ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

Only our heartsを歌ってみた♪

2012年02月26日 | 日記

予想された展開である。
ポールの新作にニンマリしてアップは時間の問題とみられていたが(ポールの新作に癒される夕べ)、
Only our heartsを歌ってみた♪

これまでYouTubeのアノテーション機能を使って字幕をつけていたのだが、
はじめてCaptionTubeを使ってみた。
(やはりスマホでは字幕が表示されないし、アノテーションとどう違うのか よくわからないけど。)

16回目のアニバーサリーにふさわしい曲だ。

Only our hearts

どこか食べにいこうか、と言ったら、
子どもたちが期末テストを控えているから、水を差さない程度で、となり、

近所のラーメン。(・。・)

しかし、ここのラーメン、いろいろ食べたけど、おおげさでなく密かにベストかもしれない、と思っている。
この近辺のひとなら東京の有名店のラーメンも食べているだろうのに、郊外の住宅街のそばにある店がいつも賑わっている。
なかでも、このとんこつが気に入ってるのですが、旨みがまろやかで、外食にありがちな濃い味つけでない。
あと味もよく、にごったようなしょっぱい感じが残らない。

うちはほとんど外食をしないので、たまに外食をすると、塩分を沢山使っているからなのでしょう、後でのどが渇いて水分がほしくなることも多い。

農家の方からの頂きもの、今冬大活躍の白菜、
セイロで豚バラと蒸しただけで味つけに昆布を入れてるだけ。塩分は昆布以外になし、なのだが、
白菜がうまいせいもあって、そんなシンプルなのにこんな味になるの???と不思議なひと品。

風邪を引きずって体調を崩していたので、ねぎをたっぷり使ったちり鍋。ゴルフも自重。

スケソウダラは、Wikipediaを引くと、
>身は鮮度落ちが早いため棒鱈に利用されるが、新鮮なものは鍋料理などにも利用できる
とあったが、懲りずに何度か鍋にしてみたけど、大味で美味しくないと思う。
タラコか、すり身やフライにする白身魚なのだろう。

上のやつは真鱈なのだが、これが美味なのだ。
今ごろになって気づいたのだが、切り身だけでなくアラが安くて美味い。
目玉を見たくないという理由で、出しが出るからという口実でもって、不本意にも鍋底に沈んでいるが、
切り身の部位ではなく、アラにある皮の部分に、ゼラチン質のぷるぷるが多く含まれている。
アンコウ鍋のぷるぷるが好きなのだが、真鱈も十分にぷるぷるを堪能できるのだ。
タラは、フィッシュバーガーかフィッシュ・アンド・チップスにされるような万人受けするクセのない白身魚、みたいな先入観があって、わざわざ味わって食べるようなものでもない、と思っていたのだが、侮るなかれであった。
真鱈はうまい、今冬になってようやく気づいた。

関西にいたころは、ねぎと言えばわけぎ、みたいな感じがあって、白ねぎはあんまり好きでもなかったのだが、
こないだTVでタモリさんが、ねぎ鍋がうまい、と言ってるのに膝をうつ位になった。

下仁田ねぎは無骨な外見とはうらはらに鍋で煮るとふんわりとろけるし、深谷ねぎ、上州ねぎ、、、と白ねぎや長ねぎにもいろんな種類がある。
ねぎづくしの鍋を食してみたいのだが、こちらも子どもたちにあわせていると、今しばらくはありつけそうにない。(-_-メ)

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脳の記憶の仕方とホログラムは似ている ~ 現実と本質とNujabesと

2012年02月25日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

結論から言えば、「脳は宇宙ホログラムの断片であり、全体である」、ということらしいのだが、
飛躍しすぎて現実感に欠けるといけないので、タイトルはこちらにした。

――――「 脳の記憶の仕方とホログラムは似ている」。

しかし、これだけでも、脳機能の解明にとって大きなパラダイムの登場なのだ。

脳とテレパシー―あなたの脳には巨大な力が潜んでいる (KAWADE夢新書)
浜野 恵一
河出書房新社

 

このブログでは、量子論を発展させた脳科学的な場の量子論にまで話がイッてしまっているが、
ことさらに話を難しくするつもりは毛頭ない。
むしろ逆で、いかめしく「量子論」とか「相対論」とか名乗っている世界のことを、いかに自分たちの方へ引き寄せて理解できるものにしてしまうか、と思っている。

( ↓ )パラダイムを変革するようなものとしてNujabesの音楽を。
    もっとクールに、現実と本質の違いがとらえられるようになるかもしれない

Nujabes - Luv (sic) All Parts - 1, 2 & 3 (feat. Shing02)

ホログラムは光の波動の干渉縞を記録したもの。
ホログラフィー技術によって、撮影されたときのレーザー光と同じ光波を照射すると、もとの被写体の立体像を空間に浮かびあがらせる。

前にホログラフィ―の不思議 ~ BACK SEAT OF MY CAR で少し触れたが、難しい理屈より、現場を覗いた方が分かりやすい。
2008年には当時のオバマ大統領候補陣営が、この技術を利用していた。 

CNN Hologram TV First - BackStage

記憶がどんな方式で脳全体に分布しているのか、という大きな謎を解く鍵が、ホログラムにあるという。
脳がホログラムと同じく、干渉縞による全体情報として記憶しているのであれば、
脳が一部を失っても、失われた部分に含まれた記憶が完全に欠落するわけではないということが説明できる。
ホログラムは断片化すると、立体映像の鮮明度を失い ぼやけることはあるが、全体像には変わりがない。)

ヒトがヒトに会うときには、一度として同じ条件はなく、さまざまな距離や角度から出会っているのだが、正面から顔を見なくても、細かい目鼻立ちがわからない距離からでも、そのヒトだと分かってしまう。
脳は、人混みに紛れていても、真横や後ろといったいつもの特徴情報とは違った情報からでも全体像を組み立てることができてしまうという機能を持っている。
知覚される特徴を検出することを基本とする、従来の脳科学的立場、フィルム的な知覚では説明できなかった機能を脳は持っている。

現代の脳科学は「局在論」の立場をとっており、記憶や運動、感覚や知覚などの機能はそれぞれに中枢が脳内に分散して分業が行なわれていると考えられているが、それでは説明のつかない脳の記憶のメカニズムを、ホログラムのような「全体論」で説明しようとする試み。

~ 脳は世界を織りなす無数の波動から意味のあるパターンを選び、自分のイメージとして翻訳する。
  脳を一つのホログラムと見ることは、脳のどの部分も脳全体の機能を反映していると見ることであり、
  脳だけがホログラフィックな構造をもっているのではなく、宇宙そのものがこの原理に貫かれている。
  「脳は巨大な宇宙のホログラムの一片だ」ということになる。

ニューサイエンスとも呼ばれる、「胎蔵界曼荼羅」にも似た脳科学への量子論的なアプローチについてはこのサイトにキレイにまとめてあった。→ 「空像としての世界」 ―― 脳が、そして宇宙さえもが 「ホログラム構造」 をなしている可能性を問う。

相交わる二つ以上の波動があれば、干渉縞のホログラムは形成されるので、
その結果、交差する無限の波動に満ちた宇宙全体が一つのホログラムとなっているのは当然であり、同時に宇宙のどの部分もそのホログラムの断片と考えることができる。

一見高度に見えるホログラフィー技術だが、原理はこれ( ↓ )、二つの波動があればできてしまう干渉縞を記録すること。
相手が宇宙であっても、つきつめると無数の波動の空間であり、理論的にはホログラムを記録することはできるはずだ。
しかし、それを再現した時にあらわれるのは物体そのものではない。あくまでもホログラムに織り込まれた情報である。
たとえ物体が量子論的な波動であったとしても、物体は物体だ。ホログラムの情報ではない。
そして、「脳は巨大な宇宙のホログラムの一片だ」という時の、ホログラムの一片の最小単位がわからない。
DNAレベルの情報を指しているようにも思えるのだが、スッキリしない。

アインシュタインの友人でもあったボーム(アインシュタインの好敵手であったボーアとは別人)がしばしば説明に用いたという円筒での実験。


円筒を回転させると、三滴のインクのしずくが順に消えていく。(「織り込まれた秩序」)
そして円筒を逆回転すると、しずくは再現されるが、目に見えるのは現在のしずくだけである。(「開示された秩序」)
目に見える現在のしずく(開示された秩序)の奥に潜む「織り込まれた秩序」のエネルギー(情報)が現実の本質であり、われわれの脳はこの「本質」のホログラムの一部。本質は意識とイコールであり、「意識はエネルギーとなってあらわれる」。

おもろい。
現実と本質の違いがわかりやすく提示されている。

現在・現実は、時間、時空として現出するものだが、三つのしずくが現在・過去・未来を表しているように、本質は時間に関係なく、織り込められているはずだ。
目に見えている現実は、開示された秩序であり、本質は織り込められている。
私たち(意識)は本質(織り込まれた秩序)と共鳴できるがゆえにそれを感じることができるのだ。

ホログラムの一片として我々が宇宙とつながっている、という説明は、「つながってきた ~ 真実への目覚め」よりも大きなDNAレベルの単位、視点でモノを言っているように思えたが、この段になって(本質を語る段になって)、若干の混同があるように感じられた。

というわけで、「脳の記憶の仕方とホログラムは似ている」までは目からウロコ的な説明に納得できたのだが、
脳に記憶された情報や意識の現出の仕方についてもホログラムだと言われると納得がいかなかったのがホンネである。
現出している意識や宇宙が、物体そのものではなくホログラムだとすれば、それこそパラレル・ワールドの話になってしまう。
宇宙構造の真理を視覚化したと言われる曼荼羅は、以前にも取り上げたテーマなのだが、(裏返しの宇宙 ~この世の空間構造
この空間構造、すなわち意識の顕れ方の取り扱いはなかなかに難しい。
(量子論が指摘するように、確かに宇宙が波動であるのなら、宇宙には情報としてのホログラムが存在するはず。
 その情報(ホログラム)を、現出している宇宙と同じ参照光で見ることが可能だとしたら、ホログラム宇宙を見ることができてしまう。)

でも、面白かった。エロがいかに低俗且つ高級なものかということについてもよく分かったような気がしたし。
(これはまたあらためて。)

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2015年 ~ who do you think you are ?

2012年02月19日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

親知らずを抜いた後の痛みに悩まされる週末、プールに浸かってトレーニングに精を出していると、痛みをしばし忘れることができた。
考えてみれば、プールの中は無重力空間に少し似ている。
重力は当然働いたままなのだが、水の浮力によって自重は軽く感じられる。
内臓も日常の重力で垂れ下がった状態から解放されて、心持ちぷかぷかしているように感じられる。
ぷかぷかすると内臓の間の隙間の風通しがよくなるから、内臓と内臓の隙間にある生命エネルギーや気を養生するに良いのではないか、などというようなことを考えていた。

そんなとき、プールで耳にしたのがこの曲。女性版のエルトン・ジョンかと思った。

オリジナルはChristina Perrという女性シンガーだが、このMaddi Janeのバージョンが気に入った。まだ若いというのに、情感に溢れている。

Jar of Heart (Lyrics)

16歳にもなっているうえの子が、いい雰囲気出してるので、
おまえが同い年だったら、友だちになっていっしょに遊びたいよ、と言うと照れくさそうに苦笑いしていた。
大人に名前を漢字でどう書くかを聞かれて、説明しても分かってもらえなくてびっくりした、みたいな話をするので、
おれだったら、これまで99人に説明して分かってもらえたのに あなたはひょっとして100人目で出会えたばかですか、と言うと思う、言ったか?、と聞くと、ますます困ったような顔をしていた。

言うことがいちいちオジサンになってきたわー、、

ポールは「1985年」を書き、村上春樹は「1Q84」を書いたが、2015年はどうなるのか。

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)
神田 昌典
PHP研究所

この本の中に、ブランドスーツに身を包んだ四十代の男性がTシャツ姿の二十代の男性に諭すやり取りがでてくる。
" もっと現実的に考えようよ。それで食っていけるのかい?"。

現実はものの見方で変わってしまう。
過去からの延長で現在をとらえているか、未来のあるべき姿からとらえているかで違う。
江戸末期に賢く現実的だったことが、明治時代には愚かなことになる。
戦時中には賢く現実的だったことが、終戦後にはとんでもない過ちになる。

歴史をランダムな出来事の連続ではなく、同じようなパターンの繰り返し(サイクル)で廻っていると認識するかで、時代の流れの理解が違ってくる、と言う。
そしてそのサイクルはおよそ70年。2015年には、これまでの常識が通用しないパラダイム・シフトの時代がやってくる、と言う。

1865年に10万石の大名になりたいという夢を描いて、手ひどい挫折感を味わった武士を笑えるのだろうか。
(この間のわるさ、は時々痛く感じることがある。サイクルというとらえ方が私には不足している。)
シャンパングラスを片手に若者に経験論でものを言う四十代の男性と自分は似たようなものではないのか。

東日本大震災以降、持続可能(Sustainable )な社会、という言葉をよく耳にする。
シューマッハの経済学にも似たメッセージ。(シューマッハの仏教経済学

竹がしなやかでありながら、折れない強さを持っているのは、節目があるからである。
あなたと共有したいのが、七年節目説である。
これを知っておくと、多少の浮き沈みに、折れない強さを与えられることになる。
成長するだけが能ではない。

Maddi Jane、若い世代のひとは旧い時代の空気を知らない分、ニュートラルで自然なのだ。
今では映画化されてしまったほど滑稽化されているバブル期のカルチャーだが、その時代を過ごしたものだから、その時代の常識を知らず知らずにまとってしまっているのも確か。
節目を知り、新しい節目をつくっていくしなやかさ、を持ちたい。
CMのキャッチコピーで、はじめてPricelessに頷いているようでは、かなりやばい。

Maddi Jane - Price Tag (by Jessie J) with lyrics

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鼻唄作曲家、調子に乗る ~ Great spirit!

2012年02月18日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

ポールがとうとう、ハリウッドのWalk of Fameの仲間入りを果たしたよう。

あんなに沢山の名曲を書いてきたというのに、たった一つのリフを思いついて喜んでいるポール、
こんな風だから好きにならずにいられないのだ。
(途中のイングランド民謡風の演奏も聴いたことがない曲だ、貴重な映像。)

Paul McCartney - The making of 'Give My Regards To Broad Street' ... part 1

鼻唄作曲家はついにラップまで。(-_-メ)
すっかりハリウッド・スタァ気分だ。(-。-)y-゜゜゜

 

英語の詩はイロクォイの祈りから引いてきたのだが、
実は感動したのはこちらの In a Station of the Metro ――Ezra Pound(地下鉄の駅で ――エズラ・パウンド)の方だった。うまくメロディに乗せられなかった。

The apparition of these faces in the crowd;

ひとごみのなか、つとあらわれたいくつもの顔――

Petals on a wet, black bough.

黒く濡れた大枝にはりついた幾枚もの花びら。

リンク先にこの詩の著者エズラ・バウンドのコメントが掲載されている。
感情にふさわしい言葉を見つけられずにいたら、浮かんできた感情の「模様」。
私の心は夏模様、と歌ったのは井上陽水だが、単語に置き換えられない、ワ―ディングにならないフィーリングというものもある。
ポールがたった1フレーズに狂喜しているのは、そんな何かを探し当てたような感じなのだろうか。

三年前(1911年)のパリ、わたしはコンコルド駅で地下鉄を降りた。
すると突然、美しい顔が目に入った。
それからもうひとつ、またひとつ、そして美しい子どもの顔、さらに美しい女性が。
その日、一日中、そのことがわたしにとってどういう意味だったのか、を表す単語を見つけようとした。
けれども意味のある単語、突然湧き上がった感情にふさわしい、美しい単語はひとつも見つけることができなかった。
その夜、レヌアール通りを歩いて家に帰ったわたしは、まだ探しつづけていた。
そして、突然表現を見つけたのだ。
単語を見つけたのではなく、単語に代わるもの(equation)が浮かび上がってきたのである。
それはことばではなく、色の斑点だった。
ちょうど「模様」のような、だがもし「模様」ということばがなんらかの「繰り返し」を意味するのなら、模様とさえ呼べない。
けれどもそれはたしかにことばだった。わたしにとって、色によることばの始まりだったのだ。……


わたしは三十行の詩を書いたが破ってしまった。それがいわゆる「二次的」な強さしか持たない作品だったからである。六ヶ月後、その半分の長さの詩を書いた。
一年後、『地下鉄の駅で』という発句のような文章を作った。
あえて言ってしまえば、これはある種の思考の流れに乗っていかなければ意味はない。
こうした種類の詩は、外部の客観的なものが、内部の主観的なものへと変形していく、あるいは矢のように移って行く、まさにその瞬間を記録しようとするものなのだ。

リンク先にある解説が秀逸だった。

"apparition"は思いがけなく現れる人やものを指す。訳によっては「現れた幻影」としたものもある。
まずタイトル(詞書き)と一連目から、地下鉄の駅から人がどっとはきだされてきた情景が浮かんでくる。
そして、二連目、一転して、濡れて黒い大きな枝にはりついた花びらが描かれる。この花びらは、大きくて肉厚の花びらではなく、小さなもの。黒い枝、雨のなかに浮かび上がる花びらは、おそらく白にちかいものでなければならない。そう、おそらく桜だろう。
地下鉄からはき出された人波と、雨の中、散る桜。
灰色の情景の中にうかびあがる美しい顔、黒い枝にうかびあがる白い花びら。

ふたつのまったくちがうイメージを重ね合わせることによって、パウンドは、わたしたちに世界をちがったふうに見ることを教えてくれる。

まるで、「神々のいる風景」にも似た、心的風景のイメージ。
うまく映像化する材料がなかったので、ありあわせの旧い写真をいじって遊んでみた。
これはこれで面白かった。

( ↓ ) 私なんぞアマい。
    アマチュアなのでしょうか、Becauseのカバーも凄かったこの女性、
    歴史の先生らしいのですけど、素晴らしすぎる。

Civilization ("Harajuku Girls" by Gwen Stefani)

 

 

 
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Jack&Jill ~ 鼻唄作曲家

2012年02月18日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

鼻唄作曲、あんまり好評でもないのですが、所詮亭主九分九厘のブログなので。(そのうちいいのもできるでしょ、たぶん。)

小雪舞う寒い夜、イギリスの童謡に詩をとって、Ladidaで頭に浮かんだ小唄をつけてみました。

Jack&Jill

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[2012年2月 天球とリンクス] ~ ポールの新作に癒される夕べ

2012年02月12日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

ここ渡良瀬川からの帰り、ポールの新作をゆったり聴きながら、濃い紫色の夕闇に染まっていく夕暮れ空を見たら、冴えなかったゴルフへの苛立ちが癒されていった。

ジャズのスイング感というのは、どうもゆっくりに過ぎると思っていたのだが、
不思議にポールが歌うと、ところどころのフレーズがしっくり馴染んできて、ゆったりと愉しい気持ちになる。
my valentineの、and I will love her for life…みたいな、ひとつのワ―ディングに込められた豊潤なニュアンスがあちこちに感じられてにんまりする。
まだ発売されたばかりで、YouTubeにもないが、
13曲目のThe inch wormの子どものコーラスは天球に響く自然界の純粋なサプライズのようだ。

two and two are four,
four and four are eight,
eight and eight are sixteen
sixteen and sixteen are thirty-two 

そして続くOnly our hearts、ポールがしばしば作る、びっくりするような美メロというわけでもないが、とにかくニンマリするようなフィーリングに溢れている。

「スティーヴィーはロサンジェルスのスタジオにやってきて、10分ほどトラックを聴いただけですべてを理解した。そしてマイクのところへ行き、20分もかからずにあのドラマティックなソロを吹き込んだんだ。みんながこのソロを聴いたときに『どうしてこんなことができるの?』と思うだろうけど、その理由はただひとつ、スティーヴィーが天才だからだよ」

ポールはこのように語っているが、なんだかハッピーエンディングのStay Goldみたいに、
夕映えの空にスティーヴィーのハーモニカが溶けていくように聴こえた。(LIFE ~ ステイ・ゴールド


長女のメアリー・マッカートニー(リンダと同じ写真家だった。)がカメラマンを務めた、新作のフォト・セッション時の映像が公開されたのでクリップ。
Paul At The Photoshoot For Kisses On The Bottom

ポールの新作のバックは、エルヴィス コステロの奥さんでもあるダイアナ・クラールが率いるバンド演奏、
北風の強い今日の日とはまるで違う夏のブラジルの映像だが、
雰囲気のいいライブです。
The inch wormにも似た温かさを感じます。

Diana Krall - Quiet Nights (legendado)

今日のゴルフの結果は、おまけ程度で。

あいかわらず/ g (good)のショットが多いが、1m程度のパットをことごとく外す。
入ったのは、前半マルをつけている1.5mくらいではなかったと思うくらいにひどかった。。

後半、太陽が沈むのと競争しながらのラウンド。

強い北風に押されて池ポチャをやった16番の後、次につながるよう、
17番は向かい風の中、気持ちの入った6番アイアンでイメージ通りの弾道を描く。
しかし、風におされ僅かにGに届かずに手前のバンカーにつかまってパーオンならず。

見事なバンカーショットでピン横1.5mにつけたのだが、このパーパットをキメられない。

18番の481Y Par5は、左から横殴りの風のなか、今日イチのティーショット、
残り200Yぴったりから、調子はあがってきていたのでイーグル獲れたらスッキリするだろーとまた夢みたいなことを考えての2オン狙い。

これまた狙い通りピン方向へ真っすぐ、2オンしたかと思ったが、
薄暗い中G傍まで行くと、風にやられたか、またもピン傍のバンカーにつかまっていてボギーに終わる。
(前半の9番もピン手前からバーディーチャンスをつくるはずのアプがG奥までいったり、ちぐはぐが続いた。いつものことだけど。)

 

