ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

ファンタジーはリザーブしておくものではない ~ 2015年春、ポールがやって来る

2015年01月31日 | 日記

国立競技場の無念から一年近くを経て、ポールが帰ってきます!

帰っていったカミサマ
天上のペニンシュラと炉辺の混沌 ~ 神さまのいる半島

夢の国立競技場

更待月の晩に神さまを待つ ~ ポールがやって来た

加速する半世紀 ~ 神様ふたたび ~

4/21@京セラドーム 大阪、4/23,25,27@東京ドームにて再来日公演が決定した、ポール・マッカートニーよりコメントが到着!!!

夕方になってから再来日決定報道のあったその日の朝、湯川れいこさんのツイートが気になって、もしやとは思っていました。

前回も藤田朋子さんと繋がったTwitterでしたが、すごいですね。
ポール来日の報に接したその日に、同じ喜びを、あの湯川れいこさんとも共有できるなんて。
ビートルズを歴史とは呼びたくないですが、その仲間に加われたような喜び。

 

来日報道のあった1/29の晩、会場となる東京ドームに立ち寄ってみると、

月明かりの下で木々たちもサイケに色めきだっていました。

  


一夜明けた東京は朝方から雪が降っていましたが、再びの春は間もなく巡って来るのです。

サイケに色めく夜、再びのファンタジーの歌を。

Once in a life, I'm a lucky man, 人生で一度でも巡り合えて、ぼくは幸運な男だ
If I can find the kind of love That's gonna last for me.
Twice in a lifetime,             人生で二度、、
Is one of those unspoken dreams  それは口にすることもない夢のかけら
We usually reserve for fantasy.    ファンタジーのままとっておくのがいいのか

Who knows how we find love?     どうすれば愛を見つけることができる?
Stop before you give your answer.   すぐに答えを出すのはやめて
Who knows when a mystery begins?  いつミステリーが始まるかなんて誰に分かる?

ファンタジーが満ちてくる、マジカルでミステリーな冬から春への日々を愉しみましょう。

 The Beatles - Magical Mystery Tour (Trailer)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Route90 @ 南青山マンダラ

2015年01月25日 | 日記

音楽には様々な音響や倍音が含まれている。(「倍音声明」体験へ)

音楽に向き合っている時間の流れの中における精神現象の密度たるや、すごいものがあると言います。

音楽を聴いているようで、単に音を聴いているのではなく、世界を受けとめ感じている。
同じ本を何度も読み返す人はそれほど多くないが、音楽を繰り返し聴くことがごく普通なのは、
聴覚による非言語性のコミュニケーションは、文字によるコミュニケーションよりも情報量が多く、
非限定的で、毎回異なった面や層を発見できる喜びがあるから。

 

2013年1月以来となる3回目のRoute90のライブに行ってまいりました。

南青山のMANDARAというライブハウスでの2部構成のステージ。
今回はステージ前面にせり出してきたドラムの打ち鳴らすリズムが強烈な印象で、こちらまで飛び上がりそうになるくらい。

ライブハウスに鳴る音響が空気を歪ませると、独特の密度がうねり始めて、心象的時空間は変容していく。
非日常的な、時空間に身を置くことで、非日常的な感覚が研ぎ澄まされていくということはあると思います。
能などの伝統芸能に限った話ではない。

 

ライブの素晴らしさは、陳腐な言葉を並べてもうまく表現できませんが、
「倍音」の本に書かれていることを身をもって体験できたような気がしましたので、それを引いてみることにします。

人間のコミュニケーションの中心には、言語コミュニケーションのようにメッセージや意味を明示的に伝えることはできなくとも、
限定的でなく、もっと可能性に満ちた「非言語性のコミュニケーション」がある。音楽もその一部です。

たとえば、「言語性のコミュニケーション」では、意味内容が音響より優先するので、文字や言葉にならない音響は失われてしまう。
たとえば、「あ」という音として、音を区別し、抽象化・記号化して取り込んでしまう。
しかし、「非言語性のコミュニケーション」(たとえば音楽)では、
悲しさの中に透明感のある美しさを包含させたり、喜びの中に星屑のような不安を織り込んだり、
同一の対象に対する強い愛情と憎しみといったアンビバレントな感情をも、同時に伝達することさえ可能です。
言語性のコミュニケーション」のように、一旦情報量を落とし、意味内容に変換して伝える必要がないからです。

