ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

神が宿る風景 ~ 私の範囲をとらえ直す

2012年01月31日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

神が宿る風景、このビデオとそこに添えられたメッセージに倍音を感じた。(アデルの倍音
自分ひとりではなかなか見つけられない、鉱脈にがつんとあたったような感動。

~ 僕は、祖母の手を握って笑う赤ん坊の無邪気な笑顔を神と信じる。遠くでベンチにうつむいて座ってる人の風景を神と信じる。コーヒーカップ片手に信号が青になるのを待ってる­人の何気ないしぐさを神と信じる。路地に咲く花が揺れる瞬間を神と信じる。猫の目の瞬きを神と信じる。道路に舞う茶色の木の葉を神と信じる。さりげなくめまぐるしい雲を神­と信じる。月や海や夕暮れのような自然を神と信じる。人々の、さりげない笑顔を神と信じる。
自然な光景、それは二度と、永久に同じようには繰り返されない奇跡で、そのどれもが目を覆うような輝きに満ち溢れてる。そして僕は、そこに神がいると心から信じてる。

Nujabes -Luv (Sic) pt.3 feat Shing02-(MV)

人間はかなしみが本質であり、土台。
自分のなかにかなしみがあるのと同様に、他の人もかなしみを持っていることに目を向けてください。
そのかなしみに敬いの気持ちを持つことです。
それが人を敬うということではないでしょうか。

人を敬う、ということの明快な答えが示されているように感じた。(攻めの養生 ~ 声に出して身心を調える

この映像とメッセージ、生物学者の本川達夫先生にも重なるものがある。

生物学的文明論 (新潮新書)
本川 達雄
新潮社

「かけがえのないものに価値を置く発想を取り戻すために、私の範囲をとらえ直しませんか。」

生物学的に言えば、子供は私であり、孫は私。
私、私、私、と私を伝えていくのが生物であるはず。
(生殖活動によって生物は続くようにできているのだから、この利己遺伝子の欲求から逃れることはできないのだが、私一人の私、という利己主義だけが本来の生物の生態ではない。)

科学が数式を使った客観性を重視して、質ではなく量で物事を測定するようになり、
貨幣経済は、質の違いを値札という量に置き換えて、物事を評価するようになった。
(この考え方に現代人はすっかり飼いならされてしまっている。)

より速く、より便利にという社会の要請に応えて発達したのがクルマやコンピューターといった文明の利器であり、エネルギーを使って時間を速めることで便利さが増してゆく。

質(かけがえのない多様性)を量に置き換える、便利な考え方が行きすぎてしまっているのではないか、
本来、人類を幸福にするためのものであった技術の目指すべき方向が、このままでよいのかを考えるべき時期に来ているのではないか、という生物学者からの提言。

地球温暖化も資源エネルギーの枯渇も、元々は石油をどんどん燃やして、時間を速めているのが原因。
人間の身体の時間はどの生物も15億回で心臓が止まるようにできていて変わらないのに、社会生活の時間ばかりが桁違いに大きくなっていき、そのギャップが現代人にとって大きなストレスになっていると指摘する。

時間を環境問題としてとらえる、なるほどそういう見方もできるのかと思いました。

利己遺伝子の欲求を抑えることはできなくとも、
自分の身体が占める空間(環境)と、自分の身体の一生という時間、
それ以外は私ではないと捉えるのではなく、もっと私の見方を変えて、もう少し広く私をとらえること。
私をとりまく物や人といった環境は、私という生物にとってかけがえのないものであり、私の一部。
そして、自分という個体の命だけが私ではなく、次世代へと受け継がれ継続していく命もまた私の一部。

生物にはそのような回って続く時間があることを、現代人は見落としてしまい、
万物共通の絶対時間に、ただただ押し流されていくしかないという感覚が私たちの生きる上での重荷になっている、と言います。

そもそも仏教的な廻る時間という概念ではなく、一方向に真っすぐ流れるニュートン力学的な絶対時間というのは、
神がこの世を創った時から世の終末まで、絶対的な神の時間が流れるという信仰の産物であり、古典物理学は世俗化したキリスト教とも言える一面を持っている、と。

時間とは実に興味深いテーマだ。
 

 

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[2012年 1月/ 大宮カントリークラブ] 昨年来のマスターズ選手権プレーオフに決着

2012年01月29日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

大寒を過ぎた頃、今の時期のゴルフ、朝がつらい。

地震雲じゃないんかー、と鉛色の空が明るくなっている東の空を見上げる。

 昨年末以来、47ホールを経て、未だ決着のつかぬプレーオフ。
今日の18ホール目、計66ホールの死闘を経たあかつきには、
全米オープンでかつてタイガーが見せたこのポーズで決めようか、などと考えていた。

ティーショットは、S(Straight)/g (good)が並んでいる。何のモンダイもない。
しかし、開眼したはずの100Y 以内からが、今日はボロボロだった。

凍って堅いグリーン、陰日向で硬さの違うバンカー(この日は不思議なくらいバンカーによくつかまった)、
ついにはシャングで出始めて、スコアにならない。

18ホール、Parなし。
ティーショットを打ち終えた段では、ほぼチャンスを残せているのに、
とにかく100Yからが信じられないくらいボロボロである。
[2010年2月栗橋国際カントリー倶楽部]・・反省・・を思い出した。
(あのときはグリーン傍からカップにいれるまで意地になって12回打ち続けた。)

