・ソング Aメロ 練習中 20170819 wlmp

〈 追記 〉8月に入ってからの東京の連続降雨記録は21日でストップ、記録更新とはならなかったようです。


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スティングの多幸感

2017年06月09日 | 日記

ここでのスティングは、フランスの哲学者ラカンの言う「三界」、
すなわち、「現実界」・「想像界」・「象徴界」を行き来しているように見える。

まるで「多次元境界仮説」のような感じだ。
(人間は光のようなものではないか ~ ゴルフィー仮説(多次元境界仮説))

見倣うべきは、三界を行き来しながらにして、
絶えず、「多幸感」を感じているような落ち着き。

喜怒哀楽を激しく出したまま競技は続けられない。
非常に舞い上がりもしなければ、非常に落ち込みもしないというのは、頭のよい証拠である。
計算や判断に優れているのと同じように、情緒を安定させられるのも、知能の高さを示している。
                    (元気の秘密は超快復/田中誠一・矢澤一良/プレジデント社)

Sting - Fields Of Gold

映画マトリックスに出てくる仮想世界「マトリックス」が想像界だ。
想像界は偽物のイメージの世界であり、マトリックスの内部では、カンフーの達人だったり、飛んでくる弾丸を体を反らしてよけたりもできるようになる。
マトリックスを「現実界」だと思い込んでいたら、こうはいかない。
じゃあ、「象徴界」はどこかって?
主人公ネオの覚醒シーンを思い出してほしい。
一度死んで蘇った救世主ネオの目に映るのは、マトリックスそのものを生み出しているプログラムのコードそのもの。
ネオが見ているコード・システムこそが、象徴界に相当するわけ。
コードさえ読めれば、マトリックスの中でエージェントたちが仕掛けてくる戦闘など、悪戯に等しいものになる。

ただ、現実界・想像界・象徴界という区分は、一つの見方に過ぎない。
三界の区分は、常に位相的な区分でしかないんだから。
位相的っていう意味は、互いの位置関係が常に相対的に決まるっていうこと。
一種の座標軸みたいなイメージかな。
x ,y ,z の三つの軸があるとして、x 軸だけを取り出したい、と言われても、それは無理な話。
この三界の区分も、人間の「認識のモード」として存在するもので、
人間の認識における座標軸の一種と、さしあたりは考えてくれて構わないと思う。
だから、この三界は、それぞれに対応する何らかの実体的な空間や領域を、この世において占めているわけではないんだ。
『ちょっと今から「現実界」に行きたいんだけど、どうすればいい?』とか聞かれてもそれはムリってものだ。

 

人間は年齢と共に、三界の位相を変えていくのかもしれません。
現実界にこだわらなくても、象徴界が豊かになり、それが仮想界にも反映されていく。
年を重ねるというのは、きっとそういうことだ。
愉しみ方や価値を置く世界が、位相をずらすように変わっていく。
私たちの認識する世界は相対的なものであって、それぞれなのだ。
誰もが同じ絶対的世界の下に生きているのではない。

ラカンとスティングを混ぜ合わせて語るのもどうかと思うのですが、
年齢と共に、渋みを増し、哲学的なエスプリを身にまとっていくようなスティングに魅せられる。

GW前にポールのコンサートに行って間もないのですが、
Mr.ケーデーの発案で、スティングを観にまたまた武道館に行って参りました。

ジャズやクラシック、民族音楽に至るまで多彩なアプローチを経て、
新作「57th & 9th」を発表し12年ぶりに本来のロック表現に回帰したとも言われる今回のライブ。

冒頭で一曲演った後に、休憩を挟むまで40分以上も前座の演奏が続いたのですが、
(スティングの息子も歌でとギターで登場、声がそっくり。)
スティングが再登場しての本編は圧巻、音楽が豊かで、いろんなテイストで飽きさせない。
スティングももう65歳とのことですが、声も演奏もソリッドで洗練されている。


ステージがハネた後は、スティングの新作タイトルが黒板に書いてある土佐料理の店で。
白魚に似たどろめ、フライドポテトに似た芋けんぴ。(こんなのを酒のあてにするものなのだ。)

Mr.ケーデーが、実はスティングに激似であることに気づいた。

 

 

 ( ↓ ) セットリスト。(日本公演前のセトリでは外れていたMad About Youも入っていて、個人的には満足なチョイスです。)

動画撮影は禁止だったので、合い間合い間にスマホで撮影した写真を並べてみます。

オープニングの、Heading South,,  民謡のような美しい曲に惹き込まれる。

約40分の前座の後を受けての再登場は、「シンクロニシティⅡ」で幕開け。

音楽に混ぜ合わされるのは、タイトル(synchronicity、共時性) が示すような世界観。
スティングは音楽の持つ力の不思議にも言及している。

 

「イングリッシュ・マン・イン・ニューヨーク」では、
”Be yourself no matter what they say" のフレーズを一緒になって合唱し、
(エイリアンだったか)
「フィールズ・オブ・ゴールド」をスティングの声に寄り添うようにつぶやくように口ずさむ。
([2017年 GW] 赤城 ⇒ 上毛 (いつか もっと うっとりを。)
「シェイプ・オブ・マイ・ハート」では、
ドミニク・ミラーのギターの音色に耳を澄ます。
(shape of my heart ~ 秘密と水仙と)


ポリス時代の「ロクサーヌ」はもちろん、好きな「マジック」、
そして今回は「So Lonely」がつぼにはまった。こんなにキャッチ―な曲だったっけ、っていうくらいに。
あんまり好みでもない「Desert Rose」も、ライブ映えして、妖艶なラテンの舞曲のよう。
なんだかお祭り映えするマツケンサンバに似たようなところがあるなぁ、というのは下手な喩えでしょうか。

 

EncoreのラストがFragile( 脆さ, 儚さ )というのもどこかスティングらしい。
夢や希望ばかりではなく、血痕や涙や人間の脆さ、怒りや無念も美しい詩や音楽になる。

ブルータートルの夢、ソウル ケイジ、シンクロニシティ、
つかみはポリスだったが、その後のスティングにはどこか哲学的な変容があると思う。

Sting - Fragile (Live From The Cherrytree House)

くつろいだスタイルで、ギターで弾き語るスティング。
私が取り組んでいるのはギターではなくてピアノの弾き歌いなのですが、
そこにある空気を大切に愛おしんで、音楽と身近にバイブレートし合うような態度やニュアンスを見倣えないものか。

スティングのように、落ち着いた「多幸感」をたずさえていたいと思うのであります。

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北参道に舞う蝶々の夜。

2017年05月28日 | 日記

明日香先生のCD発売ライブにお邪魔してきました。

アーティストにピアノを教えてもらうのは、私には敷居が高くてなかなか行けないのですが、
(でも、動画のYesterdayの弾き歌いを褒めてもらえて嬉しかった! )

先日四ツ谷のLIVEにお伺いしたら、アーティスティックな感性のなんと素晴らしいことか。
(夜会、アコーディオンと歌に酔う。

パリのミュゼットとか、これまで私が聴いてこなかったフランスや、中国といった異国音楽の引き出しをお持ちで、
時にえぐるような詩を含めて、ポップスというよりは、芸術、アートを感じます。
日常だけに留まらない、もっと深くて広くて多様な世界。

3曲入りのマキシ・シングルは、全曲オリジナル。

この日は今年の2月から始まった月末金曜日、プレミアム・フライデー。
職場の仲間と、会場「GRAPES Tokyo」のある東京メトロ副都心線「北参道」駅に初めて降りました。

 

木目調の温かい雰囲気のスタインウェイのピアノがプレミアム。

 

奇しくもこの日は、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」の50周年記念盤の発売日。
(Sit back and let the evening Go ! )

たまたまなのでしょうが、途中、「Mr.カイト」風のサイケなライティングに包まれたりして、どこか非日常的な夜。

 

20170526 AsuKA CD release LIVE @北参道 GRAPES TOKYO

2曲目のPull marineが嬉しい選曲でした。
ゲンズブールには、この美しいピアノシーケンスに、
こんなにも耽美的で頽廃的な詩を乗せれる人がいるのか、と驚いたことがある。
(人生はライブである ~ ゲンスブールの違和感とビロードの滑らかさ)

そして、作った動画では外してしまいましたが、”J'ai bu la tasse, tchin tchin.”ってところが、
不埒ですが、日本人の私の耳につく。
ゲンズブールは日本語を分かっていて、ふざけたのでしょか。

~ Pull marineの歌詞はこちらのサイトが詳しい ⇒ 「マリンブルーのセーターPull marine」)

今、エルトン ジョンの「Your song」の弾き歌いを練習中なのですが、
”水の底だけで輝くのではないマリンブルーの瞳を、視線もくれずに見分けてやって来る”というのは、どこかYour songに似ている。

 

太陽はしばしの間暖かく、この世はかくも素晴らしい。
彼が素晴らしいと語るのは、あなたの居る世界であり、
自分の記憶すらあてにできなくとも、色を忘れてしまっても、
あなたの瞳がかつて見たなかで一番美しかったと語る。これは無私の歌だと思う。
(ヤマハの電子ピアノ P-105)

 

瞳について歌った歌は数あれど、このうえないものがあります。


1st Stageは、新曲の「蝶々」で一旦幕を閉じる。

( ↓ ) 異界から舞い現れた蝶々が食していそうなのは、枝付きの干しブドウ。

二幕目は、「蝶々」が出現して耳元で揺れながら、lentementに、ゆったりとしたピアノで始まります。

そして、足元には、美しくもどこか頽廃的な色合いの花々、

蝶々がひゅるひゅると舞っていく宙に在るのではなく。

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「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を観る、脱力を極める。

