大阪四天王寺で催される雅楽の演奏会に 行くことになったのでにわか仕込み。
扱っているテーマが広大なのに、この本は読みやすい。
雅楽楽器の説明から声明や大正唱歌、さらには武満徹の音楽まで、幅広なのだが対談形式なので、とっつき易く読める。
論点は、日本語や西洋音楽との対比、総合芸術としての能や歌舞伎等、まで縦横無尽。
琴とは思えない豊かな音色に驚いたことのある野坂惠子氏の二十弦琴や二十五弦琴まで話題に出てきて実に興味深い内容でした。
日本音楽がわかる本 | |
千葉 優子 | |
音楽之友社 |
友人がやる篳篥(ひちりき)。
雅楽のリード楽器であるにも関わらず、清少納言はくつわ虫の音みたいでやかましい、と枕草子に書いているという。
発弦して音が消えていくような、わび、さびの世界とはまた違った、持続する音。
日本文化の根っこのすべてに、わび、さびが流れているというわけでもない。
「雅楽を楽しむ」 楽器の紹介その一「篳篥」
音の高さが正確に分かる規則正しい振動音、ピアノやヴァイオリンの均質な音を追求してきた西洋音楽とは音の捉え方がそもそも違っていたという。
逆に、西洋的な平均律に慣れてしまった現代の日本人が、伝統的な日本の民謡を聴くと調子はずれに聞こえることもあるらしい。
(野坂惠子氏のつま弾く琴の音職や音階の豊かさが良いなぁ、と感じたのはそういうわけだったのか。)
( ↓ ) ロンドン・オリンピックの開幕式でポールが歌ったHey,Jude。
東儀秀樹さんの篳篥(ひちりき)、新しい日本人の耳にも馴染む日本民族の情緒。
(野坂惠子氏さんは演奏だけでなく、琴という楽器自体も変えていったのだからすごいなぁ。)
富国強兵の時代には、長音階の4度、7度(ファとシ)を抜いたヨナ抜き長音階の歌が推奨された。
大正時代になると、無識で軍歌調な旋律への違和感からヨナ抜き短音階が生まれた。
(ヨナ抜きになったのは、当時の日本人がうまくファとシの音が歌えなかったためらしい。)
Yesterdayの翳りはヨナ抜き短音階の童謡、故郷のよう。
Jude and Yesterday with Japanese instrument
リズムに関しても、
一拍の長さが自在に伸び縮みする「伸縮自在な拍」と、
伴奏のリズムに遅れてシラブルが発せられるような「不即不離の原理」(演歌なんかで少し遅れて最後の締めのフレーズが出てくるようなやつね)が日本音楽の特徴にあるのだという。
「間」と「リズム」は違う。
伸び縮みする拍が日本のリズムの真骨頂。
絶妙の間の芸術としての能、序奏部・露の手・登場部から成る、乱序という能の音楽にその真骨頂があるといいます。
~ 日本の音楽では、曲の出だしとかがそろわないのは意外と平気なんだけど、
ある肝心な部分では、とても鋭いタイミングの一致を要求するし、
そのひとつの音の入るときの勢いがとても重要だったりする。
( ↓ ) 能に対する理解が少し深まった。
獅子が登場する前の大太鼓と小太鼓が長い間合いを保ちながら交互に小さな音を奏で合う「露の手」の部分。
~ 序奏部での規則正しい拍節感がなくなり、長い空白の間が深山幽谷にしたたる露を連想させる。
音の空間に無限の表現を託して、深々とした神秘的な静寂を表現する。
そして精神的な緊張感を最高潮にまで高めたあと一転して躍動的な獅子囃しへ流れ込み、対照の妙を見せる。
還暦になって、国立能楽堂を、個人で素人で、借りて、大好きな能を舞った方がいました。
秀吉は自ら太閤能を作り、自ら舞ったと言うが、かくも能は人を惹きつけるものなのか。
とても真似はできそうにないが、「情熱が人を動かす」、まっすぐな行動力はびっくりを突き抜けて感動的ですらある。