草間彌生はどことなく樹木希林に似ている。
作風を含めて岡本太郎にも似ている。
安曇野から松本に戻って中街通りで夕食を。
ポイントを設けずにぶらりとする旅もいい。
人生は必ずしも目標を達成するためのものでもない。
どこまで達したかというよりは、どういう具合に生きていくかのほうが大事なのではなかろうか。
草間彌生はどことなく樹木希林に似ている。
作風を含めて岡本太郎にも似ている。
安曇野から松本に戻って中街通りで夕食を。
ポイントを設けずにぶらりとする旅もいい。
人生は必ずしも目標を達成するためのものでもない。
どこまで達したかというよりは、どういう具合に生きていくかのほうが大事なのではなかろうか。
安曇野では、あちらこちらで道祖神を見かけた。
穂高神社は遷宮行事が行われて間もなくだったよう。
以前薦められて大船にいてはる占いの先生の所に伺ったことがあります。
曰く、私の先祖は、船の恩恵を大いに受けたらしい。
荒ぶる海民が日本人の起源であったという説もある。
(聖地巡礼)
関西から遠く離れた信州に、菊の御紋や、古来に起源を遡って船を祭る神社があることに驚きました。
菊の御紋と船。
父は猪年生まれだった。
何やら紀貫之っぽい。(おそらく菅原道真公だ。)
( ↓ ) 起源を遡ればやはり海神、北九州、あたりだった。
はからずも、またもや武田巡りだ。
風鈴の音が涼やかにリンリンリンと鳴っていた♪
久しぶりに大吉!
なぜか調子がよろしくない右手が快癒しますように。
(ピアノ発表会に向けてユアソングを練習して来たが、不参加も視野に。)
奇しくも7月という名の店、文月。
穂高駅前で親切な方が
信州サーモンは虹鱒とトラウトサーモンの交配種だということと、信州サーモンの美味しいお店を教えてくれた。
きっと、赤城で食したのもそうだったに違いない。(群馬名産の「銀ひかり」)
(写真左)これは義父と最期に訪れて皆で写真を撮った時のアングルの鶴ヶ城 だ。スケッチもした。
(写真中央)「末廣」・「榮川」・「会津娘」が会津の三大銘酒なのか…。(今はもう「清瀧」の名前はそこにない。)
(写真右)「まほろば~鶴ヶ城の夜桜」の時に春のうららの~と歌う女性デュオの光景に遭遇した廊下橋。
八重の桜で主演した綾瀬はるかさんのメッセージが鶴ヶ城内にありました。
つまの祖母は会津では有名なお茶の先生だった。
新島八重が会津に来た時のことも著書「槿の花は惜しくも」に書かれている。
私には茶道の素養が無かったが、会津に来ては、掃除などを手伝っているうちに諸々勉強させて頂いた。
さて、お次に向かったのは、御薬園。
(つまの祖母の法事がここ御薬園で盛大に執り行われた時以来の来訪だ。)
ハーブ園のような趣があって飽きないのです。
丁度オオガハスの咲く時季でもあった。
蓮といえば古代蓮が埼玉にもある。(世界の約束 ~ 古代蓮の光景から)
御薬園中央に浮島のようにあるのが楽寿亭。
白い鯉が現れた。
つまの祖母の法事(三回忌)が催された際、私は薄茶を頂いたような気がしていたのだが、
皆で1つの茶碗で回し飲みをした記憶がある。これは格式高いお濃茶の作法である。
↓ たぶん此処だった。
夢。
忍野八海を見た時には煌めく水の清流さに感動したのだが、
この日は曇天でクリアボートにも乗れず。
でも降雨続きの今夏、雨降りでなかっただけ幸運。
水車があるのは蓼川(たでがわ)。
万水川(よろずいがわ)と蓼川(手前)との合流地点。
( ↓ ) イギリスの画家ミレイの名作「オフィーリア」をモチーフにした表紙の全身がんを公表していた樹木希林さんの本。
なんだか安曇野の風景みたいだ。
まるで映画「ハウス」みたいだ。
×××のオブジェ?
信州サーモン⁈
この時食したのはサーモン丼ではなく、わさび丼だが、最上川縁で鮎料理を食した時のようでした。
松本城が見たい…。
そんな妻のひと言が今回の旅のきっかけだった。(先週は鶴ヶ城を見たばかりだ。)
圏央道から中央道経由で松本入りするはずだったが、関越道経由になってしまったので、
竜王マウンテンパークの絶景ポイントSORA Terraceに立ち寄る。
山の天気は移ろいやすい。
しかもこの週は梅雨の真っ只中だ。ヒマラヤンブルーの空という風にはいかない。
時々気まぐれに晴れ間が射すと
眼下には雲海ではなく、街が見えた。
徳川家光が来城するのに備えて増築されたという月見櫓。
サイトウキネン・オーケストラみたいに爽やかだったのが松本駅前のホテル、晩御飯は駅前で串カツを。
そういえば、長野オリンピックで日本選手団が足繁く通ったという明石焼きの美味い店も信州(白馬)だった。
たこ焼きも”外はカリッ、中はとろっ”ではなく、”外はふわっ、”としたやつが美味いと思う。
”トンネルを抜けるとそこは磐梯山だった。”
まーくんが高速道路の運転にもチャレンジしてくれて快適なのです。
(自分で運転してるとなかなかこんな写真は撮れないが、
磐越自動車道に入って3つほどトンネルを過ぎると、磐梯山が現れるのです。)
東山温泉街の宿泊先、ホテル 東鳳にある「宙(そら)の湯」と「棚雲(たなぐも)の湯」。
一日を終えて沈みゆく夕陽を眺めながら、まーくんと水入らずの時間を過ごしたのは
「棚雲(たなぐも)の湯」(写真右)。
沈む夕陽を眺めながら、ってのはジョン レノンの Grow old with meみたいだ。(男同士ではあるが。)
風呂にカメラは持ち込めないので
眼下に会津市街を望むホテルのレストランからの眺めを撮影してみた。
この日は法事だった。迎賓館にて。
霊(スピリット)は邪悪な呪いの象徴ではなく、
ある日突然私たちの心に触れては、人を覚醒し、
これまでにない世界を感じさせてくれるものとされているそうだ。
クラウド・ファウンディングは一定の成果をあげたようです。
可月亭庭園美術館と名付けられたギャラリーには、先代当主星野正三と親交のあった里見勝蔵氏の作品が中心に展示されている。
老木キャラ松も、庭の宴に参加して、、、
生老病死から眼をそむけることのない眼差しは伊藤若冲にも似ていると思う。
同じアングルの場所を探して歩いた。
障害物が立って、最適なアングルは移ろったようだ。
キャンプからの帰宅途中でうっかりSDカード内のデータをほぼ全消去してしまった。
甲府から始まった武田巡りは、まだ続くのでした。
山行好きの武士に誘われて向かったのは大月にある岩殿城跡。
武田勝頼が天目山で自害して武田氏が滅亡を迎える前に、
落ち延びようとして小山田氏に拒まれた悲劇の山城。
11月に甲府で恵林寺詣をした後に、
天目山からの敗残兵が、武田家家宝と云われる日ノ丸の御旗などを持ち帰ったと伝わる、
雲峰寺から始めた武田巡りでしたが、
奇しくも ひと巡りしてきたかのようです。
(武田巡りの旅 ~ 風林火山と日ノ丸の御旗)
大月駅を降りると、すぐに高さ150mに及ぶ一枚岩からなる岩殿山が見えました。
昇仙峡に行きながら見ずにいた覚円峰にも似たその山容。
(昇仙峡とキンタイア岬 )
自然の要害を活かした戦国屈指の堅城ぶりを体感できる山行になりました。
桂川を渡り、先ずは岩殿山麓にある丸山へ。
11月の甲府で見たのとは違う、冠雪した富士山を、ずっと眺めながらの山遊、
(富士山に登ってしまうと富士山は見えませんから、どちらがいいんだか、よく分かりません。)
お天道様をいっぱい浴びながらの素晴らしいパワースポット巡りとなりました。
入山規制が解けたばかりの週末でした。右は岩殿山頂を過ぎて、馬場跡から見渡す富士山。
2027年の品川〜名古屋間の開業を目指しているというリニア新幹線の工事中の様子も見えます。
2045年には大阪まで繋がる予定。(生きてれば80歳の頃だ。)
幅20cmほどの断崖絶壁を渡り、岩を登る。
山遊というよりは山行か。
危険(迂回ルートもあります。)
90度越えのクリフハンガー程ではないにせよ、垂直感があった。
二箇所あった鎖場を登り終えた兜岩で、しばし休憩。
山の上で飲むコーヒー、ってそんなCMのシーンに浸っているかのようです。
手挽きしたコーヒーにラム酒を入れて体を温める。有難き幸せ。
その後、天神山を越えて、「稚児落とし」へ向かいます。
織田軍に攻められた小山田氏の婦女子が、子供の泣き声を察知されるのを避けるために子供らを落とし、
自らも覚悟を決めたという「稚児落とし」。
これほど間近に、断崖絶壁を見たことがない。
右サイドに見えるルートを辿って向こう側まで。
稚児落としを向こう側まで歩いてから、辿ってきた岩殿山〜兜岩〜天神山方面を見渡す。
20171210 岩殿城跡
カシオのG'z Eyeを胸部に装着して撮られた映像に、武田巡り感を強めていただいた。
20171210
神に近づいた日だったような。
イギリスかぶれの山遊記、締めの一本。
渓谷美で名高い昇仙峡ロープウェイを昇り、パノラマ台駅から少し歩くと、弥三郎岳の天辺。
(弥三郎岳・展望台・パノラマ台を総称して羅漢寺山(らかんじやま)というらしい。)
まるでOnce upon a long agoに出てくる巨石の風景みたいだ。
Paul McCartney - Once Upon A Long Ago - 1987 Music Video HD
金櫻神社は金峰山を「ご神体」とし、奥秩父連峰の最高峰である頂上に本宮があって、そこは昇仙峡の源流でもある。
山麓にある神社は「本宮」ではなく「里宮」になる。
昇仙峡の渓谷を行く前に、夕方になってから昇仙峡ロープウェイでパノラマ台へ。
(昇仙峡のシンボルのようになっている覚円峰は夜の遊歩道を歩いたので、横は通りましたが景色は見ずでした。)
奥に見えるのは荒川ダム。(山梨県にも、富士川水系の、別の荒川がある。)
山の天気は不思議で、麓では宵闇迫る曇天だったのだが、山頂が近づくにつれて明るくなった。
パノラマ台からの眺め。
空や眼下の山々に、龍の気脈のようなパワーが充ちているのを感じる。
富士山遥拝。
鳥のように高い目線で地平を俯瞰し、そこに龍脈の流れを見ていた山岳信仰の時代の人々の、
パノラマ的な立体感覚やイメージの力にあらためて驚く。
麓でパワースポットの解説を目にした時は冗談ぽく感じられたのに、山頂では感じ方が変わる。
髄液が何らかの影響を受けて、変性するのでしょうか。
和合権現が、龍脈の流れの中で中心を占めている。
日本の神道では、イザナギとイザナミが「みとのまぐわい」をして国を生み出した。
女神であるイザナミは、イザナギと交わることによって日本列島を次々と産出しただけでなく、
そこに海、山、野原、草木なども産み落とした万物の創造主。
そして、その死体から、さまざまなオロチが誕生してくる光景は、
彼女自身の正体がオロチであったことをほのめかしている、と言います。
オロチは横溢な生命力を持つ女神であり、
雌雄のオロチが交尾する姿が、神社に飾られるしめ縄との説には説得力がある。
ヒンズー教や山岳信仰だけではなく、日本の神道も実は生々しい。
こっちから見ると「マル・オブ・キンタイア規定」にそっくりだ。
この程度なら、きっと規定にはひっかからない。
キンタイア半島の地図の出てくるバージョンもあったが、冬らしくて、口ずさめるこちらのバージョンを。
Paul McCartney & Wings - Mull Of Kintyre
最後に霊峰 富士を拝しながら。
そして夜の帳の甲府盆地。
「昇仙峡とキンタイア岬」ってタイトルにした。
峡谷と岬、女と男、とも読める。
神さまの秘め事のようで
なぜか神秘的に感じられる謎が、少し解明できたような気がする。
モノを生み続ける山には子宮がなくてはならない。
深くて暗い谷、大きな洞窟なども、その形状から子宮とみなされていた。滝もそうである。
両脇から欝蒼と生い茂った森林の襞に包まれて、山の体液を流し続ける滝は女陰である。
(「山の霊力」より)
昇仙峡 仙娥滝ライトアップ(20171107)
今年の夏は、8月末に再検査を控えていたので、万一に備えて、夏休みをとらずに温存していました。
かねてから、そのうち行ってみたいと思っているのはイギリス。
子供が二人とも大学生になったので、塾だ部活だといった子供の都合縛りが緩んで、ようやく旅行に出かける自由が出てきました。
イギリスはビートルズの聖地だというのに、私は行ったこともないし、つまにとっては中学・高校時代の大部分を過ごした国。
今年は検査が一段落してから、遅めの休みをぱぱっと取ることにしたので、パスポートの更新とか徐々に準備を始めつつ、
イギリスとかではなく、ルーツを辿るような手近な旅へ。
大事に備える気持ちからなのか、どこか神の依り代を求めているような所があって、
占いやスピリチュアルなものに興味が向きます。
そもそも、人間の認識できる世界がすべてだとは思っていませんし、
むしろ、説明ができないから切り捨ててしまうという態度のほうが、おかしいと思う。
社会学者の書いたものがあまり面白くないのは、あの人たちは、「生きている人間」の世界にしか興味がないからである。
霊能者の書いたものがあまり面白くないのは、あの人たちは平気で「あっち側」のことを実体めかして語るからだ。
「こっち側」と「あっち側」の「あわい」でどう振る舞うかということを正しく主題化する人はほんとうに少ない。
(内田 樹 ~ 「あわい」でどう振る舞うかということ ~ However absurd♪
内田先生はこうも言います。
ローカルな世界でローカルなルールに基づいて、ものごとが整合的に運んでゆく話なんか、誰も読まないですよ。
手持ちの常識が通じない場所で、何を信じ、何を信じてはいけないのかを判断しなければならない。
「人知を絶した境域における適切なふるまい方」、それを主題にした文学作品が世界性を獲得する、僕はそう思う。
「どうしていいか分からない時に、どうすればいいか」という難問を扱っているから世界文学になり得る。
私には「天龍千晶」という、戒名でもない天誓の御名があると教えられました。
「龍」と「水晶」を訪ねることが、いつの間にやら今回の旅のテーマに。
先日も筑波山で、安っぽいお土産の龍を買ってしまったが、龍やら水晶やらに惹かれてしまうのは今に始まったことでもない。
(家の中には三匹の竜を飼え、って言ってたのはDr.コパだったかな。)
イギリスと言えば、ウェールズの国旗も赤い竜です。
(カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」でも雌竜クエルグが登場し、人々から記憶を奪う霧を吐く。)
甲斐善光寺の鳴き竜も赤かった。
(実は赤い塊を見ただけで、天井をしばらく見ていても、どれが二匹の竜なのか判別がつかなかった。)
甲斐善光寺、開基は武田信玄公。
川中島合戦の折、長野の善光寺焼失を怖れた信玄公が、諸仏寺宝類を奉遷したのが始まりらしい。
日本最古の彫像と云われる源頼朝像。木肌も露わだが、何かが宿っている雰囲気があった。
お戒壇巡りは漆黒の闇の中、
途中鍵に触れることで御本尊と縁結びをするという趣向を知らずに、慌てて廻ってしまった。
冬が近づき、曇天だと日が逃げ足を早めるかのように急に暗くなっていく。
おい、慌てるな。
現世的な世界が、徐々に墨色に翳っていく宵にあって、
池は澄み、鯉の鱗は金色に光っていた。
「君の名は」でも、夕暮れ時を意味する「黄昏 = 誰そ彼」というのが出てくるが、
かつて日が落ちた後は人の世界から神々や妖怪の世界へと変わり、
見分けにくい相手が人なのか神なのかを問う言葉だともいわれる。( 君の名は。~ 聖地巡礼つき)
カラッとした晴れ上がりも良いが、薄暗い曇天も悪くない。
大蛇(オロチ)は水を呼び、龍神は雷や雨雲を巻き起こすと云うから、
天気が悪いのは龍神がそばにいる兆しだと思えば、かえって有難いくらいだ。
(我ながら良いことを言う。)
何を感じようとしたいのかがモンダイだ。
大蛇(オロチ)と龍は、同じものかと思っていたらそうではないようだ。
山のヌシであり、永遠に生まれ変わる生命力の象徴であった蛇(しめ縄はオロチが交尾する姿らしい。)だったが、
豊かな水の恵みを必要とする稲作文化の始まった弥生時代の頃から、長いヒゲと四本足を持つ龍神が大蛇を駆逐していったらしい。
水晶発祥の金櫻神社で、ご神宝の生涯守りを求める。
霊峰 富士にかざしてきた。
昇り竜と下り竜。
霊峰 富士を巡る旅、続く。
Procol Harum - Wreck Of The Hesperus
甲府でコウフクになろう。
甲府市内に入ると、旧いCMではありませんが、まさしく” タケダ、タケダ、タケダ ”です。
「武田」っていう交差点を曲がると「武田通り」、真っ直ぐ北上すると「武田神社」です。
宿をとったのは、葛飾北斎が「勝景奇覧 甲州湯村」に描いた温泉地、湯村温泉にある常磐ホテル。
武田巡りの旅は、富岳三十六景的な旅でもあるのです。
(写真はHPから)
庭園が有名なようで、井伏鱒二が好んだという欅(けやき)の紅葉ライトアップが幻想的でした。
虹鱒なのに身が赤い「銀ひかり」の如く、時々ピンクがかった紅色になる。
門かぶりの松はよく見るが、これは沢かぶりの松、とでもいうんでしょか。
昔は宿の敷地内にゴルフ練習場まであったらしく、高松宮殿下の始球式の様子を撮った写真があった。
(少しレイド・オフ気味に見える。)
二階レストランに行くと、うちのリビングと同じ壁紙が使われていて、なんだか嬉しかった。
(ここは甲府の迎賓館らしいので。)
武田信玄が砦とした、ここ武田神社は、躑躅ヶ崎(つつじがさき)館と呼ばれている。
「城」ではなく「館」である。
”人は城、人は石垣、人は堀、情は味方、仇は敵なり。”
戦に強いばかりではなく、「お屋形様」と慕われたという信玄公らしい。
観世家の方が能の練習をされていた。
紅葉も素晴らしかったが、
つまが、圧倒的な関心を示したのが、未だ発掘調査中の郭(くるわ、曲輪)。
西曲輪の外に出ると、味噌曲輪と呼ばれる、手つかずのままのような光景があった。
( ↓ ) 館の東側に並ぶ石塁。かつて正門があったのは、大手と呼ばれるこちららしい。
甲府盆地の西、山梨県韮崎に、武田勝頼が築城途上で織田軍に攻められ、自ら火を放ったといわれる新府城があって、
混同しやすいが、甲府の南側には甲府城がある。
(徳川家康が築城したとの説もある豊臣大名時代からの城。)
甲府駅南口に信玄公がいるので、甲府城のことを勘違いしそうになる。
甲府城から富士山を望む。
たまに焼き鳥で食べることはあっても、キンカンって他の食べ方を知らなかった。
店によって同じ鳥もつ煮でも入ってない店もあるらしく、一軒目ではありつけずでしたが、二軒目で巡り会う。
駅前で入った奥藤、調べて行ったわけではないが、鳥もつ煮発祥の店でした。
死後三年を経て恵林寺で葬儀が執り行われるまでの間、
秘密裏に火葬の上、埋葬されていた信玄公廟所にもお参りいたしました。
カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」に出てくる雌竜クエルグではないが、
龍神を探しながら、みたいなところのある今回の武田巡りの旅に似つかわしい。
Gary Brookerって、若い時、信玄公に似ているような気がするしね。
彼女は上陸する時、家に居るわ、って言った。
本当は海にいるのに。
だから姿見の前に連れて行って、分からせようとしたんだ。
君はマーメイドなんだよ、って。
そして、ネプチューンに乗っているんだよ、とも。
青い影 [日本語訳付き]
プロコル・ハルム
今回の旅のテーマは武田巡り。
先に風林火山や日ノ丸の御旗の記事をアップしましたが、
(武田巡りの旅 ~ 風林火山と日ノ丸の御旗)
先ずは旅の始まりに信玄公へのお参りをと、向かったのは恵林寺。
鎌倉時代に臨済宗の僧・夢窓疎石によって開かれた古刹を、信玄公が武田家の菩提寺と定め、
死後三年秘された後の葬儀は、勝頼を喪主として、快川(かいせん)和尚によって執り行われた。
恵林寺は織田信長によって全山が焼かれ、上の赤門は徳川家康によって再建。
家康の意思を継ぎ、江戸中期には柳沢吉保が修復を行なった。
( ↓ )
武田氏滅亡の翌月、織田軍が恵林寺に押し寄せ、
潜伏保護されていた者達の引き渡しを拒否した快川和尚をはじめとする僧侶を封じ込め、火を放った。
この山門(三門)楼上で、壮絶な火定を遂げた快川和尚の遺偈(いげ)、
「安禅必ずしも山水を須いず(もちいず)、心頭滅却すれば火も自ずから涼し」が掲げられている。
信玄を描いたものは数あれど、信玄の墓の前にある明王殿には、
信玄31歳のときに京都から仏師を招いて、対面で模刻させたという武田不動尊像が安置されている。
信玄の髪を胸に塗り込んであるらしい。
残念ながら、墓には月命日の12日だけしか入れないが、
少なくとも高野山の奥の院の時よりも、近くまでお詣りさせていただいた感じがありました。
(高野山 /奥の院 ~ 史上最大のお墓参り)
夢窓疎石による作庭。
今回の武田巡りの旅は、自ずとパワースポット巡りの旅になった。
空にたびたび龍の姿を見る。
風林火山の孫子の旗も、雲峰寺で謁見する前に、恵林寺の宝物館に残る一旒を見たのが初めてなのでした。
影武者 KAGEMUSHA 黒澤明 Akira Kurosawa
カズオ・イシグロの「忘れられた巨人(The Buried Giant)」に描かれている世界の在り方、
霧の中に消えていく記憶のような昔日に想いを寄せてみる。
( カズオ・イシグロの世界に呼吸を合わせてみる )
サクソン人とブリテン人のように、かつて日本にも海民(平氏)と騎馬民族(源氏)がいた。
海と風を操る異能者と、当時最速であった馬という野生動物を制御する異能者の対立。
陸には白旗、沖には赤旗という、陸と海の図式的な対立が源平合戦の基本構図であり、
運動会の赤白に至るまで、源氏と平氏の対立構造が、日本人の考え方の軸になっているという。
( 聖地巡礼 )
武田勝頼が天目山の戦に敗れ自刃した後、敗残の兵が大菩薩嶺の山麓にある雲峰寺(うんぽうじ)に奉納したのが
日本最古と云われる日の丸の御旗。
甲斐武田氏が源氏の嫡流である証しとして、武田家代々の重宝であったと伝わる。
(近くでみると縫い目まで見えて、これが平安期の手仕事なのか、と思いましたが、
現存するのは室町期の作だとのこと。)
雲峰寺の名前の通り、勝沼のワイン畑を抜け、雲を眼下にした山上にありました。
風林火山で有名な「孫子の旗」は、7旒のうち1旒が恵林寺に、残り6旒が雲峰寺にあります。
(武田神社にも特別展示として1旒ありましたが、様式や大きさが違っていて別物のようです。
ここ雲峰寺でも展示されているのは3旒で、残り3旒は損傷が酷い為にしまわれているとのこと。
”京都南禅寺で小僧をしていた”というご住職に教えていただきました。)
陣頭に立てていた軍旗「諏訪神号旗(すわしんごうき)」は、信玄直筆。
信玄の居場所を示す「馬標旗(うまじるしき)」は、武田家家紋の「武田菱(四菱)」を花模様に変化させた
「花菱」と呼ばれる控え紋が使われている。
直筆の筆致もそうだが、花菱を自分の影のように使ったり、
信玄は一般的なイメージよりも美意識の高い人だったようにも思える。
昔日のことを思い出せば、めずらしく父と行った映画が影武者だった。
イギリスのことはあまり知らない。
コッツウォルズの街並みを湖水地方の風景と勘違いしていたくらいだ。
どこか会津や磐梯山の風景と重なる。
まだ紅葉には少し早い五色沼。
鶴ヶ城近くにある山都そばの店に入ってみたら、おなじみの風景の絵が飾ってあった。
丁度こんな按配の時季ではなかろうかと向かってみたら、半分その通りだった。。
麦畑ではなく田んぼなのですが、どこかスティングのフィールズ オブ ゴールドみたいだったりする。
([2017年 GW] 赤城 ⇒ 上毛 (いつか もっと うっとりを。))
ここ会津にもちょっとしたヘリテッジがある。
流行りのクラウドファンディングだが、まだ人を呼び込めるところまでは至っていないようです。
( ↓ ) 大正時代の頃
( ↓ ) そして平成の今。
ヘリテッジ的なところは、先日観た映画「ハウス」のようでもあり。
昔在った蔵元の名残り、徳利には清瀧の文字が。
庭でうねっているキャラ松と呼ばれる老木の姿もどこかおどろおどろしい。
ハウス的な光景が続きましたが、こちらは神っぽい白い御神体。
鯉の姿をしているが、それは戴冠するダビデ王のようでもあり。
レナード・コーエンの「ハレルヤ」の原訳で、Davidのことを旧約聖書に出てくるダビデ王のように訳しているものがあったが、
6世紀のウェールズに存在した聖デイヴィッドのこと。