67 ヘ?(・・?、なんじやこりゃ。

そんなスコアを叩くようなショットを打ってるわけではないのだが、とにかくショートゲームがだめだめ。
5番ショートホールではG手前のバンカーに始まって3つのバンカーを渡り歩き、
3つ目のバンカーなんぞはつかまろうとは考えていなかったので、SWも持ってない。
アゴがあったが、手持ちのクラブで適当に打ち続け、とうとうギブアップ宣言までした。
(ギブアップしたのは、ゴルフ人生のなかで初めてかもしれない。)

ぶはーっ、小江戸ビール、おかわり。

後半、くれないコースの4番、通算60ホール目で6downとされた時点で決着がついた。
気を取り直しての後半、ティーショットはまずくないが、
ホールByホールでちょっとずつショートゲームやパッティングの取りこぼしで差は開くばかり。。

後半40を出したエルヴィスくん、4番からのラッシュがすごかった。
5番ではアゴのあるG手前バンカーからG奥に切ってある難しいラインに乗せてチップインバーディー。
まるで、フジサンケイクラシックで初優勝したときの石川遥選手みたいだった。おどろいた。

ハーフ40切りのかかった最終9番でもG奥のバンカーからチップインバーディーはなかったが、
下りの難しいGのラインに乗せてきてパーを奪取。
連続ダボのスタートながら、後半3バーディー、2パーのラッシュを見せられた。

ここまで冴えわたると、あっぱれというしかない。

( ↓ ) 信頼の技を支えるウェッジを手に、彼はリンクスの看板男となった。 

こんなに叩いてナニいってるの、と言われることと思うが、
ほんの少しのきっかけがあれば、いつでも浮上できる感触はまだ残っている。(どこまでも幸せにできているのだ、たぶん。)

私の課題は、とにかくキレないショートゲームだ。
技術的にはかなり磨きがかかってきていてるのに、気持ちが空回りしているだけ。

看板男の座は奪い返すぞ。

 

冬の荒川、太陽が私には眩しすぎる。。

道頓堀川の夜のネオンもだ。


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夜のしじまに ~ 鼻唄作曲家

2012年01月28日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

鳴かぬなら 歌ってしまえ ほととぎす。

tweeterでさえずってはいましたが、Ladidaでワルノリ、は山谷を越えてYouTubeに進出いたしました。

GodiegoのIn your eyesをアップしたら削除されてしまったので、それならと。

今日、感動したのは、勘当の系譜を感じる「Always 三丁目の夕日」でしたが、
今宵お届けするのは、月明かりの夜のしじま。
詩はあのシェイクスピア、ヴェニスの商人からの引用です。

あなたの夜のしじまを壊しませんように。

 

なかなかに適当な詩をつけるのは難しいので、メロディだけでも書き溜めていこう。

処女作のこれ ↓ を昨晩飲み屋で聞かせたら、歌詞をつけたらいいのに!、と言われたので木にのぼってみた。
http://khu.sh/usersong_4f1fffb283a71

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鼻唄作曲家

2012年01月26日 | ひそひそツイート


22:12 from LaDiDa on iOS
sang "アップルピーを追いかけて" on iPhone with @LaDiDa. khu.sh/usersong_4f1ff…

23:44 from LaDiDa on iOS
まだまだつづけるぞ、まずはアップルピー3部作だ。 sang "アンビニエントdeアップルピー" on iPhone with @LaDiDa. khu.sh/usersong_4f201…

by lifelongpassion on Twitter

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巨大イシナギと、冬の木枯らしに似つかわしいブルッフを。

2012年01月22日 | お気に入り♪(クラシック)

開高 健さんがアラスカ ベーリング海でオヒョウ(巨大カレイ)を釣りあげてその場で食す、の図が思わず頭に浮かんだ。
父の日に思い出した方々
淡白で大味なイメージを想像していたが、歯ごたえがあって、ほのかな甘みの上品な味の魚だった。

面白いことが書いてあった。
" 団塊の世代 "、" 新人類 "、" バブル世代 " うんぬんと世代を括ってタグ付けするのがいけないと。

年金問題をはじめ、世代間格差はたしかに存在するが、悪意のひとなどそうはいないのだ。
みんな それぞれにリッパだし、同時に、ヘボくてみっともない、というのが ほんとうのところなのだと思う。

非難することは本当に恐ろしいことだ )← 人さまの記事だが印象的だった。
ジェラシーの存在に気づくこと

崇高な音楽のようにタグ付けされがちなクラシックだって、感情を突き動かす劇化作用をもった音楽だ。
ひたすらにキレイなばかりではなく、憑依に取りつかれたような激情ぶりに魅せられることが多くて、
このブログでもそのような、狂気との狭間のようなやつを見つけては採り上げる。
決して博物館的な置物ではなく、ナマモノとしての音楽。

世代を超えて同じ地平に立つ、指揮者と演奏家の魂の交歓。
(6:10過ぎなんて、そこだ! ジャイーヌ! もっといけ! って声が聞こえてくるようであっぱれだ。)
寒さの厳しい冬に似つかわしいブルッフ。

Janine Jansen-Max Bruch,violin concerto

 好きな第3楽章では一気に春めいて終わる。

一見すると動きに乏しいようでも、地面の下や木々の幹の中では春に備えて変化が起き始めているという。
1月にカエデの木を折ると、すでに春に備えて水を吸い上げ始めているために、樹液がにじんでくるそうだ。
晩冬は静から動へ、1年のうちでもっともダイナミックに変化が起きる季節なんだとか。

この時季は、コニファーの紫がよい。
気温によって、その日その日で、色の感じが違うように思える。
(左はブルーチップ。銀青色から冬には渋い紫に色を変える。 右は雨露の残るブルー・カーペット。)

 

ブルッフは意外なほどに数の少ないイギリスの作曲家。
ロンドン・オリンピックのある今年、春へ向けて根はそろそろ動き始めているはずだ。

ポールが、キャリア初のヴォーカルに専念したアルバムを出すようで待ち遠しい。
よしといたほうがいい、と言われて、しばらく封印していたが、これは歌いまくってしまいそうで、こまったものだ。(・。・)
ポール・マッカートニーが5年振りの新作『キス・オン・ザ・ボトム』を2月8日にリリースすることを発表。

 

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インパクトの真実 ~ アマゾンの奥義

2012年01月22日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

フックを克服する過程で、ショットの安定度を増すための方法を試行錯誤しているうちに、ひとつの結論に行き当たった。

いかにして、インパクトの精度を高めるか。
練習をそれほどしないアマチュアが、その感覚をオートマチックに呼び起こせるような方法はないものか。

答えは、基本にあった。クラブと身体をつなぐグリップへの着想。
ぶれないグリップをつくり、スクエアに正確に、厚くインパクトすることに集中すると、
スパインアングルもキープされるし、クラブの軌道やヘッドの軌道への感覚も研ぎ澄まされてきて安定するように思える。
偶然に頼った、行き当たりばったりのショットでは、肝心のゲーム・メイクができないのだ。
やはり、重要なのは、インパクトだった。

「インパクトの真実 ~ アマゾンの奥義」、御開帳である。

~ 人には燃えることが重要だ。燃えるためには薪が必要である。
   薪は悩みである。悩みが人を成長させる。(松下幸之助)

ゴルフにあまり興味が湧かない方からは、こんなくだらないことに悩んでいるのか、とお叱りを受けそうだが、
たかだか1リットルの脳髄の中に立ち上がるのが人間の悩み、いろいろあっても根は似たようなものだ。
仕事でもなんでも悩み(薪)はつきものだが、
むしろ、くだらない薪でも探してきて燃やしていることのほうが大切なのだと感じた、アマゾンからの便り。

インパクトをスクエアに保つ魔法のグリップ

(嬉しそうに着ているのは、ジャケット替わりになるなと気に入った2Wayコートのインナー。
 愛用しているMIZUNOのサーモ・プラスの着脱式の袖部分を昨年末になくした(たぶんゴルフ場で落としてきた)ので、サッと上から羽織ってゴルフに向かうには便利だ。)

アマゾンが、テン・フィンガー・グリップと共に言及しているのがこれ。
右手人差し指を添えたグリップ。
インパクトをスクエアに保ち、軌道を確認しやすくなるという意味で、つながるものがある。

 

ロングアイアンは昔から得意なのだが、100Y程度からのショートゲームに難があった。
いつものように3番アイアンから、このメソッドが使えるのか確かめた後、ウェッジを何球か打ってみた。
120Yの目印めがけて、絶対に引っかけないように打っている。
左脇を締めてフォローを立てると、弾道は高くなる。

3番&ウェッジ編~両手を詰めずに正確なインパクトを。

右手・右足、右サイドを支点にしてインパクトに集中するから、
手元や上体が暴れることもなくなる。ドライバーにも有効だった。

ドライバー編~両手を詰めずに正確なインパクトを。

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[2012年 1月 トムソン・ナショナル・カントリー・クラブ] ~ プレーオフ決着なるか

2012年01月14日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

今週に入って冷たい寒気が流れ込み、早朝は身を切るような寒さ。

18ホールをやって1位タイのまま年を越し、
年が明けた先日11ホール、計29ホールをやってもまだ昨年暮れの年間最強選手決定戦であるマスターズの決着がついていない。
本日2度目のプレーオフ、47ホール目にして真の王者は決まるのか。

明日また日曜出勤ですが、間隙をついて決着をつけに向かったのは、栃木IC傍のトムソン・ナショナル・カントリー・クラブ。

この日は昨年暮れの忘年会にも行けずに申し訳ないことをした、ゴルフサークルの会長をつとめる「木職人(きしょくにん)」(気色の悪いひと、のようにきこえるが、woodをやおら使いこなすので、こう呼ばれ始めたらしい。)が参戦。
太陽にほえろに出てきそうな濃い顔は隠れているし、写真では声も発しないが、Come on! Bite!と実に賑やかというか、うるさい。
自分のうるささを棚にあげて、私の方がもっとうるさい、と言う勘違いぶりまで昭和の男風である。
Taylormadeをこよなく愛している。

さむい朝、きしょくにんが持ってきたマスコットバットで身体をほぐす。
私はポケット・ウィスキーを持参。皆にもカップで分けて、ちびちびと舐めながら身体のなかから温めることに。(冬ゴルフにこれは実にいい。)

あ、これはJack Daniel でなくて、Jack& Dianeね。
 

3人の間ではタテ(通しのスコア)で競い、
エルヴィスとのプレーオフは前回に続き、ホールByホールのマッチプレーで競うことに。

霜が降りてて、Greenの硬さが心配される。

両サイドOBのホールが続く中、身体が廻るかどうかが心配されたが、
スタートホールから、先日来つかみかけたものを発揮、Awをちょろったが、その後硬いグリーンのピン横1.5mにつけて、しっかり沈めてのボギースタート。
続くPar4、ティーショットを狙い通り3wで橋の手前まで運んだが、日陰のGreenはスケートリンクのように硬い。
アプはGreen奥まで跳ねていき、1.5mのパットもボールがツルツル滑る、もしくはボウリング球のようにゴロゴロした感じがあって、ダボ。

しかし、「グリップ両手を詰めずに、フェース面を揃えてインパクト」した12番ショートはピン横1.5mへ。
しっかり沈めて、2012年初バーディー。

だが、バーディーの後、一気にいくぞと色気が出たのか、ウィスキーの効果がてきめんだったのか、
続く13番でなんと11の大叩き。
みんなも、日陰になっている「氷のGreen」には悩まされた。Greenオンしてもボールが上にこ~ん、と跳ねるのだ。
ランニングアプローチも、止まることなく、コンコンコンとグリーンをこぼれてしまう。

気を取り直した14番292Y/Par4も、砲台Gのふもとまでティーショットを運んで、Gまん中に上げたのだが、奥の斜面まで転がってしまう。。1.5mの下りのパットもツルツルいくので触るだけで、なかなか沈めにいけない。。

そうこうするうちに、ドライバーも手打ち気味になってきて、ヒールに当たったり、徐々に調子を崩してゆく。
それでも前半最終の18番では3mのパーパットを決めた。

プレーオフのほうも、大叩きをやってタテのスコアは悪いものの、
勝負所では集中力を発揮、2upのリードで折り返す。

悪いコンディションや大叩きを受け入れて粘れる、勝負強さもでてきた。成長しているではないか。

そして後半、今度は2番でパーを奪取するも、エルヴィスはバーディーを奪取し、evenに並ばれる。
その後は一進一退を繰り返す展開に。
だが、前回と同じように次第にフィーリングが冴えてきて、
5番以降8番までも4ホールでパーを3つ奪取。
(7番で1mのパーパットを外してボギーとしたものの、待望のラッシュメイクも出るようになっている。

好勝負だった。
5番パーで1upとし、
6番もあわやチップイン・バーディーかというアプローチでパーを奪取したが、相手は10m近いバーディー・パットをねじ込んでevenに戻される。
7番ショート、向かい風の中5番で1オンして3パットながらボギーでまたも1upとした後、

8番はお互いパーで譲らず、最終ホールを残して1up。通算47ホール目でのプレーオフ決着に王手をかけた。

そして迎えた最終9番ロング、ティーショットは左のOBにさえ注意すればよい。
ところが、右ドッグレッグのコースなりにアバウトにスライス球を打ちにいったら、とてつもなく右へ。隣ホールを横切ってOBである。
痛恨のプレ4の3wは、今度はつかまりすぎて左へOB 。
プレ4の位置からドライバーで6打目を打ち直して、70YのAwをピン横2mにつけたがパットはホールを惜しくもかすめて2パット。
結局9の大叩きをしてしまい、47ホール目でまたもevenに並ばれてしまった。

しっくりアドレスできたときのパッティングは実にいい。
数字にあらわれてこないが、集中力が高まった時には10m弱くらいのパットでも入らずともかすめることはできる。
100叩いて何を言ってるの、と言われそうだが、相変わらず、Nextステージにあがる余韻は残っている。
タテのスコアでは結局7打差がついたが、出入りの激しい私には、マッチプレー方式でホールbyホールで勝負する方が面白くて好きだし、向いていると思う。
(叩いてしまうホールがあるのでスコアはまだついてきてないが、後半は9ホールで4つのパーだ。
18ホール、無駄球を打たずにスコアを積み上げてゆく鍛錬は足りていない。

正月に子どもに買ったチョッパーの通天閣ストラップと色も揃えた、チョッパー・マーカー。
次は幸運を運んでくれよ。(こんなのが1890円もするの!?とおどろいていた。)

 

 

 

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二谷英明さんとネスカフェのCM

2012年01月09日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

目黒にある二谷英明さんのご自宅で、インターホン越しにお声を聞いたことがある。

奥さまの白川由美さんに代って話されたのだが、
言葉も声も温かくて、厚みのある感じがした。
ヘンな言い方だが、あれほどダンディな肉声をインターホン越しに聞いたことはそれまでなかった。

(CM) ネスレ ニド 「クリーミィな味わい。」 二谷英明 白川由美 (1983-04)

ネスカフェのCMは昔から好きで、このブログでも記事にした。
ネスカフェのCM と遠藤周作 

懐古趣味ばかりでもいけないが、いい大人がたくさんいた。
負けないよう がんばらなくては。ご冥福をお祈りいたします。

マホガニーのテーマもネスカフェで知った。人生のあわいを歌っている。

Do you know where you're going to? 貴方はどこを目指しているのか分かっていますか。
Do you like the things that life is showing you 貴方は人生が見せてくれるものが好きですか。
Do you get what you're hoping for    貴方は望んでいたものを手にしましたか。
When you look behind you、there's no open door 振り返った時には 開いていた扉はもうありません。
What are you hoping for?         貴方は何を望んでいたのですか。

Diana Ross - Do You Know

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[2012年 1月 ノーザンカントリークラブ錦ヶ原] ~ 打ち初めのエルヴィス

2012年01月07日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

昨年の打ち納めに続き、手近な場所ではあるが電車でゴルフ、の打ち初め。

新年1番ホールのティーグランドに立つ。清々しい眺めだ。

比較的近い場所にある河川敷であるが、初めてラウンドする。
荒川を船で渡る、菜の花コース。11番ホールまで終えたら、また船に乗って12番から18番まで。

訳あって午後スルーなので、日没までに廻りきれるかどうか。
昨年のマスターズでの1位タイ同士の戦い、プレーオフ決着となるのか。
本日はマッチプレー方式である。

結果は、
『ツアー新(ならず)59、11ホール(まで)』。

スタートホールから、向かい風、
しかし、昨年最終戦でつかんだ、「フェース面のブレをなくす、両手のグリップを詰めないショット」の威力がここかしこで発揮された。

風に押されたり、待ちチョロがあったり、しながらも、
ショットの記録には「/ g(
good)が多いのがわかる。思った通り打てている。
冬の河川敷は、思った距離を思った通り打っても、打球が上空で前進することをやめることすらある。

途中から、" 開眼した、ホントにつかんだ "と言い出した、いしこのキレのあるプレーを意識してやや乱れ、
3downまで押し込まれたが、9ホール終了時点で1downまで押し返す。

 

 そして迎えた後半10番、左から吹きなぐる風に、いしこOB、私は3パットしながらもついにevenに戻した。
船で渡る前の最終ホールとなる11番、白眉である。

 

特にフォローの風というわけでもなかったが、
ティーショットは、共に満足のいく当たり、

左が私、右がいしこ。
Greenまで50Yくらいか、共に300Y弱ほどの地点になかよく並ぶ。
(こういう具合に球がほぼ同じ場所に揃うケースがなぜか多い。)

また最後まで勝負はもつれる。
いしこはG奥に乗せてきたが、
私は "手前のバンカーが気になりますねー、どこに落としてくるのでしょーか"などと実況中継風に口数が多くなる。
こういう時は得てして失敗する。アプローチをチョロった。

だが、しかしそこからピン横2mにつける見事なアプを繰り出す。
プレッシャーをかけたい、いしこは、下り10mくらいのバーディー・パットをほぼOKパーの絶妙のところへつける。

そして私、ややスライスラインの2mの微妙なパー・パットを沈めないと負けてしまう。
勝負所だ。

(*^^)v 沈めました。いしこはタップイン・パー。

沈めたときに、おっしゃ、と言ってくれた いしこ、気持ちが男前だ。

横顔も夕陽に映えてエルヴィスのようだ。

 

ここで本日はおしまい。プレーオフ決戦は18H +11Hの29ホールを終えて、またも次回に持ち越しとなった。

この日は(も)、スコアはあんまり問題ではない。
狙ったようにショットが打ててるか、と言われればYes、である。
なんだか、波さえくれば、ビッグスコアに恵まれそうな手ごたえ、昨年最終ラウンドでつかんだ何かを確信し始めた。
(大きなものをつかんだのに、レッスン・ビデオ化が遅れている。)

例年の冬とは違う。次回47ホール目で、プレーオフ決着がつくのか、楽しみになってきたぞ。

Elvis Presley - My Way (with lyrics)

 

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やまちゃん

2012年01月07日 | 旅と帰省とお出かけと

手羽先の話ではない。

15年来連絡がつかなくなったやまちゃんのことを、当時いっしょに遊んでた、ばぶくん(当時の呼び名だが立派に匿名として通用する。)と話をして思いだした。
たしか新橋辺りで飲んで、うちに泊っていったのを最後に会っていない。

当時はインターネットもなかったので、大学にいって掲示板で授業が休講だとわかると、
いきなり何処かへドライブしたり、日がなマージャンで過ごしたりした。

朝まで徹夜でマージャンをして、そろそろ出席しとかないと単位がやばい、と
爆睡しては困るのでガムを噛みながら授業に行ったら(たしか一般教養の人文系の科目だった)、
その頃は「代返」が幅をきかせていたので、センセイも声に敏感だったのだろう、
ガムなんか噛んでふざけるな、出ていけ!、と一喝されたのを覚えている。

とほほ、もう眠いし、家にかえろ―、と大学を出てとぼとぼ歩いていると、
今度はセンパイに声をかけられ、雀荘に引きずり込まれる。
もちろん、暴パイしてもどうでもいいくらい眠いので、ぼろ負けである。
いったい、眠りもせずに何時間やってるのだ。。(半分寝ていましたが。)
大学に入ってしばらくは、マージャンの負けを支払うためにバイトをしていたような感がある。
お金が底をつくと、駅のロータリーの引っ越しトラックに乗って日雇いバイトをしたりもしていた。
私は、忍耐力のかなりの部分をこの頃鍛えたような気がしないでもない。

大学に入った頃、ダイビングをするクラブでやまちゃんと知り合った。
同期だが年上で、今でいうイケメンだ。
部屋に行くと、渋澤龍彦や阿佐田哲也にはじまってヒットラーに至るまで、自分が触れたことのないような本がずらっと並んでいて、こいつは違うなー、と感じたのをよく覚えている。
やまちゃんもばぶくんも、ぼろぼろのアパートに下宿していたので、
バブルの只中ではあったが、私の大学時代はどちらかというと70年代風それゆけ青春的な色をしている。
(鍵のついていない窓から留守宅に勝手にあがりこんで、こたつに入り、おなかがすいて何もなかったら、瓶詰めの海苔をお湯に溶かして飲んだり、と今思えば素敵な日々だった。)

やまちゃんの大人ぶり、を印象づけたのは、銭湯に行ったときのことだ。
(当然ながら ぼろアパートには風呂がない。)
クールで大人なやまちゃんが、こそこそ あそこを隠す。
やまちゃん曰く、
"女には見せても恥ずかしくないが、男に見せるのは恥ずかしいのがふつうだろ。"
逆だと思ってた私は、そうか、そういうものか、と妙に納得したのを、よく覚えている。

やまちゃんの実家のある土佐に向かったはいいが、
徳島と高知の県境、四国山脈の峠のヘアピンカーブみたいなところで曲がり損ねて、
クルマが大破したこともある。
コンクリートの壁の前に積んであった薪の山に激突したから助かったが、道の下は川だし、一歩間違ってたら今私はここにいなかっただろう。
警察のおじさんたちも、おまえら悪運強いなー、とヘンに感心していた。
真夜中だったので、徳島のJAFも高知のJAFもなかなか来てくれず、
エンジンだけはかかったので、大破して窓ガラスも割れてなくなったクルマでトロトロ四国山脈を降りることにした。

朝方、港のフェリーを待つ喫茶店でモーニングを食べてると、
常連らしきおじさんが、"あそこにあるクルマ、なんやあれ。"
喫茶店のママ、" しーっ!! "。
言葉を交わす元気もなく、うなだれている僕たちを気遣ってくれたのだ。

フェリーを渡ったクルマはほどなく廃車となりました。

これは、たぶんその前、尾道でのスナップです。

社会人になってからも、(大学にたしか7,8年いた)やまちゃんの家には休憩がてらよく行った。

東京に出てきてからも、大阪に行くと親しくしているスナックに連れて行ってもらったり。
よくモテる男だったし、エピソードにはことかかない。

あまり、今日の話にはなじまないし、ノスタルジックに語る話でもないのだが、In My Lifeを。

IN MY LIFE英語日本語歌詞

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攻めの養生 ~ 声に出して身心を調える

2012年01月03日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

我ながら、文字がぶれてしまって、筆のガマンがきかず粗雑で、下手くそ極まりないが、
そこから始めよう、と反省した。

 

世音 南無仏       (かんぜーおん なーむーぶつ)
与仏有因 与仏有縁    (よーぶつうーいん よーぶつうーえん)
仏法僧縁 常楽我浄    (ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう)
朝念観世音 暮念観世音 (ちょうねんかんぜーおん ぼーねんかんぜーおん)
念念従心起 念念不離心 (ねんねんじゅうしんきー ねんねんふーりーしん)

観世音菩薩に帰依します。
私たちにも仏と同じ因果の法則があり、また縁とつながっています。
仏と法と僧との縁によって、私たちはつねに心を清らかにし楽しく過ごせます。
朝にも夕べにも観世音菩薩を念じます。
この念は仏心から起こり、また仏心を離れません。

 いつから養生が、健康法と同じように思われるようになってしまったのでしょう。(帯津良一)
~ あす死ぬとわかっていてもするのが養生である。(五木寛之)

病気にならないための健康法や、今あるものを大事にするアンチエイジングは「守りの養生」。

生命場のエネルギーを高めていき、死ぬ時こそ、生命場のエネルギーを最高に高めておいて、その勢いで死後の世界に飛び込んでいこうという積極的な養生が「攻めの養生」

「達者な死に方」練習帖―賢人たちの養生法に学ぶ (文春新書)
帯津 良一
文藝春秋

医師である著者は、患者さんを死なせることが医師の敗北となり、
西洋医学に寄りすぎた現代社会において死がタブー視されていることを問題視します。
" 一人の例外もなく必ず死ぬのに、それを不安や恐怖で迎えるのはさみしい気がします。"と。
身体ばかりではなく、魂を含めた生命場をいかにして高めていくか、が養生であって、死後の世界も含めていくのが養生。

年を取れば、肉体的には衰えていくことは避けられない。
私たちは誰もが「生老病死」のなかで生きていて、
例えば病気になったからといって、悪魔に魅入られたわけでもないし、運が悪かったわけでもなく、殊更に自分だけが不幸なわけでもない。
養生というのは、文字通り、生命を正しく養うことです。
タバコや酒をやめるとか、ジョギングをするとか、玄米を食べるとか、そんな安っぽいものではありません。
生命というのは躍動することでエネルギーが高まっていきます。
生命を躍動させるには、心がときめかないといけません。タバコ一本、ビール一杯にときめけば、それは立派な養生です。
私は、死ぬときが一番最高のエネルギーになるように生き、そのエネルギーで一気に死後の世界に突入しようと言っています。その気持ちが養生の根底になければいけません。
健康とか長寿という狭い枠で養生が語られるようになって、人間の質も縮こまってしまったように思えます。

「老いて学べば死して朽ちず」、この志が大切なのだといいます。

生命場ってなに?、という向きもあろかと思いますが、
医師である帯津さんは、内臓と内臓の隙間にあるのが生命エネルギーであり、気ではないか、といいます。
隙間に詰まっているのが空気なら、レントゲンを撮った時に隙間は真っ黒になるはずなのにそうはならない。
その理由を探したがどんな本にも書いてなかったといいます。
"西洋医学では身体の隙間を意識することはないが、その隙間の働きというのはとてつもなく大きいのではないか。"
(生命場についてはこれまでにも記事化してきた通りです。→ 
場を考える ~ 意識や生命の見える化に成功した。

もうひとつ、これは学ぶべきだと感じ入ったのが、エゴイズム的な養生ではなく、
自分のエネルギーの高まりが人にもいい影響を与え、自分が属している場のエネルギーを高めているんだという喜びを持ってやるのが養生、というくだりでした。
道中お達者で、との気持ちを込めて、医師として多くのひとを見送ってきた帯津先生の人間観、単なるポジティブ思考ではありません。頭がさがる思いです。