朝の古河も素晴らしいが、夕暮れの古河も素晴らしい。
ぐるりと地平線が広いので、天球のなかにいることを実感できる。
天候も内容もさむいゴルフだったが、唯一景色だけは素晴らしい。
帰り、遠くに紫色の影を見せる富士山を見ながら聴くポールの歌に癒されたので、
今日のブログのテーマはゴルフなんだか、音楽なんだかよくわからなくなった。

ドラゴンさんはティーショットが格段に進化した。
後半は沈む夕日と一層強くなった北風とのたたかい、になったので、スコアメイクできるコンディションではなかった。

 

この程度には上手いのにね。(-_-メ)

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無重力空間からの啓示

2012年02月11日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

賑やかな孤独でも採り上げた重力について。

重力は宇宙の色欲だ。
もし重力が互いを引きつけていなかったら、小さな粒は独り身のまま、永遠に空間を漂っていたことだろう。
饗宴に加わる粒子の数が増えるのに比例して、引き合う力も強まっていく。
それまでは引き寄せられなかった遥か彼方の粒子までもを、自分の重力のタールピット(井戸)に引きずり込むことができるようになった。
そしてそばを通りかかった小惑星や惑星を軌道に引き寄せるだけの大きさを持った星が生まれた。

生命が存在するために必要な水や空気さえ、重力があるから地上にとどまっている。
地球上に生命が存在する第一の理由は重力だ。

無重力を体験した宇宙飛行士がこう話す。
" ただ歩くってことが、地球で地面を踏みしめながら歩くってことがどれだけ大きな幸せか、宇宙に行ってはじめて本当に理解できる。"

重力がないと、何についても重量の差は生まれない。
熱を帯びた空気(熱で活発化した空気は冷たい空気にくらべて、大きく広がり、薄く軽くなる)はその場に留まり、空気の対流も生じない。
何もかもが重さを持たないとなると、熱が溜まりやすくなって、オーバーヒートに気をつけないといけなくなる。
重力は血液を下半身の方に引っ張っているが、重力から解放された血液は上半身に集まり、臓器は胴体の内側で浮揚する。
身体は、いわく得難い恍惚感、それまではあることにも気づかずにいた何かから解放されたという、言葉では表現できない感覚に包まれる、という。
(NASAの研究者はこれを宇宙式美容整形と呼んでいたとのこと。肋骨の奥深くに内臓が移住し、ウェストサイズがダウンし、重力でひっぱられていた頭皮までも解放されて髪はコシを取り戻す。垂れパイだってつんと上を向く、らしい。)

無重力空間で普段より体液が集まる部位と減少する部位の境目は横隔膜あたり、とのこと。
むくみ顔と鶏の足シンドロームという説があるそうだが、重力から解放されて体液が上半身に集中し、足は重さを支える必要が無くなり、腕も自重さえ感じることをしなくなって筋力が衰える。
重力から解放された垂れパイだって張りを失ってはもともこもない。男性も重力から解放され血流が漲って若さを取り戻すばかりでもなさそうだ。

脳の血流センサーは体液量が多すぎると判断して、全水分量の10~15%を排泄することになるという。
きっと、地球とは異なる小さな重力が作用し続ける環境のなかでは、人は小さくて頭でっかちなエイリアンっぽい姿になるのだと思う。

地球から月に人があたりまえに移動するようになると、ヒトの美しさの感覚というのも変わってくるのかもしれない。
人間の意識を生みだしている一リットルの髄液が、無重力空間で、底に溜まることをやめ、臓器の内側に張りつき始めたら、意識のありようもきっと変わるはずだから。
そのときには、どんな感覚でいるのか。

そのようなことを考えはじめたら、眠れなくなってしまった。

先週の出来事だ。

そして、目が覚めたら寝る前と同じ意識レベルにいた。

意味が通じるだろうか?

意識の質感はそのままで、疲れ具合も増していないし減ってもいない、頭に浮かんでいるのは、あいも変わらず、無重力状態にある人間の意識はどのようなものか、というようなこと。

そんなことを考えているうちに、眠ったんだかどうかもよくわからないのだが、僅かな覚醒があって、時計をみると、4時間ほども時間が経っていることにおどろいた。
(感覚的には1時間ちょっとくらいなのに!)

