ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

秘密の部屋 ~ サラ・バリエス♪

2011年01月09日 | 茄子曰く、、

茄子曰く、、

カーラジオから、ぼく好みの曲が流れていた。

Sara Bareilles - King of Anything

Keep drinkin' coffee
Stare me down across the table
While I look outside
そうやってコーヒーを飲みながら
テーブル越しに私をにらんでるといいわ
私は外を見てるけど


And who cares if you disagree
You are not me
Who made you king of anything
So you dare tell me who to be
Who died
And made you king of anything
「僕はそう思わない」って、だから何?
あなたは私じゃない
どこぞの王様にでもなったつもり?
だから私にどんな人間になれとか
知りもしない故人の話とか
偉そうにしないで欲しいわね

この強気な歌声、、、もしや、おぉ、あの時の彼女では

 なんだか、壁の模様もそっくりではないか。。

 

やれやれ、ようやく ぼくの部屋に戻ってきてくれたのか。 

 おめでたい夢から醒めたボケナスは、独りうつろに、誰もいない部屋で本を読むのだった。。

春日武彦氏の「幸福論」、氏が体験した幸福感を1ダースほど並べたという、
十二片のエピソードのなかに、つげ義春氏のこの話がありました。
男女それぞれの感性の違いがもたらしたほろ苦いユーモア。
書きだすのも野暮なので朗読してみた。

つげ義春「退屈な部屋」
 

世間一般では「これこそ幸福の見本である」とはみなさないだろうけど、
わたしとしてはそこにまぎれもなく「幸福のしっぽ」というか断片を感じとったのである。
日常世界のディテールを楽しめ。とるに足りぬことと無価値であることとは違う。
奇想を愛で、事物と和解せよ。
馬鹿げたことをしていようと、零落していようと、ある種の精神的なみずみずしさを保て。
ときには困り果て、安堵を求めて右往左往することもあるだろう。
悩みや絶望に煩悶(はんもん)することもあるだろう。
だがそんなことは誰の身にも起きる当たり前のことである。
まるごとの幸福、なにからなにまで幸福といった状態は幻想である。そんなものはない。
幸福は常に断片として現れる。 

 ※ なお、king of anythingの歌詞はこちらのサイトから引用させていただきました。<(_ _)>

コメント (4)
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茄子曰く、、(・。・;

2011年01月03日 | 茄子曰く、、

新年、ブログを再開するにあたって、目新しいアイデアがなにかないか、と考えてみた。

どうもコメントしにくい記事になっているとのご意見をいただいたこともあった。

1年8カ月も続けていると、おおよそ自分の頭の中、書きたいことの輪郭というか傾向もわかってくる。

ここに限界というか、カベがあるのだ、きっと。

◇ アイデアその壱

  マスカラスをやめる。せめてお茶の間受けするデストロイヤーにする。

⇒ 趣味に合わないことはしたくない。
   無用の長物になったマスカラスのマスクを置いておくのもヘンタイっぽいが、捨てるのもエコでない。
   続けるしかない。

◇ アイデアその弐

  もっとプライベートを前面に出して日記風にする。
  もっとコメントしやすい、親しみやすいおじさんになる。

⇒ ポリシーに合わないことはしたくない。家族も迷惑である。

◇ アイデアその参

  もっと猥雑さを出し、人間臭くする。

⇒ コレだ 

 第三者をして語らしむ

旧くは紀貫之もこの手を使った。( 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。)

偉大である。女にまでなりきっている。

夏目漱石も、吾輩は猫である、と言って小説を書き、

ビートルズだって、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドが架空のコンサートを行う設定でアルバムを作った。

今や、ゴルフィーも、マスカラス(センセイ)も、すっかり同化してしまい、わたしの分身になりつつある。

これでは、多くは望めない。

ウィリアムズのように新しい領域を拓いていくには、

相反する資質を持ったパートナーが必要だ。

第三者ならば、わたしとは関係がないはずだから、ナニを書いてもらってもかまわない。

時々このボケナス、と注意してやればよい。

わたしは、これまで通り、亭主九分の勝手ブログを好きに続ければよい。

同じような言説を続けるといささか腐臭を放つようになる場合があるが、これで安心だ。

ここに言論の自由が保障された。めでたし。めでたし。

( ↓ ) こどもとの書き初め。どういう文字を書こうかと悩んだ末に選んだのはこの文字である。
     こどもには、意味不明だったようである。

今日は一月三日、
初夢に見ると縁起が良いと言われる、一富士、二鷹、三茄子にあやかって、
以前から拙ブログに書いてきたボケナスを思い出したというわけ。

孔子とかけるのも失礼な話だが、「 茄子曰く、、」と始めてみると、第三者感が増す。

しかし、茄子がどういうテーマで何を語るかは、今のところ まったくもって未定である。

これまで通りで何も変わらないかもしれない。

初夢なすびになってしまうかもしれませぬが、「 茄子曰く、、」というカテゴリーは追加した。

( ↓ ) 趣向が全然変わってないんですけど。。(・。・;

The Beatles - Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

ほんとうは開高健氏のように、猥雑でも濃密でコクのある風でいきたいのですが、なかなか。
これは週刊プレイボーイにあった「風に訊け」という連載をまとめた本。
若いひとからの質問に氏が回答するコーナーなのですが、読者層柄、下ネタが多い。
しかし、氏はユーモアたっぷり、余裕綽々で切り返す。

エッセイはともかく、「ファインマン物理学」の方は実家から持ち帰ってきた。
こんなの読んでみようという気になったのだから、我ながら大したものだ。
この年末は「超ひも理論」の本を面白く読んだのだが、なかなかブログに起こそうという気にならない。

 

「死後の世界を突きとめた量子力学」の中でも紹介されていたスウェデンボルグに関する本。
生きながらに霊界と行き来した経験を霊界手記という本にまとめ、北欧のアリストテレスとも呼ばれたマルチな科学者。
ニューヨークタイムズが絶賛、とある。
もったいぶった書き口の分厚い本だが、そのうち読み直してみよう。

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