私は患者さんのことを戦友だと思っています。同じ地平に立つ横のつながりです。
戦友が斃れるときに、私はどうするかと考えると、傍でじっと見守っているだろうなと思います。
それを病院という場で実践しているのです。
私は人を敬うという場合、その人の何を敬えばいいのだろうと常々考えていました。
人間の本質は"明るく前向き"ではありません。
私たちはまずは自分のなかにあるかなしみを敬う必要があります。
かなしみが本質であり、土台だということをごまかしているから、マイナスの出来事が起こった時にすぐにグラグラしてしまうのです。
次に自分のなかにかなしみがあるのと同じように、他の人もかなしみを持っていることに目を向けてください。
そのかなしみに敬いの気持ちを持つことです。
このひとはどんな旅をしてきて、どんなかなしみを持って旅立とうとしているのか、その「旅情」に心を向けること。それが「敬」ということではないでしょうか。

帯津先生が敬愛するのは、養生の達人、白隠禅師。
著書「胸中の山水」の中で細川護煕氏は50歳頃から死というものを意識するようになった、と言われていましたが、
生死が隣り合わせのなかで生きていた鎌倉時代の武将たちなんぞに比べると、現代人は「生老病死」を直視することができず、死ぬのは苦だとばかり思って、重病になった頃にはじめて死に直面し混乱するといいます。
40代も半ばになったのなら、そういう意識の向け方を覚え始めてもよかろう、とも思います。
死をタブー視せず、目をそむけずに気を向けることで、グラグラした土台を強いものにしていく意識。

身心を調え、生命場を高める、「正念工夫」のための具体的な方法が、「延命十句観音経」。

書き初めをしてみて分かったが、丁寧に文字を書けなくなってきている。
普段から、サインしたり、メモしたりすることはあっても、気を向けて、身心を調えて、筆を持つ機会は極端に減った。
当然、文字が妙にぶれたり、書く速度が途中から速くなったり、雑になったりする。
気持ちを込めて、一定に保ちながら丁寧に書く、ということが疎かになって、
そのような感覚が退化しているのだ。エッと思うほど、すぐに先を急ぎたがる自分に気づく。
お経を声に出すのも同じ。
はじめはむずかゆい感じがするが、吐く息、吸う息を調えるようにして、声に出すと、
身体だけを使ったいわゆる気功法以上に、即効性があるような気がする。
丹田に気を向けるということが実にわかりやすく実感できる。
(いかに丹田に気を向けた発声からずれてしまっているかを実感できて、矯正しようと思える。)

自分で折に触れ、唱えることができるように、冒頭にビデオを貼り付けておいた。
 (実際に口を動かす、オーラル・メソッドは、非常に有用に思えるので、
  本稿の他にも、Mr Dunkanの字幕付き英語サイトなんかもブックマークしておいた。)
 
帯津先生は、"一千回"唱えると奇跡が起こってくると言われる、この「延命十句観音経」について、
物理学でいう励起のようなものではないか、と説明されています。
日々高まってゆく生命エネルギーというものは、いつも一定の速度で向上していくのではなく、ときに小爆発を起こしながら、ステージをあげてゆく。
一定の回数を重ねることによって変化が生じる、という現象は、物理学の励起に限った話ではない。
何度か言及しているが、私は「ラングストンの蟻」を見た時に、ハッと気づかされた。
神秘を創造するシンプルな仕組み

一千回は無理だと思うが、帯津先生の言葉を信じよう。

”日々養生していくぞ、という意思があれば、気功をやるのが一週間に一度であっても、
十年経てば十年選手になっているものです。
気功はスポーツのトレーニングのように週に一度やるより毎日やった方が上達するというものではない。
心を込めて生命エネルギーを高めることです。" 

ふざけた記事を書いたりしてましたが、かたや震災の振りかえりもあって、
昨年暮れあたりから死生観を高めてくれるようなものをいくつか読んでいました。
下に挙げたのはいずれも良書で、気づきを多く得られたものです。
(帯津先生がかぶっているのには、今気づきました。)
胸中の山水については既に記事にしましたが、他のものも折に触れ、自分なりに消化しながら気づいたことを書いていきたいと思っています。

 

Twitterに今年のおみくじをアップしたが、実はハッとさせられた。
"  御祐助(おたすけ)をこうむって "こそ、私は福徳を増してゆけるのだし、幸運を手にしていけるのだ。
天からの戒めの言葉とせよ。

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1月2日(月)のつぶやき

2012年01月03日 | ひそひそツイート

12:04 from Camera on iOS
今年の年賀状、最高傑作はこれだ。
宛名面には、
“裏面はささやかなお年玉です”と書いてある。
おっさんがよくやるなー、たまげました、はい。
☆~(ゝ。∂)
ところで彼女はだれですか(#^.^#) http://t.co/7mxZDdon
14:03 from Camera on iOS
大吉返しの術! http://t.co/UEP6kT33
14:05 from Camera on iOS
鐘を打つ。そろそろ引き締めていくか。 http://t.co/TmLgqBzs
17:31 from Mobile Web (Re: @novia5010
@novia5010 リフオローありがとうございます。こちらでゴルフレッスン記事なんぞもやっていますのでお時間ある時に是非ご覧ください。(*^_^*)http://t.co/WnPpjXH8
by lifelongpassion on Twitter

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北の新地から ~ 夕霧よ今夜もありがとう

2012年01月03日 | 旅と帰省とお出かけと

 いつかは京都の祇園で芸妓遊びをしよー、という夢を語り合ったのは一年前。
一見さんお断りの祇園、知り合いの方にそれとなく当たってくれたらしいのだが、かなりお高い金額だった。
(最近のお茶屋遊びならそうでもなさそうだけど。→ 意外と格安!? 京の都で舞妓遊びを満喫したい

その場でお勘定、みたいな野暮なことはしないらしいが、かえって不気味だ。
祇園遊びにハマったひとは、一千万円の着物の帯をこうてやったんやて~、という冗談のような話も。

が~ん。夢は夢でしかなかったのか。。(-_-)

大阪では、ご馳走さまのことを、ごっつおさん、と言ったりする。 
北新地にあるスエヒロのしゃぶしゃぶとか、道頓堀のはり重のすき焼きなんかは
間違いなく「ごっつお」であり、うどんやオムライスは「ごっつお」とは言わないらしい。単にうまいもん、となる。

はり重ですき焼きを食べたときに仲居さんが、
"此処で食べれるようになったら吉本の芸人さんは一人前みたいなことが言われたそうです"
とのエピソードを聞かせてくださったこともある。

「うまいもん屋」からの大阪論 (NHK出版新書 357)
江 弘毅
NHK出版

この日は予約した時間まで小一時間ほどあったので、軽く一杯やれる店を探す。

あ、明石焼き。
しかし、残念ながら満席だった。。

あ、また明石焼き。 

期待した、焦げ目のない卵焼きのようにツルっとしたやつではなかったが、
本番まで、軽くやるには丁度いい。

そして、この日のメーン・イベントは、

大阪 北新地で食すふぐ。

キモや卵巣に中ると死にいたることもある、鉄砲がふぐ。
だから、ふぐのチリ鍋はてっちり、刺身はてっさ、というらしい。
あんこう鍋も大好きだが、関東ではふぐにはあんまり当たらない。
冬が旬のふぐ、は間違いなく大阪を代表する「ごっつお」だ。

うぉーい、ひれ酒だ。

しゅばっ! 

    しゅるる…       

どこまでもホワイトな一年だ、新地で出会った色白美人。

大人になった分、より凄味が分かる、と思ったが、やはり淡白だ。
鉄砲にアタるスリルを味わうよなところが多分にあるのだろうか。。
それとも決して出しゃばらないところが、美人たる所以なのか。

危所に遊べ、と言ったのは渡辺淳一氏だったが、
ちょっとおっかない北新地で、ちょっとおっかない色白美人の旬のふぐに出会う、といった趣き。

で、締めは、夕霧、である。霧にむせぶような佇まいが郷愁を誘う。

ここのオススメはカレーそば、らしい。

しかし、ここは北新地である。
"美しく色気もあり、気立ても良い" 夕霧でなくてどうするのだ。

 

 

ツルツルっと召し上がれ。

もっちりした食感が、これまでの蕎麦とは違っていた。
夏の同窓会には行けなかったが、ぜいたくな晩になった。
しょっちゅうである必要は全然ないが、たまにこういうのはいい。

多くを語らずとも横溢するオーラ、もう40半ば、これからは このようなところを目指したいと思います。
(ツイートなんぞを始めて、さえずってますけど。)

夜霧よ今夜も有難う 石原裕次郎 Ishihara Yuujirou 1978

大阪駅前第3ビルの肩越しに顔を見せる、白い月。

 

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♪忘れじのアップルピー

2012年01月02日 | マスカラスあるいはゴルフィー

前にも書いたが、私は、自分で適当にメロディを作って鼻唄にしていることがある。

時々、歌いながら、これが採譜できないまま、宙のもくずとなって消えていくのは惜しいなぁと思うのが出てきたりする。
なんとかならないものか。(・。・)

同じことを感じているひとがきっといるはずだ、と思って、
あらためて周りに確認してみたが、そのよーなひとは皆無である。不思議だ。

iPhoneのアプリにいいのがあった。SongMakerである。

早速、頭に浮かんだやつを鼻唄にして作ってみた。

見事にオンチであるが、記念すべき習作である。はずかしげもないけどアップしよう。
(ポールはよくメロディが天から降りてきたかのようにハミングしながら、小唄にして曲に混ぜてくる。)

そのうち、このようなメロディの断片をつなぎ合わせたら、いいのができるかもしれない。

忘れじのアップルピー

( ↓ ) こちらの方は才能がある。さすがだ。
SongMaker App Tutorial 1 - Quickstart (Record & Play)

 ( ↓ ) こっちの方がいいかもな。

Voice Band for the iPhone

コメント (2)
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1月1日(日)のつぶやき

2012年01月02日 | 旅と帰省とお出かけと

19:55 from Camera on iOS
日本橋 八木長の削り鰹でとっただしでお雑煮をいただく。鰹の香りがたっているので、あえて鶏や鴨はいれない。 http://t.co/cQVQSKVY
19:58 from Camera on iOS
簡単レシピでめちゃウマ!のローストビーフ、あなたは天才だ(^з^)-☆ http://t.co/loXhLEKJ
20:03 from Camera on iOS
大阪天満宮、天神様はどこもおみくじは辛めらしい。
_φ( ̄ー ̄ ) http://t.co/wu9UO7jL
by lifelongpassion on Twitter

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