あのスウェーデンボルグは夢日記を書いたと言うし、ポールがイエスタディを書いたのも夢の中だった。地球が丸くて青いから ~ Because

「無重力空間」を考えるときに、失われるもの、失われないものとそれらの存在の大切さが浮かびあがってくるように思えた。

そのような視点に立てた時には、同時に新しい感覚や意識も発生するのではなかろうか。

言葉は発せられると、ある力学を持ち始める。言葉を並べる時、そこにはある力学が働く
そこには、いささかなりとも、誇張や嘘やタブーがついてまわり、ギロンを産んだりもする。
この世は物理と物語でできていると言ったのは五木寛之氏だが、無重力空間では違う物語が生まれるということもあるかもしれない。

空気や水や酸素、そしてそれらが織りなす有機体の営みこそがやこの世の物語だと思えるのだが、
無重力空間にある意識が、力学的な優先順位やタブーからもっと自由なものだとしたら…

これは新しいアプローチだ。

「無重力空間」に意識を置いてみたらどのようになるのか、わたしには夢うつつの中での啓示のようにも感じられた。
人間が横になって寝るのは、無重力に近い状態に身心を預けて解放させるためなのだ、きっと。

タブーを、一見品行方正に、ポピュラリティを保ちながら、やぶり続けたのがビートルズではないかと思う。
「物語」と同じように「無重力空間」(虚)を大切にしよう。
~ 虚をおのれの中心に据えること、自我の中心にあるのはボケナスである。

The Beatles - Her Majesty  

Her Majesty's a pretty nice girl,   女王陛下は可愛くていい娘
but she doesn't have a lot to say  だけど あんまり物を言わない
Her Majesty's a pretty nice girl    女王陛下は可愛くていい娘 
but she changes from day to day  だけど日によってころころ気が変わる

I want to tell her that I love her a lot  たくさん愛してるって言いたいけど
But I gotta get a belly full of wine    ワインをたっぷり飲まないとね
Her Majesty's a pretty nice girl       女王陛下は可愛くていい娘
Someday I'm going to make her mine, oh yeah,  いつかものにするよ
Someday I'm going to make her mine.

(参考:英語で”陛下” Your Majesty

ビートルズが最後にレコードに残したメッセージは
" and in the end、the love you take is equal to the love you make. "
と思いがちだが、それが終わった後 余興のように添えられてプツンと終わるのがこれだ。
陛下どの、わかるかね。
 

わたしを宇宙に連れてって―無重力生活への挑戦
メアリー・ローチ
NHK出版
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わたしを宇宙に連れてって

2012年02月05日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

宇宙開発において扱われる機械やシステムの中で一番めんどくさい相手、それは人間だという。
気まぐれな代謝作用、貧弱なメモリー量、統一規格の存在しない形状やサイズ。
予測不能で、まるで安定していなくて、壊れやすくて、水や酸素や食料に困ったらどうするのか心配しなくてはならなくて、修理するには何週間もかかる。

"有人火星探査がいつか実現した時には、その最大の収穫は火星から持ち帰ったデータやサンプルではなく、ヒトという生物が火星に行って帰る、そのために開発された新しいテクノロジーこそが「人類にとって大きな一歩」になるのだろう。"

宇宙開発とは宇宙ステーションを建造して打ち上げるだけのものではなく、科学全体を否が応でも進歩させる促進剤のようなものだという。
無重力空間のなかで人に最も影響を与えるようになるのが表面張力。
例えば膀胱の底に溜まるまずの尿は、内壁にまんべんなく張りつく。そうすると膀胱が尿の重みを検知して「そろそろ満タンです」というシグナルを脳に送るという仕組みが働きにくくなって、不快なばかりでなく健康上のモンダイまで引き起こしかねない事態が起こる。
そのような事態から宇宙飛行士を救うために、無重力を模した空間を地上に作ってシミュレーションを繰り返し、生理学、衛生学、工学、薬学、ありとあらゆる分野の人知の総動員が、宇宙旅行に関するすべての事項について連綿と繰り返されている。
人類が宇宙に行こうとすると、ありとあらゆる分野の科学がいやでも進歩してしまう、のだと言う。
(なんだかゴルフのテクノロジーにも似ている。些細な進歩へのこだわり。)

有人火星探査にかかるコストは最大で五千億ドルと見積もられており、これはイラク戦争にこれまでにかかったコストとほぼ同額の規模。
そうまでして人間を火星に送る意味があるのか、ロボットを送っても同等の科学データは手に入るのに、人間が自ら出かけていく意味はあるのか。いま考えるべきモンダイは「火星探査は可能か」ではなく、「火星探査に意味はあるのか」ではないのか。

この本は、宇宙という無重力空間に出た人間の、もっとも人間らしい部分(ほとんどがシモネタ系である)についての毒舌レポートなのだが、偉大なるNASAの虚実に迫ることで、宇宙開発の意味という素朴なテーマへの問いを浮き彫りにしている。

宇宙開発とは、科学技術の進歩とは、なにがなんでも「せねばならない」最重要事項なのか。
経済合理性や、人道主義的立場からだけでいえば、答えがYesとは限らない。

著者は、1780年代に熱気球で世界初の有人飛行に成功したモンゴルフィエ兄弟について、
あんなつまらないお遊びが何かの役に立つと思うかと訊かれたベンジャミン フランクリンの心意気に敬意を表したい、という。
" 生まれたばかりの赤ん坊は、何かの役に立つのかね? "

パイロットのジム ラヴェルがヒューストンのミッション・コントロールにこう説明している。
「漆黒の空と積層雲に包まれた地球の間で美しく輝くみごとな満月。」
そこで一瞬の沈黙があり、今度はコマンダーのボーマンが送話スイッチを押した。
「こちらボーマン。いまから小便を捨てる。約一分後に小便排出。」
再びラヴェル。
「ああ、なんて神々しいんだ。」
何人もの宇宙飛行士が、宇宙で目撃したもののなかでもっとも美しいものは、
ふわりと雲のように広がった瞬間に氷に変わり、太陽の光を受けてきらめく排水のしずくだ、という。
宇宙は、崇高さと滑稽さをなかよく共存させるだけではない。その二つの境界線をあっさりと消してしまうのだ。(Mary Roach)

美辞麗句や虚実のあいだを見定めないと、ほんとうは分からない。
合理的で小賢いだけでは見極めすら、できそうにない。

私たちの日常生活的な、あるいは社会生活的な視点やスケールやモノサシでは測ることができない動機があるのだと思う。

Alan Parsons - One Day To Fly

わたしを宇宙に連れてって―無重力生活への挑戦
メアリー・ローチ
NHK出版

Packing for Mars: Space Hygiene

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Paul McCartney - My Valentine (Kisses on the Bottom Album)

2012年02月04日 | お気に入り♪(ビートリー)

 待望のポールの新作が2/8に出る。

早速、日本盤と、さらに2曲が追加されているUS盤のDelux版を2枚合わせて購入した。

父がピアノで弾くジャズのスタンダードを聴いて育ったポールが敬愛を込めて歌うお気に入りのジャズナンバーの数々。
(大好きなMy one and only loveはDelux版のみの収録曲になっている。)← Delux版はLive音源のダウンロードができるようになっているだけで、iTunesで追加の2曲(もうひとつはBaby's Request)を買うはめになった。<(_ _)>
ポールは、今、このタイミングでしか作らないようなアルバムだ、と語っている。

Kisses On The Bottom - Out 6th/7th Feb 2012

いかにもジャズのスタンダード風の曲だが、これは2曲あるオリジナル曲のひとつ。
I want to come homeもそうだが、
齢を重ねて、深みを増してゆくようなヴォーカル・スタイルに魅了される。(ポールの最新曲 再び ♪
~ And I love her for life ♪
ダイレクトに耳を惹くメロディではないが、聴くほどに豊潤なフィーリングが拡がっていくフレーズだ。

あのクインシー ジョーンズがこのようなコメントを寄せている。

~「ポールが「キス・オン・ザ・ボトム」で選んだ曲は私も子供時代から好きだった曲です。この前の彼のツアーの初日にバックステージでポールと一緒に座り、アルバムを全編聴かせてもらえるという栄誉にあずかりました。これらの曲は過去に書かれた曲の中でも最高の部類に入りますし、ポールはそれらに脚光を浴びさせる特別な才能を持っています。ポールはこれらの曲を8分音符でアレンジすることなく、古典的なスウィングで歌っています。(フランク・)シナトラがかつて言ったように「彼はどっぷりハマっている」のです。こんにち、ポールほど信頼でき、優雅で深い人格を持ったアーティストはいません。私たちの49年にも渡る友情関係はビートルズが米国に上陸する前にさかのぼります。ポールがこのアルバムを作ってくれたことをとても嬉しく思います。ここに収録されている曲をカヴァーしたレコードはこれまで沢山聴いてきましたが、今回のポールの作品ほど信頼できる作品はありません」。

My Valentine - Paul McCartney (Lyrics)

あんまり明快ではないファジーなメロディラインが浮かびあがってくるような秀逸なピアノ・カバーを見つけた。

Paul McCartney - My Valentine (Kisses on the Bottom Album) - Piano

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