2017年05月21日 | 日記

アカデミーの主演男優賞と脚本賞を受賞した「マンチェスター バイ ザ シ―」、
成功譚とかリア充とかではない、もっと人間らしいものに触れたくなって、
深夜24時までのレイトショーへ。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」はボストン北東部にある街の名前。マンチェスターとは違う。
 (まるで「港の見える丘公園」みたいなネーミングの街だ。ちゃんと説明書きのついた固有名詞。)
リー・チャンドラーを演じるケイシー アフレックは、スタローンやポールをどこか等身大にしたような感じがあって親近感が湧く。
(アメリカ北部の街や人が醸す空気感みたいなものが、スタローン初期作品のロッキーや、ロック・アップに似ている。)

映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観た人の感想、評価、口コミ
に寄せられた人々の声が素晴らしかった、この映画をよく代弁している。

冒頭海のシーンはとっても気持ちよかったのに、リーの今にシーンが移ると居心地の悪さを節々から感じる。
ケイシー・アフレックの演技もすごい。 こんなにアウトプットできない混乱を、整理できない心を演じた人は見たことない。

毎日毎日生き辛さを感じているリー・チャンドラ。
降り注ぐ雪を掻き続けるループが彼に与えられた罰のようであり、彼もそれを受け入れてるようなシーンが印象的。
静けさが彼の壊れた心で失った感情のよう。

幸せにはなれないし、乗り越えられないけど生きていかないといけない、リーの人生に心動かされました。

ケイシー・アフレックの佇まいが特に良い。憂いや悲しみ、自分への怒りをよく表現している。

泣きたいけど泣けない、微妙な感情の表現をしていてそれが現実で人間だよなぁと思った。

様々な人生をそっと見守るような視点の作品。
現代における、孤独や喪失感を丁寧に描いていると思います。

ストーリー自体はシンプルで、淡々と進んでいくけれど、その分登場人物たちの心理描写が際立っていた。
心に大きな傷を負った主人公を演じるケイシーはアカデミー受賞するだけあって、とても上手かったです。
傷を負う前と後の変化のつけ方もだけど、別人の様に心を閉ざしてしまっている状態でもちゃんと同じ人だと感じられる、
根っ子の部分は繋がってるのが感じられて良かったです。

とても淡々とした感じの映画で、派手に盛り上がる雰囲気の映画ではありません。
でも、内容は、愛や死や人の心の傷など描かれており、誰にでも当てはまる部分があったり、
今後、人が生きているなかで、経験するような事だと思いました。

映画をよく観るほうでもないし、詳しいわけでもないが、
映画をたぶん沢山観ているであろう人達の洞察力に驚く。
一般大衆だからといって、
必ずしも映画や娯楽作品に、分かりやすい起承転結やハッピーエンドだけを求めているわけではない。
上手く人に気持ちを伝えることすら難しくなってしまった、リーの感情を推し量ったり、表現されることのない心を裏打ちするようなコメントを寄せる人々に、温もりを感じたりする。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」特別映像

金曜日の夜の過ごし方は大切だ。
その流れで、ゆっくりした落ち着いた週末を過ごす。
どこか、いつも、ソファに浅く腰掛けて休んでいるようなところがあるのだが、
ソファに深く腰をおろして、もっと休むことに集中してみる。

リョウブの花。
真言密教の経典に、供花には瑞々しい、さらに白花の香しいものを用いよとあり、
白花を良しとする作法は、茶花にも受け継がれてきたという。
ショウマやチンシバイにも通じる涼やかな花姿といい、暑い日に涼を感じさせてくれる。

 

梅花空木(バイカウツギ)の白の不思議。
花の中にまた小さな花みたいなのがあって、ロシアのマトリョーシカ人形みたい。
花によっては、中にあった部分が表面にぶわっと咲き出てきて、どこか艶やかさのある花姿。

マトリョーシカって、いかにもロシア的な響きを、前に思いついたメロディに乗せられないか、ピアノで採譜してみた。
(イエスタディを作った時のポールと同じだ! どこかで聴いたことがあるようなメロディで、本当に自分で作ったのか、記憶の中にある曲のメロディをたどっただけなのか区別がつきません。
今度ピアノ教室で先生に聞いて確かめてみよう、”こんな曲知ってますか?”って。)

マトリョーシカ、マトリョーシカ、って名前を連呼するだけの歌なので、もう少し寝かせておこう。

 

一見複雑な印象のある「ノルウェイの森」だって、メロディ・パターンはたったの二つだ。(マトリョーシカも同じようなものだ。)

要はサウンドなのです。

 

 

ピアノ演奏でも、スポーツや武術でも、「ある一点(芯、スイートスポット)を鮮やかに捉えることが大事」。

” スポーツとは脱力を極めるもの。”

ほどよく力を抜いて、気持ちを込める、相反するように思える二つを両立させるのが人生の極意らしい。

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