歌の中に鳩(Dove)が登場するが、
彼の説教で場内が鎮まった時、デイヴィッドの立っていた地面が盛り上がり、
一羽の鳩(聖霊の力による雄弁さの象徴)が舞い降りて彼の肩に止まったと言われている。
この本にあった聖ディヴイッドの肩の上にも白い鳩がちゃんと描かれていた。
ハレルヤ(Audacity version)20171014
John Caleみたいにピアノで弾き歌いたくて練習を始めた曲。
コードをアルペジオで弾くだけなのですが、ノーミスで弾き歌うのって意外に難しい。
それに5番まである歌詞も通しでちゃんと歌わないから、断片的で、どこかハノン的な練習曲になってしまっていました。
そこでピアノを別録りしてからAudecityで歌を乗せてみました。
Audacityで形にするようにすると、漫然と弾いているより上達するように思えます。
(聴きかえしてみたら恥ずかしくて消したくなるほどだが、こうやって曲がりなりにも通しで曲として繋げてみると、
断片的で怪しかった歌詞や、コード進行のつまずき具合まで、一気に修正点として分かるようになる。
ポロンポロンと間違えながら断片弾きしてるだけで、繋がらずにうろ覚えの状態だったのが、ひと繋がりの曲として捉えられるようになる。
イエスタディの歌乗せのコツを掴んだのもAudacityだったし。
イエスタディ (Audacityバージョンの出来上がり。)
⇒
[ピアノ弾きおじさんへの道] Yesterdayに寄せて)
「喜びは絶望よりも深く心を流れる」
という言葉がありましたが、このハレルヤ(主を信じる)にはそういう感じがある。
喜びだけを歌うのではなく、苦しみや絶望に目をそむけずに歌うことで
その先にある喜びが一層リアルに見えてくる、みたいな感じ。
(「君の膵臓をたべたい」~ 喜びは絶望よりも深く心を流れる)
欲望や醜さのなかにいようと、唇や息に宿り、現出するハレルヤ。
( ↓ )まだ読んでませんが、太宰治好きのイギリス人作家による日本紀行。
ワーズワースよろしく、イギリス行きを目指して書き溜めていこうかと思う。
(ワーズワースと至福の時)
hallelujah John Cale lyrics
Good morning,Osaka!
体育祭で続けて一等取ってお前が目標だったと言われた30年ぶりのエピソードにじーん。
私は競争とか、そういうのが好きじゃなかった、そんなのはとっとと降りるよって。得な性分ではないと思う。 pic.twitter.com/v3NmMSYSRs
今日は 20 回 スクワットしました! #365daysApp s.tee-app.com0530タルセバ。
大阪の食を少し楽しんで墓参り済ませたら東京に戻ろう。
弟一家も海外旅行から戻ってきて一緒できます。
明日からはイボミとロルフィングをゴルフに活用するぞ。
そうだ、明朝早くから4連戦なので、Twitterのブログ連携機能をオンにしておこう。
昨日は30年ぶりに同窓会だったので、朝から大阪入り。
お盆の週末に弾丸日程ですが、来てよかった。 pic.twitter.com/SocHzHdP9J
昨夏はここで見たのだが、なかった…。
幻の食材「亀の手」、哀しみの黒門市場。
こんな店でも外国人旅行客向けにイートインをやってる。
カメノテ、アリマスカ?と訊いたら怪訝な顔のお店の人。 pic.twitter.com/t8KLiQsu50
鯨の鹿の子とさえずり。
ちょっと薄い。
最近爆食危機に備えて、マグロをなるべく食べずにニッチを狙う。 pic.twitter.com/CqPQGQ4GZW
目白帰りの池たこ作戦は未遂に終わりましたが、揚げたこ焼きではない、外も中も熱々はふはふの関西たこ焼きを食べることができました。 pic.twitter.com/CS3DbP6sP1
旅の〆は関西の夏の味覚ハモづくしの寿司。
生命力の強い鱧にあやかって、明日からは食らいついていくゴルフを。
もはや大阪でもバッテラを探すのは難しいが、棒鮨には興味がないので焼き鯖寿司。
大阪紀行のはずがこんなのばかりになってしまった。 pic.twitter.com/ZjoyN1BvmB