「非言語性のコミュニケーション」では、意味をひとつに明示、限定できないうえに、
情報量が多いので、逆に広く大きく深いものを包含することができるのです。
主たるメッセージだけでなく、サブメッセージを織り込むことも容易ですし、
無意識のメッセージが自然と多く含まれることになります。
(一概には言えませんが、論理性の希薄なものほど、複雑性、多面性が強く、無意識の領域に関わっている部分が大きい傾向があります。)

「音楽は嘘がつけない」

一般に、言語性のメッセージ、非言語性のメッセージ、無意識下のメッセージの順で、真実性が高くなっていきます。
論理性の高いものは、論理性にかなっていればよいので、「うれしい」の代わりに「かなしい」というのは簡単です。
しかし、音響全体を「悲しさ」で統御するのは非常に困難です。
無意識の領域におけるコミュニケーションは明示性こそ低いものですが、真実性、信憑性の非常に高いものと言えるのです。
音楽の演奏において「嘘がつけない」、「人間そのものが出てしまう」というのは、こういった点を指しているのです。

「ブルースという原型について」

新大陸アメリカで、ヨーロッパからの白人系移民のキリスト教音楽と、奴隷としてやってきたアフリカ系民族の民族音楽が混じり合って黒人霊歌が生まれる。セブンス「B♭」の多用、民族音楽特有のフラットする音程感が、キリスト教音楽にはなかった、自然倍音とは違った独特の響きを持った「ブルース進行」の音楽になっていく。
そして、南北戦争が終わった19世紀になって、多くの黒人が解放され、軍楽隊で使用されていた楽器が街にあふれるようになって、
黒人たちがミュージシャンとして演奏しだしたのがニューオーリンズ。

もともとはいかがわしいところで演奏されるガチャガチャした音楽という呼び名だったJazzは、
白人の演奏するディキシーランド・ジャズを経て、さらにはクラシック音楽畑のガーシュインやラヴェルまでも感化させ、
スイング、ソロ楽器のアドリブを重視したビ・バップ、そしてモダンジャズへと洗練されていく。

一方で、第二次世界大戦後に、ブルースコードをかき鳴らすシンプルなビート音楽(リズム&ブルース)が流行し、
ロックンロール、ロックへと発展していった。

( ↓ ) 1970年代半ばにニューオーリンズにレコーディングに訪れた頃のウイングスの映像をクリップ。
    ニューオリンズには、今のロックやポップスが発祥する源となった、新大陸ならではの混沌と創造があるのだと思う。

Paul McCartney and Wings My Carnival-New Orleans 1975

一つ一つの原像の中に、人間の心理と運命の一片が封じ込められているのです。
はるか何代にも及ぶ祖先たちに何回となく起こり、
おしなべて言えば、同じような成り行きを辿った苦しみや喜びの一片が含まれているのです。

原型と共に語るものは、千の声をもって語り、人を掴み、圧倒し、
同時にその語るところのものを、一回限りの移ろいゆくものから永遠にあるものの域にまで高めます。

個人の運命を人類の運命に高め、それによって、これまで人類に、その時々のあらゆる危険から脱出し、
どんな長い夜をも耐え忍ぶことを得させてきたあの救いに満ちた力を、私たちの内にも呼び覚ますのです。
これが芸術の効用の秘密です。

芸術における無意識の領域の重要なところは、ここにあります。
芸能、芸術は、無意識を現前させるためにある。

( ↓ ) エゴン・シーレの表現は、原型の先にまで及ぶ。性や死や脈動や粘膜までが芸術になりうる。
    ニューオリンズというとハッピーなジャズ音楽を連想するが、これは少し違っている。
    このヴォーカル・スタイルといい、無骨なのに、痛ましいほどに美しいのはトム ウェイツ。
    人間をやり直しでもしない限りは、私にはこんな歌もピアノも弾けないだろう。

I Wish I Was In New Orleans - Calligraphy Animation

もらった帽子がイタリアの種馬的ブルースを感じさせるので気に入っています。
ブルースナイトは、長男のセンター試験日であり、バースデーでもありました。明けよ、ブルース。

 

冠するバンド名が、昨年2014年7月に亡くなったJonny Winterのroute90という曲名に由来していたことを知りました。

 

単に言葉として残っているのではない、もっと身体的な音響として再現される、微妙なニュアンスや感覚。
歌やギターで、原型と共に語り、一回性の音楽に込められていた豊かなフィーリングを現前に呼び起こすことができる。

CDはこちらからどぞ。 ⇒ Second Album "Got Ready"

「無意識の領域を含めた自己実現が大切だ」。

身体や無意識は、私たちの頭や意識よりもはるかに賢く底が深いのでした。

音楽には、無意識の源泉がある。無尽蔵の泉。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断片的弾語り ~ Hey Jude

2015年01月18日 | ツールとしての音楽

なぜに人はたいして上達もしないピアノを弾くのでしょう、サルトル先生。

 

Chopin - Nocturne Op. 15 No. 3 in G minor; Jean-Paul Sartre

難解だったので購入するに至っておりませぬが、内田樹先生が師と仰ぐレヴィ=ストロースは音楽と世界に相同性(ホモロジー)を見出していた。

~「音楽自体が人文科学の最後の謎となり、人文科学はそれに突き当たっているので、この謎が人文科学の進歩の鍵を握っているのである」

本当なのかどうか分からないが、音楽自体に宇宙を見る気がする。

音楽と宇宙に共通する視覚を超えた振動と時間性、共鳴体としてのピアノや声について。

日本にもメンターがいらした。恥じ入ることなく続けてゆけばよい。

兼好さま、有難うございます。勇気をいただきました。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[2015年1月] 磔刑の続きに詩のあらんことを

2015年01月11日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

見たくもないスコアを、わざわざブログに貼り付けるというのは、半ばマゾヒスティックな行為です。

自らに課す磔刑。

111という屈辱的スコアからの復活を期した1/11、この日のラウンド。

磔刑と言えば、宗教改革で知られるルターにこんな言葉があります。

  明日地球が滅びるとも、今日、君は林檎の木を植える~

開高健氏もこの言葉が殊のほかお気に入りで、たびたび作品で取り上げ、色紙にもしたためていた。(開高健の言葉)

” 何があろうと、君やあなたは、いつもと同じく心静かに暮らすのですゾ ”

ゴルフをしてる時はこうでありたい。
明日がどんなであろうと、今日君はひたすらに木を振って遊ぶ。

一月だというのに、風の穏やかな小春日和のなかでのゴルフでした。
(一時間スタート時間を勘違いしてて、迎えに行くのが遅くなりましたけど。)

でも、内容は心穏やかならぬラウンドでした。最近はいつもこうです。
(邪念が入るから、ひたすらにリズムをキープできないのです。)

スタートから連続Parスタート。スタートホールは9番アイアンでゴロを打ってのスタートでしたが、7mのParパットをねじ込む。

リズムをキープできなくなった分かれ目は4番ミドルでした。
ビッグドライブが出て、2nd地点で、ピンまで花道30Y弱を残すのみ。
楽勝バーディーかと思いましたが、アプローチが強く入って、結局このホール、ボギー。
自分でもわかっているのですが、パーやバーディーを取りきれずに流したホールの後に、だいたい悪魔のリズムがやってきます。
5番でドライバーを右にOBとすると、7,8,8と、またも歯止めのきかない大たたき。

後半INも出だしこそ持ち直して、丁寧に打てていましたが、
Parを取った13番の次のショートで切れてしまいました。

またもどうでもいいや病に取りつかれた、あがり3ホールは、
仇討ちでもするかのような、バランスを欠いた強引なスイング、雑なショットで流してしまいました。
こういうゴルフをすると、スコアもボロボロですが、自己嫌悪に陥ります。

 

 こんな見出しに心惹かれるからだめなのです。

でもこちらの記事が沁みました。

” 俺って、もっともゴルファーに向いていない気質なのかもしれない。。”

なぬー、夢や希望をイメージだと勘違いしている、おかしなロマンチスト!?

 Twitterでフォローしている日経の記事も沁みました。

” なぜ うまくならないんだろう・・・”と思います。

良いショットを打つには身体能力や運動神経が必要だと思いますが、
良いショットがたまに打てても、あんまりスコアには直結しません。
たしかに、それ以外の部分が大きいような気がします。

 

 ”どうしたら上手くなれるのでしょうか”

さすが日経、「目指せ70台」と愚かなゴルファーを煽動するのではない、冷静な記事でもって語りかけてくれるのでしょか。

”なんじゃそりゃ!?”

「強いゴルファー」はやめて「いいゴルファー」を目指してみては、って一体何を言ってるのだ!? 
ひどい記事だ。これでは救いがないじゃないか。

うな垂れたぼくに、うなダレでねぎらいを。元気が少し出てきました。感謝します。

 

そうそう、近くのゴルフ練習場までグリップ交換に行ったのですが、練習場も進化していました。

練習場でスイングや打球の分析ができるだけではなく、コースを検索して、ラウンドシミュレーションをしながら練習ができる、っておもしろそう。

 

苦手にしている菜の花の7番とか、ここで攻略法を練習しようかな。

なんだか見覚えのある風景だなと思ってたら、近くのいつも行ってる練習場でした。
この「REC CHECK GOLF 3」、設置店舗は埼玉ではここだけのようです。

REC CHECK GOLF 3【練習場で全国2200コース以上をラウンドできる編】

「翻訳は良い趣味だ」

詩人は詩を書くひととは限らない。ゴルフをしていてもよい。

磔刑の続きに詩のあらんことを。

The Measure of a Man

These battered hand are all you own
   おまえに残ってるのはボロボロになったその手だけ

This broken heart has turned to stone  砕けた心は固く石のようになってしまった
Go hang your glory on the wall       過去の栄光なんてほっておけ
There comes a time when castles fall    城はやがて崩れ落ちるもの
And all that's left is shifting in the sand   すべては砂の中に埋もれていく
You're out of time, you're out of place  おまえはもう時代遅れ、おまえは場違いだ
Look at your face                自分の顔を見てみろ
That's the measure of a man         男の値打ちが分かるはず
This coat that fits you like a glove    このコートは手袋みたいにピッタリだ
These dirty streets you learned to love この汚いストリートでお前は愛情がどんなものだかを学んだ
So welcome back my long lost friend   おかえり、旧友
You've been to hell and back again    ずっと地獄だったが、戻ってきたんだ
God alone knows how you crossed that span 神様なら分かってくださる、磔刑に耐えた日々を
Back on the beat, back to the start  
Trust in your heart
That's the measure of a man

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[2015年 正月ラウンド]初春は夢のごとし ~ ゴルフと磔刑的人生について

2015年01月04日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

正月に富士山の夢を見ると願いが叶うといいます。


上達の誓いを立てようと思った正月ラウンドでしたが、ささやかな初夢は夕闇へと消えてゆきました。

帰りの車中に流れていたのは「かもめはかもめ」、

見た目(スコア)を追い求めるなということなのでしょか。
あひるはあひる、白鳥にはなれないのですから。

錦ヶ原の池にはかもめの姿もあひるの姿もありません。
然し孔雀のように夕陽に染まったすすきがそよいでいます。


これ以上、スコアを望むことはやめたほうがよいのでしょか。
わたしがゴルフに求めている変容は、果たしてスコアなのでしょうか。

正月の黄金が池のすすきになって語りかける。

(スマホからなので、カードはあとで貼り付けときます。みずから課す磔刑のようです。)

追記

さて、正月の終わりに、ゴルフと磔刑的人生、についてです。
こんなことを書いているものもあまり無いので、自分で書こうと思います。

磔刑の111.
アウトからのスタート、四番堪えましたが、OBの出た5番でリズムを乱して大たたき。

イメージしているラウンド・デザインというか理想が高いので、
9も叩くと、デザインが成り立たなくなって、どうでもよくなるのだと思います。

パーを取った後に大たたきする、との指摘も。

悪いと引きずるし、良いと脇が甘くなる。
どのみちだめじゃないか。

ゴルフをやっている限りは一生修行を続けられそうです。
終わりがない。

能をやっていて一番よかったと思えるのは、自分の成果を気にしなくてよくなったということ "

そうでした。

成果ばかりを気にしていては、こんな下手くそではゴルフをやめるしかないでしょう。
でも思い通りの人生にならないから、といって人間をやめることはしないでしょう。

ゴルフに限った話でもありません。ピアノだってそうです。
なぜ、今さら大した成果を見込めそうもないことをわざわざするのか。

閉塞した感じがあるとき、年齢的に遅すぎるように思えるとき、
結果として上に行けない、そんなときに、上を向いて歩くことは、なかなかむずかしそうだが、
そこに行けないから、上を向いてはいけないという道理もない。

さらに言うと、上を向いている必要もないような気がしてきました。
そんなことをいう人もあまりいませんけれど、
下を向いていてもいいし、あっちを向いていてもかまわない。
山の頂に向かっている人もいれば、落っこちそうな谷間を渡っている人もいる。
山の喩え ~ 40歳をピークとした人生像からの脱出

″能の世界に生きる人たちの基本的な心の構え″に学びたいと思います。

我が身一生の成果ばかりを気にするのではなく、測り得ない悠久のなかに身を置くという物差しやスケールがあることは、
なかなか教わることがありません。

長い間、そして今も、ビジネスタームを優先した生活を送っていますから、何度も自戒しないと忘れてしまいます。

Paul McCartney- Demons Dance

I can’t ask you to thrill me    スリルなんて頼んでないよ    
That’d be asking too much    そのスコアはちょっと多過ぎだ
I can’t ask you to fulfill my expectations that you gave me  ぼくの期待に応えてくれなんて頼まないよ
After we first touched        新年最初のタッチから

But but the feeling that been building inside me でも ぼくの中にこしらえた理想に
Is too hard to resist                    抵抗するのは難しい

I can’t wait much longer till you tell me baby    そんなに長くは待ってられない、いつになったら声をかけてくれるの?
There’s some chance we’ll get together maybe   どうにかして理想と現実が一緒にならないものかい
Sooner or later, I’ll be in with half a chance      遅かれ早かれ、少しはチャンスが来るはず
I can’t wait till I hear you tell me that you want me  そんなに長くは待ってられない、いつになったら欲しいって言ってくれるかい?
Till then my dreams are gonna haunt me       いつか夢が僕のところに来て現実になるんだ
Got my demons doing such a happy dance     悪魔たちのうごめくゴルフコースで、どうすればハッピーダンスを踊れるんだろう

Hey! Ah! Yeah!

111の磔刑、1の並びは悪魔の踊りっぽい。111の日に磔刑からの復活のあらんことを。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[2015年1月] 正月の初ラウンド

2015年01月03日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

あけましておめでとうございます。

正月らしくないですが「きささげ」という珍しい茶花を初めて見ました。
どことなく異界の様相を呈しています。
そして、お正月らしい縁起物「島台茶碗」。
金箔や銀箔を施したこの島台茶碗で濃茶を順に廻しながらいただきます。
かなり底が剥げていますが、
金箔や銀箔を塗り直して大切に使い続けるものだそうです。

( ↓ ) これは今年の年賀状のテイク1.(くるみの木にくるみらい

少し異界っぽい雰囲気が入っているのが気に入った写真。
あんまりお正月らしくないという意見もありましたが、高野山開創1200年を迎える今年に相応しいような感じもする。

初詣に行って鐘楼をつくと、倍音の音響がときおり撓んで、空間が歪むのを感じます。
仏教、なかでも密教には、能にも似た異界にアクセスするための足掛かりが取り込まれているのが分かります。
LEDなど無かった時代、人々は夜の闇を視覚以外の感覚を総動員して感じ取っていたに違いありません。
鐘楼の音圧の中に身を置くと、たしかに空間が歪んでいるような感覚になって、目には見えなくとも密度のようなものがあると感じられる。
目に見えて現実世界が変容しなくても、世界の認識の仕方を変えることはできる。
そして、目に見える変化ばかりが重要なのではない。たとえば、「美味しい」は目に見えないが、ことのほか重要だったりする。

 

さぁ未年の初ラウンドへ。(続きはあとで)

未年に因んで。
(新しいバンドの門出になんで童謡なの!?って感じなのだが、これもなかなかに、ところどころブワワーンと歪んだ音響をしている。)

Mary had a little lamb (with lyrics)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする