ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

[2018年秋] ゴルフィーは流星だった。

2018年10月31日 | ゴルフィーライフ

「ゴルフィーは流星だった。」
 ~ ウルトラセブンみたいなタイトルでしょ。

( ↓ ) 私のゴルフライフは流星の如し。”うぉーうぉ―うぉぅ、 流れてゆく”。

流星 (吉田拓郎)カバー

「ゴルフィーライフ」を標榜しながら、ゴルフ記事をブログにアップしなくなっていますが、
バカバカしいくらいが丁度いいのかもしれませぬ。

鼻唄作曲アプリ「HumOn」で作った曲を、LINEでゴルフ仲間へ各人のテーマ曲としてプレゼントしたら結構褒めてくれましたので、
イギリス旅行のプレゼント(というよりは、所謂スーベニアですが。)と併せて、簡単なビデオにしてみました。

旅行期間中に開会したウィンブルドンには行けなかったので、
ウェストミンスター寺院でゴルフに因んだ家の紋章をチョイスしてきました。
(「私は腸美人」で登場したKerr家の紋章もあります。)

 

2018年ゴルフリンクスのペンダント

 

療代もバカにならないので、ラウンド回数をずいぶん減らしています。

元々それ程上手なわけでもなく、
スコア・メイクする術を覚えぬままに、一球の刹那を追い求めているような気質のゴルファーではありましたが、
常にParを狙っていけてる時は、ラウンドしてて充実感がありました。

しかし、ここ最近はブログ化するのが億劫になる程に
ゴルフの内容自体が冴えません。
以前のように飛ばなくなったのも影響してるのだと思います。
ドライバーが飛ばないと、他の技でカバーしていくのが本当に上手なゴルファーだと思うのですが、
私の場合、雑で安定しないアプローチとか、時々適当になるパッティングとか、
自分の悪い所ばかりが顕現してきます。

どこかしら、丁寧さや謙虚さを欠くのです。

( ↓ )

8月終わりに行ったツーサム・ラウンドでは13番ミドルでOBバーディー(つまりダボ)の後、
スコアをつけるのも止めてしまっています。
暑さに耐えられず、ホール途中で見込みがないと分かるとすぐにギブアップして、カートに戻って休んでました。

先週末のラウンドでは、一個のParすら奪えず。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕は誉める 君の知らぬ君について

2018年10月13日 | 読書ノート

生活には関係ないから、ちゃんと見ずに伏せておく、みたいなことはありませんか。”
朝のTVでそんな語りと共にこの曲が紹介されていた。
中島みゆきさんの書く詞には、ちゃんと見ずに伏せていることに気づかせるチカラがあるように感じます。
( 石や木や水と私たちの関係について )

近ごろ鼻唄アプリでまた曲を作り始めたが、曲が浮かぶことはあっても、こんな風な歌詞は書けない。

あのささやかな人生を良くは言わぬ人もあるだろう
あのささやかな人生を無駄となじる人もあるだろう
でも僕は誉める 君の知らぬ君について いくつでも

あのささやかな人生はもしかしたら僕に似ている
あのささやかな人生はもしかしたら君だったのか
通り過ぎる街の中で そんな人を見かけないか

【中島みゆき】瞬きもせず
feat.鏡音レンV4X【だんぴーるRemix】

 

( ↓ ) こちらは以前作ったマトリョーシカっていう、曲というか短いフレーズ。
( 「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を観る、脱力を極める。 )
上のマイアルバムに入っているのも、曲というよりは、その時々に思いついた短いフレーズの断片ばかり。
そんな断片でもストックしておくと、いつかちゃんとした曲のモチーフ位にはなるかもしれない。
でも、別にそういう目的でやっているわけでもない。


(「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を観る、脱力を極める。)

( ↓ ) あまりよくは知らないのだが、ボカロや初音ミクは2007年に始まって10年以上になる。
  VR(Virtual Reality)やAR(Augumented Reality)の世界が悪いというわけでもない。 
  狭い世界だけに生きるよりは。

こういう世界の拡がり方もあるのか。⇒ おじさんの心に芽生えた「美少女」 VRがもたらす、もう一つの未来

「男という外見が束縛してきたもの」から解放され、
「今、おじさんたちが続々と「美少女」へと変わり、
「美少女の心」を感じるまでになっている、らしい。

アバターに心を移植する時代はもうすぐそこまで来ているのかもしれない。
(フューチャー・オブ・マインド (神様到来の前夜あたり))

【解説付き】時代を創ったボカロ曲サビメドレー



スマホがそうであったように、
優れたハードウェアが現れればそれはOculus Riftなのだろうか)、
VRは一気に普及するに違いない。
VR(仮想現実)というよりはAR(拡張現実)のテクノロジーであったグーグル・グラスが流行らなかったのは、
常に映像と音声を記録し続けられるという不気味な機能に人々がうんざりしたせいだと言われているが、
VRは人類史上、最も心理的に強い効果を持つメディアであり、
これまでにない強い力で、我々は仮想現実の世界に引き込まれることになるという。
VR以外の電子メディアは、我々が現実を味わう時に頼っている「全感覚」のほんの一部を再現しているに過ぎないが、
VRというメディアが我々をその中に包み込んでしまうようになると、
我々の脳はデジタル信号を現実だと錯覚し始めるというのだ。
一方で、AIが労働市場を奪うかのように喧伝されているが、
VRは、交渉力やスピーチ、楽器やスポーツに至るまで、経験と学びを必要とするスキルの獲得に役立つという。
”メディア経験は日々の食生活と同じだ。人は自分が食べたもので出来ている。”

スキルだけではない。
相手の立場に立って「視点交換」を行なえる余裕のある人が減ってしまった現代社会では、
ニュースは情報であって、慣れっこになった情報は感覚を伴わないが、
他人の視点に立って同じ感覚を味わうVR経験は、共感する力をも増強する。

( ↓ )  先日意識を失って初めて救急車搬送されたこともあって、意識の在り方に関心が向かう。
  ( LIPAとリバプール大聖堂と夏の終わり


  

話は本稿冒頭部分に戻る。

作曲家や物書きは、毎回新しいテーマを見つけては、
たいがい自分にとって新しいもののように感じているが、
それは忘却のなせる業であって、異なる想像力による記憶の再構築なのだ。

記憶は延々と構築され、再構築される。
記憶には単純で機械的な復元はない。
それは「あらゆる価値の再評価」という大きな転換のためにも、定期的に繰り返される人生の一部なのだ。

ピアノで久しぶりにHey JudeやYesterdayを弾いていると、復元ではなく、再構築に近い感じがする。
手が覚えている感じも残ってはいるが、以前とは違った「視点交換」のような感じがある。

( ↓ ) 経過音途中のC7で左手Cが入るタイミングとか、
  やはり経過音が次小節のF7冒頭の音になっていたりとか、
  前よりも細やかな視点を得ることができている。
  片やイエスタディはちゃんとした弾き歌いができなくなっている。(汗)
  ( [ピアノ弾きおじさんへの道] Yesterdayに寄せて )

ヘイ ジュードはキーを高くキープすると歌に力がなくなるような気がする。
落ち着いたキーでの歌いっぷり、そして終わり方がかっこいい。

 

Beatles - Hey Jude (cover)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする