”スピリチュアルという言葉が、本当に適切なのかどうかはわかりませんが、より自然な生き方に世界が向かい始めている感はあります。”
社会学者の書いたものがあまり面白くないのは、あの人たちは、「生きている人間」の世界にしか興味がないからである。 霊能者の書いたものがあまり面白くないのは、あの人たちは平気で「あっち側」のことを実体めかして語るからだ。 「こっち側」と「あっち側」の「あわい」でどう振る舞うかということを正しく主題化する人はほんとうに少ない。 (内田 樹 ~ 「あわい」でどう振る舞うかということ ~ However absurd♪ )
宗教やスピリチュアルだけをやってる人の話にはあんまり興味が向かないのですが、 東大医学部の救急部 集中治療部部長や物理畑の人たちが語り出すと、これは面白い。
死後体験や輪廻転生にまで話が及ぶと、やりすぎの感じも出てくるのですが、 死という誰もが避けては通れないものに対する時、人は自分には関係なければいいのに、と目をそむけて、思考停止に陥ってしまう。
それでも地球は回ると言ったとされるガリレオ、近代科学の思考は、 人間の進化の邪魔をする「意識の壁」を随分と克服してきたのだと思うのですが、 有史以来二千年を経て、なおも明かされない生死のあわい。
不思議なことに、ギリシャ時代から、死に対する人類の考え方というのは全然進歩していない。 死というものについては実験ができません。再現性が成立しない。 だからいつまで経ってもギリシャ時代と同じことを、延々と議論し続けてるわけです。
科学的な手法の限界ばかりでもなく、歴史的にみても、そろそろ観念してもよいような気がします。 "誰もが読んで、あるいは聞いて、なるほどねと腑に落ちるような書き方で、死を巡るさまざまな論点を解決した人はこれまで皆無"、なのですから。
決して超常現象や天変地異ではなく、誰もが遭遇する、どこからか生まれてきて、また死んでゆくという当たり前に100%の確率で繰り返される出来事について、何ら解明できていない。 これほどまでに無力ということならば、肉体的、物質的な人間の脳というものには構造的な限界があって、 決して人類脳的・科学的な手法では認識できない対象があるということなのではないでしょうか。 (裏返しの宇宙 ~この世の空間構造 )
救急医という生死の第一線にいる医師がこのような死生観を持っていることに驚きを感じました。
肉体というのはある意味、スピリットから見れば重しみたいなものです。 それを持たされている中で、神様って本当によく考えていらっしゃるなぁと感心します。 つまり、ズルできないような仕組みを、いろいろ仕掛けてあるわけです。 たとえば、生まれてくる際、そのスピリットの過去世を忘れさせられることもそうです。 何らかの不具合バグとかで、それをメモリーしたまま生まれてくる人もいますが、通常はデリートされます。 また、成長するにしたがって、多くの邪心が生まれるようにプログラミングされています。 肉体を纏っている限り、本来自分が還っていく場所の良さを感じにくく、本能的に拒絶する仕組みも備わっていますから、いろいろと面倒くさいことが起こります。(矢作直樹)
生命にはプログラミングされた仕組みというものがあって、人間は、そうやって仕組まれた生命や脳を「持たされて」いるだけなのに、 自力で、科学的な手法でもって、世界の摂理を掌握できると考えてしまう。 その不遜さの対極にある、徹底的に謙虚な姿勢こそは、むしろ科学的な態度であるように思えます。 説明できない事象であっても、まずは受け入れる。感情的にシャットアウトしたりしない。
私は「振動」や「共鳴」がキーとなる考え方だと思っているので、いわゆる「アセンション」についての説明が非常に興味深かったです。
私たちの身体を構成する物質には振動数というものがありますが、アセンションと共に、その振動数がどんどん上昇していきます。 そもそもアセンションは「肉体の振動数を上げること」だという専門家もいます。 特に若い子たちはそういう現象に対して敏感で、それはむしろ当たり前だみたいな子供が最近増えています。 上の世代の価値観は今後も多分変わらないと思いますが、若い子たちの価値観はものすごく自由です。
我々の知っている範囲は、三次元とかいろいろな言葉で言われますが、要するに物質世界です。 物理学もその部分だけ、現象面でしか扱っていないのですが、将来はその上の非物質世界を扱えるようになると思います。 下の方に位置する物質世界は、振動数が低く、非物質世界は上の方に位置する振動数の高い世界です。 さらに非物質のエネルギーを物質次元レベルに下ろすということがあります。 非物質の世界でイメージしたものを具現化して物質化するわけです。 これらはすべて振動数を変えるだけの話です。 量子力学の研究者、あるいは電磁気がわかる方だと比較的イメージできると思うのですが、 物体の振動数が上がると突然見えなくなるとか、あるいは意思で動くという話になった際、 この世とあの世は重なっているという説明が成り立ちます。
人間というのは実はすごい装置 で、上の方の振動数と下の方の振動数をつないでいるんですよ。 肉体というのは物質世界のものですから振動数が低いのです。 しかしながら人間の意識は、上の方とつながっています。 自分のイメージを使うことで、上の次元から低い次元へと振動数を下げることができるのです。 人間というのは、そういう能力を持っている存在です。素晴らしい能力を持っています。 そういう事実が今後、さらに研究されて判明するでしょう。(坂本政道)
荒ぶる自然の力の降ろし方、「ゴルフでもいいんです ~ 自然力のおろし方 」でも採り上げた能楽の世界にも通じます。
「アセンション」とか「スピリチュアル」とか、そういったものは、切り口を変えれば、「能楽」であったり、日本古来の神道であったり、ヨガや気功や武道であったりするのです。山の頂としてはつながっているのだと思います。
( ↓ ) こんな感じで振動数を上げて「アセンション」できればいいのですが。
デュワ! という発声は、倍音声明というよりはどこかフランス的です。梅子とかではなくアンヌですし。
VIDEO
ウルトラセブンの世界観は多分に量子的であったり、仏教的であったりすると感じるのは私だけでしょか。
VIDEO
( ↓ ) ウルトラセブンの最終回のバックに流れていたシューマンのピアノコンチェルトは、デュヌ・リパッティというピアニストによるものでした。
グレン グールドにも似たその音色。
VIDEO